xiv――貧富
「……なんつーか、随分露骨なヨーロッパ批判だな。いいのかコレ」
「そーですねー。……うーん、昔東京で食べた時はもっとおいしかったんだけどな」
「……おい、聞いてっか? ミア」
「え? あ、何でしょう」
ミアとスズシロと結衣菜三人は、つけ麺屋で店内のテレビに映るアンニ・クラークの演説を聞いていた。……と思っていたが、見廻すと実際聞いていたのはスズシロのみであったようだ。結衣菜とミアは、ひたすらつけ麺をずるずると啜っている。
「やっぱりそうでしょう? 日本全国ラーメンがおいしいかって言うと、そうでもありませんからね。ここからだと、せめて名古屋まで行かないと、それでもちょっと遠いですけど。それに東京と比べちゃうと、どうしても負けちゃいますね。あそこには全国から集まってきますから。……すみませんね、がっかりさせちゃって」
結衣菜の残念そうな顔に、ミアは慌てて大きく首を振る。
「いやいや! 行きたいって言ったのは私だからな。あ、でもギョーザはそこそこおいしい」
「なんでお前らそんなに熱心なんだよ……」
呆れてラーメンを啜るスズシロに、ミアはもう一度聞き直す。
「ミズ・スズシロ、何かありましたか?」
スズシロは面倒臭そうに口に含んだラーメンを急いで飲み込み、テレビを箸で差す。
「ホレ、例のアンニ総長さんが、はっきりと中東情勢についてのヨーロッパ批判をしていたからな。この『人類・地球平和記念日』の世界演説で、堂々と」
「ああ、そうでしたか……。今アメリカとEU諸国、特にイギリスと、インド間の貿易だなんだで摩擦してますからね。最近の中東とのいざこざは、EUを公然と批判できる、アメリカにとって絶好の大義名分でしょう」
万国主義同盟とは、名前こそ壮大だがあくまでアメリカ国防省の下にある組織である。創立からして少々いびつだった為この形になってしまい、ついぞ何十年と変えられずにいる。故にアメリカが私的にこの機関を利用してしまう事も、儘ある事である。
「ふーん。日本にいると、やっぱりそこまでは分かんねえもんだな」
「そうでしょうね。アメリカでも日本の領土問題は語られませんでしたし」
「ま、そんなもんだよな、世界なんて。グローバルなんざ勝手なモンだ」
「えーっと、地球軍の人間としては……まあいっか」
三人は仲良くずるずると麺を啜った。会計は全てスズシロが請け負った。ミアは頑として自分の分を払いたがったが、スズシロの頑固さはそれを凌いだ。結果ミアは折れて、不服そうにだが、礼を言った。因みに結衣菜は笑顔でスズシロに頭を下げた。
閑散とした通りを三人、道路の右側を右から背の順で横に並んで歩く。勿論右からミア、結衣菜、スズシロ。既に夜の帳は下がっており、星の点々と輝く中には、赤く明滅を繰り返す人工物が数数多に、溶け込むどころか明々と我を見よと言わんばかりに主張している。
と、そこに居酒屋から出て来た作業服姿の人間が突然飛び出して、端のミアにぶつかった。
「何だおめえッ! いてえじゃねえかッ!!」
相手は開口一番そう来た。悪いのは明らかによそ見をして勢いよく出て来た相手だし、それでなくってもいきなり怒鳴る事はないし、第一ミアのふくよかな胸がクッションになったのだから、『痛い』は絶対にない。『むしろ礼を言え』とスズシロは思った。
「すみません……」
それなのにミアは謝った。彼女の立場からしてそれ以外は許されなかった。あちらから突ッ掛かられて、不味く取っ組み合いなんかになれば、幾らこちらに非が無いとはいえ、即刻本国送還なんて事に充分なり得る。それだけミアは不利な状況にある。腸煮え繰り返ろうが、ひたすら穏便に済ませるしかない。すぐさま結衣菜が間に入って、
「あの、この人は重要な軍関係者で……」
と説明に入った。……のが一層悪かった。その男――五十代の、緑の作業着を着た、大分酔いの回ったオヤジ――は、それを聞くと目を剥いて碌に呂律も回らないのにミアに迫った。
「てめえッ! 軍の関係者だってぇ!? 馬鹿野郎ッ! 碌に街も守れねえでこの野郎ッ!」
「あ、ちょっと、長嶋さん!! よしなって」
店からやや遅れて、このオヤジと同じ緑の作業着姿の、二十代半ばの金髪ピアスの男が現れて、ミアを恫喝するオヤジを羽交い絞めにして止めに入ったが、オヤジの力が強いのかこの若い男が酔っ払っているからか、オヤジが振り払うとこの若い男は尻もちをついてしまった。それによって勢いづいたのか、オヤジはミアの胸倉を掴んだ。結衣菜は何とかしなければと、ミアを庇おうと前に出ようとして、しかしスズシロにやや強引に止められた。
手出しの出来ないミアは唇を噛んで悔しそうな表情をした。するとこのオヤジは更に熱り立ってミアに酒臭い顔を近付ける。
「あンッ!? 何だその顔はッ! 図体でかくって、偉そうに見下しやがってこの黒ん――」
「おおッと、それ以上はやめときなおっさん」
スズシロがそのオヤジの耳を掴んで思いっ切り捻り引っ張った。当然、
「いてててててててッ! おいやめろこの野郎ッ!」
と痛がり、それでも一向に止めようとしないスズシロに焦り始めた。
「おい、この野郎やめろッつってんだろうがオイ! てめえも大方軍の関係者だろッ!」
「あ~ン? それがどうした。てめえごときとちょ~ッと、いざこざがあった所で、大した筋力のない一介の、しかし有能な科学者の私が、大層な処罰を受けると思うか? 悪くっても二、三日の謹慎だろ。痛くもかゆくも屁でもねえ。後、野郎じゃない」
苦しむオヤジを冷たい瞳で見下すスズシロ。これは不味いと若い男がふらふらになりながらも立ち上がり、スズシロにすがる様に止めに入った。
「やめて下さい! この人はちょっとイライラしてて、それに飲みすぎちゃったし……」
「ンだよ、突ッ掛かって来たのはそっちだろ」
スズシロの、オヤジの耳を掴む手に、硬くて大きそうなごつごつとした手がそっと置かれた。スズシロがその手の主に視線を向ける。
「スズシロちゃん、やめてあげな。その人な、この前の襲撃で家壊されちゃったんだよ」
スズシロと顔馴染みのこの店の店主が、いかつい顔から低く優しい声を出した。
どうやら騒ぎを聞いて駆け付けたらしい。スズシロは何も言わずに手を離すと、オヤジはスズシロを睨みつけて、若い男に腕を引かれて去って行った。去り際、若い男は気不味そうにぺこぺこと何度も頭を下げていた。店主は何も言わずに店内に入って行った。
「『南側』か……」
スズシロはぼそりと呟いた。
この街は、襲撃を受けるのは大抵海に面した『南側』である。これまで街にまで被害が及ぼされた事は殆ど無かった(最後に被害が出たのは数十年も前のことである)が、矢張り街に実際住むに当たり人々が求める土地はより安全な『北側』である。結果『北側』の土地は高くなり金持ちが住み、『南側』は貧しい人間ばかりが住むようになった。戦争のお陰で仕事は沢山あるので、運よくスラム化する様な事は無かったが、当然生活水準に差はある。
そして、突然の大襲撃によって『南側』だけが被害を受けた。
今まで不満、鬱憤が蓄積されていた『南側』だが、これは決定的だった。
「元々、ここは疎開地だったからな。田舎って割に、そこそこ寛容な土地ではあったが……。それが、疎開してきたやつらを守る為に施設や学校やらを作りだしたら、見事に襲撃を受ける様になっちまった。『襲撃を受ける様になったのは外から来たやつの所為だ』って差別するやつも出て来た。まあ、実際その通りではあるから、何とも言えねえけどよ」
『南側』の不安から『北側』へ移り住む人間が増加していて、復興も思うように進まず、結果貧富の差が北と南でより大きくなっていて、そして何より国からの補償金がなかなか集まらず、この街自体の人口もじりじりと減少し、金持ちから順に外へ行き、店を閉めて、企業は撤退し、仕事も少しずつだが減っていき、街全体が、特に『南側』から順に、どんどん貧しくなっている。不安を煽る様に軍施設に対する反対運動が今までの十倍以上に増加している。
ちらりとミアを見ると、何やら黙って考え込んでいる。
「ミア、もしかして気にしてんのか? まあ、気にすんなって方が無理だと思うが……」
ミアははっと我に返って、首を振って微笑む。
「いえ、何でもありません。……ちょっと、故郷の事を思い出してしまって」
「えっと……ミアさんも、田舎に住んでらしたんですか?」
結衣菜が聞くと、ミアは首を振って、表情を曇らせた。
「私の生れは決して田舎ではなかったが、貧しい所だった。……そして、白人を追いだすのに必死だった。結局どこの人間もそんなもんかって、思ってしまったよ」
ミアは自嘲的に笑った。結衣菜もスズシロも黙ってしまった。ミアは言葉を加える。
「黒人と白人の結婚を了承すると答える割合は多いが、実際結婚している割合は決して多くない。……そんなものさ、結局の所な」




