vi ――守られてます②
スズシロの出て行った室内、他の人間も早々に撤収したらしく、この男三人だけが残された。
来徒は解放された神室の為にコーヒーを淹れた。神室は疲れた様な顔でどっかりとソファーに座って、角砂糖を三つ入れた。因みに来徒はブラックで、直人もブラックだがそれは砂糖がどこにあるか分からなかっただけで、(直人にとっては)苦くて黒いだけの汁を、後悔しながら懸命に流し込んだ。そして不図思い付いた様に、
「あ、僕の為になんか忙しくなっちゃったみたいで、なんていうかすみません」
と軽く頭を下げた。神室は慌てたように首を振って、
「いや、直人君は悪くないよ。スズシロ君の言う通り、今回不備は僕らの側に合った訳だ。それに命を張るのは君らな訳だからね。僕らは精一杯サポートしないと」
と笑った。直人はその言葉を自分がスズシロにいった言葉と重ねると、心がちくりと針で刺された心地がした。神室にそんな意思は勿論無い訳だが。来徒が言葉を継ぐように、
「そうそう、俺達はこんなことしか出来ないからな。こんな年下にばかり頑張って貰ってな」
「いえ……みなさんがいないと何もできませんから……」
直人はやけに殊勝な態度でコーヒーを飲む。普段スズシロと軽口を叩き合う姿と一向に異なるその態度に、首を傾げる二人。不図直人の方から二人に質問が投げかけられる。
「お二方とも、どうしてこの仕事をやろうって思ったんですか?」
目を合わせる二人。
――どうしてこんなことを?
――分からない。でもなんか真剣だぞ。悩みでもあるんじゃないか。
――そうだね。あの戦闘での不調の原因もあるかも。じゃあ、そっちから先に言いなよ。
「え、俺からっ!?」
心の通じ合ったバッテリーの如く目で静かに会話していた二人。そこに急に素ッ頓狂な声を上げた来徒の方に、自然直人の好奇な視線が注がれる。そして咳払いを一つした後、
「なんていうか……可愛い女の子がいっぱいいるって聞いたからさ」
と真面目な顔で告白した。それを聞いて失望した様な生気のない瞳に移り変わり、しょんぼりと視線を逸らす直人。目を合わせる二人。
――ちょっと、がっかりしちゃったじゃない、どうしてくれんのッ!?
――俺に言うかい!? いや、きっかけなんてさ、そんなもんじゃないの! 期待する方が悪いよ流石に! じゃあ立派な理由を、言って貰おうじゃないか、神室先輩よ!!
「ああ、えっと……」
今度は神室に白羽の矢が立った。子供の様な好奇の目で神室を見る直人と、にやにやうすら笑いを浮かべる来徒。神室は後輩の癖に生意気なと心で毒づきながらこほんと咳払いを一つ。
「そうだな、何から話せばいいか……。僕は、学校でずっといじめられていてね」
「「へえ……」」
瞬きで興味度合いを表す直人と、ああやっぱりとでも言いたげな来徒の涼しい顔。
神室は『おい、この後輩さっきから人間性を疑うぞ』と思いながらも話を続ける。
「それで、中学から不登校になってね、ずっと引き籠っていて……で、ずっと日長一日パソコンに向かってカタカタやっていた訳だよ。他にやることが無くってね。……不安だったよ。ずっとこのまんまかもしれない、逃げ出したいって思いながらも、どうする事も出来なくって、つらくって、ずっとカタカタカタカタ。……でもね」
「何かあったんですか? 誰かに出会えたんですか? 人生を変える何かに……」
「いやー、十六の時クラッキングの容疑で捕まっちゃってね。あんまり腕がいいもんで、ムショ暮らしか軍で働くか選べって言われて、勿論って二つ返事でオーケーしちゃって……」
てへっとでも言いたげな神室の顔。直人の目から生気が失われた。しょぼくれて俯き、
「ブラックも悪くないですね。そっか、これって人生の味なんですね。分かっちゃった……」
と言いながらコーヒーを啜った。慌てふためき今一度目で会話する二人。
――何やってんだよ先輩よぉ! こんな先のある若者から夢を奪ってんじゃないよ!
――いやいや他人のこと言えないでしょ! と、とにかく来徒君、フォローフォロー!
「俺も、可愛い子目当てっていっても、実際入ってみると大したことなかったんだけどな」
小さく「そうですか」という直人の気の無い返事。来徒の肩を小突く神室。
――それのどこがフォローなのさ!? 君は馬鹿じゃないのかい!?
――そこまで言うんだったらよぉお? 手本見せて下さいよ先輩よぉお!
――くっ……仕方ない、それならば、僕の本気を見せてあげるよっ!
「いじめは本当につらかったからなぁ。逃げ出して、楽になったかっていうと全然そんな事はなかったからね。いじめっ子・学校生活と共に、なんていうか、人間としての生活も離されちゃった感じ。不登校になるって、そういうことなんだよね。まあ、逃げ出さずにいても未来はなかったと思うけど。……先が真っ暗で、何も見えなくなった。僕には偶々こういう特殊技能があったからよかったけど、そうでない子なんて山ほどいる訳だから……」
項垂れる神室、と直人。来徒は鋭く神室を睨みつける。それを察知し目を合わせる二人。
――おい、それのどこがフォローだよ先輩よぉ!? 他人の事言えんのかよぉ!?
――い、いや、なんていうか、思い出したらつい、暗黒な物が次々と。……
「そうですよね。ごめんなさい、おかしな反応してしまって」
直人はしっかりと顔を上げて神室を見た。意外な反応につい構えてしまう神室。何をどう続ければいいか。直人は純粋な、それでいてどこか虚ろ気な、茶色い瞳で神室に何らかの『答え』を求めている。しかし神室はその期待に『決して応えられない』事を知っている。
さて、この子に何を言ったらいいものか。神室は真面目に考える。
愚痴を聞いてあげてすっきり出来るのなら聞いてあげたいけど、残念ながらこの子はかなり『賢い』。愚痴った所で何も変わらない事を知っている。大声で喚いて自分の意見を通した所で一向に世界が良くならない事なんて分かっている。だから、大人しくて聞きわけが良くて、優しい。そうなると、溜めこんじゃうんだろうなぁ(戦闘中のアレは反動か何かかなぁ……)。
と、神室は少し考えた後に、
「えーっと、ねえ、昔さぁ。普通におっさんとかパンツで外出てたじゃない」
と意味不明な事を言いだした。直人は「え?」ときょとんと眼を丸くし、来徒は『何言ってやがんだこのおっさん』と明らかに軽蔑した視線を投げかけた。しかし神室は躊躇わず続ける。
「あのさ、昔はそこらじゅうに立ち小便してる人なんてのも山ほどいてさ、今じゃ、そんなんも無くなってきたじゃない。差別なんかも、今よりずっと酷かった」
「あー、確かになァ」来徒は視線を逸らし懐かしむ様な瞳で虚空を見つめる。
「世の中にはいろんな人がいて、いろいろ考えて世の中を良くしようと思っても、それでもこのざまだけど。……でも、少しずつだけど良くなっているんだよ。だからさ、その……変な言い方だけど、直人君は、もっと安心していいんだと思う」
神室は笑った。直人は、
「あ、そ、そうですか」
とはにかみながら俯いた。来徒は二人のその初々しい姿に苦笑しつつ、胸ポケットから煙草を取り出し火を付けた。
『世の中は少しずつだけど良くなっている』――そうだといいなと思いながら、直人は来徒の吐く白い煙を見つめた。