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the Spree of the Naïve Honest  作者: けら をばな
第一章・愚人ども
3/48

iii ――病院で憩いのひとときを

「今回の被害は?」

 ほの暗い洋室。机上に肘を乗せ、足を組んで座る、スーツ姿の白髪の老女が、今しがた入ってきた長身細躯の青年に、目も合わせず聞いた。青年は報告の前に深々と一礼。

「一向に。均衡は依然とられたままです」

「そうですか。それは喜ばしい事です。いつも通り。〈バランスされた競争〉〈管理された闘争〉〈統制された認証欲求〉――それらの事こそが、我らの未来永劫の発展の為に大切な事柄。『歴史がそう言っている』……と、どうしました? 何か言いたげですね」

「はい。〈騒音(ノイズ)〉側からおかしな通信が入りました。『〈天使〉を見なかったか?』と……」

「〈天使〉……? それは奴らの隠語か何かでしょうか?」

「分かりません、まったく。それについての通信もそれきりです」

「相変わらずわけのわからない連中です。……〈天使〉とやらについて〈静穏(サイレンス)〉は何か?」

「何も。ただ……最近彼らによる内部調査要請を頻繁に打診されます」

「……一体何が目的でしょうか」

「いえ、いかんせん何も理由を申してこないので、ずっと拒否し続けていますが」

「……相変わらずいけすかない連中です。何を企んでいるのか。……この安定した、歴史的に誇るべき最高の形をおめおめと崩す様な、愚かな画策はしないでしょうが。……」


「おい馬鹿、死んでるか。ざまァねえな」

 病室のリクライニング・ベッドの上で大人しく寝そべる直人の許に、少年の様な声を響かせ、小さな体の眼鏡の女がどかどかと入ってきた。

 直人はそれが年上であることを知っている。

「生きてますよ、スズシロ先輩。命張って街を守った人間に対してそれは無いでしょう」

「みっともねえ姿晒しといて、利いた口叩くんじゃねえ」

 ぎろりと、角ばった眼鏡越しに勝気な視線が直人を貫く。軽口がいとも簡単に一蹴され、更に視線で気圧されて、尻込みする直人。スズシロと呼ばれたその女は、怖気づいた直人の姿を見て愉快そうにフンと鼻を鳴らす。その態度は性根の悪さをありありと見せつけている。

 スズシロ優香(ゆうか)――身長・公称百五十二センチメートル、しかし実際は恐らく百五十にも届いていない。手足、指、全てが細い。胸のふくらみは、この白衣の上からでは全く確認できない。角ばった眼鏡の奥には自己主張の強い不良少年の様な吊りあがった目。黒い腰まで届く長い髪は、手入れが行き届いていないのかぼさぼさで、左右に無造作に広がっていている。反面、肌の質は若々しくて白く、しかしその綺麗な頬にはそばかすが点々とあって、鼻は直人と同様に低くやや上を向いていて、全体を見た第一印象は、超生意気そうな子供といった感じ。中身は……ほぼ見た目通り。だが成績はかなり優秀。年齢――不詳。

 その身を包む研究者用白衣を揺らして近付き、直人の占拠すべきベッドに、我が物顔で腰を掛ける。直人が顔をしかめるのもお構いなし。直人は不愉快に口を尖らせ顔を逸らし、目尻だけで、傍らにちょこんと腰かけたスズシロの小さな体躯を見る。

 ガラガラと病室の戸が開く音、新たな来客の報せ。長身の女性、こちらも見知った顔。

「えっと……言われた通り昼食持ってきましたけど……これは一体どういう事ですか?」

「〈結衣菜(ゆいな)〉、そこに置いておけ」

 スズシロは、入り口でひきつった顔で固まった結衣菜に、ベッドの傍らにある台を指差す。結衣菜は今眼前に広がる光景に納得できなかったが、手にお盆を持ったままではどうしようも出来ず、仕方なくそれに従う。

 椿結衣菜――身長・公称百六十八センチメートル、しかし実際は恐らく百七十以上ある。大きな瞳、優しげな口元、蜂蜜色でサラサラなショートヘアーで、綺麗で白い肌……豊満な胸、引き締ったウエスト、ほっそりとした手足。万人を魅了する外見と同様に、万人に向けられる慈愛に満ちた優しい笑み。頼れるお姉さんといった感じ。年齢――今年で十七歳。

「これは……絶対にスズシロさんの所為ですよね」

「何だと? そうやって証拠も何もなしに、他人をむやみやたらに疑うのは善くないな」

「え、あの、ち、違ったんですか? あ、いや、そんなつもりじゃっ……いえ、すみません」

「まあ、お察しの通り私の差し金だが」

「あ、やっぱりっ! こんなこと思いつくのが他に誰がいますかっ!!」

 結衣菜は直人の手足を拘束する鎖を指差した。いかにも頑丈そうなその鎖は直人をしっかりとベッドに縛り付けて見事に自由を奪っている。スズシロは事も無げに、直人が食べる筈の昼食のお盆から、素手でパスタを掴み口に入れる。

「お行儀悪いですよ」

 拘束されても平然としている直人の非難を、スズシロは涼しい顔をして受け流す。

「パスタなんて、元々素手で食べられていたものだ。行儀もくそもねえさ」

「日本製のナポリタンなんてものに、元々も何もないと思いますけどね」

 スズシロの手と口元には油とケチャップがべっとり付いている。スズシロは平然と舌で手をペロペロなめる。直人はそれにドキっとして、目を逸らす。子供っぽい無邪気な仕草に、一瞬でも可愛いと思ってしまった自分が情けない。スズシロは舐め取るのを諦めたのか、白衣でごしごしと擦り落とす。白衣がケチャップでべったりと赤に染まる。――子供か。

「そんなもん、台湾で商品に無闇矢鱈に北海道って付けてんのと同じだろう。トルコに存在しないトルコライス、天津には無い天津飯。因みに名古屋土産のういろうは小田原発祥、天むすの発祥は三重の津、しかし台湾ラーメンは名古屋発祥」

「台湾ラーメンは台湾人の店主が考案したらしいですよ」

「あれ? そうなのか? (カク)源治(ゲンジ)関係ある?」

「無いでしょ、流石に」

「そうか、まあいい。つまり、細かい事は気にするなという事だ」

「何言ってんですかっ、細かい事じゃないでしょうっ!?」

 二人の実の無い会話に分け入って、結衣菜が怒鳴り込んだ。

「私はどうしてこんなことしたんですかって聞いているんですっ!!」

 その言葉に、スズシロは急に真面目な顔を作った。目つきが悪い分、真面目な顔で黙りこむと、一瞬にして凄味が増す。直人をまんじりと睨みつける。

「こいつの、先の戦闘での、小者相手にあのザマだ。馬鹿見てえに死にかけやがって」

 スズシロの言葉に直人はカチンと来て、睨み返す。『知った風な口きくな』と喉を出かかる。

「馬鹿みたいはないでしょう。一生懸命やった結果です。力が及ばなかったのは確かですが」

 飲み込んで吐き出した言葉は、しかしスズシロの機嫌を更に損ねた。

「何が精一杯だ。ナメた戦いしやがって。初めから全力で仕留めておけばあんな事にはならなかったし、手抜きにしても、あんな過去データ参照して瞬時に傾向と対策取れる様なヤツ相手に苦戦する事自体がおかしい。それが分かんなかったってんなら、もう一度訓練生に逆戻りだ。どうだ? 下で根性鍛え直して貰うか?」

「ごめんですよ。あんな幼稚園でガキ共とまた人生共にするなんて。折角出られたのに」

「じゃあ、せいぜい精一杯頑張るんだな。二軍落ちにも地獄落ちにもなりたくなかったらな」

「……僕の命です。僕自身が責任持ちますよ」

「ガキが。おめえの頭ん中は訓練生以下だ。てめえごときがてめえの命背負えると思うなよ」

「何を言ってんですか。命を張るのは僕自身です。あなたじゃない。あなたは安全地帯で勝手気ままに指示を出して、偉そうにしていればいい」

 直人は馬鹿にしたように鼻で笑う。こんなこと言えばどうせ怒られると思ったが、顔に陰が差したのは結衣菜の方だった。案外スズシロは平然としていて声を荒げる様子も無い。

「ああそうだ。お前が殺されそうになろうが凌辱されそうになろうが、私は安全地帯に居続ける。そういうお仕事だ。激務で患者の命と向き合う医者じゃなくって、その医者の助けになる

物を作る側さ。それを選んだんだ、そういう仕事をするって私自身が決めたんだ。お前が命張って前に出るって、誰でもない、お前自身が決めたんだろ」

「何一つ自分に不備が無いとでも言いたげですね。僕が自分で選んだって!? ふざけるな! 僕に初めから選択肢の余地なんて無かった! こうするしか無かったんだ! 選択の自由のある奴が上から目線で偉そうなことを言うな! 僕の事なんて何も分かってないくせにッ!! 分かろうともしない癖にッ!!」

 直人は怒り狂ったように手足の鎖をガチャガチャ鳴らせ感情を爆発させた。しかし、

「当たり前だ糞ガキ。私はお前の事なんざ何一つ分かっちゃいないし、お前はどうやったって私の事なんざ分かる訳がない。分かりあえる筈がない。そんなもんだ、世の中なんて奴は」

 直人の吐露に、あくまで平然と、淡々と言い返すスズシロ。直人は二の句を告げずに黙りこみ、それでもスズシロを睨みつけている。スズシロは豪然と直人を見下している。

 そんな二人の鬼気迫る言い争いの蚊帳の外で、結衣菜はおろおろと腕をこまねく以外に出来なかったが、沈黙が訪れた事により口を挟む隙が出来た。

「スズシロさん、直人さんは病み上がりなんですから、あまり興奮させないで下さい。安静にしてないと。……結構危ない状態だったんですからね。直人さんも変に挑発しないで下さい」

「「僕は/私は、悪くないッ!!」」

 声を合わせて抗議する二人は、ぱちくりと目を合わせ、ふんっと同じタイミングで顔を逸らす。反りの合わない二人の息の合った仕草に、呆れていいんだか微笑ましいんだか分からず溜息一つ。そしてスズシロに向かって、

「もう、いい加減に(コレ)取ってあげて下さいよ。流石に可哀そうです」

「フン、素直になったら外してやろうと思ったが、駄目だ。もうちょっと仕置きが必要だ」

「あの、病院の方の負担も大きくなります。……意地張ってないで解放してあげて下さい」

「意地じゃない。それにちゃんとこいつの世話は私がやる。素直になるまでな」

「へー、じゃあ、下の世話もしてくれるっていうんですか?」

 どうせ出来ないくせに、という態度で直人はそっぽを向いて口を挟む。しかしスズシロは、

「ああそうだ、そのつもりで来た。だから結衣菜も呼んだ訳だ」

 と平然と言い放ち、何処に隠し持っていたのか、着替えと尿便を取り出した。

「「は?」」

 目が点の結衣菜と直人。そんな二人を尻目に、平然と直人のズボンに手を掛けるスズシロ。

「ちょ、ちょっと、え、マジで言ってますか!? そう言うのをセクハラって言うんじゃないんですか!? 訴えますよ!! ……あ、あの、本当にやめて下さい! 結衣菜さんも何か言ってッ」

「ん? 『汗をかいたので着替えたい』って? 仕方ないな。結衣菜、手伝え」

「一言も言ってねえよ!! ちょっと結衣菜さん、なんで見てるだけなんですか!?」

「えっ!? あ、そ、そうですね。ちゃ、ちゃんと、て、手伝わないとっ!」

「オイちげえよッ!! そんなこと言ってんじゃねえよッ!!」

「はい、頑張りますっ! 直人さん、大人しくしていてくださいねっ!!」

 結衣菜は夢心地といった風に、上気した顔で直人の服のボタンに手を伸ばし、一つ一つ手際よく外していく。そしてシャツを脱がそうとした所、結衣菜の指が脇腹に直接当たってしまい、直人は「ひゃッ!」と甲高い女の子の様な可愛らしい嬌声を上げた。その声を聞き、結衣菜の手が不図止まる。助かったか? そう思ったのも束の間。黙々と作業を再開した。

「ちょ、ちょっと……結衣菜さん、何か目が怖いんですけど!?」

「……直人さんが……そんな声を出すのが悪いんです……あ……鎖が邪魔で服が脱げない…………こんな邪魔なものは切っちゃいましょうね…………」

 結衣菜はうわ言の様にぶつぶつと呟きながら、鋏を取り出して、ジョキジョキと迷いなくパジャマとシャツを裁断してゆく。そして、つっと直人の胸をなぞる。

「嫌ッ! やめてッ!」

 直人の可愛らしい、二度目の嬌声。結衣菜はその声が聞きたくて、頬、胸、様々な所を指先で、適度に強弱をつけながら、弄る様に触れ続ける。

 ――これは、不味い。いろいろな意味で。

「あ、あの、本当にやめて――」

「……可愛い顔で……小さくて……私よりもずっと可愛い……肌もぷにぷにしてて……」

「おい、直人、こっち大きくしたら駄目だろ。違うもん出すつもりか?」

 弄ばれながらも懸命に声を我慢してスズシロの方を見る。自分の下半身は最早、最終防衛線(パンツ)しか残されていなかった。そんな下半身を、楽しそうに視姦するスズシロ。

「さて、素直に自分の非を認めるか? それとも――私は吝かではないぞ? なあ、結衣菜」

 スズシロは結衣菜に目配せしながら、パンツに手を掛ける。貞操のピンチ。

「……そんなもの……可愛い直人ちゃんについている筈が無いじゃないですか。直人ちゃーん、そんな趣味の悪い悪戯はしないで下さい。コレで切っちゃいますよ」

 結衣菜はうわの空で鋏を手に、下半身に伸ばした。引き気味のスズシロ、涙目の直人。

「お願いですからやめて下さい! 本当に、やめて下さい!! 僕が悪かったです! 全部僕が悪かったですから!! 謝りますから! 本当にやめて下さいッ!」

 病院中に直人の情けない声がこだました。


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