それぞれの使命
【瓦礫 観客席があったところ】
競技場の一角は、もはや先程の賑わいを失っていた。
爆風に吹き飛ばされた石材が折り重なり、座席はひしゃげ、空気は粉塵と焦げた匂いで満ちている。
呻き声。
泣き声。
名前を呼ぶ声。
それらが無秩序に重なり合い、かつて歓声で満ちていた観客席は、静かな地獄へと姿を変えていた。
「こちらです! 足を怪我している方を先に!」
その混乱の只中で、ひときわ通る声が響く。
セシリアだった。
タンクトップと短パン。
肘には擦り傷、頬には煤。
だが、その足取りに迷いはなかった。
現場近くにいた王国の救護に混じり、負傷者を支え、避難路を示し、必要とあらば自ら担架を持つ。
その背後では、アーシャが低く唸りながら瓦礫を押しのけていた。
その動きは驚くほど慎重だ。
人を傷つけぬよう、髭を揺らしながら通路を作っていく。
「アーシャ、ありがとう。次はあっち!」
呼びかけると、アーシャは誇らしげに喉を鳴らした。
「姫様!」
鋭い声が背後から飛ぶ。
振り返ると、カトレアがいた。
顔色は青く、呼吸も荒い。
それでも、その瞳はセシリアだけを見据えている。
「これ以上は危険です。今すぐ避難を!」
その声に、怒りや苛立ちはない。
あるのは、ただ一つ――使命感だった。
セシリアを守ること。
それが彼女に課された、絶対の役目。
セシリアは一瞬だけ、周囲を見渡した。
倒れた人々。
助けを求める手。
恐怖に震える子ども。
そして、静かに言った。
「私は王族よ、カトレア」
声は震えていない。
「……逃げたら、私もう王族じゃいられないわ
ここが外国でも民を守るのが王族の努めだもん⋯」
カトレアは言葉を失った。
王族として育ててきた少女が、
今この瞬間、自分の意志で“王族である意味”を体現していた。
そのとき――
空が鳴った。
重低音。
羽ばたき。
瓦礫に影が落ちる。
蒼色の翼を持つドラゴンが、ゆっくりと降り立った。
「……ライナルト……」
誰かが呟く。
続いて、別の騎士たちも次々と姿を現す。
先ほどまで、空を駆けていた者たちだ。
ドラゴンの背中に乗る英雄は、周囲を一瞥し、状況を即座に把握した。
そして、セシリアの姿を見つける。
一瞬、視線が交わる。
ライナルト・グローリー・アークレイグは、剣を収め、静かに頭を下げた。
「……立派なお方だ、セシリア姫」
称賛でも、儀礼でもない。
事実を述べる、騎士の声。
「あなたは……ライナルト……!」
セシリアは、思わずそう口にしていた。
背後で、竜騎士たちが動き始める。
負傷者をドラゴンの背に乗せ、空へと運び出す。
「民間人の退避は、私が引き受けます」
即断だった。
「姫様には――首長国の王家として、果たすべき役目があるはずです」
その言葉に、カトレアが一歩前へ出る。
「姫様。国へ戻りましょう。
そして、王国を支援するのです。
それは……あなたにしかできない仕事です」
セシリアは唇を噛み、数秒だけ黙り込んだ。
視線の先には、まだ助けを求める人々。
だが同時に、王家として背負う責任も見えていた。
「……ありがとう、ライナルト卿」
深く、頭を下げる。
「この場をお任せします。
生き延びてください。約束ですよ」
ライナルトは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「承知いたしました。
姫様も必ず、生き延びてください。
世界には……まだ、あなたが必要です」
カトレアはセシリアの手を取り、強く引く。
去り際、セシリアは振り返り、手を振った。
ライナルトはそれを見送り、すぐに表情を切り替える。
「さあ、動くぞ!」
号令が飛ぶ。
「怪我人はドラゴンで安全な場所へ!
瓦礫を退かせろ!
東ゲート外の広場が近い、そこへ集めろ!」
的確で、無駄のない指示。
竜騎士たちは即座に応じる。
だが。
遠くから、規則正しい足音が近づいてくる。
金属の気配。
「敵か⋯」
ライナルトは剣を抜いた。
「……皆が逃げ切れるまで、
私はここで殿を務める」
仲間たちにそう告げ、一歩前へ出る。
胸の奥で、セシリアの声が蘇った。
――生き延びてください。
「騎士は……約束を守るものだ」
小さく呟き、剣を構える。
「さあ来い。
アズラン王国竜騎士団所属――
ライナルト・グローリー・アークレイグが相手になる!」
剣閃が、灰色の空を切り裂いた。




