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1.とある自殺の話
朝からテレビをにぎわしているニュース。
にぎわしているという表現もどうなのだろうか。
先日一人の少年が自宅のあるマンションの屋上から飛び降りた。現場は野崎文音の自宅とは目と鼻の先であったので、文音もその現場を自分の家から見ることができた。
早朝の出来事だったので、マンションの周りには、登校中の高校生やサラリーマンなどのやじ馬で埋め尽くされていた。
その中に、うずくまって泣いている女子高生数名の姿もあった。自殺した少年の同級生なのだろうか。
それから一日たった今日、その自殺のニュースは朝のテレビをにぎわせている。
昨日、うずくまって泣いていた女の子だろうか。テレビのインタビューに答えていた。
「山西君は、とても優しい同級生だったけど、いつもクラスメイトの数名から殴られたりして泣いていました。いつも一人ぼっちでした」
「泣いていました…それで?」
文音は気づくとその言葉を発していた。
文音の姉、美夜古の口癖であった。
文音もその言葉の裏側にある意味は分かっていた。
「泣いているのを知っていた。それで、あなたは何もしなかったの?」
姉の死刑が執行された時、最後に呟いた言葉を文音は知らされていた。
美夜古は正義感が人一倍強く、とても優しい人間だった。誰もが憧れる女性だったと思う。そんな姉がなぜ5人もの人間を殺害したのか。6年もの間、文音の心の中にはこの問だけが絶え間ない波のように打ち付けていた。
6年前、姉が逮捕されてからの半年間、文音は自分の命を絶つことばかり考えていた。踏切で電車に飛び込もうとした。睡眠薬を一気に30錠くらいのもうともした。首をつろうとも、練炭を炊こうとも。一番楽な方法で死のうと考えていた。
いざやろうと思ったらできなかった。
その勇気がなかったのだ。いや…むしろ生きていこうとする勇気が死のうとする弱い心に勝ったのかもしれない。どっちだろう…。
半年間の死にそうな期間を過ぎてからは、死ぬことなんてなぜか一切考えなくなった。しかし、今日いじめ自殺のニュースを見ていると、とっさにあのころの死のうとする感覚が文音の心に戻ってきた。「マンションから飛び降りたらすぐ死ねるだろうか?」
文音は、部屋の窓を開けてベランダから真下を見た。その時、足がすくみ、力が抜けた。
「また死ねなかった…」
頭のてっぺんからスーッと冷たくなるような感覚が襲った。文音はそのまま力が向けるように崩れ落ちた。
荒くなった呼吸を整えようとする。震えている身体を必死に抑えようとする。しかし、力は入らない。
その時、文音は自分の携帯電話が光っているのに気付いた。着信だ。画面を見ると、電話をかけてきた人物は、大学で同じゼミの久米良明であった。文音はなぜか安心したように携帯の画面を指でなぞり電話に出た。
「もしもし…良明君…」
「おはよう……どうした大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
最初の声が少し上ずってしまったのだろうか、久米は文音のちょっとした異変に気づいてしまったようだ。この男は人の体調の変化や気分の変化には鋭い人間であった。
「そうか!よかった」
「どうしたの?」
「今日さ、授業で発表なんだけど、全然発表資料まとめてないの」
「うん」
「それでさ、一生のお願いだ」
「うん」
「発表資料を学科大主席様の文音様に作ってほしいなと」
「いいよ」
「ありがとー‼‼‼」
文音と久米のこんな感じのやり取りは今日が初めてというわけでも珍しいわけでもない。いつもこんな感じで、文音は久米を助けている。いろいろ訳ありの文音にとって、唯一仲良くできた大学の友達が久米良明なのだ。
その時、文音の心に死ぬという言葉は消え去っていた。
文音は久米からの電話に助けられたと感じていた。