第2話 秀才減殺計画
「おっ、あれ倉科じゃね?」
「そうみたいだな」
藤木、武井と共に通学する黒部の目の前に、同じく通学中の倉科が現れた。それは正門の前であった。当然、もう少しで学校に着くところである。
そこで、戦争の序章を示唆するような、一つの事件が起きたのである。
『キキィィィィィィィィ————————ッ!』
反対車線から大型トラックが倉科目掛けて突っ込んで来た。
このままだと、一人の無抵抗な少女が、何の罪も無く命を奪われてしまう。
そんな状況にも関わらず、そのトラックの運転手は顔にいやらしい笑みを浮かべていた。
そこへ、黒い影が飛び込んだ。
黒部である。
黒部は意識より先に体が動いていた。
「危な————いっっ!」
倉科を抱えて、トラックの来ない方へ飛び込んだ。
あと少しで当たってしまう。
間に合うだろうか。
しかし、そこにドンッという鈍い音が大きく響いた。近くにいた藤木と武井は、何かを察したかのように、青ざめていた。一方トラックは、正門をぶち壊した後、道路に入って逃げていった。残されたのは、二人の姿と散らばった荷物だった。
「お、おい! 大丈夫か、黒部!」
「倉科、しっかりしろ!」
傍観者であった藤木と武井は、懸命に二人に声をかけた。すると、地面に倒れていた倉科だけ起き上がった。
「わ、私は大丈夫だけど……黒部君が……」
そう言って、倉科は泣き出した。
黒部は、正門横の壁に強く打ちつけられ、その壁にもたれかかっている状態で意識を失っていた。藤木と武井は、倉科と黒部を抱えて、保健室へ行った。
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————————黒部が目が覚めたのは、保健室のベッドだった。彼の顔を覗き込む顔が1人、2人……いや、クラスメイト全員だ。しかしそこに倉科の姿はない。
「気づいたか」
「大丈夫かお前、俺が分かるか? 俺、武井だよ!」
「あ、ああ分かるよ」
「まったく心配させやがって」
黒部は自分が生きていたことに安心し、胸をなでおろした。黒部が起き上がろうとすると、何人かが補助した。
「痛たたた、まだ痛むみたい。そういえば、倉科さんは?」
「隣のベッドにいますよ? 黒部君よりずっと早くによくなってます」
今まで黒部の視界を遮っていたカーテンを開きながら、西芳は言った。
——西芳紬はクラス一の美人で、家庭科を得意としている。そのお姉さんのような容姿、オーラから皆に好かれ、信頼を集めている。
黒部は倉科を見て再度安心した。
「俺が損傷部を確認して、西芳さんが適切に手当てをしてくれたんだ」
「ありがとう、藤木君、西芳さん」
「ちなみにお前は後頭部と脊椎を軽く打っていた。突き飛ばされて、背中からいったみたいだな」
黒部が意識を失った時、怪我をしていたのは背中側だけであった。前側を怪我していないことから、トラックには直接接触せず、カバンが巻き込まれて打ちつけられたということが推測できる。
それを裏付けるかのように、黒部と倉科のベッドの間の机に、へこんだ水筒が置いてあった。黒部が飲むだろうと皆が気を使ったものである。
「そういえば、保健室に先生はいないのか?」
確かに黒部の言う通り、そこに先生の姿は無かった。
「多分、例のテストに落ちたんだと思います」
その答えは衝撃的であった。この世界はこんなにも残酷になってしまったらしい。
「そ、そうなのか。にしても、誰がこんなことを?」
「おい! 既にツイッターですごい話題になってるぞ!」
『秀才減殺計画失敗』
『おいおい、そこ失敗するところじゃねえぞ! これからなんだぞ!』
『次は俺がやって、成功させてやる!』
『やめとけw』
最後の台詞は武井のものだった。
世間では既に、"秀才減殺計画"なるものが始まっているらしい。
「才能ねぇ奴らがほざいてるだけだ、ほっとけ」
「そんな言い方はやめるんだ! 藤木君!」
いつもこう喧嘩調に話すのは、藤木兄と渋木である。
——藤木信輔は物理学を得意とするが、余りにもナルシストでかつ言葉に棘があるので、いつも周りを不快にさせる。双子の弟の光とは大違いである。
——一方、渋木正義は公民分野が得意な学級委員である。秩序を守ることに厳しく、いつも藤木兄を叱っている。
「ヒドい言い方だけど、一理あると思うわ」
「えっ!」
みんなの視線が一気に辻井に集まった。
——辻井景子は、音楽が得意な女の子で、プロのピアニストを目指している。そのクールなポニーテールと、冷静さを伴った判断力が特徴的で、とても頼りにされている。
「あっいや、別に彼らが悪いっていうわけじゃないんだけど、恐らく才能のある私たちに恨みを持って、襲ってきたんじゃないかな? 藤木君、ほっとくわけにはいかないんじゃない?」
「あっ、え、いや、そうだな。何か対策立てねぇとな。あはは……」
「諸君! とりあえず、1人で行動しないことだ! そうすれば、安全に違いない!」
「学級委員のくせに、テキトーなのね……」
1人で行動しない。これが今後生きていけるかどうかのキーワードになるのかもしれない。転校生の黒部としては少し不利かもしれないが、昨日の様子だと、少しは安心しても良いのかもしれない。
「でも何で倉科さんを襲ったんだ? 近くにいた僕たちでもいいんじゃないかな?」
すると、みんながニヤニヤしながら彼を見た。
「な、何だよ?」
ぐるーっと見回して、黒部が一人一人顔を見たその最後の顔は、隣で恥ずかしそうに赤らめていた倉科の顔だった。
〜数時間後〜
「はい!それじゃあ自由学習を始めるぞ!」
痛みが少しだけ引いた黒部だが、まだ自力で歩くことが出来ないため、武井と藤木に助けてもらいながら自由学習を見学することにした。自由学習は、各教科専門の、もしくは個人の好きな場所で行われているため、いろんな場所を回らないといけない。
「すまんな、こんなことになって」
「何言ってんだ。お前は倉科にとって命の恩人だ」
「かっこよかったぜ!」
「いやいや、そんな褒めなくても……。ところで、自由学習って何をするんだ?」
「あの先生、結局自分で説明しなかったな。まあいいや。自由学習ってのは、各個人の目標目指して、それぞれの才能を磨く時間だ。俺だったら、ずっと筋トレか走り込みだな」
「なるほど。いいのか? 2人はやらなくて」
「いいんだよ。どうせ俺アニメ見てばっかだしな!」
「俺はもう誰にだって勝てる自信がある」
そこに、遠藤先生が遅れて登場した。
「ごめんごめん、忘れてた。自由学習ってのはな……」
「先生もう言ったよ」
「あ、ああそうか。じゃあ案内してやってくれ」
「もうしてますよ。まったく」
このクラスの担任は本当にのんきである。よく例のテストに受かったものだ。
「そういえば、よく倉科を守ってくれたな。俺からも礼を言っとく。ありがとな!」
そう言って、先生はグッドサインを突き出した。
「ああ、いえ、とんでもないです」
「先生、じゃあもう行きますんでー」
「おう! 行ってらっしゃい!」
遠藤先生の一言を最後にして会話を終え、黒部は他のみんなの自由学習の様子の見学に出発した。
彼らのいる校舎から少し離れた直方体の建物の中に、図書室がある。名門校なだけあって、土地面積は広い。彼らはまずそこに行く事に決めた。
「誰かいないかな……。お、林原じゃねえか」
「うるさいわよ! ここ図書室なのよ!」
武井は小声で林原に注意され、武井もまた小声ですいませんと言った。
——林原詩乃は歴史が得意な女の子であり、落ち着いた性格の持ち主である。落ち着きのない武井とは逆の性格のはずなのによく気が合い、話すことが多い。
「で、林原はどんなことをやってる? 黒部に教えてやってくれないか?」
「別にいいけど、私は歴史が好きだからその勉強してるだけよ。えっと、他には呪術とか仏の力とか興味のあることなら何でも勉強してるわよ」
「え、そうなのか」
「いや、まともに受け取んなって。何でもいいってわけじゃないんだから。ここ学校だぞ?」
黒部の想像した答えとは違い、自分の得意な教科とは違うものを勉強しているひともいるらしい。もしかしたら、みんな得意教科については
「簡単に言えば、自分の興味のある事や、才能があると思う事を極めるのよ。あなたなら、英語かしらね」
黒部は英語の才能を認められてこの学校に入ったのだ。間違いないだろう。
黒部は幼い頃から両親の都合で、引っ越すことが多かった。そしてアメリカに行くこともあった。黒部が英語ができるのは、幼い頃から英語を聞いていたからかもしれない。
「あの、次行こうよ」
「ちょっと、さっきからカタカタうるさいんだけど、なんとか言ってきてくれない?」
林原の言う音に近づくように、奥へ進んだ。図書室の奥に行くと、もう一人居たみたいだった。
「やっぱり久野か。ここ図書室だから、パソコン打つのやめてやってくれないか?」
——久野彰は技術分野が得意で、機械のことなら出来ない事はないと言われている。その小柄な体格とインテリな眼鏡が女子の人気を買うが、偉そうな態度で男子からは好かれない。
「何ですか。自由学習なんだから、いいじゃないですか。邪魔しないでください」
「こいつは何を言っても無駄みたいだな。林原には申し訳ないが諦めてもらうしかない」
藤木はいつもの事だと言わんばかりに、マナー違反をスルーした。
「いいのか?」
「いいんだよ、行くぞ」
黒部は、そんな冷たくしないでもいいではないかと思ったが、だからと言って止める理由も無かった。
もう少し進んだ先には、もう一人女子生徒がいた。真面目な受験生のように、机で勉強していた。
「益田さん、勉強中悪いんだけど、自由学習で何をやったらいいか、黒部に教えてやってくれないか?」
「えーいいよー。……私はお父さんがくれる問題を解くの。ん……それだけかな」
——そう教えてくれた彼女は、益田知子といい、若き女性数学者である。父親は塾の講師で、数学界ではそれなりに名を馳せている。彼女は、西芳から感情を抜き取ったらこうなるというような感じであり、実に無感情でマイペースである。
「お、おうありがとう」
「なんか、話した事無かったから知らなかったけど、機械みたいだったな。数学者ってみんなそうなのか?」
「いや、違うと思うが、ちょっとびっくりしたな」
「いいけど、次行かない?」
「おお! 黒部乗り気だなあ!」
しかしそこで残念な事に、チャイムが鳴った。これで自由学習の時間は終わりである。すなわち、質問タイムもこれで終了である。
「残念だなぁ。また明日だな」
黒部は仕方なく、次の人を探すのを諦めた。しかしその分、明日が楽しみになる。黒部は新しい発見と出会いへの期待に心を弾ませた。
「そうだ、黒部。ここに泊まっていかないか?」
「え?」
あまりにも唐突な藤木の提案で、黒部が驚くのも当然である。数ある学校に転校してきた黒部でも、学校に泊まったことなど一度もない。
「そんな体で帰れないだろう。めんどくさい先生らが消えたことだし、設備も充実してるから、いいじゃないか」
「そ、そうだな、そうするよ」
帰れる体ではないのは事実なので、黒部は渋々従った。
————その後、西芳が食事と寝具を用意し、黒部は学校の寄宿舎で夜を明かした。校舎とは少し離れた、駐輪場のそのまた向こう側にある寄宿舎からは、綺麗な月を見ることができた。下弦の月より少し進み、左に寄った餃子のようで何とも不思議な形であったが、辺りの人口の光よりずっと強く輝いていた。
学校の職員は全員帰ったのだろうか。一つ残らず教室の蛍光灯は消えている。やけに暗く、月明かりだけで、藤木と武井と西芳、そして黒部と同じ理由で泊まることになった倉科を確認することができる。
しかし、黒部はそんなことは気にしていなかった。明日からが楽しみ、それだけを思っていた。
寄宿舎で夜を明かすことになった、黒部。明日にはどのような学園生活が待っているのでしょうか。次回もよろしくお願いします!