↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

短編

父が死んで半年経ちますが、私はまだ父のスマートフォンを毎晩充電しています

作者: みき
掲載日:2026/09/05

 父が死んで半年になる。


 それでも私は、毎晩父のスマートフォンを充電している。


 父が使っていた黒いスマートフォンは、今も居間の棚の上に置いてある。夕食の片づけが終わるころになると、私は何となく画面をつけて、残っている電池の数字を見る。


 三十七パーセント。


 昨日は五十二パーセントだった。


 誰も使っていないのに、電池は少しずつ減っていく。


 私は充電器を差す。


 小さく音がして、画面の右上に雷のような印が出る。それを確認してから、自分の部屋へ戻る。


 それが半年続いていた。


     


「まだ解約してなかったの?」


 姉がそう言ったのは、父の四十九日が終わってしばらくしてからだった。


 東京で暮らしている姉は、父が亡くなってから何度か実家へ帰ってきた。その日は残っていた書類を整理するために来ていて、居間のテーブルには父名義の契約書や、保険会社から届いた封筒が積まれていた。


「携帯会社にも連絡しないといけないんじゃない? 毎月お金かかってるでしょう。お父さんが使うわけでもないんだから、そろそろ止めた方がいいと思うけど」


「分かってる。今月中にはやるよ」


「先月もそう言ってなかった?」


「言ったかもしれない。でも番号を止めると、いろいろ確認できなくなるかもしれないだろ。まだ登録してあるところも全部分からないし」


 自分でも苦しい言い訳だと思った。


 姉もたぶん分かっていた。


 けれど、それ以上は言わなかった。


「じゃあ、必要なものだけ確認しておいてね。ずっとそのままにしておくわけにもいかないでしょうし。私もできるところは手伝うから、何かあったら送って」


「うん。そうする」


 姉は父のスマートフォンを一度見て、それから書類へ目を戻した。


 私は画面を伏せた。


 どうしてそんなことをしたのか、自分でも分からなかった。


     


 父のスマートフォンには、毎日のように通知が来た。


『本日限定クーポンのお知らせ』


『ポイントの有効期限が近づいています』


『今月のご利用料金が確定しました』


 父が死んだことを知らない会社は多かった。


 当たり前だ。


 人が一人死んだからといって、その人が登録していたすべての会社へ、死亡の知らせが届くわけではない。


 父のいない世界で、父あての広告だけが増えていく。


『お客様におすすめの商品があります』


 ないよ、と私は思った。


 もう何もいらない。


 それでも通知は来る。


 父は釣りが好きだったから、釣具屋からのお知らせも多かった。


『秋の新作ロッド入荷』


『今週末、店頭セール開催』


 父なら見に行ったかもしれない。


 買わなくても、新しい竿を手に取って、値段を見て、「高いなあ」と笑ったかもしれない。


 父は高い物を見つけると、よく私にその値段を言った。


「この竿、十万するぞ。魚を買った方が安いな」


「じゃあ買わなきゃいいじゃん」


「そういう問題じゃないんだよ。釣るところが楽しいんだから」


「だったら十万でもいいんじゃない?」


「いや、それは高い」


 毎回そんな話をした。


 何度も聞いたから、今でも声を思い出せる。


 けれど、声は少しずつ変わってきている気がした。


 本当の父の声だったのか、それとも私が頭の中で作り直している声なのか、時々分からなくなる。


 写真より先に、声の方から消えていくのかもしれない。


 そう考えた夜は、いつもより長くスマートフォンを充電した。


     


 父が亡くなったのは、春だった。


 朝、母から電話が来た。


 父が倒れた。


 病院へ来てほしい。


 それだけだった。


 前の日まで普通だった。


 夕食も食べた。


 風呂にも入った。


 母とテレビを見ながら、途中で寝てしまったらしい。


 そのまま夜中に具合が悪くなって、救急車で運ばれた。


 私が病院へ着いた時には、父はもう話せなかった。


 手だけが温かかった。


 その日の夜、家に帰ると、父のスマートフォンが食卓に置かれていた。


 病院へ運ばれる時、母が父の上着や財布と一緒に持っていったものだった。


「これ、どうしよう」


 母が言った。


「とりあえず置いとけばいいんじゃない。今は何もしなくていいよ」


「そうね。今日はもう疲れたわ。明日になったら、いろいろ考えないといけないんでしょうけど、今日はもう頭が動かない」


 母は椅子に座ったまま、しばらく父のスマートフォンを見ていた。


 私は画面をつけた。


 二十一パーセントだった。


 何も考えず、充電器を差した。


 翌朝には百パーセントになっていた。


 父は死んだのに、父のスマートフォンだけは満タンになっていた。


     


 半年の間に、父の物はかなり減った。


 服は母が親せきや古着回収へ出した。


 釣り道具は父の友人が引き取った。


 本棚も整理した。


 冷蔵庫の奥に残っていた父の好きだった辛い漬物も、賞味期限が切れて捨てた。


 父の歯ブラシもない。


 玄関に並んでいた父の靴もない。


 それなのにスマートフォンだけは、今も毎晩充電している。


 自分でも変だと思う。


 ある日、母に聞かれた。


「ねえ。あれ、まだ使ってるの?」


「何を?」


「お父さんのスマホよ。毎晩、充電してるでしょう」


 見られていたらしい。


「使ってはいないよ。ただ、電池が減るから充電してるだけ」


「使わないなら、減ってもいいんじゃない?」


 母は責めるような言い方をしなかった。


 だから余計に答えづらかった。


「ゼロになるのが、なんか嫌なんだよ」


 言ってから、自分でも少し驚いた。


 半年間、理由を考えたことがなかった。


 母は少し黙った。


「私はね、お父さんの枕をまだ捨てられないの。もう使わないし、場所も取るから捨てればいいんだけど、何となくそのままにしてる」


「似たようなものかな」


「たぶんね。でも、私の枕は電気代かからないけど」


「スマホも大した額じゃないよ」


「そういう意味じゃないわよ」


 母は笑った。


 私も少し笑った。


 それ以上は話さなかった。


     


 九月の終わり。


 仕事から帰ると、父のスマートフォンの画面が光っていた。


 また広告かと思った。


 けれど通知には、私の名前が表示されていた。


『明日は俊介の誕生日です』


 一瞬、意味が分からなかった。


 俊介は私だ。


 父のカレンダーに、私の誕生日が登録されていた。


 それだけだった。


 ただの予定通知。


 父が設定したものなのか、連絡先から自動で入ったものなのか、それさえ分からない。


 それなのに私は、その場から動けなくなった。


 明日は私の二十六歳の誕生日だった。


 去年、父は何を言っただろう。


 たしか、夕食の時に言われた。


「もう二十五か。俺が二十五のころには、お前が生まれてたんだぞ」


「それ毎年言ってない?」


「去年は二十四だったろ」


「そういう意味じゃなくて」


「今年は何か欲しい物あるか?」


「別にない」


「じゃあケーキでいいな」


「なんでケーキは確定なの」


「誕生日だからだろ」


 たぶん、そんな会話だった。


 私はスマートフォンを手に取った。


 父の名前を押せば、父の連絡先が出る。


 電話番号も残っている。


 メッセージのやり取りも残っている。


 最後のメッセージは、父からだった。


『帰り牛乳買ってきて』


 私の返事。


『了解』


 それが最後だった。


 愛しているでもなく、ありがとうでもなく、牛乳だった。


 父と最後に交わした言葉が牛乳なのは、少し情けない。


 でも、父らしい気もした。


 死ぬことを知らなければ、人はそんなものなのかもしれない。


 最後の言葉が最後だと知っていたら、誰だって少しは立派なことを言う。


 知らないから、


『牛乳買ってきて』


 で終わる。


 私はそのやり取りを何度か読み返した。


 それからスマートフォンを棚へ戻した。


 電池は十八パーセント。


 いつもなら、もう充電する時間だった。


     


「明日、何食べたい?」


 母が台所から聞いた。


「何でもいいよ」


「誕生日なんだから、何でもいいは禁止。去年もお父さんに同じこと言ってたでしょう」


「じゃあ、すき焼き」


「急に高いもの言うわね」


「何でもいいって言ったら怒るし、言ったら言ったで文句言うじゃん」


「文句じゃありません。感想です」


 母の声が少し笑っていた。


「ケーキは?」


「なくてもいい」


「私は食べたいから買います」


「じゃあ聞かなくていいじゃん」


「あなたの誕生日を理由に食べることが大事なのよ」


 私は笑った。


 父も似たようなことを言いそうだった。


 棚の上では、スマートフォンの画面が消えていた。


     


 その夜。


 寝る前に、私は父のスマートフォンをもう一度見た。


 十二パーセント。


 充電器は、いつもの場所にある。


 手を伸ばした。


 ケーブルを持った。


 差し込み口の少し手前まで持っていった。


 そこで止めた。


 十二パーセントなら、朝までは持つかもしれない。


 持たないかもしれない。


 初めて、それがどちらでもいいと思った。


 私はケーブルを丸めて、棚の横に置いた。


 スマートフォンはそのままにした。


     


 翌朝。


 二十六歳になった。


 起きて居間へ行くと、母がすき焼き用の肉を冷蔵庫に入れていた。


「おはよう。誕生日おめでとう」


「ありがとう」


「今日は早く帰ってきてね。せっかく高い肉を買ったんだから、残業なんてしたら私が全部食べます」


「それは困るから帰るよ」


 私は棚を見た。


 父のスマートフォンは、黒い画面のまま置かれていた。


 電源ボタンを押した。


 反応しなかった。


 電池が切れていた。


 私はしばらく、その黒い画面に映る自分の顔を見た。


 充電器はすぐ横にある。


 差せば、またつく。


 父の写真も、メッセージも、電話番号も消えたわけではない。


 私は充電器を手に取った。


 それから、棚の引き出しを開けた。


 きれいに丸めて、その中へしまった。


「俊介、何してるの? 遅れるわよ」


「今行く」


 玄関で靴を履く。


 外はよく晴れていた。


 家を出る前に振り返ると、朝の光が居間まで入っていた。


 父のスマートフォンの黒い画面にも、小さく窓の光が映っていた。


 私はそのまま、玄関のドアを閉めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。