傷痕
んー。ホラー以外で書いてみようと思い立ったこの作品。
ホラーではないけど・・・ねぇ。シリアス!
感性を剥き出して書きました。どうか最後まで読んで頂けると幸いです。
死んでしまいたい。
命を断ちたい。
そう思い始めて、どのくらいの月日が経っただろうか。1日の終わりに今日も僕は自分を責める。深いため息とともに言葉が出る。
また、命を絶つことができなかった。
部屋に閉じこもり、もう8年ほどの月日が経とうとしていた。両親とまともに会話したのはいつだろうか。時間になると、扉の前に置かれる食事、温度管理されてる部屋、パソコン1つで世界と繋がるネット環境。この現代社会において、不自由なく暮らせていることにもう少し有り難みを持つべきだろうか。
閉じこもって5年目、両親は僕を部屋から出すことを諦めた。僕のことをどう思っているのかは知らない。知りたくもない。ただ、夜中に冷蔵庫を漁り、目を盗むよう入浴をする僕に隣の部屋から「そろそろ出てこいよ」とぽつりと呟く、そんな関係になってしまった。
目を瞑ると今でもあの出来事を鮮明に思い出す。
悪気はなかったんだ。ほんの出来心だったんだよ。誰しも心に秘めているだけで、こんな経験をしたことがあるはずだ。
そう言い聞かせて、自分で自分を正当化するのに必死だった。
8年前、中学生だった僕らは、大人の持つ未知と魅惑の世界に憧れていた。少し背伸びをして、友達と非行に走ることを良しとしていた風潮は、小さな犯罪を助長させていた。学校から山の麓へ10分ほど歩く。細い路地に入り、そこを抜けると、古民家が並んでいる。過疎化が進み、空き家になった古民家は、僕らが蟠を巻くには十分すぎる広さだった。
僕は道草をする時、しばしばその場所へ足を運んでいた。誰かが望んだわけでも、見ているわけでもないが、住居への不法浸入という罪をかかげ、優越感に浸りたかった。時々、僕は1人でそこへ赴き、煙草を取り出して喫煙することに心地よさを覚えていた。その日はえらく空気が乾燥していて、干からびた唇に皹が入り、口を開けることを躊躇っていた。少しだけ慣れた手つきで煙草に火をつけ、息を吸い込み、健康と引き換えに僅かな優越感に浸る。
「あちっ」
燃殻は、風に乗って指に触れた。思わず手を離すと、煙草が床に転がった。乾燥した空気は、床の埃や木片に触れた火を、刹瞬く間に燃え上がらせた。靴で踏みつけ、服を脱いであおいだが、ごうごうと燃える火を消すことはできなかった。高く登る火柱は、非行に走った僕を責めるように体を右に左に激しく揺らした。
僕は逃げた。
怖かったんだ。
後に母親から聞いた話だが、火は、空き家を丸々焼き、更に隣接していた家を呑み込んだ後に鎮火された。警察は放火事件として捜索中だが犯人の目星はついていないらしい。隣の家には家族が住んでいて、詳しいことは分からないが重体の子どもがいることと、その子の母親が亡くなったことは、ニュースで知った。
それから、僕は部屋に閉じこもり人目を避けるようになった。何かの罪滅ぼしといえば格好がつくだろう。そんなものではない。人を殺めた罪の重さとはそんなに軽いものではないのだ。穿った考え方だが、命を絶つことが贖罪になるのならば、それでいいと思い『死』を求め るようになった。
あの時、古民家に入らなければ、煙草を吸わなければ、などいう後悔の念は、犯した罪と無くなった命の重さを天秤にかけ、僕を出口のない自責の迷宮に閉じ込める。そう、これは僕が楽になる為に、否、解放されるために『死』を求めているのだ。
剃刀で何度も腕を切りつけた。睡眠薬など薬の類は、何錠飲んだか分からない。ネットの検索履歴はいつでも『死』で埋まっていた。しかし、幾年も『死』には至らなかった。どうしてもどこか一歩手前で踏みとどまってしまう。
頭を捻るとひとつだけ、思い当たる節があった。
人目を避けて生活をしている為、基本的に活動するのは深夜になる。夕食を食べても、この時間になると腹の虫が鳴く。冷蔵庫には夕食の残りや野菜ばかりで、体に悪そうなものが1つもない。僕は好物のスナック菓子を求め、コンビニへ行く機会が増えた。
家を出て、路地を抜け、大通りに出る。車通りの多い歩道橋を渡ると、20分ほどでコンビニに着く。彼女と初めて会ったのも深夜のコンビニだ。
いつものようにスナック菓子を探していると、商品を検品している女性に思わず見惚れた。黒く大きな瞳、長くて艶のある髪、離れていてもふわっと匂う、花の甘い蜜のような香り、いつも長袖だからであろうか、透き通るようなしろい白い肌をもった、20代の若い女性だった。
「このお菓子、好きなんですね」
彼女からすれば接客のひとつ、他愛もない会話だろうが、日常会話がない僕からすれば、天使に見える。この天使(そう呼んでいるのは僕だけだが)を一目見ようと、わざわざ大通りを通って毎日ここのコンビニまで来ていたのだ。
そうして僕は今日もコンビニにきていた。
それは、繰り返しの中で図らずとも楽しみになっていた。こんな不純な理由で、生きることに執着しているのはなんとも歯痒い。自身の決意の弱さ、芯の揺らぎに苛立ちを覚える。
この何気無いやりとりも、僕が犯した罪と亡くなった人のことを考えれば、万死に値する。人間というものは、罪な生き物だ。楽な道が目の前に差し出されると、楽な方、楽な方へと進んでしまい、いつの間にかそこに巣食ってしまう。
僕はもう、今日でこの腐りきった性根に終止符を打つ。帰り道に歩道橋から飛び降りようと決断した。あそから飛び降りれば確実に死ぬ。この忌々しい人生に幕を引くのだ。
彼女の顔を見つめ言葉を交わすと、振り向かずに店を出た。
歩道橋の手すりの上に立つ、朝の地平線にかかる太陽が少し顔を出している。ここから眺める景色は、思っていたより神々しくて、今から死ぬと思うと涙がこみ上げてきた。
深呼吸をした後に下を眺めると、僕は足を滑らせた。滑った直後、すぐに外側の手すりを掴み、一命を取り留めた。足が宙に浮いている僕は、この状態を維持することで精一杯だ。
激しい足音が聞こえたかと思うと、急に暖かい感触が僕の手に伝わる。コンビニ店員の彼女だ。あれ、いつもと違って私服だな、バイト帰りだろうか。そんなことを考える暇もなく彼女は僕を上に引き上げてくれた。
悔しい、悲しい、情け無い。少しタイミングがずれただけなのに僕は死ぬことすらできないのか。
「ダメです!自ら命を投げ出すだなんて!!!」
彼女は大粒の涙を流して、地面に這いずる僕の隣に座り込んだ。
誰かに初めて自分のことを求められた。そしてはっきりと気がついた。僕が求めていた『死』とは『生』であることを確かめるための手段であったとを。『死』を求めることを装い、何よりも『死』から離れ『生』に固執していたことを。
「ーーーーもうやめるよ」
僕の声に覇気は無かったが、不安や恐れもなかった。
もう本当にやめよう。この生活も全部だ。全て白状して、肩の荷を下ろして楽に生きよう。そしてその時まだ彼女が近くにいたら、この人がどんな人か知りたい。もっと仲良くなって、僕なりの幸せな人生を歩みたい。
僕は彼女のことを天使と勝手に呼んでいたが、今は本当に天使に見えた。
ーーーーサクッ。
僕の首から真紅の血が流れる。全身の力が抜けて、鉄の匂いが鼻に通る。果物ナイフを刺したのは、他でもなく彼女だった。
「ーーーーこれでおしまいだよ、お母さん」
俯きながら話す彼女の顔は逆光で見えない。
「ーーーなんで」
最後の力を振り絞り、彼女の腕をギュッと掴んだ。
薄れゆく意識の中で、はっきり見えた。
袖がめくれた彼女の腕には、古い火傷の傷痕があった。