iii――ラブ
直人は父の許へと歩いていた。何となく会いたくなった。……というか、何故か、明日までに会って、話しておかなければならない事がある気がした。とはいえ病室の前まで来ても、それが何かは分からなかった。急に来て、何を話せばいいのか。そういう事で、何となく気後れしながらも、コンコンと病室の戸を叩いた。
「はい」
と父の声が中から聞こえた。いつも来る曜日とは違っていたし、連絡もしてなかった為だろう、不意を突かれた様な声だった。ガラガラと音を立てて中へ入る。
「ああ、なんだ、直人か。どういう風の吹きまわしだ」
父は直人がどうして来たのか分からず、不思議そうな顔をしながらも、矢張り子供に会えて嬉しいのか自然と頬が緩んだ。直人の表情も、自ずからそれに従った。
「ううん、何となく、ね」
と言って椅子を引き寄せてそこへ座った。
「……昨日の襲撃、こっちの方は大丈夫だった? 母さんは、心配いらないから」
直人の言葉に、途端に顔を曇らせた父は、
「私の方は大丈夫だったが……。本当に、いつもいつもすまないな。お前が頑張っていてくれているというのに、私はいつまでもこの通りだ。きっと明日も何かあるのだろう? テレビで見た。危険なことかもしれない、それさえも分からない。……私はこの通り、お前に何もしてやることが出来ない」
と弱気な事を言って、自嘲気味に笑った。それを聞いて直人は……腹が立った。
今の直人は、繊細で傷つき易い涙もろい彼とは、少しだけ変化していた。少しだけ、自分勝手になっていた。
「……別に、明日は多分どうってことないよ。単なる警備だけだしね。〈突偽〉相手に突っ込む馬鹿もいないだろうし、命の危険にさらされることはまず無い。適当に突っ立ってたら金が入る。ぼろい商売だよ。父さんは何か勘違いしてるかもしれないけど、僕は別に自己犠牲でこの仕事をやっているわけじゃない。それに特別この仕事だけが危険ってわけでもない、第一実入りが良いから続けられる。周りの人にも恵まれているし、下手すりゃ普通の職場よりも快適かもね」
直人は鼻で笑ってそんな事を言った。
父は、こんな直人は予想外だったのだろう、ぽかんと口を開けて目を丸くしてぱちくりと瞬いた。それを見て直人は、ちょっといい気味だなと思った。ものは序でだと、直人は愚痴っぽく言葉を継いだ。
「父さん、はっきり言って僕は父さんに養われている間、ずっと苦しかった。余裕の無い父さんを見ていると、なんていうか、僕自身は人生を楽しんじゃいけないような気がしてた。だから……だから、自由なお金がある程度ある今の生活が、結構気に入ってんだ」
「そ、そうか……」
直人は笑顔で父親を見た。その直人の明るい笑顔に少しの間戸惑っていた。
だが、やがてふふっと吹き出した。今度は、ちょっと言い過ぎたかなと思っていた直人の方が戸惑った。
「ああ、いや、何と言うかな。息子が随分と逞しく育っていたのが、思いの外嬉しくてな」
父は外を見た。ここは豊橋から少し離れた場所だが、昨日の事もあってか、通りには殆ど人の姿が無い。
「カフカという小説家の、父親に関しての言葉に、『優しさは時に権力の顔をしている』というのがあってな。私自身、お前にカフカと同じ思いをさせていたのかもな……」
「……うん。そうかもしれない。――でも父さん。僕も、父さんに同じことをしていたんだと思う。僕の優しさが、父さんの笑顔を曇らせていたんだと思う」
「いや、それは――」
「ううん、今なら分かる。ようやく、少しずつだけど周りが見えるようになってきた。僕はあまりに力不足だった。そんなんで誰かを笑顔にしようなんてあまりに傲慢だった」
「直人、それはな、お前が若いからだ。しょうがなかったんだ」
「うん、それも分かってる。――だから、卒業したいんだ。少しずつだけど、前に進みたい。
父さん、僕の事は安心していいんだよ。父さんは自分の体を一番大事にして欲しい。それが僕の望み。だから、――早く治して、帰ろう」
直人の力強い視線に、父は圧倒された。見ない間に随分成長したものだ、と不思議に思うと、寂しくもあり同時に誇らしくも感じた。直人は父に、優しい、大人びた笑顔を向けた。
『人はここまで変われるものなのか』――直人の笑顔が眩しい程に輝いて見えた。
『直人さんへ。私は勝手ながら〈天使〉と共にこの地球を去ります。ちゃんとお別れの挨拶を申し上げられないことをどうかお許しください。思えば地球へ遣わされて十五年(年齢詐称は許してね☆)の人生に於いて、直人さんとの時間が何より楽しかったです。
本当はこんな生活許されてはいなかったのですけどね。でも貴方は〈模倣〉の奴隷としての私の人生を、少しでも有意義なものに変えてくれました。
本当に幸せだったのです。ありがとうございました。
これだけ伝えられたのなら、満足です。自分勝手かもしれないけど悔いはありません。直人さん、どうかお元気で。貴方はいろいろな人に好かれています。どうか自信を持って、気の向くままに進んで下さい。宇宙の果てで、いつまでも貴方を応援しています。神宮寺夏美』
家へ帰るとそんな書置きと、傍らには夏美の持っていた、昨日いくヱが通信に使った腕輪が置いてあった。家の中にはすやすやと眠る母の姿しか残っていなかった。
『会談の結果、〈ホムンクルスのフラスコ〉は信用に値せずと判断。〈突偽〉使用者は豊橋の守備に専念』
〈愚衆〉の襲撃は観測済み。つまり〈模倣〉との締約全てを反故にする。
苦渋の表情で作戦を聞くロジャーと、納得いかないミアと、ぼうっと惚けている直人。
三者三様の顔を並べ海岸線を警護。他には先日の増員の要員の五人も一緒だ。八人はその身の黒タイツに各々の模様を描いている。海外線の向こうには〈模倣〉の巨大戦艦があり、〈天使〉の乗った小型船が真下に浮かんでいる。皆には〈天使〉は賓客だとしか伝えられていない。
また、例のアーロンの放送の後、世界は俄かに騒然としている。各国のあらゆる所であらゆる主張のあらゆる形のデモが催され、それに乗じた暴動さえも残念ながら数多に起こっている。警戒区域で人のいない直人らのいる場所にまで、そのデモの声が届いている。
しかしながら日本政府の対応は遅い。
「日本を選んだわけを何だかんだとつけていたが、対応の遅さが一番の理由だろうな」
と、スズシロはやや自嘲気味に呟いた。
ロジャーはずっと考えている。考えているが答えが出ない。……いや、逆だ。ロジャーはもう既に答えを出している。『動けない』。それが答えだ。動かないではない、動けないのである。
戦争が終わったらどうなる? それに関する仕事が無くなる。雇用は減少、景気は冷え込み当然路頭に迷う人間が大量に出てくる。金の回りが悪くなれば、世の中は更にすさむ。……いや、第一自分が動いた所で本当に戦争は終わるのか? 命令無視の独断専行。それで戦争が終わらないとなれば、路頭に迷うのは自分だ。
そんな苦悩の末、様々な思いにがんじがらめに締めつけられて、ロジャーは動くことが出来ないのである。
「大丈夫かロジャー? 凄い汗だぞ。病み上がりで心配なのは分かるが……。なあに、心配するな、これだけの人数がいるんだ。お前は後衛でどっしりと構えていてくれればいい」
ミオアはそんなロジャーを心配して、命令に納得いかず、ぶすっとしていた顔をころりと笑顔に変えて肩に手を置いた。ロジャーは、
「ああ」
と生返事しか出来ず、ミアは首を傾げて、直人を見た。ぼうっと明後日の方向を眺めている。夏美と〈天使〉が出ていった事は本人から聞いた。矢張り思う所があるのだろうから、そっとしておこう。そう考えながら時を待った。
〈愚衆〉接近、けたたましい音と同時に〈強制顕界〉、水平線の向こう側に気味の悪いぐちゃぐちゃぬめぬめの怪物どもがひしめき合っているのが姿を現した。規模としては大きいが、この人数の〈突偽〉、〈模倣〉の軍備と二重の備えがある為に余裕はあった。
「……やっぱり攻撃に来たわけだな。宇宙協定がどうこうとか言っていたのに。やっぱりあのアーロンとかいう人は信用できないみたいだね」
〈突偽〉を装備した一人がぼそっと呟いた。ロジャーは『違うんだ』と言い掛けて止めた。言った所で信じて貰えないだろうし、よしんば信じて貰えたとして何故知っているのかと疑いの目で見られるだろうし。いや、そもそも彼を信じていいのかさえ。……
結局彼は動けなかった。
やがて〈愚衆〉の群がのそのそと〈模倣〉の戦艦に近付く。反撃に出るか?
……いや、巨大戦艦はゆっくりと上昇すると、じっと様子見をするだけで行動には出ない。それに〈天使〉の乗った船も、予め示し合わせたようにじっとその場にぽつんと浮かんだまま動こうとしない。ぐんぐんと〈愚衆〉が押し寄せる。それでも頑として動かない。眉を顰めてそれを見ていたミアだが、やがて事の重大さに気付く。
「……ナオト……あ、あそこには、あの〈天使〉とかいう子と、ナツミって人が……」
顔面蒼白のミアに対し、直人は落ち着き払っていて、ゆっくりと頷き、
「うん、そういうことか。やっと繋がった」
と呟いて顔を上げた時には、惚けた顔は既に消えていて、眉間には皺を寄せてきりっと眉尻を上げて、怒っている様で、覚悟した様な顔で左手首を右手でぎゅっと握り、
「……ねえ、夏美ちゃん。聞いているんでしょ。返事して」
と虚空に向かって語りかけた。その光景に得心いったのはこの場ではミアだけである。他の者は真顔で宙に話しかける直人を不思議がった。それでも直人は静かに続ける。
「ねえ、夏美ちゃん。君がどんな命を受けてどんな生活をして来て、どんな風に生きて今どんな覚悟でいるのか分からない。でもね……でもね夏美ちゃん。答えて。夏美ちゃんには、僕が、命令に従って大人しく、夏美ちゃんを平気で見捨てる人間に見えたの? 答えて」
直人の脳内に、指令室のざわつきが直接注ぎこまれる。ロジャーも何かを言おうとしたが、直人の決意の眼差しに気圧された。そして沈黙。……夏美からの応答は無い。第一腕輪が本当に今夏美に繋がっているかも分からない。だが直人は確信したように続ける。
「ねえ夏美ちゃん。僕はね、最近やっと或る人のお陰で、僕は自分が思うよりずっとしょうがない奴だってことに気付いたんだ。気付いたの一昨日だよ畜生。僕は自分がもっと上手く出来る筈だって思って、始めから出来もしない事を、失敗する度に大袈裟に落ち込んでいた。僕は自分の無力を呪いながら、自分の力を過信していたんだ。随分と器用な馬鹿だよ。……でね。出来ないのはしょうがないんだから、少しずつでもいいから自分のやって欲しい事を言おうって、決めたんだ。そうやれって言われたし、その方が迷惑はかからなさそうだし。……ねえ、夏美ちゃんが今本当にして欲しい事はなに? 僕が出来ることなら、お世話になった身だし、期待に応えたい。――
なんてね、やっぱり嘘。絶対助ける、何言っても助ける。今すぐ行く。これが僕の覚悟。夏美ちゃん、答えて。
さあ、死にてえのか生きてえのか!! 今すぐに答えろッ!!」
直人の声が次第に大きくなるにつれて、指令室のざわつきが大きくなった。しかもそのざわつきは、混乱というよりも歓声に近かった。強力な兵器を具した人間の命令無視と言う、最も在ってはならない事をしようとしているかもしれないのに。指令室の人間も直人の周りの人間も、直人の声が誰かに伝わっていると信じていた。そして返事が返ってくるものだと確信していた。そして、直人の向こうの誰かが答えるものだと信じ、固唾を飲んで見守っていた。
――やがて、嗚咽交じりの女の子の声が、直人の脳内に伝わり、指令室に響いた。
「もっと生きたい。あんなのに潰されて死にたくない。……お願い、直人さん、助けて」
声が届いた。声が返ってきた。声は届いていた。
気がつくと直人は既にロジャーやミアの視界から消えていた。
水面を蹴り、音よりも早く走る直人。全身で風を受け衝撃波を飛び散らしながら、小型船に接近している。周りの景色が飛ぶ様に過ぎ去る。しかし〈愚衆〉も目と鼻の先にまで到達して飲み込もうとしている。速く行かなければならない。だがその最中脳内に聞き慣れない声が注ぎ込まれる。
《ナオト・カネクラ。聞こえますか。貴方の今しようとしている事は重大な命令違反です。即刻戻りなさい。さもなくば、場合によっては法律により処罰されます》
「うわ、日本語うまいんですねアンニさん。でも残念ながら、助けを求めた一般市民の保護・救済は規定によって強制されています。如何なる場合にでも、です。それを破るわけには――」
《貴方の助けようとしている者は〈模倣〉でしょう? ならば待機命令を遵守しなさい》
「えー、あー、そーかもしれませんがそーじゃ無いかもしれませんねー。自称ってだけでは信用できませんでしょ。確定できない限りは保護を優先します」
《〈模倣〉接触時に確認はとりました。確定済みです。いいですかナオト。貴方が戻らないというのであれば、それは貴方だけではなく上官の責任でもあるのですよ。いいですか、もう一度命令します。ナオト、即刻既定の場所にまで戻り待機を。さもなくば、他の〈突偽〉による撃墜さえも実行せざるを――》
「チッ、糞がッ! おい、アーロンとかいういけすかねえ糞爺ィッ!! どうせてめえもニヤニヤしながら聞いてんだろ!! 聞こえてんだったら俺の声を〈模倣〉の技術とやらで今すぐ全世界に届けやがれッ!!」
直人の叫びに数秒も経たない内に、空に大きなスクリーンが現れ、直人がどでかく映された。
《貴方、一体何をッ!!》
というアンニの声も、脳内に注ぎ込まれた後、遅れて(ラグって)上空から同じアンニの声が響いた。自然、アンニは口を噤んだ。
――うわあ、本当にやりやがった。これ全世界に配信されてんだよなぁ。
改めて事の重大さに気後れしながらも、アンニの声が止んだ事ににやりと口の端を上げる。
狙い通り。矢張り全世界に向けて堂々と『見捨てろ』という命令は憚られるらしい。それが良心の呵責によるものか印象悪化を恐れてのことか分からないが、まぁどっちでもいいや。
《おい馬鹿、随分派手にやってくれるじゃないか》
聞き慣れた、少年の様なスズシロの声が脳内に注ぎ込まれる。案外嬉しそうな声に、直人は安堵し頬が緩む。と、タイムラグの後アンニ同様スズシロの声が世界中に遍く響き渡る。
「先輩――」
《分かっている。それでも部下が覚悟決めたんだ。上司がぬくぬくしているわけにいかないさ。……このスズシロ優香、命じる、〈天使〉を救え》
全世界に轟くスズシロの自己紹介。
「了解。この金蔵直人、全力で任務を全うします」
直人もはっきりと自己紹介。
と、ここで〈愚衆〉の中の比較的動きの素早い、〈海星型〉が空をひゅんひゅんと夏美の乗る小型船に回転しながら飛んできた。
「糞ッ!!」
と吐き捨て拳を作り水面を蹴り高く跳躍し宙で体を半捻りし思い切り一閃右ストレート。右腕から緑の光が伸び、四つに分かれると先が鋭く尖り、〈海星型〉の六つの内四つを貫いた。直人は続けて指をくいっと曲げると、その緑の光の矢はぐるりと曲がり、残り二つも小型船に衝突寸前に貫いた。
その最中脳内に注ぎ込まれるアンニの声。
《ナオト。どうか戻ってきてください。それは罠である可能性がかなり高いのです。何より貴方のことが心配なのです。これは言いたくありませんでしたが、……もし命令を無視し続け暴走するようなら、上司部下含めチーム単位で責任を取って貰いますよ。これは貴方だけの問題ではないのです。――それでも、戻ってきませんか》
晴天に響くアンニの声に直人の動きが鈍くなる。
うわッ! 狸だ狐だなんて可愛いもんじゃない、鬼だコイツッ!! でも、どうする、どうすればいいッ!? スズシロ先輩ばかりじゃ無い、他の全員に責任を押し付けることになってしまう。自分の行動の所為で、取り返しのつかない迷惑をかけることになる。
……でも、見捨てるなんて到底できない。『助けて』と言われた(言わせた)んだ。何が何でも助けなくっちゃ気が済まない。でも、助けた後皆はどうなる。
この状況を打破する策なんてあるのか? 負を正に転換する事なんて可能か? 土壇場で悲劇を喜劇に変換する事が、出来るのか? そんな都合のいい事が。……
――ん、喜劇?
――思い付いた。全世界を巻き込んだ悲劇の前には、全世界を巻き込んだ喜劇、いや、笑劇だ。
これしかない。
多分。
スズシロ先輩、ごめんなさい。貴方に甘えさせて貰います。
「スズシロ先輩、聞こえますか」
《……直人。ああ、聞こえる。――直人、私はお前に何を言っていいのか、何を命令していいのか、分からなく――》
「スズシロ先輩ッ!! はっきり聞こえますかッ!?」
《えっ!? ん、あ、ああ、ちゃんと聞こえている。どうした》
「全世界の皆さんッ!! 聞こえていますかッ!?」
《……おい、お前何言ってんだ?》
「全世界の皆さんッ!! 今からこの金蔵直人、一世一代の宣言を致しますッ!!」
《……なんか嫌な予感がするんだが》
「――スズシロ先輩ッ!! 大好きですッ、〈結婚〉して下さいッ!!――」
直人の突然のプロポーズは、全世界に遍く響き渡った。直人は音速を超える運動の中で、確かに、世界中の静寂と、その後に押し寄せるどよめきを聞いた。




