プロローグ
「その勝負、受けてやるっ!」
城のバルコニーに立った俺は、目の前の巨大な竜に向かって言い放った。
その竜はいかにも凶悪そうな姿で、両翼二十メートル以上もある。
魔法の剣でしか傷つけられない上位竜だ。
「無茶です!」
「あなた、剣が使えなかったんじゃないの? しかも、そんな装備で!」
「お、お下がり下さい、勇者殿。あなたはまだ――」
周囲から心配する声が次々と飛んでくる。
俺、ユーヤ=スドー。
職業は勇者。
ただし装備は布の服だ。武器は持っていない。
魔法無し、スキル無し、チート無し。
経験値ゼロ、レベルはまだ1だ。
なにせまだ異世界生活二日目である。
その場にいた誰もが思ったに違いない。
無謀だ――と。
だが、俺は100パーセントの勝利を確信していた。
「Oho――GHOoOOOOO――――!」
火竜は俺の言葉を聞いて歓喜とも怒りともつかぬ咆哮を上げた。ビリビリと大気が震える。
くっ、大丈夫だ、相手がデカいからって、ビビってんじゃねえよ。
奴には致命的な弱点がある。
どうやらそれに気づいているのは俺だけのようだ。
なら、迷ってる時間など無い。
今、動くべきだ。
そうしなければこの城の人たちが危ない。
勇者の初陣がドラゴン相手ってのも格好いいじゃねえか。
俺は勇気を奮い立たせ、腹に力を入れた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そのドラゴンに俺が遭遇する約12時間前――
大陸歴527年5月5日、異世界一日目。
この時はまだ、俺は自分の身に何が起きているかを正確につかめていなかった。
それどころか思い切り混乱していた。
なぜなら俺はついさっき、トラックに轢かれたはずだった。
なのに、どうしてこんな地下室っぽいところで、魔法陣みたいなものの上に立っているのか。
その複雑な文様は、空気と溶け合うように青白く光って見え、どこまでも幻想的だった。
――とにかく状況の把握が最優先だ。
自分の立ち位置さえ分からなきゃ、進むべき道も見えてこないからな。
「……せ、成功したぞ!」
「「 おお…… 」」
周囲でいきなり声がした。
周りには数人の男達がいたようだ。
その声はまるで信じられない光景でも目の当たりにしたかのようで、かすれ震えてさえいた。
薄暗い中、壁際にある松明の頼りない光に照らされているせいで、俺にはその男達が怪しげなローブを被っていることくらいしか分からない。
それに俺は今、裸だ。一糸まとわぬ全裸である。
男の俺でも、さすがに好奇の目で大勢にじろじろ見られると、ちょっと恥ずかしい。イヤン。
「あのー、何か着る物を、貸してもらえませんかね?」
たとえ相手がホモ系の誘拐犯であろうと、ここは言わずにはいられない。
「「 しゃ、喋った!? 」」
いや、喋るわ。当たり前だろ。こちとら人間だ。
「これ、何をしている、勇者様のご要望じゃ。早く着る物を持て」
向こうのリーダー格らしき老人が部下に命じた。
「失礼しました。では、これを」
服を差し出してくれたのは良いのだが、硬い甲冑も一緒に載せて渡されてしまった。重っ。
「いや、この布の服だけでいいんで」
「そうですか。では、そのように」
革のベルトがやたら太くてゴツいのが気になったが、それが無いとブカブカなので、仕方なくベルトを通して着込んだ。
「勇者様、国王陛下が玉座の間でお待ちです。お急ぎを」
服を渡してくれた男が俺に向けて言う。
勇者と国王か……つまり、これはそう言う場所なのだろう。
「分かった」
詳しい話は国王に会ってからでも良いだろう。急げと言っているし。
ひょっとして何かのドッキリでは?というあやふやな疑いは、しっかりとした石造りの廊下を歩いている間にどこかに雲散し消え失せた。
ここは確かに、城だ。
しかも年季が入っていて、あちこちに長い年月を感じさせる汚れや綻びもあり、テーマパークにありがちな安っぽい作り物とも違うようだ。
廊下の左壁に、狭い穴状の窓が等間隔に並んでいる。そこから見える外は、暗く、星だけが見えていた。
廊下に備え付けられた明かりは電球のようにも見えるが、ぼうっとした白い光で、蛍光灯やLEDや白熱灯とも光り方が違う。不思議な光だ。
だが、とても綺麗だ。俺は一目でその明かりが気に入ってしまった。
俺の前を歩くのは濃紺のローブを着た老人で、その脇には鉄の鎧を着た騎士がいる。
騎士が歩く度に、カチャカチャと甲冑の金属が当たる音がする。
映画か何かかと思ってしまうが、その辺にカメラの類いは一切見えない。
たぶん、彼らが腰に差している剣は本物だろう。だって質感が見るからに重い。
「玉座の間はこちらになります」
巨大な観音開きの扉を守る兵士がその道を空け、八人がかりで重そうな扉を押し開けていく。
扉の向こう側は、体育館くらいある大きな広間であった。
一番向こう側に大きな椅子が一つだけ有り、ここからでもそこに王様が座っているのが見える。
他には大臣らしき人物が数人いるだけで、がらんとしている。
結構な距離を歩き、王様の前まで近づくと、俺を案内していた騎士が片膝を突いて跪いた。
こちらもそれに習って跪く。
「よく来た、勇者よ。余がラドニール国王マケドーシュ七世である。面を上げられよ」
「……ご尊顔を拝謁し、恐悦至極。ユーヤ=スドーと申します」
どう挨拶するか迷ったが、王様だって俺が異世界から呼び出されたのは先刻承知だろう。よほどの間違いで無ければ許してくれるだろうと踏んで、小説で読んだフレーズを使ってみる。
大臣や騎士が少しほっとした様子になったので、どうやら今ので正解だったようだ。
「ふむ、問題なく言葉が通じるか。クロフォード、伝承通りだな」
国王が俺の左側に立ったローブの老人の方を見て言う。
「は、左様ですな」
クロフォードと呼ばれた老人が頷くが、今のやりとりだと、過去にも勇者が呼び出された事があるようだ。
「そなたを儀式で呼び出したのは他でもない。この国を救ってもらいたいのだ」
国王は深い眉間のしわを寄せつつ、苦渋の表情を見せた。
イエーイ! ユーを呼んじゃったYO!と軽いノリで異世界召喚をされても困るのだが、国王の顔からにじみ出る諦観や悲壮感はあまり良い予感がしない。
魔王と戦えと言われたなら、表向きはハイと答えて、森の中で姿をくらますとしよう。
「お言葉ですが、いったい、何から……」
俺はおずおずと聞いてみる。
「本来なら魔王ということになるだろうが、この国は今、大飢饉に見舞われておる。それも三年続いての歴史的な大凶作だ。国民は飢えて次々と死にゆき、誰もが絶望のさなかにある。せめて、希望を与えて欲しいのだよ」
希望。
王様はそう言った。
「そうですか……。できるだけのことはしたいと思いますが……」
できるかどうかも分からないのに約束はできない。
この約束は、決して軽いものではない。この世界の最高権力者が疲れ切った表情で言う『希望』なのだから。
そして俺が推測する限り、簡単なことでも無い。
俺の腰の引けている返事に、しかし国王は満足げに頷いた。
「うむ、そう言ってくれるとありがたい。二人目の勇者は召喚された事に怒ると王国に敵対し、最後には討たれる悲劇になったと聞く。それに比べ、これも神のお導きか、余は幸運であった」
「陛下、ユーヤ殿も協力的なご様子、さっそく、才能鑑定を行いたいのですが」
ローブの老人、クロフォードが言う。
「いや、まずは歓迎の宴が先であろう。勇者殿、あまり期待はしないでもらいたいが、それなりのご馳走も用意した。勇者殿の口に合えば良いが」
「ありがとうございます。あの……そのスキル鑑定とは?」
「うむ。この国では五歳になった時に、石版の魔道具を使う。これは特別な才能があるかどうかを見るためだ。その魔道具は触れるだけで、たちどころに、その者の才能を見抜く力があるのだ」
「才能……では、特に時間が掛からないということでしたら、宴より先にやらせてもらえますか」
俺にどんな才能が秘められているのか、気になる。
星を落とす大魔法か、無双の剣術か。あるいは竜を操る力か。不死身も良さそうだな。
異世界から来た勇者ならきっと凄い特別な才能があるはずだ。
ヤバイ、なんかワクワクしてきた。
「よかろう。そちらの望みとあらば反対する理由など無い。下の判別の間に『判別の石版』がある。余も参ろう」
王様と一緒に階段を降り、さきほどより狭い広間に移動した。
正面奥の壁際に台座が有り、その上に歪な形の石版がはめ込まれている。
石版の表面には流線で幾何学的な模様が彫ってあった。
これが『判別の石版』なのだろう。
「この石版に手を添えるのだ、勇者よ」
王が言う。
「こう、ですか?」
言われるままに手を石版の上に載せる。
すると、先程まで鈍色だった石版が明るく光り輝き、空中に文字がホログラムのように浮かんだ。
「こ、これは」
俺は驚いたが、しかし、国王とローブの老人の二人は顔をしかめると肩を落とした。
呻くようにつぶやく。
「ぬう、これは」
「まさか、ハズレとは……」
落胆した声で。
そこには『スキル無し』と表示されていた。ハッキリと。