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箱庭の物語

なんか思いついたやつ。

 ひとりの男が箱庭を眺めて笑っていた。

 何もない箱庭に森や街、山や海に見立てた模型を置き、そこに様々な人形を並べていく。


 細やかな趣味である。

 今日もまた、新しい人形が手に入った。


 さて、どこに置こうか。

 街に置こうか。森に置こうか。動物たちの住処に置いてもいい。

 何の変哲もない人形だが、箱庭の中に置くだけで、急にその世界の住人に見えてくるのだから不思議だ。


 彼らにも、彼らの人生がそこにあるような、そんな錯覚を覚える。

 その瞬間が、彼はとても好きだった。



 ***



 少年がひとり。

 街の中で途方に暮れていた。


 見覚えのない土地だ。

 大路を馬車が行き交い、軒を連ねる商店からは呼び子がひっきりなしに客を捕まえている。


「これはもしかすると異世界転移ってやつか」


 少年は最近流行りの娯楽小説を思い出して、そう結論づけた。

 夢だと決めつけるには、あまりにもリアルだったのだ。


 街を歩き始めると、ほどなくして少年はトラブルに巻き込まれた。

 路地裏を曲がると、年若い少女が悪漢に襲われる寸前だったのである。


 元の世界であれば、少年は迷わず助けを呼んだだろう。大声のひとつでも叫んだかもしれない。

 だが、少年は少女の前に飛び出してしまった。その自分にも戸惑いつつ、悪漢たちに正義を語る。


 悪漢たちはその役割を全うするべく拳を振り上げた。

 しかし、その拳骨が少年の頬を捕らえることはない。


 少年は驚いていた。

 運動は苦手な部類だった。だが、悪漢の拳がまるでスローモーションのように見え、そして自らの体は思った以上に素早く動いてくれる。


 ひらりひらりと舞うように攻撃をかわし、少年はある種の勇気を以て悪漢たちを殴り飛ばした。

 武道の心得はない。案の定手首と小指の付け根に痛みが走った。

 だが、それをおくびにも出さず悪漢たちを追い払ったのだ。


 少女は安堵の息を吐く少年に駆け寄り礼を言った。



 ***



「助けてくれてありがとうございます!」

「あ、いや、別に……。その、災難だったね」

「お名前をお聞かせください!」

「えっと……」


 男はそこでハッと我に返る。

 いい歳をして人形遊びに興じている自分がおかしかった。

 裏声で少女の声を作るのも、痛々しい感じがしておかしい。


 けれども、今に始まった話でもない。

 誰に憚る趣味でもないのだ。好きに遊べばいい。


 だが、ネーミングセンスがないのは自覚していた。

 それも今更だと思い直して適当な名前をつけることにした。

 いくつかの設定を付け足してノートに記しておく。


 さて、このあとはどうしようか。

 男は考える。


 何も知らない街にやってきた設定にしてみたが、この少年の人形は手に入れたばかりとはいえかなり気に入っていた。

 どうせなら、物語の主人公のように活躍して欲しい。


 そこで彼は少年の敵になる存在を作ることにした。

 箱庭の隅っこにいる禍々しい人形――その毒々しさがむしろかっこよく見える――を少年少女の前に置いた。



 ***



 少年は混乱していた。

 突然目の前に得体の知れない化け物が現れたのである。


 人の形をしているが、頭には羊のような角が生え、屈強な肉体はどこか獣じみた恐ろしさがある。


 少女が震えて少年の腕をつかんだ。


「ま、魔族がどうしてここに……」

「魔族?」


 魔族と呼ばれたその化け物はにやりと口角を上げる。


「ヨウヤクミツケタゾ。オレサマハマオウサマガハイカニシテ、シテンノウノイッカク! ソコノオンナハツレテイクゾ! ガハハハハハ!」


 少女は少年の背中に隠れる。少年も意を決して拳を握った。


「オヤ? オレサマトタタカウキカ? ソノユウキハホメテヤロウ。ダガソレハイノチシラズデシカナイゾ。ククク。セイゼイオレサマヲタノシマセテミロ!」


 魔族は目にも留まらぬ速さで少年に襲いかかる。

 少年は次の瞬間には吹き飛ばされていた。


「……タアイモナイ。キサマゴトキ、コロスカチモナイナ。オイ、オンナ!」


 少女は目の前で少年が倒されたことが信じられず、そして魔族に腕を掴まれて恐怖に支配されてしまった。


「ククク。ソウコワガルナ。ワルイヨウニハセン。ユウキアルムシケラニメンジテ、キサマハ――ナニッ!?」


 魔族は驚愕に瞳を染める。

 壁に打ちつけられて倒れていたはずの少年が立ち上がったのだ。

 それどころか、今まで感じなかった絶対的強者のオーラが彼から立ち上っているのがわかった。


「キサマ、タダノニンゲンデハナカッタカ」

「その手を離せ、化け物……」

「フッ、バケモノトハイッテクレル。カトウセイブツゴトキガチョウシニノルナヨ」

「その手を離せと言ってるんだ!」


 少年は湧き上がる圧倒的な力を魔族へ向けて解き放つ。



 ***



「うおおおおっ、どーん、ばこーん、ぐはああ、かはっ、くそおお、負けてたまるかあああ、ガハハハハ、マサカココマデヤルトハ! お前は絶対に俺が倒す! ガハハハハ! うわああっ」


 男は両手に人形を持ってなにやらわちゃわちゃ動かしていた。

 そして、突然ナレーションに切り替える。


「――目覚めた力をもってしても魔族は強かった。しかし、少年の諦めない勇気が、彼に魔族を打ち倒す力を与えた……」


 男は道具箱を漁って爪楊枝サイズの剣を少年の前に突き刺した。


「聖剣エクスカリバー! ……なんちゃって」



 ***



 魔族は突然現れた神々しい剣に戦いた。


「ソ、ソレハ! キサマ! マサカユウシャダッタノカ!」

「勇者? 知らねえよ……」

「クッ! ブガワルイ。ココハイッタンキュウセンダ!」


 逃げ出した魔族。少年は緩慢な動作で地面に突き刺さった剣を抜いた。

 使い方は体が知っていた。


「うおおおおっ! お前はここで俺が、倒すっ!」

「グアアアアアアアアアア!」


 魔族は光の残滓を纏う聖剣の一撃に、塵ひとつ残さずに消滅した。

 その次の瞬間、少年は精根尽き果てたように倒れ伏した。


 少女は少年に駆け寄りすがりつく。


「大丈夫ですか!? お気をしっかり!」

「は、はは……。君が、無事で、よかった……」


 それきり気を失った少年。

 少女は助けを呼ぶために走り出した。



 ***



 男は箱庭の隅っこにいる人形を三体集め、禍々しい城の中に入れた。


「ドウヤラ、ヤツハシンダラシイ」

「ダガ、ヤツハシテンノウサイジャク」

「ニンゲンゴトキニヤラレルトハ、マゾクノツラヨゴシヨ」


 段々興奮してきた男は魔族設定をノートにたくさん書き込んだ。

 せっかくの楽しい時間も突然終わりを告げる。


 彼のスマートホンがけたたましく鳴った。

 男はため息を吐いて電話をとる。


「はい、もしもし。ああ、どうも! 先日は、ええ、ええ。こちらこそありがとうございました。ええ、あはは。大丈夫ですよ。はい、はい。えっ!? 明日ですか!? いや、それはさすがに……」


 仕事の電話であった。

 内容は急な納期の前倒しである。

 そして休日出勤確定のお知らせでもあった。


 男は電話を切ると再びため息を吐いた。


「やれやれ。俺は趣味に生きてるんだけどなあ。まあ、仕方ないか」


 ノートをしまい、箱庭に蓋をする。


「さて、それじゃあしばらくお休みだ。夜を楽しんでくれよ」


 そうして男はスーツに着替えて出社した。


 男は知らなかった。

 人形、作り物だと思っていた箱庭の住人たちにも、命が吹き込まれているということを。



 ***



 少年は真夜中に目を覚ました。

 痛みを感じながら体を起こすと、自分の膝元にすがるように居眠りをしている少女に気づいた。

 ずっと看病をしてくれていたのだろうか。

 体に巻き付く包帯を見て、少年はホッと息を吐いた。


 窓の外を眺めると、大きな月と疎らな星が闇夜に浮かんでいた。


 果たしてここはどこなのだろう。

 できることなら元の世界に帰りたい。


 しかし、どうやって。


 少女が小声を漏らして目を覚ます。

 少年が起きたことに気づいて目を見開いた。

 暗い部屋の中、燭台の心許ない薄明かりに照らされた少女は、年齢にそぐわぬ妖艶さを醸し出しているように見えて、その安堵とも驚きとも取れない慈しみが発露した表情に、少年は苦笑いを浮かべるしかない。


「おはよう。心配をかけたね」

「……具合はよろしいのですか?」


 少女は不安げな表情で尋ねる。少年は大きく頷いた。

 まだ痛みはあるが、動けないというわけでもない。つくづく、この体はおかしくなってしまったらしい。


「勇者様、お助けいただき本当にありがとうございました」

「勇者?」

「はい、聖剣エクスカリバーを召喚できるのは、勇者様だけでしょう?」


 少年は戸惑う。まるで子ども騙しの物語のようだと。

 しかし、昼間倒した魔族のことを考えると、現実だとしか思えなかった。


「でも、そんなに都合よく力に目覚めるものかな……。自分でもびっくりだよ」


 とはいえ、そのおかげで助かったのも事実だった。

 少女はくすりと笑い、少年の頬にそっと口づけをした。

 驚く少年。少女はその顔を見てさらに笑みを深くした。


「恩返しをしたいのです……」

「え、あ、いや、あの!」

「私ではご不満ですか?」

「そうじゃなくて!」

「では……」

「ちょっ、タンマタンマ!」

「待てません!」


 少年は顔を真っ赤にして抵抗を試みる。だが、少女を無理やり押しのけるわけにもいかず、あれよあれよという間に唇を奪われてしまった。

 女性と口づけを交わすのは初めてだった。

 柔らかく、温かい。腰がうずくような甘い香りがした。


「お慕いしております、勇者様」

「あっ……」


 勇者は女を知った。

 況や主人公とはモテる定めである。



 ***



 二日酔いの気怠さが男の顔を渋くさせた。

 冷蔵庫から出した冷たいミネラルウォーターをがぶ飲みして、人心地つく。


 昨晩は急な納期の前倒しにてんやわんやで、なんとかそれを成し遂げ、上司のおごりで居酒屋に行ったのだ。

 途中までは覚えていたのだが、最後の方はすっかり記憶が抜け落ちている。

 どうやって帰ってきたのか、何時頃に寝たのかも覚えていない。


 シャワーを浴びると幾分か二日酔いがマシになった気がした。


 朝食を済ませて趣味部屋に入る。

 ため息をひとつ。その後には笑顔になる。


 箱庭の蓋を開けると、気に入った新しい人形が見当たらない。

 最後にどこに置いたっけ。急いでいたせいで、適当なところに置いたかもしれない。


 住居の屋根を外して中を覗いてみる。四つほど開けたところで、宿屋の一室にその人形はあった。


「おっ、いたいたって……え?」


 なぜか少年の人形は裸だった。

 裸でベッドに寝ている。そして、その隣にはまた裸の少女の人形がひとつ。


 何度も目を擦る。

 こんなことは初めてだ。


 というか、こういうシチュエーションで遊んだ覚えは一度もない。


「昨日、酔っ払って遊んだってことかな? はあ」


 だが、都合はいい。

 勇者に助けられた少年が助けた少女から好意を抱かれる。鉄板と言えば鉄板である。


「お前はいいよなあ。俺の代わりに幸せになってくれよー」


 男は裸の人形二体に服を着せて、からからと笑った。


 心なしか人形にも温もりがあるような気がしたが、その直後にくしゃみをした。


「ありゃ、風邪引いたかな。今日はゆっくり休むか」


 男は箱庭の蓋を開けたまま部屋を出て行った。

 くしゃみをした拍子に箱庭の壁が倒れたことにも気づかずに。


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