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the Spree of the Naïve Honest  作者: けら をばな
第三章・笑劇
44/48

i ――フォルト

 現実のほかにどこに真実があるかと問うことなかれ。真実はやがて現実となるのである。


湯川秀樹



 神宮寺(じんぐうじ)(なつ)()――金蔵家の住み込みお手伝いさん。身長百五十足らず。子供っぽい見た目、と言うか子供そのものなのだが、年齢は二十四歳、らしい。流石に書類にも書いてあったので間違いないだろう。直人よりも年上である。そして何と大型普通車、大型特殊の免許まで持っている(いつ使うんだろう?)。それでも直人が彼女の事を「夏美ちゃん」と可愛らしく呼ぶのは――他でもない彼女自身が強要したものである。

〈例〉

「あの、神宮寺さん」

「……」

「神宮寺さん……?」

「……」

「夏美……さん……?」

「……」

「……夏美ちゃん」

「は~いっ!! 何でしょうか直人さん!? 掃除洗濯炊事接待台打ち陰陽師夢使い双剣ハンマーガンランス、何でもござれの夏美ちゃんですっ!!」

「……」

「あ、でも夜のお伴はNGですよ? 私の純潔は未来に出会う運命の人に捧げますからっ!!」

「……」

「あ、でもでもでも、直人さんだったら、もし、直人さんが運命の人になって下さるのだったら、その覚悟があるのでしたら、私は……って、きゃーっ!! 何を言わせるんですかもうっ!! 直人さんの、エッチエッチエッチっ!!」

 ――何度追い返そうと思ったか知れない。――

 が、一部暴走・暴挙(このような会話の他に、勝手にメイド服を着るなど。お陰で慣れるまではご近所様からの視線が痛かった)を我慢すれば、夏美はかなり優秀だった。普段はおとなしい方だし、掃除洗濯炊事に関しては成程問題なく、そして何より母への対応が群を抜いていた(そこまで家政婦の仕事かどうか疑問であり、甘えている部分はある)。

 しかし、である。

 この、少女を前に蹲るこの夏美は、一体誰であろうか。

 そしてまた夏美にとってこの少女は何であろうか。

 今、一切の理解が及ばない。風がざわつく。それでもこの二人は動かない。一方は厳かに平伏し、一方は何も分かっていない様な顔で首を傾げるだけ。

 不図玄関がガラガラと勢いよく開く。母だ。

 あっと気付いた頃には、直人は母に抱き付かれていた。

 母は、何も言わずにずっと直人にすがる様に抱き付いていた。

 女性集団を前にこの展開。あたふたと見廻すと、目を丸くする結衣菜、優しく微笑むミア、何故か頬を膨らませる褐色の少女、素知らぬ顔で目を逸らすスズシロといくヱ。

 そしてくすりと笑ったって立ち上がり、

「どうか皆さん中に入って下さいな。今日は御祝いでございます」

 スカートを翻しウインク一つ。


 夕飯にはまだ早い。というわけでまだ作っている途中である。

 しかし夏美は台所にはいない。台所には……母と、褐色の肌の少女がいる。そして居間にはその他大勢が机を囲んでいる。囲んでいるというよりは、皆で夏美に対面しているという恰好になっている。

 そして、夏美の真正面には直人がいる。

 母が外で直人に抱き付いて、そして離れると、少女が見上げて不平を目で訴えて来た。母はしかし、それをどう思ったのか、この羽の生えた不思議な生き物をどう思ったのか、

「あら、可愛い子」

 と言って笑って優しく撫でた。

 少女は大袈裟にびっくりして顔をしかめたが、母がそれでも止めないのを見て、やがて顔を赤らめて俯き、もじもじと体を羽を左右に揺らした。――嬉しいのかな? で、何故か懐いた。

 そして母はにっこり笑って皆を招き入れると、台所に行ってしまった。どうやら今日は母が作る気らしい。

「……大丈夫かな。ただでさえ今日は大人数なのに」

「お母様なら平気でしょう。皆さん、今お茶をお淹れしますねー」

「いや、そっちじゃなくってね……」

 どういうわけか少女も母について行った。母は笑って一緒に台所へと消えていった。

 そして今台所からは母のゆったりとした喋りと少女の甲高い楽しそうな声が聞こえる。

「ああ、あの羽、小さく畳めるっていってもガスコンロの火で燃えそうですよね。なんか子供みたいにちょこまか動くし、大丈夫ですかね」

「……夏美ちゃん。そのちょこまか動く子供に低頭姿勢になったのはどこの誰だっけ?」

「誰が出来の悪い子供ですか!? せめてやんちゃくらいでお茶を濁すのが大人でしょう!? あろうことかあの〈天使〉様に向かって!!」

「言ってないッ!! 一言もねッ!!……はあ、それだよ。一体何なの? その〈天使〉様って」

「待て直人」

 とスズシロが二人の会話に割り込んだ。

「先ずは、その夏美ちゃんとやら、あんたの正体が先だ。果たしてあんたの言葉が信じられるか否か、判断せねばならん」

『まあ、嘘なら嘘で、いろいろ分かるけどな』と脳内で考えながら、夏美に厳しい視線を投げつける。当の夏美はその視線を平然と受け流し、不敵な笑みを浮かべすっくと立ち上がった。

 そして手を胸に置き、目をゆっくりと瞑り、徐に深呼吸。

「炊事洗濯家事手伝い。お(うち)の事ならお任せを。それなりお金を頂けば、あなたの望みを叶えます。家に(かま)ける余裕なく、家にお金があるならば、叩いてみましょうわが社の戸。どうも、家事代行派遣会社・ギャラクシーから金蔵家に派遣されて来ました、神宮寺夏美……は、世をしのぶ仮の姿。果たしてその正体は!?」

 スズシロ「(あ、コイツめんどくさいやつだ)」

 直人「(今って個人契約なんだけどなぁ)」

 結衣菜「(こんなに可愛くって、本当に間違いとかなかったのかな)」

 ミア「(家の事と書いて家事なのに、社名は宇宙(ギャラクシー)か。日本の名付け感覚分かんないな)」

 いくヱ「(……なんかいろいろ嫌になってきた)」

 各々の思いのこもった視線をその一身に受け、夏美は目をくわっと見開いた。

「わたくし〈模倣(イミテーション)〉でございます!! 正真正銘宇宙人ですッ!!」

 その場を静寂が響いた。直人、ミア、結衣菜は、始めそれが何を意味するか分からず、ぽかんとした顔で夏美を見つめていたが、やがて意味を解すと、ようやく驚いた。

 そして、「成程」と合点がいったように頷くいくヱを、密かにじっと眦で見つめるスズシロがいた。


模倣(イミテーション)〉――地球外生命体。〈騒音(ノイズ)〉・〈静穏(サイレンス)〉と異なり地球と戦闘状態にはない、それどころか交流すらない。故に、地球側は「そういう宇宙人もいる」程度にしか思っていない。

 では〈模倣(イミテーション)〉とはどういった種族か。これには多少説明を要する。そもそも〈模倣(イミテーション)〉の核となるのは、超巨大規模のコンピューターである。遥か昔のとある生命体のとある人工知能が、時を経て、宇宙の一大勢力にまでのし上がったのである。しかしコンピューターの秀でた能力は最適化であり、逆に自律進化は大変困難である。

 どうやって?

 簡単である。その名の通り模倣し続けたのだ。彼らは物事だけではなく、生命さえも模倣して見せた。様々な星の様々な種族に会い、そしてその様々な種族と同じ生命を『作って』、忍び込ませ、文化、科学、技術、思想、生活様式、様々な事を堂々と盗み、模倣したのである。何百年も、何千年もそれをし続けたのである。


「それをし難い種族もたくさんありましたけどね。例を上げるならば〈静穏(サイレンス)〉。彼らは異形のものにとても敏感で、徹底的に排除しようとします。生まれた時目が見えなかったら? 殺します。耳が聞こえなかったら? 迷いなく殺します。それどころか鼻の高さが一ミリ高かったら殺しますし、頭が悪くても良くても殺します。パラダイムシフトの切っ掛けになりうるかもしれない存在も、お構いなしに。彼らにとっては平等が至上ですからね。そうやって、長年エラーを徹底的に殺し、排除して、その種族と社会を作ってきたのです。

 お陰でたくさんの〈静穏(サイレンス)〉に化けた我々の同胞(はらから)が殺されて来ました。なんせ〈(イミテー)(ション)〉は〈(イミテー)(ション)〉としての知能と、諜報員としての能力等も備えないとなりませんから、その性質上完璧に生命体を真似ることは、無理ではないにしろ、意味がないのですよ。

 ……同世代では能力がまったく同じである。なんて、振り子が天辺で静止するような、そんな通常ならばあり得ない、あまりに不安定な状態を、彼らは独自のシステムを構築し、何千年もの間維持しているのです」

 夏美の口から淀みなく次々と奇々怪々な説明が流れ出た。

 結衣菜とミアは興味深げにうんうん頷いている。いくヱは何を考えているのか分からない顔で、スズシロは興味なさげに聞きながらも、しっかりと視界にはそんないくヱを捉えている。

 直人は、……考えるのを半ば諦めている。まさかあの夏美が宇宙人でスパイとは。

 夏美は喋るだけ喋ると黙ってしまった。先程までのくだけた態度はどこへ行ったのか、顔には隙がなく笑みは消え、きりっと整った眉には使命感もうかがえる。

「……一応、あんたの言葉全て信じる、と仮定する。勘違いするなよ? そうしないと話が進まないからそうするだけだ。……ではあの子供は何だ? 一瞥の途端平伏する様な存在であるあの子供はどういう存在だ? あんたら〈模倣(イミテーション)〉にとって、あの子供は何なんだ?」

 スズシロが聞く。どうやらさっき会話に入り込んだために、この場を仕切る羽目になったようだ。夏美はスズシロを見つめる……と、スズシロはそれを嫌がり徐に視線を外す。夏美は意味の解しかねる笑みを口元に浮かべ、改めて直人に視線を送る。

 どうやらこの場の代表者は直人になった模様だ。

「そうですね……。先ず、〈天使〉様は〈騒音(ノイズ)〉の一部です」

(一部?)

 スズシロの頭に浮かぶ疑問符。夏美は続ける。

「〈天使〉様は、階級社会である〈騒音(ノイズ)〉の中でも、その頂点に君臨します。王様です、天帝です……。ね、困ったもんでしょう? 私達から見たら無邪気な子供にしか見えない彼女……〈騒音(ノイズ)〉は雌雄同体ですけどね。彼は、〈騒音(ノイズ)〉の、政治・文化・科学・技術・思想、全ての頂点にして象徴なのです。我々から見れば特別な力はありません。しかし、〈騒音(ノイズ)〉にとっては、この〈天使〉様が〈天使〉様であること、それだけが力であり、権威なのです」

「え、あの、ちょっと待って。つまり、夏美ちゃんはあの子が〈騒音(ノイズ)〉の最高権力者だって言っているの? え? ……それって、あの、……ヤバくない?」

 目を丸くする直人。夏美はにっこり。

「ええ、ヤバいですね。しかも、今回の襲撃時にちゃっかり捕捉されちゃいましたしね。……それに、まさか直人さん、お家に連れてくるなんて、狂気の沙汰じゃありませんよ」

 直人は顔面蒼白。スズシロに視線を向けると、すぐさま逸らされた。

 おい、原因。

 そう言ってやりたかったが我慢。大人だから。

 そこで結衣菜が律儀に手を上げて発言。

「あの、疑問だったんですけど……その最高権力者が、どうしてここへ?」

「……宗教です。〈天使〉様が宗教的存在でもあるからでして。

 日本は、残念ながら異質な宗教に対する許容というのは大きいとは思えません。熱心な教徒は、どちらかと言えば疎まれる傾向にあります、熱心さと狂信を区別しません。

 恐らく宗教社会に対する許容が一番大きいのはアメリカでしょうかね。キリスト教徒でもイスラム教徒でも仏教徒でも、そのコミュニティに属せば、一番過ごし易いと思います。

 しかし、もしも、ですよ? キリスト教徒とイスラム教徒が結婚するとして、一番住みやすい所はどこでしょうか。……恐らく日本だ、と我々は考えました。無神論者とキリスト教徒が結婚して、その子供が仏教徒になったとして、特に諍いのなさそうなのはどこでしょうか、恐らく日本でしょう。キリスト教であろうとイスラム教であろうと、絵馬を神社に奉納する事が出来る、そんな国です。我々に今必要な要素は、日本のそれです」

「……いいのかそれ。単に無関心なだけじゃねえのか?」

 スズシロがやっと口を挟む。

「いいんですよ、それで。肝心なのは結果です。我々が必要とする社会的要素はそれです。我々が利用したいのは、宗教について熱心に語りかけない限り特に何も言わず、例え無神論者であっても仏閣で参拝するのを許し、共産主義者だとなじられる心配もない、そんな社会です」

「ふーん、そういう宗教ってことか?」

「宗教というかですね。そういう〈社会〉だと言った方が正しいかもしれませんね。まあ、要するに『はーい、私は最高神でーす』って言って一番問題ないのはココかなって感じです」

「……軽いな」

 とその時、台所からパタパタとペタペタとの足音が近付いた。

「お待たせー」

「タセー」

 母がお盆にいろいろな料理を乗せて運んできて、褐色の肌の少女――〈天使〉がその後ろについてきた。

 このあどけない子供が『最高権力者』か。

 改めて考えても、理解が追い付かない。場の視線を集め、〈天使〉は不思議そうに首を傾げた。夏美は二人を見ると表情をすぐさま変えて、先程までの厳しい雰囲気を一片も出さずに、

「あ、私も持ってきますね」

 立ち上がり台所へと消えた。器用なものだと直人は呆れながらも感心した。

(オイ、何一つ言ってねえじゃねえか)

 スズシロはまんじりと夏美の後姿を睨み続けた。

 母は座ってご飯をよそった。〈天使〉は母をまるで自分の親の様に、甘える様にすり寄って、母の行動を真似した。母からすれば邪魔極まりないその動作だが、しかし嫌がるそぶり一つ見せず、むしろ新しく妹が出来たといった風に、喜んで、そして笑顔で、不器用な〈天使〉を見守った。

 自分にしてくれたように。――

 ……そうだ、これだ。

 母の笑顔とは、これだったんだ。

 昔自分に向けられた笑顔を思い出して、はッと息が詰まる。

 こんな、簡単な事だったっけ。

 昨日僕は何をした?

 態々父さんの許へ連れて行って、どたばたとあちらこちらに連れまわして、それでどれだけ母さんを笑顔に出来た? というより、あれは、母さんの本当の笑顔だったのか? 身勝手にお節介ばかり焼いて。……

 思えばそうだ。他人の為だと何だと言い訳しながらも、勝手に軍事の学校に入り、両親の望まない危ない仕事に従事し、心配をかけ続けて、独りよがりに空回り。

 僕は――いつもいつも、何をやっているんだ。

「ちょっと……」

 そう言って直人は席を立ち、部屋を後にした。

 引き戸が後ろ手にそっと締められる。

 ぱくつきながらその姿を見送るスズシロは、

「……ッたく本当に、いちいちいちいちめんどくさいやつだ」

 とひとりごちながら億劫そうに立ち上がる。

「「いってらっしゃ~い」」

 その背中に、おいしそうに気楽に飯を食べ続ける結衣菜とミアが、口をもごもごと行儀悪く動かしながら、意味深な笑顔で声をかける。その知った様な物言いに内心むっとしながらも、背を向けて、部屋を出る頃には、既に二人の事は頭の中には無かった。


 直人は縁側で足を投げ出して座りながら、ぼうっと空を眺めていた。

 今宵の月が綺麗だから眺めているだとか、そういう特別な理由は無い。特にこれと言った感想も無い。食事中、急に席を立ちなかなか帰ってこないとなると、いろいろ心配されるだろうが、何せあそこにいるのがつらい。自分の存在が否定されるようだ、と言えば少々大袈裟だが、しかし今までに何度も頭を擡げた、父に『すまんな』と言われた時に思った、『自分のやってきたことは自己満足でしかないのでは』という推量は、どうも的を射ているようで、つらいのだ。

 ……どうせみっともない顔を晒しているのだろう、と思いながら、誰が見ているわけでもないし、もういいやと、ひたすら脱力。

 ああ、本当に駄目だな、僕は。

 目を瞑ってごろんと横になる。

「ほう、いい度胸だな、感心したぞ。そうも堂々と覗きに来るとは」

 目を開けると、スズシロ、のスカートの内部が鮮明にその眼に入った。

 慌てて起き上がり、

「いえ、見てませんから!!」

 と言い訳。目を上げると、容赦ない冷たい見下した視線が直人に突き刺さる。何とか言い繕わなければなるまい。

「本当に、殆ど見えていません。影になってましたから」

「そうかそうか、それは残念だったな、お前好みの青のストライプだったのに」

「いや、赤の大人っぽいやつでした。あッ」

「…………お前な、いくらなんでもそれは単純すぎないか」

 顔を逸らして視線を外すと、後ろでふうッとスズシロの溜息が聞こえる。さっきまで起き上がる気力も無かったくせに、今では全身が緊張して、顔に血が上って、心臓がばくばく鼓動している。そうやって動けずにいると、よいしょっと、という声とともにスズシロは隣に座った。

 そして、沈黙。

(……ちょっとスズシロ先輩、なんか言ってよ、何考えてんの。何の為に隣に座ったんだよ。僕らは沈黙が苦にならない様な熟年カップルじゃないでしょ)

 ちらりと眦でスズシロの姿を確認。すぐ隣で胡坐をかいて、いつも通りの顔で、左手で無意識に頭を掻いて何やら考えている。

 不図目が合う。

 眼鏡越しに見える、知的な仕事に従事しているとは思えない、不良少年の様な吊りあがった目は、しかしその性格をより端的に表している。そんな事を考えていると、暫くしてじっと見つめ合っているという事実に気付く。直人は慌てて目を逸らす。かあっと顔が熱くなる。

「あ、縞パンは別に好きじゃありませんから」

 沈黙を破ってやっと放たれた一言。スズシロの眉間に皺が寄り、ただでさえ悪い目つきが更に険しくなる。その様子を眦で一瞥。直人の赤い顔が青くなり汗がだらだらと溢れ出る。

「はあ、お前と言う奴は、しっかりしているのか抜けているのか、未だによく分からん奴だ」

 スズシロの深い溜息と呆れた口調に、恐縮しながらも、つられて肩の力が抜けて、顔の熱も抜けて、スズシロと目を合わせられる程度には回復した。

 呆れた表情をしつつも、しかしスズシロの瞳はどこか真剣みがあった。

「……なあ、直人、その、お前のお父様は、確か入院されているんだったな」

 少し言いにくそうに言葉を紡ぐスズシロ。普段のスズシロなら『父親』と言いそうだが『お父様』と態々言っている所を見ると、どうやら大分気を遣っていて、しかも多少緊張している様子である。

「はい。もう何年も入退院を繰り返していて」

 直人は努めて平静に返す。

 スズシロは「そうか」と言って、また何か考えている様子で直人を見て黙り込んでしまった。

 しかし今度は、何かを言おうとして、躊躇って、何を言えばいいか迷っている風だった。スズシロがこういう表情をするのは、心底意外だった。基本的に睨みつけるような目で、自信家で考えた事はすぐ口にして、即決即行動、他人に対し基本的にあっさりしていて、自分に対しては普段全く遠慮なく、気を遣う様な素振りは見せなかったのだが。今、目の前のスズシロは、自分の反応を見ながら、手探りで言葉を考えている。

 何と言うか、こうも人並みの所作をするのは、想定外であった。

「……なんか悪い物食べました?」

 気付いたらそんな言葉が口を衝いて出た。言った後あちゃーと思ったのは言うまでも無い。

「……お前は私の事をそう思っていたわけか、そうかそうか。うん、よく分かったぞ。……はあ、なんだか気が抜けた。心配して損した」

 今度はスズシロの口からそんな言葉が衝いて出た。

 スズシロは、自分自身の発した言葉にはッと気付いて、一瞬さッと頬に紅が差した。

 すぐに顔を逸らされたものの、鈍い直人でも流石にそれは見逃さなかった。

 心配してくれている。――

 態々こうやって見に来てくれたくらいだから、言われなくても分かるわけだがしかし、それを言葉にしてくれるだけで救われる。

 直人の頬は自然緩んだ。嬉しかった。嘘でもよかったし反応からして嘘だとは思えなかった。

「ありがとうございます」

 声は震えていた。これにはスズシロもびっくりしたらしく、すぐに逸らした顔を戻した。自分がどんな顔をしているか直人は分からない。

 スズシロは、その必死になって涙を抑える直人の顔を見る。

 頼りなくって、情けなくって、普段の気丈な表情からは想像できなくて。

 それでいて、愛おしくて。

 ……あいつらが聞いたら笑うだろうな。

 と考えながら、出際に見えたミアと結衣菜の顔を思い浮かべる。

 ああはいはい、ご存じの通り、好きですよ、こいつのことが。

 頼りがいがあるのかないのか分からなくて、可愛げのあるのかないのか分からなくて、他人(ひと)の事ばかり考えている癖に自分勝手で、他人の心配ばかりして他人に心配かけさせて、器用なんだか不器用なんだか分からなくって、頭が良いんだか馬鹿なんだか分からなくって、大人でもないし子供でもないし。……

 そんなこいつのことが、大好きですよ。

 まあ、歳もそこそこ離れているし、上司と部下の関係だしで、まったくと言っていい程に期待していない。自分自身そんなに好かれる要素があるとは思ってないし。それでも、こいつの事はどうにかしてやりたいと思う。こんな思い、身勝手だし、馬鹿だってことは、重々承知だ。

 でも、こいつはこのままじゃ、駄目なんだ。周りの大人が、せめて今だけでも何とかして支えてやらないと駄目なんだ。

 スズシロは目を瞑って、ゆっくりと言葉を探す。

「……なあ直人、お前は何度言っても分からんだろうから、私は何度でも言うぞ。もっと周りに頼れ。支えてくれる人なんて幾らでもいる」

「……いえ、それでも僕は十分すぎる程甘えていますよ。制度に、国に、スズシロ先輩たちに」

「馬ァー鹿。お前は本当に馬鹿だな。やっぱり馬鹿だ。超ド級の馬鹿だ」

「……えー。そんなに馬鹿馬鹿言いますか?」

「お前みたいなのがいるから、日本にゃブラック企業がはびこるんだ。フィリピンあたりの労働者を見習え。団結して、必死に自分の権利を主張している。……まぁ、いきなりああなれとは言わんから、少しずつでいい、自分のやりたい事を言え。言って、甘えろ。世界は、周りは、私らは、そんなにやわじゃない。安心しろ、揺すった所でそうそう壊れたりしないさ。甘えろ、甘えて、……そうだな。せめて、もっと力を抜け」

「力を抜く、ですか……」

「そうだ。もっと肩の力を抜いてだな。そんなにいつも力一杯でいても、誰も笑ってくれない」

「うぐッ……!! あの、それ、結構今の僕にはダメージ相当大きいんですけど……」

「ああ、分かってる。すまん。それでも、分かってくれ。分かって欲しいんだ。私は、お前に、……せめて普通に生きて欲しいんだ」

 スズシロは、その真摯な瞳とともに訴えかけた。

 普通に生きる。

 その為に、一体どれほどの事を犠牲にしなければならないのか。

 或る人は二時間の通勤に耐え、或る人は満員電車で痴漢冤罪のリスクに戦い、或る人は家事もパートもこなさなければならず、或る人は労働基準法も無い職場で体を壊す程働き、或る人は罵られ、或る人は誹られ、或る人は職を失いなすすべなく、そして自分は、――

 今までどれ程の事を犠牲にしてきたのか。

 直人は涙を抑えきれなくなった。体は震え、スズシロを前にして堂々としゃくり上げた。

 そんな直人の頭を、スズシロは子供にするみたいに、優しく撫でた。

「分からないんです。全然、分からない。自分が苦しい時、なんて言っていいのか」

「苦しいって言え。簡単だろ?」

 囁く様なスズシロの優しげな声。

「そんなの……。それでも、それでも、そうやって、他人に頼ってばっかりでも……僕は、他人を助けなきゃ駄目な立場なのに」

「だから、それが馬鹿だってんだよ。これから二十歳になろうって奴が他人を助けようなんて、三十年は速い。他人を助けるなんてな、余裕のある奴のやることだ。お前自分を鏡で見てみろよ、全然余裕があるように見えないだろ。お前が一番分かるだろ。まだずっと先の事だよ、それは。余裕が出来てからでいいんだ。お前みたいなギリギリ十代ゆとりが、何一人前になった気でいるんだよ。……なあ、お前も今日はさ、ロジャーの馬鹿を笑えるくらいには成長しただろ? ちょっとずつでいいんだよ。ちょっとずつで」

 スズシロは笑って、嗚咽交じりに喋る直人の頭をぎゅっと抱き締めた。それでも直人は、平らなスズシロの胸の中で泣き続けていた。

 ……あれ、これは流石にやり過ぎかな。

 期待は全然していないと思いながらも、ついつい流れで躊躇なくこんなことをしてのけてしまった。直人は相変わらず泣いている。

 まあ、甘えてくれている様だし、ま、いっか。今回だけって事で。

 スズシロは悠長に、子供のように泣きじゃくる直人を抱き締めていた。


「……もうそろそろいいでしょうかね」

 いくヱは、食事の途中すっくと立ち上がった。

「えー、もうちょっと二人っきりにしてあげましょうよー」「ねー」「ねー」「ネー」

 ミアの言葉に、結衣菜と母親が続き、〈天使〉はわけも分からず同調した。いくヱは苦笑して、

「そうもいきませんよ。……お二人とも頑張っていらっしゃるようですし、上司の私が頑張らずに楽をしているわけには、いきませんからね」

 と言って、真面目な顔をして部屋を出た。その場の全員が、その言葉の意味を解せずにしばしの沈黙。しかし〈天使〉が母親に甘える様にすり寄って、

「ねーねー」

 と話しかけたのをきっかけに、元の通りとなった。ミアは母親の料理を頬張りながら話しかける。

「おいしいですねこの唐揚げ。醤油の味がして、ネギがいい感じについてて」

「ふふふ、ありがとう。なお君が、これ好きなのよね。あ、でも簡単よ? 醤油と生姜で下味をつけて、それで普通に唐揚げを揚げたら、ネギと一緒に炒めるの」

(うーん、普通に唐揚げ揚げるってのが出来ないんだけどなー)

 と思いつつ、自分と母が話し始めて途端に〈天使〉が不機嫌そうに頬を膨らませてたので適当に会話を切り上げる。

 そして、思い付いた様に結衣菜にぐっと近寄って、母親に聞こえない程度の小声で、

「ユイナ、よかったのか? その……ナオトの事は」

「はにゃ?」

 結衣菜は心底不思議そうな表情をした。そして、

「ああ」

 と納得したように頷く。

「直人さんは素敵な人ですけど、別にそういう風には見ていないんですよね。むしろあの、いつまでも都合よくじゃれ合ってて『そういうの』から逃げてる二人見てると、どうもねー」

「ほほう……」

 ミアは結衣菜の本性の一端が見えて、少し嬉しくなったし、もっと仲良くできるなとも思って、自分の事ながら微笑ましく思った。そして不図、結衣菜が周りを見回しある事に気付く。

「……あれ、夏美さんって人は?」


 ようやく泣き止んだ直人は、照れくさそうにスズシロから離れ、立ち上がった。

「じゃあ、僕は戻ります。スズシロ先輩も、一緒に行きますか?」

「あー、ちょっと後にしようかな。何となく、月が綺麗だし」

「? そうですか。分かりました」

 直人は頭にはてなマークを乗っけたまま、そこを後にした。スズシロは縁側から外に足を投げ出し、ぐっと伸びをした。スズシロは空を見上げ、月を眺めた。スズシロが綺麗だと言ったその月は今、雲に霞み、朧で、とても観賞に耐えられるものではなかった。

 目を瞑り、ふうッと溜息一つ。

 そうして見開いたその目は、ぎらりと光るものがあった。

「さて、盗み聞きはあんまり感心しないな。いい加減姿を現せてもらおうか」

 スズシロの声。一時の静寂。

 そしてかさりと葉の擦れる音がして、ざっと土を踏む音が続く。微かな月明かりを背に、ぽつんと佇む一つの影。

 ほの暗い中であるが、電燈の僅かな光にも、その身につけた白いエプロンは微かな光を逃さずしっかりと反射し、よく目立つ。

 スズシロは視線をその顔に向ける。陽に焼けた健康的な肌は闇に溶けているが、その大きなつり眼は暗中の猫の様に光って見える。

 月を隠す雲が消えた。その明かりに照らされた口元には、確かに笑みが浮かんでいる。

「よく分かりましたね。地球人にそれ程の能力は無いと思いましたが、認識を改める必要がありそうです」

 可愛らしい夏美の、可愛らしい笑顔。

 だが、その纏う雰囲気の所為か、随分と不気味に見えた。

(別に、鎌かけただけなんだけどね。結衣菜とかが出歯亀している可能性も考慮した上で声をかけたんだし。まあ、そこまで説明する必要はないけど)

「そういう、〈模倣(イミテーション)〉の能力とやらはどうなんだ? これくらいは軽いか?」

「はい、そうですね。例えばそこにいるあなた、ばれていますよ」

 夏美は端の襖を指差した。その向こう側から、いくヱが姿を現せた。

「隠れていたわけではありませんけどね。スズシロにだけ任せておけませんから」

「ほうほう、そりゃ御苦労。……じゃ、早速話を進めようか。お前らが何を企んでるか、聞かせて貰うぞ」

 スズシロの、静かだが迫力のある声に、夏美は眉ひとつ動かさないで、平然としている。

「……お二方にお知らせ申し上げます。これからの会話は全て記録し、〈模倣(イミテーション)〉政府の公式資料として利用、活用させて貰います。……いわば、お二人の言葉は地球側の公式見解だと、そう思って頂ければ結構です」

 突然の夏美の言葉に、スズシロは息を飲んだ。背筋がゾクッと凍った。一瞬で余裕が無くなった。

「……おいおい、一般市民であるこの私が、地球を代表しろってのかよ」

 気丈に振舞うも、スズシロの声は微かに震えていた。夏美はにっこりと優しい笑みを湛えている。この時点で、対等な関係ではなくなっていた。

「いえ、必ずしも地球を代表する意見だとは申しません。ですが、……この会話によって〈(イミテー)(ション)〉側の行動を決定付ける可能性はある、とだけ申しあげておきましょう」

 チッ、同じじゃねえか。そう思いながらスズシロは、自分の右手で左腕をぎゅっと掴む。

 どうする。自分の不用意な一言で世界が変わるかもしれない。怖い。下手な事は言えない。

 しかし、このままにしておいてはいけない。

「スズシロ」

 いくヱの声。そちらを見ると、背筋の真っ直ぐと伸びたいくヱが、じっとスズシロの方を見ていた。……成程ね、頼りにしろってか。それじゃ、私も甘えさせて貰うぞ。

 スズシロは大きく深呼吸。肩の力を抜く。そして、夏美を睨みつけ、

「全て記録しているのならば、先ず宣言しろ。〈模倣(イミテーション)〉は中立な立場を保持し、決して地球側に害を成さないと。〈模倣(イミテーション)〉の立場なら、問題無い筈だ」

 毅然と言い放った。予期していなかったのか、それを聞いて夏美は少し面喰った様子だ。

 そして、しばし考慮の後、

「我々〈模倣(イミテーション)〉は、地球側に対し、極端に害を成す行動、極端に益を損ねる行動の一切を行いません」

 と宣言した。スズシロはそれを聞いて鼻で笑った。

「へッ! 『極端に』なんてつけやがって小賢しい」

「もー、勘弁して下さいよー。一切迷惑かけないっていうのはちょっと無理ですってー。私の権限じゃ、これが限界ですから」

「あーそーかい。じゃあ勘弁してやるよ。それじゃ、そっちがその気ならこっちも言っておくが、私の権限・責任なんて所詮、地球人口の七十億分の一の重さしかない事を、ちゃ~んと理解してもらおう。それが出来ないのなら会話はこれでお終いだ」

「あう……はい、分かりました」

「へえ、こんなの、ただの会話に成り下がったのに、それでも話したいわけだ。よっぽど言いたいことがあるんだな。と言うよりも、切羽詰まってる感じか」

「あー、うー」

 見下す様な笑みで畳みかけるスズシロに、夏美は露骨に嫌そうな顔をした。

 これで対等な立場に持ち込めた。

 スズシロの堂々とした態度に、いくヱは口元を緩めた。


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