第一話 名声
大陸歴528年5月1日――
狼牙族との決戦からちょうど一月が過ぎた。
その日、俺はロークを伴い、ラドニール城の糧食庫にいた。
「ああ……ユーヤ様、こんなにたくさん……」
ロークが両手で自分の口を押さえ、震える声で目の前の白い袋を見つめて言う。
山のように積み上げられた麦袋は実に壮観だ。
「やっぱり、悪魔芋が効いたな」
俺も手応えを感じつつ、頷く。
「はい、そうですね!」
他にも巨人族から肥料を分けてもらったり、農業技術の指導員として招いたりもしているが、そちらはまだ始めたばかりで日が浅く、効果が見えてくるのは今年の秋の収穫からだろう。
今のラドニール王国は芋類やトウモロコシの導入で主食を麦ばかりに頼らなくても済むようになったため、小麦や大麦の種籾も充分な量が確保できている。
去年の同時期に比べて320トンの収穫増加だ。大麦だけで。
主食の種類が増えたということは、一種類が凶作でダメでも、他の種でカバーできる可能性が高くなるのだ。
今年の秋の収穫が楽しみだね!
「ユーヤー」
「ああ、リリーシュ、どうかしたか?」
いつもの青い軍服に身を包んだリリーシュが走ってやってきた。腰にはドワーフの親方からもらったミスリルの剣が春の陽光を反射し、綺麗にきらめいていて、実に格好良い。
彼女も深刻そうな顔では無いので、戦の話ではないだろう。
「カルデア王国から外交の使者がやってきたわよ!」
「ふむ。じゃ、玉座の間で正式な交渉と行くか」
俺は落ち着き払って言う。
包囲網同盟にはこちらを無視して参加しなかったカルデアだが、狼牙王国にラドニール連合軍が勝利したとなれば、向こうも態度を改めざるを得ないだろう。
しかし、彼らは後出しじゃんけんで勝者の側に付こうというのだから、扱いも他の同盟軍とは異なってくる。
当然だ。
自分だけ安全なところにいて、見返りだけ寄越せというのでは話にならない。危険な状況で味方してくれる者こそ役に立つ。彼らは戦勝国では無いのだ。
『みんな仲良く平等に扱いましょう』というのは聞こえは良いが、危険な役目を背負って最初から最後まで全力を尽くした者と、呼びかけを無視していた新参者が同じ報酬ではかえって不平等だ。真面目な人間が損してしまうし、それでは手を抜く者も出てくるだろう。
だから、俺は『公平に』区別して扱うつもりだ。
じっちゃんも言っていた。
「いいか、ユーヤ、誰にでもいい顔をしていたら、そいつは軽い奴と見られてしまうから気をつけるんだぞ。八方美人はダメだ。友達を百人作ったって、困っている時に一人も助けてくれなかったら、そりゃ友達なんかじゃない。ただの『ごっこ』だ」
「まあ、そうだね。でも、百人いたら、誰かは助けてくれそうだけど」
「そうとも限らないな。誰かが助けてくれるだろうってみんなが思っていたら、そいつは大変な事になるぞ?」
「あー」
都会の交通事故に出くわしたときの群集心理みたいなものだな。誰かが警察や救急車を呼ぶだろうと思って、一人しかいない時よりも気が緩む。
「だから、頼りにするのは本当の友達だけにしておけ。それ以外の付き合いは適当、いい加減にやっときゃいいんだ。その他大勢の評判なんて気にするな」
「うーん、それはねえ……」
学校で付き合いが悪いと思われると、孤立してしまいかねない。
「そんな反応をするってことは、ユーヤはまだ本当の友達ってのがいないんだろう。どんなときでも助けてくれる奴が一人でもいたら、他の心配なんてする必要も無い」
「そうかもね」
「ただ、ここぞと言うときの行動は気をつけるんだぞ。お前は大丈夫だと思うが、誰も見ていないと思って油断してるときが人間の本性ってもんが一番出やすいからな。しかも、そういうときに限って、後で露見しちまうんだよなぁ……」
じいちゃん、なんかやらかしたんだな。
「まあ、気をつけるよ」
「おお。じっちゃんの五つ目の教訓だ。『人はしっかり選べ』覚えとけ」
選べと言ってるくせに、油断するなと言ったり、ちょっと矛盾してるんだよな。
まあ、言いたいことはなんとなく分かったので、覚えておこう。
なにせ、じっちゃんは教科書に載っていない大事なことを言ってくれる。
「それにしても、遠いカルデアから使者が来るなんて、ラドニールも変わったわねえ。昔は南の獣人族くらいしか城に訪ねてこなかったのに」
リリーシュが外交の訪問に気をよくしたようで笑顔で言う。
「狼牙王国に勝ったから、注目を浴びてるんだろう。まあ、軍事的にはそうでも、講和条件を見ると引き分けなんだけどね」
「それは、後から約束破りをさせないためにって、ユーヤが取り分を少なくさせただけでしょ? 私としては、金貨一万枚くらいは要求しても良かったと思うけど」
「まあ、即金で払ってくれるならそれでもいいが、狼牙族にもプライドがあるからね。連中が『人間なんかに負けっぱなしではいられない! 取り返そう!』なんて考え始めたら、厄介だ」
「ああ、そうねえ……」
相変わらず、戦力差は向こうの方がずっと上なのだ。
ただ、新たに女王となったブランカがこちらに協力を要請したが、それほどに、向こうは食糧事情が悪いようだ。だから、すぐに攻めてくるようなことは無いだろう。
こちらと手を結んだブランカは狼牙族にしては、柔軟な思考の持ち主のようだし、一度ショーンに謀反を起こされたわけだから、今後も自分の足固めで苦労するはずだ。
「姉様、カルデアの使者は?」
城に入って玉座の間に向かっていると、アンジェリカが廊下の途中で待っていた。
リリーシュとは違い、姉の方はいつもドレス姿だ。これも、次期国王としての自覚だろう。
濃紺の落ち着いた色のドレスに、彼女の美しい銀髪が良く映える。
「今、控え室でお待ちいただいているわ。ユーヤ、玉座の間を準備させましたが、どうしましょうか?」
「うん、そっちで正式に行こう」
執務室で和やかにという形式が好きな俺だが、ここはプレッシャーを相手に与えて良い場面だ。
少なくとも、ラドニール王国を軽い相手と思わせない方がいい。
カルデア王国はこちらを一度無視している相手だからな。
一日、謁見をわざと遅らせて簡単にはいかないぞとやってもいいのだが、そこまで外交戦術に入れ込む必要がある相手でもない。
こちらとしては、カルデア王国が敵対してこなければ、それでいいのだ。
できれば、交易もやりたいところだが、狼皮紙を開発した俺たちにとって、今のカルデア王国の特産パピルス紙は見劣りするし、それほどうまみは無い。
「では参りましょうか」
準備がすべて整ったようで、アンジェリカが言う。
先にカルデアの外交官を玉座の間に入れ、後から俺達が入る形式にした。
我らが陛下は体調が思わしくないそうで、このところずっと公務を欠席だから、ちょっと心配だ。
「お待たせしました」
玉座の間に入り、片膝を突きずっと顔を伏せている使者に俺は声をかける。
事実上の完結と言っておいて、アレですが……
監督を解任されてちょびっとストックが増えました(;´Д`)
次回は6日土曜に投稿予定です。