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悪役令嬢はドアマットを演じるのをやめました〜浮気されたので隣国の王子と共に国ごと潰します〜

作者: 結城斎太郎

かつて「完璧な淑女」と称された侯爵令嬢、クラリス・エルンストは、王太子エドワードから突然、婚約破棄を言い渡された。


「クラリス、君との婚約は破棄する。僕は真実の愛を知ってしまった。愛する人は、平民のリリアーナだ」


王宮の大広間、貴族たちの前でそう高らかに告げたエドワードの隣には、恥じらいながら微笑む少女。クラリスが“意地悪をしていた”と噂される平民出の侍女である。


「クラリス様のような冷たい方より、心の優しいリリアーナの方が相応しい!」


「そもそもあの方は、婚約者であることを笠に着てリリアーナを苛めていたではないか」


クラリスは何も言わなかった。言えなかった。

膝をついて震えるリリアーナに、彼女は手を差し出しさえしたというのに。

誰も信じない。

彼女は“悪役令嬢”の仮面を被らされ、誹謗の中心へと追いやられた。


ドアマットのように、踏みにじられたクラリスは、静かに微笑んだ。

そして言った。


「そうですか。では婚約破棄、承知しました。——覚えていてください。今後、あなた方に慈悲はありません」


その日、王城を去ったクラリスの姿を、誰も本気で気にとめなかった。


だがそれは、王国の終わりの始まりだった。



---


半年後。


王都は混乱の渦中にあった。


王国の経済を支えていた鉱山が突如、全て隣国に買収され、主力商会も離反。軍事供給ラインが途絶え、国庫は枯渇寸前。


「く、クラリス令嬢が……すべての裏にいたというのか……」


エドワードは信じられぬものを見るように、手紙を震わせる。

それは、クラリスからの正式な通達だった。


> 「国際経済連合クラウス商会CEO、クラリス・エルンストより王国宛通達。以後、王国への全取引を永久凍結とします。理由:信義の欠如および私への名誉毀損」




彼女はただの侯爵令嬢ではなかった。

実は、隣国の巨大企業グループの総帥でもあったのだ。


さらに悪いことに、隣国から「軍事同盟締結」の申し出が届いていた。


しかも——その代表は、隣国第一王子ユリウス・シュトラウス。



---


「……全部、君が仕掛けたのか?」


隣国の城で再会したエドワードは、苦々しく吐き捨てた。


クラリスは青いドレスに身を包み、優雅に微笑んだ。


「いえ、これは“自然な報い”ですわ。私は貴方たちに危害を加えてなどいません。ただ……正当な対応をしたまで」


「っ……この女!」


クラリスに掴みかかろうとしたエドワードの前に、すっと割って入る影。


「手を出すな、元王太子殿下。クラリスは、今や我が婚約者だ」


ユリウス王子のその宣言は、凍るような冷気を孕んでいた。


「白い結婚だと、クラリスは言っていた。感情のない政治的同盟関係だと……でも、私は君を愛している。どれだけ冷たくされても、君の中の火を知っているから」


「ユリウス様……」


クラリスは思わず目を伏せた。


そう——彼はただの“協力者”ではない。


あの夜、クラリスが王都を出て最初に頼ったのは、かつて一度だけ舞踏会で踊った隣国の王子だった。


「君の手が震えていたのを、私は見た。——あの夜、誰も君に寄り添おうとしなかったけれど、私は……ずっと気になっていた」


そう言って、彼は手を差し伸べてくれた。


クラリスが冷たく振る舞えば振る舞うほど、ユリウスは静かに、誠実に、優しさを重ねてくる。


「誰にも見せない顔を、私は知っている。君は冷酷なんかじゃない。優しく、傷つきやすくて……でも、その痛みに立ち向かえる強さがある」


クラリスは、初めて誰かに“理解された”と思った。


そして——復讐を果たした今、彼女の瞳に残ったのは、静かな虚しさと、彼の温もりだけだった。



---


数ヶ月後、王都にひっそりと届いた報せ。


「元侯爵令嬢クラリス・エルンストと、隣国第一王子ユリウス・シュトラウスとの間で、正式な婚姻契約が成立した」


それは、政治的同盟を超えた“愛”による結びつきであると、彼女自身が記した署名付きだった。


新たな女王となったクラリスは、ユリウスの隣で微笑んでいる。


かつて踏みにじられたドアマットは、今や国を動かす王妃となった。


そして、彼女の手を取る王子の視線は——どこまでも深く、愛に満ちていた。



---





---


「……この手紙、本当に出してしまっていいの?」


真珠色のヴェールを手にしたクラリス・エルンストは、鏡の前でふと問うた。


「いいんです。それが貴女の“答え”なら」


侍女が丁寧に答えながら、彼女の長い金の髪を編み上げる。


数日前、彼女の手から各国へと届けられた招待状。


そこには明確に書かれていた——


> 「元王太子エドワード殿下、および平民リリアーナ嬢も、どうぞ遠慮なくご列席くださいませ」




嘲りか、警告か、あるいは哀れみか——そのどれでもなかった。


これは、彼女が過去と向き合い、完全に決別するための儀式。


そして同時に、「白い結婚」ではないことを世界に示す、愛の始まりでもあった。



---


式が行われるのは、隣国オスベルグの王宮。

世界各国の要人が集まる壮麗な場。

王家直属の魔道楽団が奏でる音楽が、大理石の天井へと高く響く。


ユリウス王子は、白銀と深紅の正装に身を包み、王族としてではなく、一人の“男”として彼女を迎える。


クラリスが純白のドレスで現れたとき——その場にいた全員の時間が止まった。


整った顔立ち、落ち着いた微笑。

それは王妃としての威厳でも、政略の象徴でもない。

ただ一人の女性が、愛する人のもとへと歩いていく、その姿だった。


「……美しい」


ユリウスは、思わず息を飲んで呟いた。


彼女が目の前に立ったとき、式場の中央にある魔法の光がふわりと色づく。

互いの想いが共鳴し、祝福として現れる——それは古くからの風習だった。


淡い桜色の光がふたりを包んだ瞬間、列席者たちの誰もが知った。


「これは……本物の愛の色だ」


嘘や仮面では出せない、心と心が響き合う証。


ユリウスが指輪を取り出す。

銀に細工された指輪には、クラリスの家紋とユリウスの紋章が刻まれていた。


「クラリス・エルンスト。私の妻になってくれ。王妃としてでなく、一人の女性として——君を心から、愛している」


差し出された手に、クラリスは静かに微笑む。


「はい。私は、あなたの妻になります。政治でも、国でもなく、あなた自身と生きていきたいと……心から、そう思っています」


指輪が交わされた瞬間、天井から光の花が咲いた。

隣国の魔術技術による祝福の演出——だが、そのどれよりも美しかったのは、ふたりが交わした視線だった。



---


式が終わり、祝宴が始まる。


隣国の貴族たちは口々にふたりを祝福した。

クラリスの背後には、もはや“悪役令嬢”という影などない。


代わりに、“隣国をも動かす頭脳と誇りを持った王妃”という新たな評判が広がっていた。


その中で、一組の客人だけが肩を震わせていた。


元婚約者・エドワードと、今や“王太子妃の座”を追われたリリアーナだった。


彼らは静かにその様子を見つめるしかない。


一度手にしかけた“宝石”を自ら地に落とし、濁った泥の中に沈めたのは自分たちだったのだから。


「……まさか、ここまでとは……」


「うう……クラリス様、こんなに綺麗に……」


その声に振り向いたのは、他でもないクラリス本人だった。


ドレスの裾を揺らしながら、彼女は静かに歩み寄る。


「お招きに応じていただき、ありがとうございます。おふたりにこそ、この祝福をお見せしたかった」


言葉は優しかったが、眼差しには一片の憐憫もなかった。


「私はもう過去を引きずりません。ただ、これだけはお伝えしておきます」


クラリスはそっと微笑んだ。


「“ドアマット”は、自ら進んで土を拭かせていたわけではありません。——踏んだ人間の品性を映す鏡に過ぎなかったのです」


ふたりが顔を赤らめ、何も言い返せないまま立ち尽くす中、クラリスは踵を返す。


そこに待っていたのは、彼女をこの上なく優しく見つめる王子、ユリウス。


「言いたいことは全部言えた?」


「ええ。もう心残りはありません」


「なら——こっちにおいで、僕の妻。これからは、君が幸せになる番だ」


差し出されたその手は、かつての誰よりも温かかった。



---


夜。


祝宴が終わり、ふたりだけの時間。


クラリスは王宮のバルコニーから、星空を見上げていた。


「……もう、昔の私ではいられないのね」


「そう思う?」


ユリウスが後ろから抱き寄せる。


「君は変わったわけじゃない。君の中の“本物”が、ようやく外に出てきただけだよ」


「……なら、これからも変わらず、私の傍にいてくれる?」


「もちろん。僕は君を見てきた。君の苦しみも、怒りも、強さも、優しさも、全部」


ユリウスの唇が、クラリスの額に触れた。


「そして、君の笑顔に報われたいんだ。君が幸せになれば、僕の人生はそれでいい」


クラリスは静かに、彼の胸元に顔をうずめた。


「ありがとう、ユリウス。……愛してるわ」


「僕もだよ、クラリス。君だけを、一生、愛し続ける」


ふたりを包む夜風は穏やかで、まるで星たちがふたりの未来を祝福しているようだった。


かつて誰からも信じられず、踏みにじられた少女は今、真実の愛を手にし——

王妃として、そして一人の女性として、新たな人生を歩き出した。



---





---


クラリス・シュトラウスは、深く静かな夜の中で、ひとつ大きく息を吐いた。


「ふぅ……ッ、は、はぁっ……!」


手を握っているのは、夫ユリウスの手。


いつもは冷静な彼も、今は目の前で脂汗をかきながら、妻の手を強く握っていた。


「クラリス、大丈夫だ。君は強い。君なら絶対に乗り越えられる……!」


「な、何を……あなた、顔真っ青よ……!」


「そ、それは……君のほうが壮絶すぎて、見ているだけで心がえぐられるからに決まっているだろう……ッ!」


そう言いながらも、彼は決して目を逸らさなかった。


王族の間に初めて授かった“新しい命”。

それは王国の未来であると同時に、ふたりの愛の結晶でもあった。



時を少し戻そう。


クラリスが懐妊したと知らされたのは、春の訪れを告げる満開の花々が咲く日だった。


「……ええと、つまり……?」


医師の診断を聞いたクラリスは、一瞬言葉を失った。


「おめでとうございます、王妃陛下。妊娠三ヶ月目でございます」


それを隣で聞いたユリウスは、ぽかんと口を開けて、次の瞬間、顔を真っ赤にして叫んだ。


「こ、子ども!? ぼ、僕たちの!? 本当に!?」


「はい、本当にですわ。驚いた?」


「もちろんだよ! でも……嬉しい、嬉しいよ……!」


ユリウスはその場で彼女を抱きしめて、何度も何度も「ありがとう」を繰り返した。


——王妃として政務をこなす日々。

——かつての裏切りから立ち直る時間。

——王として国と向き合う夫を支える役目。


そんななかでクラリスは、強く、美しくあろうと努めていた。


けれど今は、心から誰かに寄りかかってもいいと思えた。


「この子が生まれたら、きっとまた世界が変わるわね」


「変えてみせる。君にも、子どもにも、一番優しい世界を……約束するよ」



妊娠中のクラリスは、決して順風満帆ではなかった。


体調の波に悩まされ、重たい王妃の公務も一時停止。

そのたびにユリウスが書類の山を抱え、時には彼女の足元に膝をついてまで、安静にさせた。


「君が倒れたら、国を焼いてでも医者を引きずってくるからな?」


「……そんなことされたら、わたしが心配で倒れるわよ」


そんなやり取りを交わしながら、ふたりは少しずつ、家族になる準備を整えていった。



そして、ついに迎えた出産の日。


クラリスは想像を遥かに超える痛みに身をよじりながら、必死に子を産もうとしていた。


「クラリス……! 頑張って……っ、あと少しだ……!」


「う、うるさい……この痛み、あんたが半分持ちなさいよ……!」


「えっ!? そ、それは無理だろう……!」


「黙って握ってなさい!!!」


「は、はいッ!!」


——そして、長く、長く感じた時間の末。


「……おぎゃあっ……!」


産声が響いた。


その瞬間、クラリスの頬に涙がつーっと伝った。


「……生まれた……わたしの……わたしたちの、子……」


「ありがとう、クラリス。本当に、ありがとう……」


ユリウスは泣きながら、クラリスの額にキスを落とした。



産まれてきたのは、男の子だった。


白金の髪に、クラリス譲りの宝石のような紫の瞳。

その目がユリウスを見上げると、彼はまるで崩れるように座り込んだ。


「……これが、僕の……」


「ええ、あなたの子よ。泣き虫なのも似たのかしらね」


「えっ、僕って泣き虫だった!?」


「いま、泣いてるでしょう?」


「……確かに!」


ふたりの笑い声が、小さな命の上に降り注ぐ。


クラリスはふと思った。


——もう、過去の誰にも怯えない。


——私は、もう一度踏みにじられても、また立ち上がれる。


なぜなら今、私の傍にはこの人がいて、この子がいるのだから。



数日後、国民に向けて王子の誕生が発表された。


街中に祝福の鐘が鳴り響き、あの「悪役令嬢」と揶揄されていたクラリスが、今や“慈愛の王妃”として語られるようになった。


かつての侮辱も、裏切りも、王子の誕生によってすべてが終わった。


それは“復讐の完結”であり、“幸せの完成”だった。



ある晩、クラリスはユリウスの胸元で眠る我が子を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「……私、あなたと出会えてよかった」


「……僕もだよ、クラリス。君と結ばれて、この子が生まれて……僕の人生に、もう何ひとつ、足りないものはない」


「でも……もう一人、いてもいいかも」


「な……!?」


「ふふ、冗談よ。……いまはこの子だけで、十分」


クラリスは、微笑みながら愛しいわが子を抱き上げた。


優しいまなざしが、彼の小さな手に触れる。


そしてその隣には、変わらず彼女を一番に想い続ける、愛する夫の姿。



もう、誰に否定されることもない。


もう、誰かの道具ではない。


——私は、私として生きている。


過去に踏みにじられた“ドアマット”は、今や未来を紡ぐ“母”となった。


それは、どんな復讐よりも尊い、永遠の勝利だった。




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