とんだはちきん・後
伏見と京をつなぐ竹田街道の近くに、銭座村という小さな村がある。その村はずれに、打ち捨てられた掘っ立て小屋があり、博徒たちはそこを京での隠れ家にしているらしかった。
「そこなら、船で鴨川を下っていけば早いですね。急ぎましょう!」
すぐさま向かおうとした草月を望月の冷静な声が止めた。
「相手の人数も分からんのに、むやみに乗り込んで行くのはまずい。もしお玉さんがそこにおって、盾にでもされたらやっかいじゃき」
そうして望月が向かったのは、四条通りから細い路地を高瀬川沿いに少し北に入った先にある『桝屋』という薪炭問屋だ。
「おいでやす。今日はどないな御用どっしゃろ」
この店の主人だろうか、顔に商売用の笑みを張り付けた男が声をかけてきた。
「例の品を見せて欲しいんじゃ」
意味ありげに望月が言うと、男は値踏みするような視線を隣の草月に寄越した。しかし、それも一瞬。すぐに笑みを戻して、
「それやったらどうぞ。ちょうどお仲間はんも来られてはりますよって」
「お仲間?」
訝しむ草月に直接は答えず、すっと目を細めただけで、男は下男に店番を任せて奥へと二人を通した。物置らしい小部屋に入り、押入れの床板をはがすと、そこに地下への急な階段が現れる。
(すごい、店の下にこんな隠し部屋があるなんて……)
上と比べて空気がひんやりとしている。
光量は隅に置かれた行灯の明かりだけで薄暗い。暗さに目が慣れてくると共に、そこらじゅうに置かれた大きな長持ちの輪郭が浮かび上がった。よく見ると、その長持ちの間に、見知った顔がある。
くっきりと陰影の落ちた彫りの深い顔立ち。
「吉田さん、来とったんか」
吉田と呼ばれた男は望月の呼びかけに目礼で応え、すぐに手元の紙に目を落とした。
吉田稔麿、二十四歳。高杉や久坂と同じ松下村塾で学び、のちに脱藩して幕臣の用人になって幕府の内情を探り、二年前に帰藩したという異色の経歴の持ち主だ。
望月が長持ちの蓋を上げると、中には西洋式の銃や火薬がぎっしり詰まっている。
「うわ、すごいですね……。ここにある長持ち、みんなそうですか」
「来るべき戦いのために、少しずつ用意しちゅうところぜよ」
望月は火薬玉をいくつか取り出しながら、案内の男を振り返り、
「ほいで、この人はここの主人の桝屋喜右衛門殿。篤い勤王家で、色々便宜を図ってもろうちゅうんじゃ」
「桝屋どす。どうぞよろしゅう」
「長州の使いをしている草月と申します。こちらこそよろしくお願いします」
互いに挨拶を交わす。たが、桝屋の冷たく絡み付くような視線が草月には少々居心地が悪い。
「それで、望月はん、急に武器がご入り用とはどういう訳どすか?」
「それがのう」
簡単に事情を話すと、ずっと我関せずと黙っていた吉田が助太刀を申し出た。当然のように草月も続こうとすると、
「おまんはここで待機じゃ」
「え!? どうしてですか!?」
「どうしても何も……」
望月は呆れたように言った。
「おまんはおなごじゃろう!」
「おなごだって手伝えることはあります。こう見えても、悪党相手の場数は踏んでるんですよ。武器だって持ってますし!」
帯の間に隠し持っていた短筒を取り出して見せると、望月はぎょっと目を見開いた。
「おまん……、何でそんなもん持っちゅうんじゃ」
「……高杉さんか」
吉田がぼそりと呟く。
「と、とにかく、いかん。お玉さんは俺たちが必ず助けるき、ここで大人しく待っちょけ。ええな!」
食い下がる草月を残して、望月と吉田は行ってしまった。
(おなご、おなごって……。これが高杉さんとかなら、きっと一緒に連れていってくれるのに。望月さんからすれば、海軍塾での大人しい私の印象が強いんだろうけど)
今まで、こんなふうに女扱いされることが少なかったせいか、どうにも消化不良な気持ちがぬぐえない。間を持て余して、草月は長持ちの中の洋式銃にそっと触れてみた。
長さはちょうど大人が手を広げたほど。試しに持ってみると、思った以上にずっしりと重い。早々に長持ちへ戻し、改めてしげしげと観察する。
「ゲベール銃かな?」
「よう知ってはりますなあ」
いきなり近くで声がして、草月は火傷したように銃から手を引っ込めた。離れたところにいるとばかり思っていた桝屋が、蛇のように気配なく側に立っていたのだ。
「その……、海軍塾で少し見たことがあって」
「ああ、神戸の。せやったら、望月はんとご一緒に?」
「はい――」
「気にならはりますか」
「え?」
「お二人のこと」
ねっとりと絡み付くような言い方をする。
草月は気付かれない程度に体を引いた。
「そりゃあ……、心配です」
桝屋は無言で長持ちに手を伸ばし、中から火薬玉を一つ取り出すと、草月の手に握らせた。
「お近づきの印どす。何かあった時のために――」
「――」
変なことを言われたわけでもないのに、蛇ににらまれた蛙のように、身動きが出来ない。
その時、上から男の怒鳴り声がして、桝屋の注意が逸れた。草月は硬直が解けたように体が動くようになった。
桝屋は草月のことなど忘れたように素早く階段を駆け上がり、店表へ出て行く。草月もまた穴倉から出て、店の格子窓の隙間から外を窺った。
――すわ御用改めか。
そう思ったのだ。
だが、どうやら破落戸が通行人に絡んだだけらしい。
ほっとしたのも束の間。草月の目は破落戸の男に釘付けになった。正確には袖を捲り上げた男の左腕に、だ。
二の腕の外側に真っ直ぐ走った醜い傷痕。
(あれは――)
嫌な記憶がよみがえる。
以前、大坂で草月を売り飛ばそうとした男。
あの時は無我夢中だったので、顔はおぼろげにしか覚えていないが、あの傷痕は草月が撃った短筒の弾が当たった痕ではないか?
(でも、なんであいつが京にいるんだろう。縄張りを変えたとか……? ううん、そういえば、伊平さんが借金したのも、大坂の博徒だって言ってた。もしかして、あいつがその博徒……?)
だが、そうだとして、どうすればいいのか。
(望月さん達はとっくに隠れ家の方に行っちゃったし)
悩んでいるうちに男は捨て台詞を残して歩き出している。
考えている時間はない。
「あの、桝屋さん! 私、急ぎの用を思い出したので失礼します。火薬玉、ありがとうございました」
挨拶もそこそこに、男を追って店を飛び出した。
とにかく跡をつけてみて、お玉と無関係そうならそれでよし。関係しているようなら、急ぎ望月達を追いかけて知らせればいい。
町屋の並ぶ通りを、男はぶらぶらと特に目的もなさそうに歩いていく。四つ辻に差し掛かった時、男の姿がふっと視界から消えた
(――え、どこ行った!?)
慌てて脇道に駆け込んだ時、背後でどすの効いた声がした。
「さっきから俺をつけてきとったんはお前か? 一体何の用や?」
しまった、と思ったが、もう遅い。草月は腹をくくって男に向き直った。
「お玉という人を探してるんです。居場所を知っていたら教えてもらえませんか」
「お玉ァ? 知らんなあ」
男はわざとらしい笑みを浮かべた。
「なんで俺が知っとる思うねん? 姉ちゃん、聞く相手を間違えとるんとちゃうか」
「あなたがそういう生業なのは分かっています。お玉さんさえ無事に返してくれれば、お上に訴えたりしないと約束します」
「甘いなあ、姉ちゃん。そないな言葉、信じるわけないやろ。けど、素性がばれとるんやったらしゃあない。あんたもお玉とまとめて売りとばすまでや」
騒げば殺すと脇腹に匕首を突き付けられて草月が連れて行かれたのは、四条大橋たもとの船着き場に浮かぶ三十石船だった。船上にはすでに十人ほどの客が乗り込み、出発を待っている。
「お玉、良かったな。連れが出来たで」
後ろの隅で小さくなって震えている少女の隣に草月を押しやる。男は側に座る仲間らしき男二人と二、三言葉を交わした後、草月たちのほうにぐいと顔を近づけた。
「この先の伏見で江戸の女衒にあんたらを売り渡すことになってるんや。ええ値で買うてもらえるように、せいぜい愛想良うしとくんやな」
ひひっと嫌な声で笑い、自分は悠々と煙管をふかし始めた。
*
船はぐんぐん下っていく。
お玉は少し憔悴しているものの、怪我はないようだった。
船の上では逃げる心配もないと見くびったのか、それとも目立つことを憚ってか、草月とお玉は縛られたりすることはなかった。
どちらにしろ、草月には好都合だ。周りの喧騒に紛らせ、小声で佐吉が心配していたと伝えると、お玉は涙をこらえるように、膝に置いた手を握りしめた。
「大丈夫。私の知り合いが、今、伏見の手前にある銭座村に行ってるの。近くまで来たら、船を飛び降りて、村の方へ走って。きっと助けてくれるから。……とはいっても、肝心の村の場所を知らないから、もしお玉さんが知ってたら教えて欲しいんだけど」
「大体の場所やったら分かります。せやけど……」
お玉は両脇を固める破落戸を恐々見た。
「こないな状況で、飛び降りたり出来ますやろか」
「何とかこいつらの気を逸らせないかやってみる。お玉さんは、村が近くなったら合図して教えてね」
お玉が頷いたのを確認して、草月は慎重に辺りを見回した。
何かないか。
と、その目が、破落戸の男が持つ煙管に吸い寄せられる。
(――これだ!)
草月は出来るだけさりげない風を装って、男に話しかけた。
「……ねえ、その煙管、私にも吸わせてくれない?」
「ああ? なんや、いきなり」
「いいでしょ、別に。どうせ私みたいな大年増、ろくなとこに売られないんだから、最後に一服させてくれたって」
「へえ、あきらめのええ姉ちゃんや。ええで、娑婆での最後の一服、楽しみや」
受け取った煙管の吸い口をことさらゆっくりと時間をかけて袖で拭い、そっと口に運ぶ。その時、お玉がそっと草月の膝に手を置いた。
合図だ。
草月は咽たふりをしてごほごほとせき込みながら前かがみになった。
「おいおい、大丈夫かあ? 死んでもうたら、商売にならへんのやで」
男のにやにや笑いが、突如ひきつった。
草月の座っている辺りから、明らかに煙管のものではない白煙がもくもくと出てきている。
(か、火事や――!)
男が青ざめた瞬間、草月が何かをさっと宙に放り投げた。
バアン!!
すさまじい爆発音と共に火薬玉が破裂する。
「お玉さん、飛んで!」
男たちの注意が逸れたのを見逃さず、草月はお玉の手を取ると、思い切り船べりを蹴った。
ばしゃん! と盛大な水しぶきが上がる。
船が岸辺に近いところを通っていたのが幸いし、水位は膝までもない。急いで岸に上がった草月は、ちらりと後ろを振り返る。
船は、恐慌状態に陥った客たちのせいで、ぐらぐら揺れて今にも転覆しそうだ。あれでは博徒たちもすぐには身動きが取れまい。
(関係のないお客さんには申し訳なかったけど……)
「とにかく、今のうちよ! 走れる? お玉さん」
「へえ、なんとか」
二人は濡れた裾をからげて一目散に村を目指して走った。
*
博徒が隠れ家にしている襤褸小屋から、白い噴煙が上がる。
咳き込みながら我先に飛び出して来た博徒たちを、外で待ち構えていた望月と吉田が片っ端から鞘で打ち倒していく。
その場はあっという間に悶絶した博徒たちでいっぱいになった。
十数人はいるだろうか。
「よくもまあ、こんなぞろぞろと集まったもんじゃ」
呆れつつ、望月は手近に転がった博徒の胸倉を掴んで引き起こす。
「おい、起きんか! おまんら、お玉というおなごを攫ったじゃろう。その女はどういたが?」
「ひいいっ、堪忍や! 兄貴が江戸に売り飛ばすって連れてった」
「それはどこながじゃ!」
「ふ、伏見で女衒に引き渡すことになっとる。今頃女を乗せて、船で向かっとるはずや」
「よし!」
もう一度殴って昏倒させ、急ぎ鴨川へと向かったところで、望月と吉田の前に思いもよらぬ光景が目に飛び込んできた。
「おい、ありゃあ……」
桝屋に置いてきたはずの草月が、なぜかお玉らしき少女を背にかばい、三人の博徒と対峙していたのだ。男たちの手には鈍く光る匕首が握られている。だが、その圧倒的な優勢にもかかわらず、なぜか容易に襲い掛からずに手をこまねいている。良く見ると、草月の右手には短筒が握られ、近づけば撃つと脅しているのだ。
「あいつは何をしゆうんじゃ?」
望月はあんぐりと口を開けた。
「まあ、娘を探す手間が省けたとも言うな」
平然と吉田が言った。
「吉田さんは何で驚かんのじゃ? 俺の知っちゅうあの子は、どこにでもおる大人しいおなごじゃったぞ。間違っても、破落戸相手に無謀な真似せんような」
「なぜって、」
吉田は微かに口許に笑みを浮かべ、
「俺が高杉さんや久坂さん達から聞いていた草月というおなごは、今目の前にいる通りの性格の奴だったから」
「たまるかー」
望月も終いには笑いだした。
「それより、敵が浮き足立っている今が好機だ。行こう」
音もなく刀を抜いて走り出した吉田に続いて、
「くっそー、後でたっぷり昔話を聞かせてもらうき、覚悟しちょきや、草月さん!」
望月もまた、刀を手に喧騒の渦の中へ飛び込んでいったのだった。
*
乱闘の末、無事にお玉を助け出した三人は、お玉を弟の待つ家へと送り届けた。後は三好屋に戻り、帳簿はちゃんと持ち主に返したと太助に伝えれば、一件落着だ。
吉田と別れた草月と望月は、傾きかけた日が照らす京の通りをゆっくりと歩いていた。
「ムギ達の紐を買いに来ただけだったのに、とんだ騒ぎに巻き込まれちゃいましたね。……でも、博徒はちゃんと役人に捕まりましたけど、あの番頭さんはどうなるんでしょう」
「さあのう。そこまでは俺たちの与り知らんことじゃ。そうじゃろう?」
「そうですね……」
「それより、草月さん」
望月はじろりと横目で草月を見た。
「俺はなんでおまんがあそこで大立ち回りするに至ったのかごっつい気になるんじゃが。俺は桝屋で待っちょけと言わんかったかえ?」
途端に草月の目が泳いだ。
「そ、それは……、その、成り行きで……?」
「ほーう、それは一体どんな成り行きじゃったんかのう。なんやら俺の知らん武勇伝もこじゃんとあるらしいし、聞くのが楽しみじゃ」
「う、だから、勝手に動いたのはすみませんでしたってば! 勘弁してくださいよ、松尾さん!」
京の通りに賑やかな声が響いた。