第4話 エクロフォーラ
〜7月11日〜
先生がおかしなことを言い出したのは、あれから2ヶ月たった後、7月の夏休み前だった。
黒部は学園生活にも慣れ、当たり障りなく2ヶ月をすごした。
そして、いつも通り朝を迎えた。
「何だか分からないけど、今日ペア作りがあるみたいだな」
「黒部! 俺と組まないか?」
「ごめん。先客がいるんだ」
「ああ! そうかそうか! そうだったな! ごめんな!」
「そうだったって……別にどうでもないよ」
何か妙な勘違いが生まれている。しかし黒部は諦めて、受け流すようにしている。
そうだ、"勘違い"なのだ。
「えー、今日は土曜日なんだがな、ちょっと事情があって集まってもらった。伝えてた通り、ペア作りをする。どうしてこんなことをするかというとな、今年から色々変わって、君たちは生き残っただろ?恐らくこれから、生き残れなかった人たちが君たちを襲ってくるだろう。この前の件も恐らくそうだ。だから、いつでも身を守れるようにと思って、考えたんだ。自分の才能と相手の才能がお互い補い合えるような人と組むんだぞ。時間はいくらかけてもいいから、決めてくれ」
各々(おのおの)既にペアを決めていたらしく、教室が落ち着くのにそんなに時間はかからなかった。そして、それぞれペアで席に着いた。
先生から見た手前から、武井と林原、藤木兄と渋木、辻井と星野。そして、黒部と倉科、土洞、益田と西芳。最後尾は、藤木と久野、馬場と西園寺、並日と平良。土洞の隣がいないのは、それが小倉だからである。
「あれー? 藤木と渋木、仲良くなったのー?」
「そうだ、俺たちはもうくだらねぇ喧嘩なんてしねぇ」
「僕たちは仲直りをしたのだ!」
「いや、そう仲直りとはっきり言われるとな……」
「いいじゃないか、藤木君! これからは仲良くしよう!」
藤木兄は"ああ"と低い声で返事をした。
「これからよろしくな! 久野! お前はホントに機械強いからな。期待してるぜ!」
「そうですね。ありがとうございます」
久野は決まって偉そうな態度をとる。
しかし藤木はそんなことは気にしていなかった。
「以外と早く決まって良かった。これなら大丈夫だ」
「おい先生。なんか様子がおかしいぞ? どうして急に?」
話す相手のいない土洞は、先生のことを心配していたようだった。すると、改まって挨拶をしていた声が一気に静まり返った。
「えーとなぁ、実は——みんなに言わなくちゃいけないことがあるんだ。」
先生の作り出した厳粛な雰囲気に、みんなは言葉を少しも漏らさず聞き始める。
「みんなニュースで見たかもしれないが、今月一日より、鎖国令が施行された。分からんやつは後で林原に聞け。」
「ちょっと待ってください! じゃあこの前中東に行った旅人はどうなるの?」
手で口を覆い、星野が言った。
——星野エミリーは美術を得意とし、いつも辻井と共にいる。父親はロシア人の美術家で、日本人の母親とのハーフである。金髪で、小柄な容姿をもつ。
「あいつ、外国行ったのか! じゃあ恐らく日本には帰ってこれないだろうな……」
「クソッ‼︎!」
一番悲しむのは、当然土洞であった。
「すまない、話を続けるぞ。それで英語教育の必要性が無くなって、全英語教師が解任された。そこで、どういうわけか——バレちまったんだ。恐らく解任するに当たって、一人一人人間性を調べていったんだろう。危険なやつは生かしておけないからな」
「ば、バレたというのは、例の英語のテストのことですか……?」
「ああ、そうだ、黒部。てなわけで、俺はここにはいられなくなったんだ」
「そ、そんな! あり得ない!」
今先生が話した事を、誰もが信じようとしなかった。しかし、この異常な世の中である。信じられないことが起きたところで、不自然だとは言い切れない。
「そんな昔の話ですよ⁉︎ どうして今更⁉︎」
「辻井、受け入れてくれ。逆らえないんだ。あのテストに受かったところで必ず幸せになれるとは限らないってことだ。みんなは、先生のあとをついて来るなよ?」
フッと笑って先生は言う。
ここまで現実的な話をされて、涙ぐむ者も出てきた。
「"みんなは"って、じゃあ先生は……」
「今日でお別れだな」
その言葉が一層現実味をもたらし、教室を凍りつかせた。ここに来て4ヶ月も経ってない黒部は、早すぎる別れに何を思うのだろうか。
「俺はいつだって君たちの先生だ。そして味方だ。今までありがとうな! きっといつかまた会えるさ。そんな気がする。いや、絶対にだな」
生徒たちは心の整理をする余裕もなく、言葉を失ったままである。
「じゃあな、羽栞橋のみんな! ————で、えっと、最後に黒部! ちょっと来てくれ」
黒部はなぜ最期に会う生徒を自分に選んだのか理解できないまま、みんなの悲しむ目線を背後に教室を出た。
「ごめんな、黒部。こんなことになって」
「いえ、先生は並日くんと平良さんを守ったんですから」
「ああ、まあな。意味のある事をしてやれたかなぁ」
「もちろんですよ! 二人は先生に感謝してると思いますよ。それより、最後なのに僕に何ですか?」
黒部が気づいた時、英語科準備室の前に着いていた。
そこには、誰もいなかった。
「いいか、今から俺が言うことを、冗談じゃなくて真実だと思って聞いてくれ。俺を信じてくれ」
「は、はい、分かりました」
まるで馬鹿げた夢を語る前のように、先生は注意をつけた。
すると、先生は左腕の袖をまくった。そこには、奇妙なアザがあった。数匹の蛇の腹あたりに、不気味で大きな目が一つあり、黒部を見ているようだった。黒部はその視線に恐怖を覚えた。どうやら、貼っているのではなく、本当に肌に模様として焼きついている。
そして、先生が左腕に右手をかざすと、信じられないことが目の前で起きた。その模様が光り始め、そこから出てくるように、ス——ッと一つの分厚い本が現れたのだった。
「驚いたか。そりゃあ驚くよな。でもこれは"真実"だ」
黒部は言葉も出ず、固まっていた。
先生が語る馬鹿げた夢とは、決して馬鹿げてなどいなく、至って現実的なものであった。
黒部はこの世に魔法とかそういうものがあるとは信じていなかった。そして、徐々に恐怖を感じ始めていた。
「これは、イギリスの大英博物館に飾られていた物だ。魔導書の一つなんだが、今まで発見されていた物のは別物なんだ。全ての文章はアルファベットで表記されているんだが、解読出来た者は一人としていないらしい。その文字列は、全く意味を成していないんだよ。だから、俺たちは表紙の文字列を無理やり読んで、エクロフォーラと呼んでる」
そこには確かに"ECROFFOLLA"と書いてあった。
「理解できないために誰も興味を持たず、あまり有名にならなかったんだ。そこで、俺の友人の博物館職員が、エクロフォーラを盗んだんだ。すると、その表紙の模様が浮き上がり、彼の左腕に焼きついた。そしてエクロフォーラは彼の物になった。この事から、この魔導書は、創造者からこの俺まで、代々受け継がせて後世に遺せる仕組みになっているんじゃないかと思ってる。相当大事な事が書いてあるんだろう」
黒部はまだ驚きを隠せないでいた。先生の長い台詞の一つ一つが理解出来ない。
「で、でも、どうして先生が持っているんですか?」
「あ、そうだ、言ってなかったな。騙されたんだ。彼はエクロフォーラを手にした者に所持権が移ることを知り、怖くなって俺に手渡した。そして、同じようにアザが浮き上がり、俺の左腕に焼きついた。そして今に至る訳だ」
「え——も、もしかして先生、僕に渡そうとしてるんですか?」
黒部はふと、自分の震えに気がついた。そんな物を渡されたら、たまったもんじゃない。一番信頼を寄せていた先生が、一番信じられなくなってしまう。
「いや、違うんだ、黒部。君を信じて、頼もうとしてるんだ」
信じていいのか分からなくなってきたのに、"信じて"という言葉を使われ、黒部は混乱してしまった。
「落ち着け! 黒部! 信じられないのは分かってる。でも、聞いてほしいんだ」
黒部は頷かなかったが、同時に拒絶もしなかった。
「いいか、これには恐らく未来の人類にとって、とても重要なことが書かれている。解読出来たのと出来なかったのとでは、大きく違うだろう。だから、君に託そうと思ったんだ」
「そのまま先生が持ったまま死んじゃえば、力は消滅するんじゃないんですか!」
黒部は我を失い、言葉の選択すらままならなくなった。話は聞くが、魔道書の継承に対しては全力で拒絶を示す。
「ああ、そうだ。でもそれじゃあ意味が無いんだ。君は倉科を救っただろう? 君は強い。賢い。正義感がある。だから、その正義感と英語の才能を見込んで、こうやって頼んでいる。なあ、頼まれてくれないか? 君を騙したくないんだ」
黒部は自分の頬を涙がつたうのに気づいた。
まだ7月だというのに、この世はこんなにも変わってしまったということに、絶望を感じていた。教え子に危険な真似をさせるなど、普通の世の中ではほぼあり得ない。
黒部は落ち着かない精神のなか、悪いのは自分や先生ではなく社会のほうだという結論を出した。
「黒部、世界は変わっちまったんだ。こんなことだって受け入れなくちゃいけないんだ。これからを見据えれば、こんなことは序の口だろうな。なあ、頼む、折れてくれ!」
遠藤先生のその目は、決して騙そうなどという非人道的な感情など含んでいなかった。黒部に対する希望だろうか。少しだけ輝きを含んでいる。
その真摯な姿を見て、黒部は屈してしまった。
「くそっ‼︎!」
黒部は黙って頷いた。
遠藤先生が彼にその魔導書を手渡すと、言っていたのと同じようにアザが剥がれるように浮き上がり、先生の左腕から離れた。
そして黒部の左腕に焼きついた。
「うわぁぁぁぁぁぁ————————‼︎!…………」
先生は平然と"焼きつく"といった言葉を使ったが、本当に焼かれているような、耐えられないくらいの痛みだった。焼きついたということは、完全に受け継いでしまったということだ。
黒部は、受け入れろ受け入れろと、自分に言い聞かせた。しかしそのアザの不気味な目は、世知辛い世の中とそれを未だに受け入れられずにいる黒部を、一層失望の念を増して睨みつけていた。
黒部は怖くなって先生の顔を見た。その顔は、笑っていた。おそらく彼への期待を表しているのだろう。そうであるはずだ。黒部は先生のその笑顔を信じる方を選択した。その顔が、黒部の見る先生の最後の顔だった。
「黒部、先生に何言われたんだよ?」
黒部があまりにも青い顔をしていたばかりに、みんなの注目をより集めた。さっきのことを言えば、みんながもっと混乱するだろうと考え、黒部は隠すことに決めた。こんな時でも正義感を発揮するのが黒部なのである。
服が長袖だったのが幸いであった。
「い、いや、英語教育が無くなっちゃったから、将来について話してただけだよ……あはは……」
自分にしては都合のいい嘘を思いついたものだと、こっそり自負した。
「そうだったな、じゃあお前自分の才能無くしたんだな」
「え……」
そうやって話に食いついて来たのは、珍しいことに並日だった。確かに、並日の言うことは正論であり、これからの重要な問題であった。
「並日君、なんて事言うんだ! 黒部君は努力をして、英語の才能を身につけたのだ!」
「どうとでも言えばいいさ、渋木。俺は才能が無いんだからな!」
「ちょ、ちょっとやめなさいよ、二人とも!」
いつも仲裁に入るのは西芳だった。
「……僕の心配なんていいよ。それより、先生のことは気にならないの?」
「ああ。ちょっと驚いちまったが、あの先生のことだ、這いつくばってでも俺たちに会いに来るだろう」
「そうよ! 先生はいつだって私たちの先生よ! 遠くできっと助けてくれるわ!」
黒部はみんなの前向きな姿に感動し、つい涙ぐんでしまった。才能のある人たちは心も強かった。何があっても立ち向かえる。何があっても乗り越えられる。そんな強靭な精神力を、果たして自分は持っているのだろうか————。今の黒部には、そのような自信は微塵も無かった。そしてこれからも、当然ながら自信は持てないだろうと思った。あんな得体の知れない、分厚い本なんて渡されては……。
その日の夜は、寄宿舎で過ごす最後の夜であった。西芳の食事を終え、みんな落ち着いて、寝る支度が整ったところである。何の空気を読んだつもりか、藤木の提案で黒部、倉科の二人のみ別室になった。倉科はおろか、西芳まで女子一人になるということをまるで考えていない。
黒部と倉科は、床に敷かれた布団に入り、寝る体勢になった。黒部も男の子で、女子と二人きりで寝るとなれば、落ち着いてはいられない。
——僕は倉科さんのこと好きなのかな……?
——そもそも倉科さんって僕のこと……
黒部はやはり落ち着かず、寝る事にに集中できない。隣にいるのに倉科のことが頭から離れず、格段に心拍数、呼吸数が上がった。
いやいやそんなこと考えてる場合じゃない! と振り切って、ふと左手のアザを見た。気をそらすためだと思い、魔道書を出現させる練習をした。
「く、黒部くん……」
「わぁっ‼︎!」
急に話しかけてきた倉科に驚いた黒部は、その本を戻す暇もなく、掛け布団の中に隠した。
「ど、どうしたの?」
「い、いや、急に話しかけてきたから……」
どうやら倉科は気づかなかったようだ。気づかれたら、不信感を煽るばかりで、黒部にとっては不都合であった。いや、この時点で既に不信感を抱かれているかもしれない。
「あ……いや、別に言いたいことがあったわけじゃないんだけど、今度の遊園地、楽しみだねって……」
「う、うん……」
焦って、適当な返事しか出来なかった。しかし、その言葉が黒部を落ち着かせ、やっと眠りにつくことができた。倉科も、その寝息を聞きながら、眠りについた。
————するとそこへ、不穏な足音が近づく。現れた男は黒部の掛け布団をそっとめくり、そこにある分厚い本を盗み出した。それを脇に抱え、そそくさとその男は帰っていった。そして再び、夜の静寂が蘇った————。
次回は2人で遊園地へ!しかし、またしても黒部に悲劇が!?
投稿遅れまして申し訳ございません……。これからもどうか応援していただければと思います!