第五話 活版印刷ルネサンス
二日後、資料探しで頭痛がした俺は、ひとまず、写本をどうにかしようと思い立った。
せっかく狼皮紙の大量生産体制を整えたのだ。
その紙を活用しないのはもったいない。
コピーの手間がなくなれば、重要度の高い資料が簡単に手に入るようになるだろうし、そうすればアル中親父の長話なんぞにわざわざ付き合わなくても良くなる……はずだ。
「レム、ちょっとひとっ走り、俺に付き合ってくれ」
「いいぞ! で、どこへ飛ぶんだ? ユーヤ」
包囲網同盟を作ってからというもの、あちこちへ飛んで会議したり説明したりという事が増えたので、レムも手慣れたものだ。彼女もあちこち行くのは好きなようで、まあ、レッドドラゴンも家猫じゃないんだから、空の散歩は必要だろう。
「鉄血ギルドだ」
「了解! じゃあ、ちょっとしてからバルコニーに来てくれよな! ユーヤ」
「分かった」
たたたっと先にかけっていくレムの後をつい追いかけたくなる衝動をこらえ、俺は自室で簡単に活版印刷の仕組みを記したイラストを持って、三階のバルコニーに向かった。
「むー、遅いぞ、ユーヤ」
レッドドラゴンに変身したレムが待ちくたびれたようで、バルコニーに着地した状態で待っていた。
城が重みで崩れなきゃいいんだが……まあ、レムもその辺はきちんと判断した上での事だろう。賢い子だからな。
「ごめんごめん、綺麗に書こうと思ってたら、ついな。先に書いてからレムに頼めば良かったな」
「何を書いたんだ?」
「んー、いいもの、さ」
ちょっとレムへの説明が面倒なので、適当に言う俺。
「それ、旨い?」
「いや、旨くはないな。普通は食わないし」
「なんだ、食べ物じゃないのか。つまらん」
ドワーフのところに行くのだから、食べ物関係ではないと気づいて欲しいが、まあ、レムにとって『いいもの』と言えば美味しい食べ物なのだろう。それが一番平和で良い。
「ちょっと待ったぁ! 私も行くわ」
「リリーシュ? なぜ……」
「なぜって、レムと飛んで行くんでしょ。なら、すぐ戻ってこれるじゃない」
「まあ、それはそうなんだが」
このところ、レムと二人きりになろうとすると、必ずと言っていいほどリリーシュが割り込んでくる。
君もそんなヒマじゃないと思うし、だいたい、やたら俺の行動が察知されるのは――
「あっ! リリーシュ、俺を衛兵に監視させてるな?」
「べ、別に良いでしょ。軍師の居場所が分からないと、いざというとき困るんだし、エルフの暗殺対策もあるんだし」
「それはそうだが……まあ、次から行き先はきちんと衛兵に告げてから行くから、監視は勘弁してくれ。今の警備体制で問題があるとは思えないぞ」
それでなくてもエマに監視されてるし、レムだけでも強力な護衛だからな。
「……まあ、考えておくわ」
「心配しなくても、リリーシュ、ユーヤは二人きりでも変な事はしてこないぞ?」
レムも言う。
「そ、そうね。じゃ、急ぐんでしょ? 早く行きましょー! おー!」
適当にごまかされてしまったが、まあいいか。
俺とリリーシュはレムの背中に乗り空に飛び立った。
「見て、ユーヤ、あの辺、綺麗な花が咲いてるわよ」
「見ない。俺は飛んでる間は下を見ないぞ」
「もう……少しくらい見たって落ちないのに」
「そうだぞー。オレ様がしっかりバランスを取ってるし、落ちそうになったらちゃんと地面に落ちる前に拾ってやるぞ、ユーヤ!」
「そうじゃない。落ちるかどうかじゃない、これはフィーリングの問題だ」
「小難しく言ってるけど、要するに怖いってことね」
「そうとも言う」
「勇者が聞いて呆れるわね」
「まったくだー」
レムもこういうときはリリーシュの味方ばかりで困った物だ。
「ほら、着いたわよ」
「……よし」
レムの完全静止をしっかり体の感覚で確かめてから目を開ける。
ここは鉄血ギルドのトンネルの入り口だ。
「じゃ、ユーヤは目隠しね」
リリーシュが後ろから手を回して、両手で俺の目を塞ぐ。
もちろん、頭はがっちりと固定されていて、微動だにできない。
ちょっと痛いんですけど……。
「いいよ! 着替えた!」
「よし」
「アレだな、魔法少女アニメは変身シーンが無かったら面白さは半減だな」
「何を言ってるかさっぱり分からない、と言いたいけど、最近、分かるようになってきたから微妙に腹が立つわ」
「そうか。次から発言には気をつけよう」
「それがいいわね。それで、今日は何をしにここに来たの?」
「活版印刷……写本を簡単にする技術を親方に作ってもらおうかと思って」
「へえ。あっ、それがレオンハート帝国に勝つ秘策なのね?」
「いや、全然関係ないし、だいたい、帝国と戦う気はさらさら無いぞ」
「そ。密偵も潜入させたけど、まだ軍備を確認できる段階までは行ってないのよね……」
リリーシュも軽くため息をついて、じれったさをにじませた。
「まあ、すぐというわけには行かないだろう。あまり急がせて相手に正体がバレたら水の泡だし、犠牲も出るぞ?」
「ええ、そこは大丈夫、自分の安全確保を最優先にって指示を出してるから。それに、密偵の管轄はどちらかというと姉様の方だし」
「そうか。二人の指示が正反対になったら、どうするんだ?」
「そこは姉様優先でしょ、当然。王位継承権だって上だし、上官らしさで言ってもダントツだもの」
「ああ、そんな感じだな」
ふと、アンジェリカが兵に『危険を覚悟してでも任務を優先しろ』と命じていたら……と気になったが、彼女がそんな命令を下すはずも無い。財布のひもはキツいが、それ以外はほとんど怒ったりしない。とても優しい人物だ。
「でも、姉様って、ふう、喧嘩できないのよね……」
「んん?」
「何でも無い。行きましょ」
アンジェリカも外交交渉では割と厳しいことを言ったりもしているのだが、リリーシュにはまだそれでも物足りないということだろうか。
洞窟の中を鉄血ギルド本部へ向かう。リリーシュも作戦会議などでここへは何度も足を運んでおり、皆、見慣れた場所だ。
「飲んだら入るな、入るなら飲むなって、この標語、本当に意味が無いわね。私がここで会議するとき、必ず親方は一杯やりながらなのよ? 毎回、抗議するんだけど、オレは飲んでる方がシャキッとするからって聞かないし……」
ギルド本部入り口の標語を見てリリーシュが複雑な顔をする。
「まあ、今のところは問題が無かったんだろう? ドワーフってことで大目に見よう」
「異議あり。ま、今日は作戦会議じゃないから、別に良いけど」
「来たぞー、親方ー」
レムがドアを開けて親方を呼ぶ。
「ああ、ラドニールの姫さんと若軍師」
中にいたドワーフが俺たちを見て言ったが、親方では無かった。
確かに俺は若いけど、老軍師もここに来たりするのかね?
該当しそうな人物を思い浮かべるが、クロフォード先生くらいしか思いつかなかった。
彼は基本、城の守りと魔法研究に従事していて、遠出することはほとんど無い。
この世界の魔法使いは、呪文詠唱にある程度の時間がかかってしまうため、また、鉄の鎧も術式の制限で身につけられないということもあって、戦では非常に使いづらい。城や砦の中に配置して、敵兵を待ち構えるというパターンが最適らしい。
その点、エルフは詠唱が早く、エマやうちの精鋭兵士も苦戦させられたんだよなあ……。
対エルフの切り札も何か、早めに作っておくか。
「親方は?」
俺が色々と考えている間に、リリーシュが聞く。
「申し訳ないんですが、今、先客と商談をやってまして。もうそろそろ、終わる頃だとは思うんですがね」
「ああ、商談の最中なら、仕方ないわね。ここで待たせてもらって良いかしら?」
「ええ、どうぞどうぞ。あ、そっちのテーブルで座って待ってて下さい。今、ワインを持ってきます」
「いえっ、結構ですから! 私は飲まないって言ったし、それにだいたいここ、飲酒は禁止なんでしょ!」
「え? ああ……でも、親方は飲んでますよ?」
「だから……。お茶をもらえるかしら? ブランデー抜きの」
「分かりましたよ」
ちょっと残念そうな顔をしたドワーフの若者と、明らかにイラッとしているリリーシュは何度か同じようなやりとりをしたことがあるのだろう。「姫様、ここは辛抱どころですぞ?」と茶化してやりたくもあったが、リリーシュがマジギレしそうなのでやめておく。
「帰れ、帰れッ! とっとと帰りやがれ!」
三人で静かにお茶を飲みつつ待っていると、奥の部屋から、親方の怒鳴り散らす声が聞こえて来た。
毎週土曜日更新で行こうと思います。