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黒椋鳥童話集

鬼さんこちら。冥土の果てへ

作者: 黒木京也

 昔々あるところに。お爺さんとお婆さんがおりました。


 仲睦まじい二人でしたが、不幸な事に、子宝には恵まれませんでした。子どもが欲しかった二人。特にお婆さんの想いは日に日に。年々大きくなるばかり。

 考えに考え抜き、いつしか狂気に取り憑かれたおばあさんは、一大決心の末、川へ〝せんたく〟に向かいました。

 辿り着いたのは山の中腹です。人気のない午後。お婆さんは待ち続けました。腰が痛むのを我慢して、待ち続けました。そして……。

 ついにお婆さんは川の畔にて、それはそれは瑞々しい〝桃〟を手に入れたのです。



 帰って来たお婆さんと、〝桃〟を見たお爺さんは大層びっくりしました。


「婆さんや。どういうつもりか」


 お爺さんは狼狽えました。


「爺さんや。我らの〝願い〟を忘れたか」


 お婆さんの顔は真剣です。桃に包丁を当て、「食べなされ爺さんや。もう他に道はない」血の涙を流しながら訴えました。

 覚悟を決めたお爺さんは、〝桃〟を美味しく頂きました。

 まるで若い頃に戻ったかのようだ。そう思いながら。


 そうして二人は〝桃〟を割ることで子宝を得ました。

 生まれてきたのは、それはそれは可愛い男の子。

 お爺さんとお婆さんは、男の子に『桃太郎』と、名前を付けたそうな……。


 ※



 縛り首峠と呼ばれる場所には、大層風変わりな犬がいた。

 わざと人前に現れて、滑稽な仕草をする犬……名を八米(はちべい)

 人々は狂犬の類いと見切りをつけていたが、八米はそれが大いに不満だった。それもそのはず。八米の望みは狂犬になることではなかったのだ。八米の滑稽な仕草には、理由がある。どうしても叶えたい、野望と言っても差し支えない理由……それは。


「何ということだ。今日も道行く人々は私を完全に無視。何故だ。己の尾を追い続けて回り続ける犬。思わず蹴り飛ばしてやろうとは思わぬのか」


 八米は、少々特殊だった。

 彼が求めるのは激痛だった。足蹴にされる事に悦びを感じてしまう程に。

 彼が願うは嘲笑だった。愚鈍かつ哀れな家畜へ向けるような、見下し、冷めきった眼差しを渇望している。

 彼が浴びせられたいのは罵声だった。ご主人様による数多の暴言と蔑み。それは上等な獣の骨に勝るものと、彼は信じて疑わない。

 そして何よりも望むのは支配と蹂躙。それを与えてくれる、絶対的君主の存在だった。首輪付きの紐でくくられ、飯のお預けをくらい、お座り等という命令を強要され。時折。ごくごく稀に頭を撫でて貰って……。からの地面への叩きつけ。それが至高だった。


「ああ、私のご主人様は、一体何処に………ん?」


 理想の飼い主像を想像し、一人ならぬ一匹で尻尾を千切れんばかりに振っていた時だ。

 不意に八米の視界に、その者はやってきた。


 現れたのは、少年だった。しなやかながら、見事に筋肉のついた四肢。

 清廉な顔立ち。

 桃の果実の刺繍が施された鉢巻。

 そして……。無駄によく似合う赤褌(あかふんどし)一丁に、腰に下げた金色の巾着袋と立派な太刀。それがその少年の出で立ちだった。


 あまりにも不審。

 あまりにも奇妙。

 だが、あまりにも威風堂々とした少年に八米は暫し言葉を失い……。次の瞬間、稲妻にも似た閃きが自分に走るのを感じた。


 こやつならば……もしかしたら。

 そう思った八米は、もはや何度目になろうかという奇行を、再び実行した。己の尾を追い、ぐるぐる回る駄犬。

 (ふんどし)が似合う少年よ。お前はどうする? 蹴りを入れるか。蔑んだ目を向けるか。それとも今までの有象無象共のように、見て見ぬフリをするのか。八米は内心でほくそ笑みながら、少年の反応を待つ。

 その時だ。八米の視界が赤一色で染め上げられた。

 何が起きたのか分からず、もがく八米。自分が地に倒れているのだけを辛うじて自覚しながら頭を上げると、そこに人の気配が感じられた。


 さっきの少年だった。


「少年よ。一体何を……ガフッ!?」


 次の瞬間。喉奥に何かを突き混まれたのを感じた。強烈な異物感に噎せる八米。それが人の手である事に気がついた八米は、反射的に噛もうとし……ぐにゃりと。柔らかな手応えに目を白黒させた。

 気がつけば、人の手の気配はなかった。口に広がるは素朴な和の味。開けた視界には、何故か赤褌を巻き直す少年の姿。


「……なんだ。これは」

「吉備団子だ。日本一だと婆は言っていた。腹が減って気が狂った犬には丁度いいだろう」

「いや……腹が減っていた訳では……」

「む、そうなのか?」


 心底驚いた様子の少年。どうやら本当に、八米が腹を空かして奇行に走ったと思ったらしい。八米は少しだけ可笑しく思いながらも、これも縁か。などと呟いて吉備団子を飲み込んだ。

 実に美味。それ故に、喉奥の痛みは嬉しさと苦々しさが丁度半々だった。なので八米は文句を言う


「そもそも、私の顔を褌で覆い、あんな乱暴に食べさせる必要はなかっただろう。酷い奴だ」

「ん? ああ、それは許してくれ。何だろうな。お前の仕草には下心が見えたのだ。つい蹴り飛ばして踏んづけて、鞭で叩きのめしてから俺の褌で縛り上げたあげく、喉に団子をくれてやろう。そう思ってしまうくらいには、お前の動きは癪に触った」

「なん……だと?」


 それを聞いた八米は、涙を流した。吉備団子の味など忘れて。

 何故やってくれなかった? それこそは私が求めていたものだったのに!

 そう嘆く八米を、少年は黙って見つめ……。


「バカを言うな。犬畜生が俺の手を煩わせるというのか? 通行の邪魔をした上で、そのような施しを求めるだと? 身の程を知れ。この駄犬が」


 見事なまでの平手打ち。それを受けた八米は、心の底から歓喜した。

 これだ。これこそが、自分の求めていたものだ。そう感じた八米はよろけながらも、〝ご主人様〟を見上げ……ようとした。

 ご主人様と見定めた少年は、既に八米を放置し、スタスタと峠を越えんとしていた。


「ああ、待て。お待ちくだされ!」

「……驚いたな。まだついてくるのか」

「お供を。どうかこの犬めをそばに置いてくだされ」

「……俺の家来になろうというのか? 俺が行くのは修羅の道だぞ?」

「かまいません! どうか……! 私にはもうあなた様しか考えられませぬ」


 そう言う八米を、少年は黙って見つめていた。やがて、小さくため息を突きながら、獰猛な笑みを浮かべると、少年は八米の鼻先を指で弾いた。


「桃太郎だ。元より家臣など持つつもりはなかったが、そこまでいうならば追従を許そう。精々役立て、犬が」


 その瞬間。八米の尾は嬉しさのあまり千切れ飛んだ。

 こうして。お腰につけた吉備団子を喉奥へ叩き込まれた犬、八米は、桃太郎と名乗る褌の少年の家来となったのである。


「時に桃殿。修羅の道と言われたが、一体何をなさるおつもりで?」


 三歩後ろをてくてくと歩きながら、八米は訪ねる。すると桃太郎は、歩みを早めながらぶっきらぼうにこう答えた。


「俺の目的はただ一つ。鬼ヶ島の鬼共を成敗し、爺と婆と絶縁するのだ」


 前を見据えるその目には、確かな憎悪の炎が宿っていた。



 ※


 屠殺山の麓には、大層危険な猿がいた。

 この猿は暴れもので、大人の男でも太刀打ちきぬほど力強く。かつ質の悪い習性を持っていた。それは……。


「いやぁああ! 離して! 離してください!」

「ええじゃないか。ええじゃないの!」


 山の麓で、女の悲鳴が響く。それに覆い被さるようにして、へこへこと気味の悪い動きをする毛むくじゃらの獣。

 屠殺山の大将猿、弥七(やしち)。この大猿の何がタチが悪いかというと、山を通りがかる人間に、見境なく襲いかかるという事だった。

 暴力で押さえ付け、さんざん楽しみ。最後には惨たらしく噛み殺す。故に縄張りにつけられた名が、屠殺山である。


「やだ! やめて! 私には心に決めた人が……」

「ほうほうほう。オイラとの力比べに負けて逃げかえった男かい? 命に変えてでも君を守るとか抜かしてた癖に、俺に掘られようとした途端に逃げた、あの男かい?」


 着物を剥ぎ取られ、哀れ全裸となった女は涙ながらもがき続ける。それを見た弥七は、にぃいと笑う。


「可愛そうなお姉さんだ。この世に愛などないのになぁ。あるのは力。なぁ、オイラの力は素敵だっただろう? 安心しろよ。オイラは男女平等だ。平等に力を奮い、気に入った奴は全力で愛でるんだ。お姉さんもその一人にしてやろう……」


 声にならぬ女の悲鳴。弥七はそれを聞きながら、全身が歓喜と諦感でせめぎあうのが分かった。

 そうだ。この世は力だけ。愛などないのだ。誰もが暴力に屈し。権力に屈し、哀れに泣き叫び、地べたに這いずり媚びる。

 みんな一緒。どんなものにも替えが効く、体のいい代理人の群れだ。……一人くらい、骨がある奴がいてもいいだろうに。


 女を仰向けに倒し、顔横の地面を拳で陥没させる。それだけで女は顔を青ざめさせた。許しを乞うかのように首を振り、「何でもするから殺さないで」と宣う。弥七はそれを無感動に眺めながら、女の柔肌に手を伸ばし……。直後、脳天にガツンという衝撃が走った。


「……誰だぁ?」


 振り返る弥七。視界の端で、立派な拵えの太刀が地面に落ちるのが見えた。あれが投げられたのかと苦々しげに舌打ちしつつ、弥七は顔を上げ……。その顔は、ポカンとしたものに早変わりした。


 そこにいたのは、奇妙な二人組。否、一人と一匹だった。片方は犬だ。熊と見間違うほどに大きな体格をした、白い体毛の犬。そしてもう片方は……。鉢巻を巻き、赤褌一丁の出で立ちをした、少年だったのである。


 無駄に怪しく。

 無駄に筋骨粒々で。

 そして無駄に鋭い。弥七が久しく見なかった、強い男の眼差しを持って、少年は一言。


「猿が。ケツが赤い分際でナニをしている。通行の邪魔だ」


 そう言って、シッシと、弥七へ向けて道を開けろという仕草をした。あまりにもふてぶてしい態度に、弥七は嘲るように鼻を鳴らした。


「……悪いなぁ尻の青い兄ちゃん。今はお取り込み中だ」

「随分な言葉を使うお猿様だ。人様の真似事か? 服を全部取っ払う辺りが芸のない獣だな。とっととそこの女を置いて失せろ」

「そうだな。失せろ(おもむき)無きエテ公。私ならば迷わず美女に踏んで頂くか平手打ちを所望す……キャワン! ありがたや~!」


 妙な事を口走る犬を蹴り飛ばした少年は再び弥七を睨む。嫌悪感剥き出しの表情に、弥七は何処と無く嬉しそうに笑った。


「いいね。その表情。オイラ好みだよ。誤解しないように言うけれど、オイラは別に人が好きな訳じゃない。ただ辱しめて、惨たらしく殺してやりたいだけさ。兄ちゃんはどんな顔と声で啼くのかな?」

「……俺を喰らおうというのか? 鬼退治に行くこの俺を、獣風情が邪魔立てだと? 水面の月に溺れた位では、阿呆は治らんか。身の程を知れ。このエロ猿が」


 拳の交差は一瞬だった。

 互いの顎を撃ち抜いた拳。だが、地に足を着けていたのは、少年の方だった。最後の力の一絞り。それにより、猿にしては破格の巨体を誇る弥七の身体は空中に投げ出され。気がつけば、無様に地面に叩きつけられていた。


「な……に……」

「……猿の癖にいい拳をしているな。お前、こんなところで惰性に生きるより、もっと有意義な時間の使い方があるだろうに」


 口から流れる一筋の赤を拭いながら、少年は他人事のようにそう述べて、裸で踞る女に着物を放り投げた。

 女は褌一丁の少年に顔をひきつらせながらも、手早く服を着こみ、少年と猿を気味悪げに見比べながら、そそくさとその場を立ち去った。


「……礼をくれとは言わないが……俺まで気味悪げに見るとはどういうことだ?」

「桃殿、格好。己の格好をもう一度省みられよ。ただの奇人でございまする」

「奇行犬には言われたくないわ。身の程を知れ。この呆犬」

「グヘヘ……。もっと言ってくだされ桃殿よ」


 そんな軽口を叩きあう少年と犬。仰向けに倒れながら、弥七はそれを羨ましげに見つめていた。人間と動物が、真の意味で心を交わす。それもまた、久しく見なかった光景だった。


「復讐だったのだ」


 弥七はそう言いながら上体を起こす。


「オイラは猿回しの家族だった。そう。家族だと、皆は言っていたんだ。なのにあいつらは、目先の利益に囚われて、オイラを気に入った野郎に売り払いやがった。回された先じゃあ、オイラは酷い扱いを受けてさ。命がらがら逃げ出した。走って走って、家にたどり着いたオイラが見たのは、何だったと思う? ……可愛い可愛いと、知らない子猿を撫で回す、家の人達の姿さ」


 自嘲するように笑う弥七。少年は聞いているのか聞いていないのか。投げつけてきた刀を拾い、腰に差すと、そのままスタスタと歩き出していた。


「桃殿? 放っておいていいのか?」

「構わんさ。ただ道行くのに邪魔だっただけだ。討ち取る理由がない。人に復讐したいなら勝手にすればいい。家族や人が嫌いなのは……俺も一緒だからな」


 遠慮がちに訪ねる犬に、少年はぶっきらぼうに答え……。そこで、思い出したかのように腰に下げた巾着袋から何かを取り出すと、ひょいと弥七に投げ渡した。


「これも縁だ。とっとけ。お互い何かと上手くいくといいな」


 そう言って、少年と犬はそそくさと言ってしまった。残されたのは弥七と、手にある吉備団子のみ。少年は本当に、ただそこにいたから弥七を蹴散らしただけらしい。


「人間………なのか?」


 不思議な。だが確実に、濁った目をした少年だった。

 家族が。人間が嫌いだと、少年は言っていた。鬼を退治に行くとも。鬼は人間に害をなす輩だ。人間が嫌いならば、何故それを退治に行くと言うのだろうか? そもそも一人と一匹で、鬼ヶ島に殴り込もうと言うのだろうか?


「オイラは……」


 復讐に、身をやつしてきた。愛などない。暴力で全てが終わると。その考えは今も変わらない。だが……。

 弥七は吉備団子をじっと見つめ続けた。

 弥七は今、揺れていた。下手すれば自分以上に憎悪を纏った存在と対峙したからだ。

 殴りかかったその瞬間。弥七は確かに、少年の瞳の奥に闇と、魔性を見たのだ。何をおいても障害を蹴散らし、目的を果たす。そんな決意の炎を。


「……知りたい」


 それは、人間を見限った筈の弥七が抱いた、久方ぶりの興味だった。鬼の成敗なんて、人間側の正義などどうでもいい。ただ弥七は、あの憎悪が行き着く先。それに興味が沸いたのだ。

 団子を一飲みにし、弥七は立ち上がり、直ぐ様駆け出した。


 こうして、通りがかって殴り飛ばされた挙げ句。お腰につけた吉備団子を投げ渡された猿、弥七は、少年――。桃太郎の家来となったのである。


「ん? そう言えば変だな」


 桃太郎を追いながら、弥七はふと、独り言。


「あいつ……何でオイラ達みたいな、獣の言葉が分かるんだ?」


 それは素朴な。だが、少年の在り方を見る上で、余りにも致命的な疑問だったとは……。この時弥七は知るよしもなかった。



 ※


 土左衛門渓谷には、それはそれは美しい雉がいた。

 根っからの野生ゆえに名は無く、自らを七色(なないろ)御鈴(おりん)と名乗る雉は、光の加減では虹色に見える羽を自慢としていた。それを道行く人に見せ、魅了するのが彼の楽しみであった。

 だが……。そんな御鈴は、今、人生……。否、鳥生で初めての屈辱を味わっていた。


「何故だ……。何故あの赤褌の少年と獣の一行は、僕に見向きもしないんだ……!」


 目の前で8の字飛行。荒ぶるように羽を広げ。雄々しき鳴き声と共に自らの身体で太陽を隠し、後光を纏うという美技まで披露したというのに、一行は完全無視。御鈴の誇りはズタズタに打ち砕かれていた。


「まだだ……。まだ終わってなるものか……! こうなれば、僕の最高級の大技だ……!」


 三度目の正直。御鈴は一行の前に躍り出た。

 木や岩の上やら、空にて行っていた今迄と違い、今度は正真正銘道のど真ん中。これならば流石に自分を見るに決まっている。御鈴はほくそ笑みながら、翼を広げ……。


「見よ! これは地に落ちた天女を模している……! 絶技! 乙女天つ……ギャアァアア!」

「ん? ああ、すまん。デカい黄金虫かと思ったら……。鳥か」

「桃殿! 私も! 私も踏んでくれ! 道端の石ころのように!」

「天女か。襲った事はないが……どんな味がするのかね?」


 ようやく足を止めた一行。だがそれは、あろうことか御鈴の羽ではなく、踏みつけてしまった事に気づいたが故という、あんまりな理由からだった。


「ああ……僕の……。僕の羽がぁ……!」

「すまんな。あ、これは詫びだ。食え。では俺達は行く。じゃあな」


 そう言って、褌の少年は、御鈴の前に団子を置く。謝罪もあまりにあっさりしすぎていて、御鈴は唖然としたまま一行の背中を見る。

 浮かぶは疑問ばかり。何故こいつらは……。


「ま、待て! そっちには、僕の羽より、魅力的なものがあるというのか!?」


 そんな御鈴の問いに、一行は立ち止まり。


「悪いな。今は鬼退治が優先だ。他の事にかまかけている余裕はない。というか、相手にされていなかった事がわからんのか? 身の程を知れ。この鳥頭が」

「美しいものに興味がない訳ではないが……。私は寧ろ、貶められる方に美しさを見る」

「いや、オイラ鳥は流石にな。翼の生えた人間なんていたら考えるよ」


 口々にそう述べ、再び歩き出す。御鈴はポカンとしたまま、「なんだそりゃ?」と呟き……。


「ふ、ふ……ふざけるなぁ! オノレ……! オノレ……! 鬼なんて美しくないものに……僕が負けるわけがないんだぁ!」


 直後、それなりに自分本意な怒りが爆発した。バタバタ羽ばたきながら、御鈴は一行に並走する。ちゃっかり吉備団子を頭に乗せながら。


「いいだろう! 僕もつれていけ! 鬼と君ら! 両方を魅了してみせようじゃないか! 僕の美しさに、酔しれるがいいっ!」


 こうして。踏んづけられて、その詫びにと、お腰につけた吉備団子を渡された雉、御鈴は、少年――。桃太郎の家来となったのである。


「そういえばさ。桃太郎。何で君は、褌一丁なんだい? 鬼とやりあうんだろう?」


 無駄な動きで跳ねながら、御鈴は桃太郎に問いかける。確かにと言わんばかりに弥七と八米も桃太郎を見る。すると……。


「鎧や兜は置いてきた。まぁ、贖罪の為だ。売れば少しは生活の足しになるだろうさ。……〝母さん〟の実家のな」


 そう語る桃太郎の横顔は、何処と無く悲愴感を漂わせていた。


 ※


 一行は野を越え山を越え。ついに鬼ヶ島にたどり着いた。立ち上る黒雲と、鼻につく硫黄の匂いに顔をしかめながら、桃太郎は成り行きと吉備団子の縁でついてきた仲間を振り返った。


「引き返すなら、今のうちだぞ?」


 重々しく言う桃太郎に、八米。弥七。御鈴の二匹と一羽は、静かに首を横に振った。


「私は桃殿の奴れ……、家臣でございまする。たとえ鬼に踏まれようが金棒で殴られようがグヘヘ……。ついていく所存であります」


 何故か涎を垂らす八米。


「女の鬼はいるかねぇ? 別に男でもいいけどな。オイラはアンタの憎悪の先を見たいのさ」


 ギラギラした目で舌なめずりする弥七。


「さぁ、今こそ魅せてあげよう……七色の君主たる僕の絶技を!」


 何かうるさい御鈴。


 彼らが引く気がないとみた桃太郎は、肩をすくめながらも、スラリと刀を抜く。鏡のように磨き抜かれた刀身が、雲の隙間から漏れた陽光に反射し、鈍く銀色に輝いた。


「身の程知らずな奴等め。倒れようが死のうが助けないぞ。勝手についてこい!」


 赤褌の少年のときの声に、畜生どもが「応っ!」と叫ぶ。

 進撃する四体の(けだもの)が、今まさに修羅となった瞬間だった。


 ※

 

 曲者が入り込んだという一報は、またたくまに鬼ヶ島に広まった。鬼達は直ぐに迎撃体制を整えて、四体の敵をを迎え撃つ。だが……。


「な、なんだこの犬っコロは!」

「金棒で滅多うちにしてるのに、喜んで……いや、悦んでいるだとぉ!?」


 鬼ヶ島入り口。沿岸での戦いは、まさに混戦だった。

 一撃で肉を抉りとろうかという鬼達の得物。それはすべからく、八米の身体に叩きつけられていた。

 しかし。白い身体を鮮血で染め上げ、息も絶え絶えになりながらも、八米はあろうことか笑っていた。笑いながらのそのそと鬼に近づき、脚を噛み砕く。悲鳴を上げて鬼が倒れたら喉笛を喰い千切り。崩れ落ちなければもう片方の脚を破壊する。

 そうして八米は一匹。また一匹と、鬼を倒していく。

 地面はもはや鬼の血で溢れ。その中で八米は、今もなお攻撃を身体で受け止めながら……笑っていた。


「元は土佐の国で闘犬として戦っていた私に言わせれば……これしきの攻撃で倒れる者は関脇にもなれんよ」


 ゆったりとした動きを維持しながら、八米は身を低く構える。血だるまの姿は、あまりにも恐ろしく。鬼達は恐怖におののいた。


「縛り首峠の奇犬、八米だ。喰えるものならば喰らうてみるがいいっ!」


 威風堂々と吠え、八米は鬼の群れに飛びかかる。肉を打つ音と共に響くは「叩け! もっと強く!」という、何故か嬉しそうな八米の悲鳴だった。


 一方……。


「い、嫌だ! 来るな! くる……アァーッ!」


 鬼ヶ島中心部での戦いは、まさに地獄絵図だった。

 一人。また一人と、鬼がなすすべもなく暗がりに連れ込まれ……。語ることははばかれる攻撃の末に、心を折られていた。


「オイラは人だろうが鬼だろうが。性別も構わずに喰っちまう奴なんだぜ?」


 手を不気味に動かしながら、弥七は次の獲物へ手を伸ばす。攻撃しようにも弥七は素早い身のこなしでそれをかわし、怪力にものを言わせて敵の自由を奪う。後に残るは……。


「アァーッ!」

「アァーッ!」

「アァーッ!」


 鬼の悲鳴と、ふぅ。という弥七のナニかをやりきったかのようなため息のみ。

 まさに悪夢。勿論鬼達とて、ただやられていた訳ではない。ならば囲んでしまえと弥七の方へ殺到せんとはしていたのだ。だが。この場において、敵は弥七一匹ではなかった。

 七色の羽を閃かせ、金棒の届かぬ天空から、矢のように急降下する優美な姿。鬼からすれば臍を噛みたくなるような思わぬ伏兵が、戦場で華を咲かせていた。


「見よ! これは地に落ちた天女を模している……! 絶技! 乙女天墜!」

「グギャアァ!」

「そしてこれが……滝を登り、龍と成った鯉を表している! 美技! 昇龍転身!」

「め、目が! 目がぁあ!」

「光栄に思いなよ。その眼が最期に写すのは、美しい僕の姿なのだからね。いくよ! これは翼を広げ、天翔る鳳凰の姿を模しているっ……! 奥義! 飛鶴天翔鳳凰嘴!」

「な、何だその謎の叫びはぁ!?」


 目を押さえ崩れ落ちる鬼。無駄に洗練された動きにより、嘴の一撃で視界を奪う御鈴。それにより弱体化した鬼達へこれ幸いにと襲いかかる弥七。鬼からすれば、厄日では済まない所業が、延々と繰り返されていた。


「屠殺山の猿王、弥七だ。さぁ、オイラと寝床で共に踊れる猛者はいないのかぁ!」

「土左衛門渓谷一の美鳥、七色御鈴! 魅とれ、恋して。逝くがいいっ!」


 もはやこの一羽と一匹を止められるもの等いなかった。そして……。


 

「な、何者でい。お前は……?」


 その三匹以上に進撃する者がここにいた。赤褌一丁の少年。桃太郎。雑兵たる鬼を旅の道連れに任せ。自分は十三の精鋭の鬼を残らず討ち倒し。今まさに、鬼の頭領の首を取らんとしていた。


「桃から生まれた。桃太郎」

「桃から生まれただと? バカを言うな。人間は桃からは生まれんよ」


 桃太郎の名乗りに、鬼の頭領は疲れたように首を横に振る。身体中は刀傷にまみれ。頬は殴られたかのように腫れ上がり。左足はへし折られていた。

 それを無表情で眺めながら、桃太郎は自嘲するように頷いた。


「然りだ。俺は人間で、桃からなど生まれる筈もない。人が孕み。この世に生を受けた。だが、物心ついて暫くするまではそう言われて来たからな。真実を知り。それ故にここへ来た。あの爺婆と縁を切る為。そして、母さんの村の平和のため。最後の親孝行として、鬼を滅ぼしにきた」

「……真実?」

「……爺が孕ませたのは、婆が拐ってきた女だ。桃のような尻の女。その子を取り上げることで桃を割ったとしたらしい。川で選択してきた美しい女を。上手いことを言ったつもりらしいが、俺はあの時ほど自身の出生を呪い、気持ち悪く思った事はない」


 嫌悪を隠さず語る桃太郎。全ては縁切りの為。鬼に恨みはないが、未来の可能性として。爺婆の平穏などどうでもいいが、今も家で苦しむ母に、これ以上災厄が来ぬように。

 刀を頭領の首に当てる。その瞳には、迷いなどなかった。


「俺を育てたのは爺婆だ。その仁義には一応報いるため。縁切りの条件として。母さんに二度とあの二人が近づかない事も認めさせ、不本意ながら鬼退治は引き受けた。鬼は略奪を繰り返していると聞く。母の村も何度か襲われたと。ならば俺にとっても敵だ」

「故に鬼を駆逐する。お前はそう言うのか」


 頭領の問いに桃太郎は頷く。すると頭領は、途端にせきを切ったかのように笑い転げ始めた。


「何がおかしい」


 鋭い視線で頭領を睨む桃太郎。すると頭領は、目尻に涙を浮かべながらもニイッとせせら笑った。


「いやぁな。お前は文字通り、身の程を知らんと思っただけよ。その器。本当に人間のそれだと思うのか?」

「……何?」


 ピクリと。ここにきて初めて桃太郎の刃に迷いが生じた。それを愉快そうに眺めながらも、鬼の頭領は話をつづける。


「なぁ。なぁ。桃太郎よ。お前は鬼退治に、仲間を集ったか? 何故お前には人間がついてこない。友がおらんのか?」

「……村から俺の家は離れている。親しくするものはない。鬼を恐れているがゆえに、助力は乞えなかった」

「ほうほう。お前はどうだ? ワシらが怖くはないか?」

「……力だけはそれなりにあった。森の熊ならば打ち倒せる程に。剣術も自信がある。以前家に来たならず者共と切りあったこともある」

「ならず者……ね」


 本当にそうだったのかね? と、嫌らしく歯を見せながら、頭領は問い続ける。桃太郎はその時、自分の中に広がっていく嫌な脈動を感じていた。まるで毒を飲み干しているかのようなそれの名前を、桃太郎はまだ知らなかった。


「なぁ、桃太郎。鬼とは何だ?」

「……お前がそれを聞くのか? 角があり、野蛮で、略奪を繰り返す人外の者。と、聞いたがな」


 桃太郎がそう言えば、頭領は満足気に何度も頷いた。


「そう。人外なのだ。でもなぁ桃太郎。野蛮で略奪をするのは、何も俺達に限った事ではない。角があるかないかの違いさね。あと区別するべくはそうだなぁ……。圧倒的力かな」

「回りくどい。人と鬼がそう変わらんといいたいのか?」


 背筋の汗を感じながら、桃太郎は半ば叫ぶようにして頭領に詰め寄る。頭領の顔は冷静だった。


「血が上り、激昂した姿は〝そっくり〟だなぁ。なぁ桃太郎。ついでに聞こう。鬼と人間には力の差がある。腕力だったり、妙な術を使うものもいる。それも併せて考えよ。お前は人間の癖に、何故鬼と渡り合えている? 何故動物の言葉を理解し、奴等を部下に引き入れる事が出来る?」

「……っ、何を言って……!」


 青ざめる桃太郎。それを楽しげに見つめながら、鬼の頭領は首を垂れた。


「いずれ首を取りに来る。鬼に身を堕としても。いつかに俺の前から姿を消した、〝人間〟の言葉だった。よもや現実になろうとはな。さぁ桃太郎。これが最後の問答だ。鬼とは……何だ?」


 鮮血の花が、鬼ヶ島の奥地で咲く。勝利したのは、犬、猿、雉。そして……。


 ※


 とある民家にて。年老いた夫婦と少年が対峙していた。


「桃太郎や、帰ったか」

「ああ」

「よかったよかった。爺さんと心配して……おや、桃太郎や。何故じゃ。何故刀を抜く?」


 後ずさる老婆。その前に立ちはだかる翁。それを少年――桃太郎は、無表情のまま見つめていた。


「アンタ達は……鬼の頂点に立ちたかった。子を成して、機会を待ち続けていた。そうだな?」

「…………頭領か?」


 低い声で訪ねる翁に、桃太郎は静かに頷く。


「鬼を倒すと大義を抱えていたお前たちが、いつしか年老いる事に絶望し。そうして略奪に走り。使命も忘れて鬼になった。生まれてきた俺は、半分鬼で半分人間だ。混ざりもの故に鬼とも渡り合えた。鬼も……あわよくば人も支配しようとしたのか? お前たちは」


 桃太郎の淡々とした言葉に、老夫婦はニタリと笑う。牙が伸び、その白髪だらけの頭から生えれるのは鬼の角。それを見た時、桃太郎は全てを悟った。初めから、仕組まれていたのだ。


「桃太郎や。お前は失敗だ。何も知らずにいい子に育てばよかったものを。母に情が移るとはな」

「婆やが喰ろうて産んでやろぉかぁ?」


 爛々と目を輝かせる二匹の鬼。桃太郎はその時確かに、自分の中の人の部分が、音を立てて壊れるのを感じた。

 もはや言葉を交わすのも忌むべきだ。外道に踊らされた自分もまた、外道。故に一方的に押し付ける言葉はただ一言。


「ああ……失敗だよ。俺もお前たちも。身の程を知るべきだったのだ。この腐れ鬼が」


 後に轟くは、猛烈な殴打と絶叫。二人分の断末魔が響く頃。山奥の民家は崩れ落ち。焦げたような香りと共に黒煙が立ち上ぼり始めた。


 ※


 こうして、桃太郎の鬼退治は幕を下ろす。彼の……人間〝桃太郎〟その後の行き先は、誰も知らない。


 ただ、そこから遥か東方の地にて、奇妙な鬼の噂が流れるのみだった。


 その鬼。赤褌一丁で、奇妙な犬、猿、雉と、数多の鬼を従えて夜を行く。

 鬼は、腰には酒瓶と吉備団子を携えて。道行く人に酩酊しながら問うという。「鬼とは何か。人とは何か」酒による赤ら顔に、何処と無く哀愁を漂わせながら。


 それが後に鬼の頭領と持て囃され。酒好きさと、天から落としたかのように辛辣な語り口故に『酒呑』の異名で呼ばれる事になるのは……。もう何百年か先の話である。

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[一言] この桃太郎は絶対に子供に見せられない() 巫山戯た個性(性癖?)のお供や桃太郎の名前の由来などからは考えられないような、暗くて深い話でした。暗い話、好きです( *˙ω˙*)و グッ! …
[良い点] ・露出狂?、ドM、暴漢、ナルシスト。様々な変態の織り成す、変態チックなやり取りが面白かったです。主に、ドM犬が。 ・それぞれの出逢いに文字数を掛けて、後の展開が制限内に収まりきるか読んで…
[良い点] 読み易いです。馴染み深い作品だから世界観に入りやすいと思います。 [一言] 桃太郎が深い。ここまで深い。そして泥沼……!! 思わず魅入ってしましました。素晴らしいです。お供三匹のキャラが濃…
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