どうやら語り直す必要がありそうです
巡礼とは、千年以上前から四年前まで行われていた、国の威信をかけた一大プロジェクトだ。
間隔はまちまちだけれど定期的に行われるそれは、簡単に言うと「救国の聖女とそのお供が、各地を周り、土地や人々を浄化する」というもの。その起源は、この国の古い古い神話にまで遡る。
かつて、世界は闇に包まれていた。
闇はあらゆるものを覆い隠し、人々は惑い、闇の中より現れし魔物に怯えていた。
そこに、聖女が現れた。
彼女は仲間を募り、世界中を照らした。彼らの力はどこまでも行き渡り、人々を襲う魔物を消し去り、世に平和をもたらした。
御伽噺のような、面白みのない神話だ。けれど、この国では昔からこれが本当だと信じられていて、この世界を我が国が単独で統一している立派な根拠となっている。
そしてわたしが勤めていた枢機卿は、その初代聖女の意志を継いだ組織だとされていた。巡礼はその枢機卿が舵を取って行うものである。枢機卿が予言によって選出した聖女と、その年の時点で最も優れている者たちが、各地を浄化しながら東西南北にある聖地を目指す。
しかしこの巡礼、かつては五十年単位とかで行っていたはずが、四年前の時点では年一回、ひどい時は年二回とかいうサイクルで行われていたのだ。
理由は単純、各地の浄化が聖女一行一組だけでは追いつかなかったからだ。
この世界では、太古の昔より魔物が存在する。
魔物は闇の領域のものであり、土地や人々を澱ませる。そしてその澱みは「闇溜まり」と呼ばれ新たな魔物を呼び、闇の領域が広がっていく。それらは普段は東西南北の聖地によって防がれるが、時折防ぎきれないことがある。そういったものを浄化するために、この巡礼は行われているのだ。
魔物と闇溜まりを浄化できるのは、枢機卿配下である神官の者たちと、あと聖女のみ。とはいっても、実質聖女の力に比べたら、わたしたち神官の能力など焼け石に水。そんなものだから、結局大規模な被害は聖女に現地を訪れてもらうしかないのだ。
つまり、四年前まではそういう聖女案件の規模の被害が、毎年のように各地で発生するようになっていたのだ。本当にとんでもない話である。
巡礼のために多くの人員が割かれ、しかも一度外に出れば頻発する被害のために各地を転々と渡り歩き、何時戻ってこられるかもわからない。そんな苦行のような酷い状態が、四年前までは続いていたのだ。
さて、ここで問題となるのが、聖女の供給である。
聖女は予言によって呼び出される。そしてその予言というのは、救国の聖女が相手なだけあって厳格な規則を持ち、しかもそうほいほいと短期間で行ってはいけない。となると、需要に対して供給が間に合わない。
ここで枢機卿は悪魔の所業に手を出した。
聖女をでっち上げたのだ。
わたしが司教枢機卿——枢機卿内で上から二位から七位の位にあたる——の末席に着いたのは、五年前のこと。その頃にはもう既に偽の聖女による巡礼は行われていた。
あの頃のことは、今思い出しても腹が立つ。
簡単に言えば、金と権力と男尊女卑が大手を振って歩いている世界だった。
全ては、枢機卿の威信のためのその場しのぎとして行われた。
偽りでも良いから定期的に聖女を供給しなければならないほど、この国は、世界は疲弊し、民心は荒れていた。
形だけでも聖女が遣わされていると示さなければ、国内で暴動が起きかねなかったのだ。
そんな巡礼だが、現在は廃止されている。
そしてわたしとその仲間たちが、最後に巡礼に行った者たちなのだ。
四年前、わたしたちはある方法で魔物と闇溜まりの被害を押さえ込むことに成功した。
それから四年。
巡礼の廃止に最初は不安しか抱いていなかった人々が、少しずつ安心して暮らせるようになってきたというのに。
これからという今、わたしたちの巡礼の成否が疑われることなど、あってはならないのだ。