どうやらお呼び出しがかかったようです
救国の聖女になる予定だという、その存在について知らされた時。
わたしの第一声は、たった一言だった。
——ふざけるな。
わたしの言葉に、男は怪訝な顔を浮かべた。その姿に、わたしはああそうかと納得する。
そうか。この国は、この選択の意味がわからないほど、疲弊し、腐っているのだ。
熟していながら、痛み始めているのを黙殺し、もがれることなく、そのまま放置され。
そのまま腐り落ちようとする果実なのだ、と。
そう気づいたあの日から、思えば、わたしはいろいろな箍が外れてしまったのかもしれない。
だからわたしは、あの日からこれまで、脇目も振らず、歯を食いしばって責務を果たしてこれたのだろう。
とにかく、あの日わたしは変わった。
運命がこれを望むなら、わたしは徹底的に戦ってやろうと。
わたしは承諾の意を述べながら、内心で宣戦布告をしたのだった。
わたしは、元神官である。
つい三年ほど前まで、わたしは王都にある大神殿にて、主に法術を用いて王の政治を手助けしていた。枢機卿というやつである。
わたしの家は代々枢機卿に人員を輩出している名家であり、コレット・アドリア・カルドといえば、おそらくきっと未だに結構有名なんじゃなかろうか。それだけの仕事はしていたと自負している。一時期部下には働きすぎだと泣いて止められた程度には。
そんなわたしが、やりたい放題やる代わりにいろんな面倒ごとを請け負い、それらをどうにかこうにか処理し終えてやっとすっきりできたのが、三年前のこと。四年前はそれこそ死にそうな目に遭ったこともあって、わたしは「もう十分働きましたよね!ね!」と笑顔で辞表を叩きつけた。
簡単に言えば隠遁してやろうと思ったのである。
一応、古参であるカルド家の義務として手を抜くことなく職務に励んできた。日々国の安寧の為に励み、祈り、奇跡を起こし、それと同時に地に足ついた現実的な施策も行った。実は一時期「鉄の女神官」と呼ばれていたことは未だに根に持っている。
まあとにかく、枢機卿及び神殿に丸投げされている領域は少なくなかったので、それらを溜息を飲み込んで必死こいて消化したのだ、わたしは。この国の政治の中心は男だというのに。その男たちに混ざって。
だから、今のわたしの状態はちょっと早いセカンドライフのようなものだと思っている。
すべての手はずを整え、面倒くさい人たちにバレないように人脈を駆使して然るべき手順を踏み、引き継ぎもすべて終わらせて、わたしは自由の身になった。
四年前に知り合った相棒を引き連れ、わたしは広い広い大地に飛び出す。
自由って良い。自由サイコー!
そう叫びだしたくなるのを堪え、今までろくに使わなかった資産をフル活用し、わたしはこの三年、楽しく生きてきたのだ。
なのに。
「それで、王宮付き魔導師の——ああ今は王太子付きでしたかしら、申し訳ありません——ローマン・バルツァー様が、どうして、御自らこのような辺境の地までいらっしゃっているのか、お伺いしても宜しいでしょうか……」
「だから、ほんとごめんって、コレット」
「それにまさかレジス・マニアン様を伴っていらっしゃるなど……」
わたしの言葉に、レジスもびくりと肩を震わす。
とりあえずとお世話になっている宿に引っ張ってきて、人払いをした後で、わたしは二人を床に正座させた。
二人がわたしに会いに来たのは、ちょうどお昼時の時分だった。
わたしが現在滞在している地域は、昔から土地が貧しいことで有名だ。作物は育たず、草木がないから動物も少ない。そんなだから人々も貧しく、死んだような顔をして暮らしているし、精神的余裕がない。最初は盗賊に絡まれたので返り討ちにしただけだったのに、その盗賊たちが貧しさ故に身を堕とした普通の一家だったと知ったばかりに、紆余曲折を経てこの土地をどうにかできないかという話になってしまった。
そんなわけで、わたしが相棒の狼「アダム」と共に土地の調査をしていたところに、二人は現れた。
——どうか、ご助力を賜りたい。
会うやいなや跪いて頭を垂れる旧友に、わたしは言葉を濁して視線を逸らすことしかできなかった。
隣ではアダムが「それ見たことか」と鼻を鳴らしていて、周囲の野次馬はぽかんとするばかり。
そんな状況からなんとか脱して、わたしたち三人と一匹は今に至る。
今やただの旅人であるわたしのしていることは不敬だと罵られてもおかしくないのに、二人が大人しく指示に従っているのは、きっと幼少期に刷り込まれたあれそれが原因だろう。正直申し訳なかったとは思っている。
「レジス様も今は王太子に仕えている身のはず。そのお二人が揃いも揃って離れるとは何事ですか。今この瞬間にも王太子の身に何かあったら、どうなさるのです」
そう、昔のようにゆっくりと諭すように言えば、二人はしゅんと小さくなる。
二十代の男たちが揃って女性に説教をされている様は異様だけれど、わたしにとっては懐かしい光景だ。彼らは昔、よくこうやってわたしに叱られていた。
わたしは、慰めるように傍に寄ってきたアダムの灰白の毛を撫でた。彼はローマンとレジスをその海の底の色をした瞳で、まるで値踏みするかのように見つめている。
「……王太子には、トラヴィスには、許可は取ってある」
レジスは顔を上げて、そう言った。飴色の髪の隙間から、相変わらず澄んだ蒼い瞳が現れる。
「俺たちが行った方が良いだろうと、判断したんだ」
「あいつも、お前には今のままでいてほしいと思ってるんだよ。でも、事態が事態なんだ」
「ヴァージルとカルミネは馬鹿だし、オルタンスはやることがあって動けない。内容が内容だから、他の人には言えない」
「だから俺たちなんだ、コレット」
二人に矢継ぎ早に言われて、困惑するしかない。
わたしは役目を終えた人間だ。わたしは辞職するときに、自分が抱えていた案件はちゃんと綺麗に終わらせるか引き継がせるかしたはずだ。全部投げ捨てるなんて、そんな自分不本意なことは決してしていない。
だから、わたしに何か頼みごとなどあるはずがない。
わたしにしかできないことについても、あの四年前の日にちゃんと決着をつけた。
「わたしが首席枢機卿の座を辞してから、もう三年も経っています。そんな人間に、今更何が出来るというのですか」
「君じゃなきゃだめなんだ。だって、枢機卿側で四年前のことを一番知っているのは君しかいない」
「四年前? あのことについて……わたし達の巡礼について、何か疑いがあるのですか?」
わたしの言葉に、レジスは悲しそうに、ローマンは悔しそうに顔を歪めた。
「トラヴィスと、ミリアムが倒れたんだよ」
その言葉に、わたしは一瞬呼吸を忘れてしまった。
そんな馬鹿な。
だって、その二人は、この国で——否、この世界で最も死から縁遠い二人なのだから。
他でもないわたしが、そうなるようにしたのだから。
「最初はミリアムが、その直ぐ後にトラヴィスだった」
「二人とも、魔力だけが急激に変質していて、身体が拒絶反応を起こしてる」
——四年前と、同じなんだ。
ローマンの言葉に、わたしは漸くそういうことかと得心する。
「巡礼の成功自体が疑われているのね?」
「枢機卿がその筆頭だよ。ねえコレット、王都に戻って」
わたしは二人を見つめ、返事の代わりに頷いた。
隠遁とか言っている場合じゃない。あの二人は、何が何でも守られなければならない。
どうやら、わたしのセカンドライフはまだまだ遠いらしかった。