忘れられない景色 【月夜譚No.410】
掲載日:2026/07/12
その姿は、とても美しかった。
辺りには光源がほとんどない中、川の向こう岸に彼女はいた。他はよく見えないのに、どうしてか彼女の姿だけははっきりと見て取れた。
しなやかに白い腕を伸ばし、脚は地を滑るように弧を描く。川音しか聞こえないはずなのに、雅な音楽の幻聴を覚えるほどの美しい踊りだった。
彼は幼いながらにその姿に魅入られ、ぼんやりと時間を忘れて彼女を見続けた。
その後、どうやって家に帰ったのかは憶えていない。気がついたら家の布団の中で、すっかり昇った太陽の明かりが照らす天井を見上げていた。
それから十数年が経った今となっては、夢だったのだろうと思う。夜に子ども一人で出歩くわけがない。
しかしながら、実家に帰ってきて川辺を歩いていると、あの時のことを鮮明に思い出す。それだけ脳裏に焼きついた彼女の姿は、きっと一生忘れないのだろう。
「――」
視界の端を何かが過った気がして、立ち止まる。しかし対岸を見ても、何があるわけでもない。月光に照らされた川石と静かな流れがあるだけだ。
――歩を再開させた彼の背を、対岸から彼女が見つめる。あの頃の面影を残しつつも大人になった彼の目は、もう自分を映さないのだと淋しげに微笑んだ。




