第3話 友引
〜5月13日〜
「じゃあすまんけど、倉科頼むなー」
「千鶴ちゃん、お願いねー」
わざとなのか、そうでないのか、寝坊した黒部を待つ係に、すっかりよくなった倉科が選ばれた。
普段人と話さない倉科は、なかなか起こすことが出来なかった。いや、黒部と二人きりだというこの状況に、緊張しているのだろうか。
そのまま時間が過ぎていった。倉科が気付いた時、時計の文字盤の"8"と"9"の間で、長針が短針を追い越そうとしていた。
「起きて! 起きてくださいっ!」
「んー、なに?」
倉科の声でやっと起きた黒部は、むにゃむにゃ言いながら目をこすって起き上がった。
「なにじゃないですよ! 授業遅れます!」
いつも静かな倉科だが、状況が状況で、少し大きな声で話す。
昨夜、黒部は月の光を堪能していたのと、今までとは違う学園生活による興奮で、なかなか眠れなかった。そのツケが回り、この様である。
「な、何だって⁉︎」
黒部も時計の針を見て、気付いたようだった。慌てて準備をしようとするが、怪我で上手く動けない。
「あの、私がカバンを用意するので、着替えてて下さい」
黒部は言われるがまま着替え始めた。倉科は部屋を出て、ドタバタ準備を始めた。
二人が準備を終えた頃、8時45分が来た。SHRが始まってしまったのだ。黒部はふらふらしながら立ち上がったが、どうも歩ける様子ではなかった。
「痛たた。まだ痛むな」
その時、倉科と目が合った。肩を借りたいが、女子だから気が引けて悩んでいる黒部。助けてあげなきゃと思っているが、恥ずかしくて動けない倉科。
しばらく沈黙が続いた………。
ひたすら時間をかけた挙句、最初に動いたのは、顔を真っ赤にした倉科だった。黙って肩を貸し、荷物を持った。黒部もまた黙って、肩を借りた。
そうして、やっと寄宿舎を出ることができた。
「あの、ありがとね。女の子に迷惑かけるなんて、みっともないよね……」
「い、いえ、助けていただいたのは私の方で……えっと……感謝すべきなのはこっちの方です。本当にありがとうございました!」
二人は、今まで緊張して黙っていたのが馬鹿馬鹿しくて、おかしくて、揃って笑い始めた。二人が打ち解けた瞬間であった。
「今日伝える事は以上だ。今日も張り切って——って黒部に倉科じゃないか! こんなに遅れてどうしたんだ?」
二人が教室に到着したのはSHRが終わる頃であった。笑顔で入って来る二人に、先生含め大半の生徒は不思議な顔をしたが、藤木と武井、西芳だけはニヤケていた。
「ごめんなさい、ちょっと寝坊してしまいまして……」
運良く倉科の隣が黒部だったので、席に着くのはそう難しくなかった。
「そ、そうか。寝坊はいいけど、怪我はどうだ? 良くなったか?」
「いえ、まだ痛みます。こうやって助けてもらわないと歩けない状況です」
「そうか。じゃあ学校の寄宿舎を使っていいから、ゆっくり休んでくれ」
その時、6人の生徒がギクッとした。彼らは先生にバレないよう、顔を見合わせて笑った。
〜昼休み〜
午前の授業が終わり、皆で昼食をとっているところである。
授業では、例のテストで先生が減り、授業が成り立たなくなってしまったので、生徒たちが交代で講師を務めるという形をとっている。しかし、黒部と、先生の不正行為によって生き残ることが出来た生徒には、その役は回ってこない。
昨晩、あんなに綺麗な月が学校から見られたのは、居残る先生たちが学校から消えたからなのかもしれない。
そして今彼らが食べている昼食は、西芳によるものである。この校内では、高校生とは到底思えないプロを凌駕する実力の存在が当たり前になってしまっている。
「やっぱ美味いな!プロの味は!」
「そうだな! こいつを食える俺は幸せモンだ!」
黒部、藤木、武井は、横並びに座ってとんかつ定食を堪能していた。しかし、同じ机の向かい側に座っている二人の生徒は、どうも美味しくなさそうに食べていた。
「どうしたの? せっかく西芳さんが作ってくれたんだから、美味しく食べようよ!」
迂闊に話しかけた黒部は、後にそれが愚かだと言われる行為であった事に気づく。
「何だよ。何か文句があるのか。才能をたまたま認められたような奴が作って、それをそんな奴らと一緒に食ってる。こんな屈辱な事はねぇよ‼︎!」
「そうよ!あんた達は黙ってなさい‼︎!」
平良が並日を追うようにして、二人は途端に怒りをぶつけてきた。
——並日徹は先生の不正行為によって生き残った生徒の一人で、才能のあるクラスメイトたちに恨みを持っている。話すのは平良とだけで、クラスと関わろうとしない。黒部を敵対視し、これからの黒部の人生を大きく揺るがす。
——平良常子も並日と同じように生き残った生徒の一人である。いつも並日とともに、クラスメイトを蔑んでいる。
「え……何か気を悪くするような事言ったかな……」
驚きと焦りを隠せずにいる黒部は、周りに視線で助けを求める。しかし、周りのみんなも同じであった。クラスの秩序を乱しかねない事態に、渋木が素早く反応した。
「急にどうしたんだ! 並日君! 君たちは先生のおかげで生き残れたんだ! お互い手を取り合っていこうではないか!」
「うるさいっ‼︎! お前らには……お前らにはこの屈辱は分からねぇ……」
怒りに任せ、渋木の提案を拒絶する。並日は顔を真っ赤にし、息を切らしている。
「やっぱり自慢ばっかりしてるような奴らなんかより、私達のほうがよっぽど人間なのよ!」
彼らの言う通り、100点が取れないような人でも、決して自慢などせず地道に努力を重ねる人のほうが"人間"と呼べるかもしれない。しかし、それは現在の世の中では通用しない理論である。
「もういい。お前らが俺たちを理解できないのは最初から分かっていた。——黒部。何があってこいつらの仲間してるか知らねえが、覚えとけ。お前はいつか後悔する」
そう言って二人は箸を投げるように置き、食べかけのまま食堂を去った。奥でお金の音がした事から察するに、売店の食べ物を買ったようである。彼らにとって、西芳の食事を黒部らと食べる事は相当な屈辱だったらしい。
「後悔するって……何を?」
今まで通って来た学校で、黒部はいじめなどは嫌なほど見て来たが、似たような事を含めて自分が関わる事は決して無かった。その分、より一層衝撃を感じ、しばらく動けなかった。それは周りのみんなも同じである。
「まあ、もったいないわね。仕方ないわ、片付けましょう」
西芳の行動で、食堂の空気が少しだけ緩んだ。食べかけだった生徒は素早く食事を終わらせ、片付けを始めた。
————どうして僕らは恨まれてるんだ?
————どうして後悔することになるんだ?
黒部は、並日の発言の意味がどうしても分からなかった。生き残れたことに変わりはない。だから、渋木君の言う通り、手を取り合っていくべきなのに……それなのに……どうして————と、黒部の疑問は膨らむばかりである。
『何だよ急に。飯がマズくなったじゃねえか』と藤木兄が小さな声で言ったが、それ以後は誰も言葉を発さなかった。
後悔って何だったのだろうか……。誰を信頼していいのだろうか……。そんな不安が募るばかりであった。
〜数分後〜
「黒部! 自由学習だぞー! 今日は理科総合研究室に行こう!」
おそらく聞き慣れないであろう部屋の名前だったが、黒部は驚く事は無かったどころか、あまり乗り気でもなかった。
「どうした、黒部。食あたりか?」
「——ああーいや、大丈夫大丈夫。行こう」
「まあ、あんなこと言われたらな、そうなるわな。あんまり気にするなよー」
武井の言う通りでもあるが、気にせずやり過ごしていい問題でもなかった。しかし、今気にしていては何も始まらない。黒部はそのモヤモヤした気持ちを押し切り、三階の理科総合研究室を目指した。途中で藤木と合流した。
「兄ちゃんから聞いたんだが、ここでは化学、物理学、生物学、地質学をひっくるめて一つの部屋で研究できるようになっているらしいんだ」
その広大な部屋には、散らばった男女4人の姿があった。それぞれ違う事をしていることから、化学、物理学、生物学、地質学それぞれを専門とする人が一人ずついるという事が分かる。
「何だ、光。邪魔しに来たのか。まあどうでもいいが、用があるなら他の奴を当たれ」
相変わらず口を悪くして話す藤木兄は、弟らの存在に気付いたようであった。
「冷てぇなぁ。まあいいけど」
そう言って藤木は進路を変えた。その先には、机に着いて熱心に何かをしている女子生徒がいた。
「なあ西園寺————」
「わぁっ!」
ヒクッと肩が上がり、そしてドタバタ、グシャッといろんな音を立てて、先程まで何かを書いていたであろう一枚の紙をクシャクシャにして背中の後ろに隠した。
「————な、何よ」
黒部ら3人は思わず吹き出してしまった。
「いや、そちらこそ何だよ」
「い、いや……何してたっていいじゃない! あ、そうそう! 化学式書いてたのよ!」
「え、何の?」
「いや……」
——こう怪しく何かを隠すのは西園寺博子である。老舗和服屋である西園寺家の古風な感じとは相反し、現代的な化学を得意とする。
「分かった、分かった。もう聞かないことにするよ」
本当に化学式を書いていたのか、何か怪しい事をしているのか、はたまたラブレターでも書いていたのか……。
「なあ黒部。次土洞のトコ行かねえか? 何か面白そうな事やってるぞ?」
武井は黒部に考える時間を与えなかった。代わりと言っては何だが、土洞という男は実に面白そうな事をしている。
「何だ? これは」
「どうした土洞?」
——土洞泰地は地質学を得意とする。目が細く少し小太りだか、親友の小倉と一緒に旅をしたりなど、アクティブなデブと言える。
「いや、小倉がまた土壌のサンプルを送って来てくれたんだが、何か不思議な物が含まれてるんだ」
「確か小倉君が今いるのって、京都だよね?」
「ああ、そうなんだが……」
藤木除く3人は、その一枚の紙らしき物に対し、深く考え込んだ。
その一方、藤木は教室のもう片隅で生き物たちと戯れていた。
「うわあ、綺麗なカエルだ! 馬場、このカエル何て言うんだ?」
「貴様にはそのカエルを触る覚悟があったのか」
——この少し厨二病じみた女子生徒は、馬場庵である。髪は後頭部でまとめられ、赤縁眼鏡をかけ、白衣を着た姿はまさに端麗とも言えるにも関わらず、厨二病なのが少し残念である。
「うわぁっ!」
藤木は、カエルも驚く後ろジャンプを披露した。かなり遠回しな表現であったが、有毒だという警告であったことには気づいたらしい。
「お、それは古に伝わる陰陽符ではないか?」
黒部らが悩んでいるのに気づき、馬場が答えた。それがまるで鶴の一声であるかのように、教室の空気を静まり返した。聞こえるのは、西園寺がクシャクシャにした紙を広げる音のみ。
「マジで?」
「あ、いや……まぁ多分ね……」
何だでたらめかよ〜とか何とか言って、教室の空気は緩やかさを取り戻した。しかし土洞の情熱はそのヒントを逃さなかった。
「いや、あながち間違ってないかもしれない。ここを見ろ。俺には読めないが、それっぽい文字が書かれている。」
土洞の言う通り、確かにそれはお札のようである。そしてそれは馬場の言う通り、陰陽符のようでもあった。
「よくやった、馬場。林原にも手伝ってもらって、もう少し研究してみるから、お前ら楽しみに待っとけ。」
それは黒部が見学した自由学習の中で、もっとも大事であった。
〜京都、某旅館〜
「おお! そうかそうか! 俺すげぇモン見つけてしもうたんやなぁ! ハハ……!」
小倉はノートパソコンに向かってゲラゲラ笑った。
外は真っ暗で、和風に施された蛍光灯が、今だに疲れを見せない小倉一人だけを照らす。小倉の旅にスタッフなるものはいないらしい。自ら管理しているスケジュール帳が、机に広がっていた。
「お札か……じゃあ俺は俺なりに、宗教についてちょっくら勉強してくるわ」
そういって、6月30日にぐるぐるっと印を付けた。
その日は偶然にも、突然の鎖国令施行の前日の"友引"であった。
〜東京、羽栞橋学園〜
寄宿舎は、昨日と変わらぬメンバー。しかし校舎の一つ明かりのついた教室には、土洞がいた。どうやら、徹夜で研究をするらしいのだ。
「あいつ、すげぇなあ。もう遅いから、あいつもこの寄宿舎に呼ぼうぜ」
「うん、そうね」
そう言って、藤木、武井、西芳は寄宿舎を出て行った。
まだ背中の怪我が完治せず、布団に座り込んだ黒部が言う。
「あれ? 倉科さんは行かないの?」
「あ、あの……」
わざとらしく間を置く。
「——あの、今度夏休み辺りに、遊園地行きませんか?」
「え?」
急な提案に、驚かざるを得ない。
「あ、えっと気分転換にね……どうかなと思って……。あと、お詫びもしたいし……。ダメかな?」
黒部はしばらく唖然としていたが、気を取り戻して、答えた。
「うん! もちろん!」
「あと、私のことは千鶴でいいです。」
「OK! 千鶴!」
そして、二人は笑い合った。
「ただいま——ってあれ? 二人ともどうしたんだよ?」
「何でもないよーハハハ」
そして少しの間、二人の笑い声が響いた。その時間は、唯一部屋の空気を震わせる時計の音までも忘れさせた。
外の人なら必ず羨むであろう、幸せな雰囲気。しかし窓の向こうには、その雰囲気にはとても似合わない人影があった。何かが黒部に迫っていた…。
次回は、すっかりクラスメイトと仲良くなれた黒部ですが、これまでとは違う異変が起きます。いったいそれは何なのでしょうか。
更新遅れましたが、これからもどうぞよろしくお願いします!