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良明の発表は、文音から教えられたことをそのまま復唱するだけの発表になってしまったが、教授からはかなりの評価を受けることができた。良明は文音が居なかったらどうなっていただろうかと考えた。
「今日はサンキューな」と良明は授業後、文音に感謝の言葉を口にした。文音は少し笑みを浮かべて「どういたしまして」と答えた。
文音は良明が知る限り満面の笑み笑ったことは今までなかった。しかし、その少しの笑み、所謂微笑が良明の心の奥をくすぐった。とても可愛くて、きれいであった。
「お礼に、ケーキでも食べに行きませんか?おごるから」と良明は文音の前に立っていった。それから、「ほら、こないだおいしいケーキ屋さんが、家の近くにできたって言ってたじゃん」と続ける。
すぐに承諾してくれると良明は考えていたが、思いの外今日の文音は浮かない表情をしていた。
「どうした?なんか都合が悪い?」
「嫌、そうじゃないけど」
「俺とは嫌とか」
「絶対にそれはない!」と文音はまっすぐ良明を見て言った。
「気が乗らないだけなら仕方ないか、じゃあまたな」
良明は諦めて文音の前から離れようとした。しかし、背後から「待って」という文音の声が聞こえて、良明は腕を掴まれた。
「えっ」?
良明はますます意味が分からなくなった。
「今日は、そのケーキ屋さんには行きたくないの」
「そのケーキ屋さんには?」と良明は首をかしげる。
「だからさ、良明君の家の近くに連れて行ってくれませんか?」
「どうして?」
「良明君が前に行ってた、蕎麦屋さんに行きたいな…」
確かに良明は、自分の家の近くにおいしい蕎麦屋ができたことを文音に話していた。しかし、良明の家と文音の家では距離が離れているので、なかなか文音を誘いにくかったのだ。
「でも、遠いよ。文音さんあまり遠出したことないんでしょ」
「いいの、今日は暑いから、そば食べたいな」と文音はうっすらと笑みを浮かべて言った。その笑みのとりこになっている良明は、「なら、行こうか」と言ってしまったのである。
良明は天神行きのバスに文音と乗り込んだ。夏の暑い日は、バスは寒いくらいに冷房で冷やされている。良明は「また外に出るとメガネが曇っちゃうな」と言いながら、文音の横で眼鏡を拭いていた。文音はクスクスと笑い、「大変そうね」と良明を気遣うそぶりを見せた。
文音とは大学周辺の施設なら遊びに行ったりしていたが、大都会である博多駅周辺や天神には行ったことがなかった。天神の地下街が近くなると、大きな人の流れを興味津々で見ている文音が可愛らしかった。
天神でバスを降りると、予想通り良明のメガネは曇った。良明が眼鏡を拭くと、再び文音がクスクスと笑った。探偵事務所である良明の家は、ここから15分ほど歩いたところにある。その近くにあるのが、良明がこないだ文音に紹介した蕎麦屋だ。
良明はなぜこんなにおいしい蕎麦屋をこんな都会外れに作ったのかと疑問に思った。店長に聴いてみると、あまり人が多いのは好きじゃないと言ったので、良明とは気が合いそうであった。
良明と文音は互いに苦手な人ごみをかき分けて蕎麦屋に向かった。蕎麦屋より先に、良明の実家が見えた。良明は、「あそこが俺んち」と文音に言った。文音は驚いたように目を丸くして、「探偵事務所なの?」と目を丸くして言った。良明は少し恥ずかしくなって、「まあね」と答えた。
それからしばらく歩くと、例の蕎麦屋が見えた。