2011年4月5日
家族でカラオケ行った。数年ぶりだ。
昔は…つまり前に家族で行ったような頃はまだ中一、小遣いが少ないのもあったが(月2000)受験で入ったばかりの時だったのでカラオケに誘える友達などいないに等しかった。
中高生のカラオケなど日常茶飯事の文化で、どんなに根暗な奴でも一回くらいは経験するだろう。あの一体感、恥など二の次の世界。歌が下手でも得意でも、とにかく楽しめる小さな世界、それが日本が産んだ最高の箱、カラオケボックスなのだ。
さて家族の話に戻る。
今は友達も増え、先輩後輩タメ関係なく歌える環境があり、小遣いも増えて週一でカラオケに行くような人間になった。
それでも、家族では数年ぶり、今回は震災で仙台から疎開中の祖母も連れて。
やってみてわかること…まあ、やらなくても想像すれば分かることだが、友達とで歌うのと家族とで歌うのでは、何か心持ちが微妙に違うのである。
まず友達の時とは選べる曲が違う。
正直この差は、どこから来るのかさっぱりわからない。でもなんとなく、友達の時の曲をそのまま持ってくると、どこと無く恥を覚える。
二つ目に歌い方がいつもと違う。特段丁寧になるわけではないが、やはり気を遣う。わからないが、そうなってしまう。
三つ目に、ある不安が無くなる、これはプラス要素。どんな不安か?高校生なら分かるだろう。
金だ。
自分で払う、それも後払い。つまりこれは一種の信用を試す取引である。これはまるで大したことでは無いかもしれないが、カラオケで楽しみたい高校生にとっては常識的な死活問題。つまり遊ぶ前に、遊ぶ為の綿密な計算をしなくてはならない。友達となら割り勘になるが、ここでも損得論争が繰り広げられる。金問題で親友を失うのは死んでも…とは言わないまでも御免なので、その辺はきっちり決着を着けないと行けない。
その点家族とならその心配はないわけだ。
…結局こんなどうでもいい話になってしまったが。
こう考えていると、少し悲しくなってくることがある。
知っての通り、俺は今年、留年をやらかしてしまったわけなのだが、それはつまり今までタメと呼んでいた奴らが「先輩」となってしまうわけだ。それこそ自業自得のどうでもいい話なのだが、やはりそう考えると悲しくなる。
これからはカラオケをする度に、こんなことを思い出しそうだ。
今度一緒にカラオケ行かない?
いいっすねー、先輩のおごりっすか!?