黒装束の男
ーー1日前
【競技場東広場】
競技場東にある広場は、すでに祭りの熱に包まれていた。
色とりどりの旗。
鉄骨と布で組まれた屋台。
焼き肉の煙、甘い菓子の匂い、酒の気配。
子どもたちはドラゴンの形をした巨大なバウンスハウスに群がり、
親たちはその様子を笑いながら見守っている。
空を横切る巨大な影。
調整飛行を行うドラゴンたちが、夕焼けの中を旋回している。
その光景を、ひとりの男が見上げていた。
異国の黒装束。
人混みの中にいながら、どこか浮いた存在。
彼は微動だにせず、ただ空を見ている。
「……おい」
横から、気安い声がかかった。
振り向くと、小太りの男が立っている。
汗ばんだ額。
人懐っこい笑み。
肩から下げた袋の中身が、かすかに金属音を立てた。
「兄ちゃん、異国人だろ?」
黒装束の男は答えない。
「旅行かい? それとも仕事か?」
沈黙。
男は気にした様子もなく、勝手に続ける。
「まあいいや。
明日は全世界が注目する
国王杯だもんな」
親指で競技場の方を指す。
「観戦目当てだろ?
この賑わい、そうそう見られねえぞ」
黒装束の男は、なおも空を見上げたままだ。
「……ひょっとして」
賭博屋は首を傾げ、少し間を置いてから言った。
「あんた、ドラゴニクス知らねえのか?」
返事はない。
「はは、そうか。
なら教えてやるよ」
彼は身振り手振りを交え、饒舌に語り出す。
「簡単に言えばな、
機械を装備したドラゴンのレースだ」
空を見上げる。
「ドラゴンと騎士の絆。
機械仕掛けの翼と推進装置。
ド派手なスピード感と、命懸けの駆け引き」
声に熱がこもる。
「ただ速いだけじゃ勝てねえ。
呼吸を合わせ、風を読み、
互いを信じ切ったやつだけが、空を制する」
賭博屋はにやりと笑った。
「でだ。
普通に見てるだけじゃ、ちと味気ねえ」
袋を叩く。
「金を掛けてみろ。
レースは何倍も熱くなる」
一歩近づき、声を落とす。
「一口、乗らねえか?」
黒装束の男は、ようやく一瞬だけ視線を向けた。
だが何も言わない。
「ははは、無口だねえ。
まあ聞いてけ」
賭博屋は指を立てた。
「一番人気はこいつだ」
誇らしげに言う。
「ライナルトと、愛龍ユラン」
周囲の空気が、わずかにざわめく。
「無敗。
無敵。
俺達王国人の"英雄"だ」
肩をすくめる。
「“閃光のライナルト”って呼ばれててな。
序盤から一気に前へ出る、
あの大胆な飛ばし方――」
舌打ち。
「強すぎるのが欠点だ。
オッズは1.1」
両手を広げる。
「ロマンもクソもねえだろ?」
そして、声をひそめる。
「……だがな」
もう一本、指を立てた。
「俺が注目してるのは、こいつだ」
「レイ。
新人だ」
黒装束の男の視線が、再び空へ戻る。
「デビューから無敗で国王杯まで上がってきた。
それだけで異常だ」
賭博屋は目を細めた。
「相棒はアーク。
元々は野生のドラゴンだったらしい」
わずかに声が弾む。
「由緒正しい血統竜じゃねえ。
小柄だが……爆発力は桁違い」
身振りで曲線を描く。
「んでさっきも言ったが野生育ちだ。
森林や起伏のあるコースじゃ、
機動力はライナルトを超えるかもしれねえ」
ニヤリと笑う。
「オッズは21。
だが俺からすりゃ――かなり堅い」
じっと黒装束の男を見る。
「旅の土産に、いっちょ買ってみねえか?」
その瞬間。
「――おい」
鋭い声が割って入った。
王国警備の兵士だ。
「そこで何をしている
神聖なドラゴニクス競技での賭博行為は禁止だ」
「……やべ」
賭博屋はあからさまに顔をしかめた。
「じゃあな、あんちゃん!」
そう言い残し、人混みに紛れて足早に消える。
黒装束の男は、一瞬だけその背を目で追った。
だがすぐに、また空へ視線を戻す。
夕焼けの中、ドラゴンたちが旋回している。
(……感じる)
彼の内側で、静かな声が響いた。
(お前の意思を――)
(一体なにを始める?)
答えはまだない。
ただ、空の気配だけが、確かに変わり始めていた。
国王杯前夜。
誰もが浮かれているこの場所で、
世界はすでに、次の局面へと踏み出していた。




