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三十二話

 その光景は目に焼き付いている。

 大勢の人間たちに周囲を取り囲まれ、もはや逃げ場のない公園のど真ん中で、日付が変わって俺の体が消えていく様を見届けるムチ子と式上先輩の顔が、どうしても頭から離れない。


 二人とも笑っていた。

 ムチ子は悟ったように、先輩は儚げな微笑みで。

 ロリっ子のことはアタシに任せておけだとか、二人でなんとか頑張っていくよだとか、とにかく俺を安心させようとするセリフばかりを口にしていた。


 安心できるわけがない。

 確かに俺がいなくなればムチ子は先輩ごと空へ逃げられるだろうが、囲まれているその状況で空へ逃走したところで、敵の飛び道具の雨にさらされるに決まっている。


 逃げ場なんてない。

 それなのに彼女たちは俺の事ばかり気に掛ける。

 心配をかけさせまいと空元気で立ち上がってみせる。


 その姿は気高く強く、なにより鮮烈で──同時に俺に不安を覚えさせた。



『──っ。……ふふっ。キミの呪い、キスしたら爆発するとか、そういう類のものじゃなくて……本当によかった』



 その唇の感触も、俺には別れの恐怖とこの二人への強い執着しか与えてはくれなくて。



『さよなら、後輩くん』



 彼女へ手を伸ばした時には、もう遅かった。









「──先輩っ!」


 思わず飛び上がった。

 しかし視界がぼやけて周囲が見えない。

 咄嗟に手の甲で瞼を擦って目を開くと、そこは学校の教室の中だった。


「…………ぁぇ?」

「おう主陣。いい夢見れたか? ちなみに今は授業中なワケだが」

「……ぁっ」


 すぐ傍には教科書を丸めて今にも俺に天誅を下さんとする男性教師の姿が。

 教室中のクラスメイト達みんなが俺の方を向いてクスクス笑っている。


 そして──その中にインの顔はなかった。





「主陣~。帰り本屋寄らん?」


 放課後。本日の授業を全て終え、早々に帰宅の準備を整えていると、クラスメイトの海夜に声をかけられた。

 今日は学校側や職員たちの都合で部活や文化祭の準備をすることが出来ないため、みんなも各々下校に勤しんでいる。


「あー、悪い。帰りはインの家に寄ろうと思ってて」

「そっか。そいやアイツ今日休みだったな。風邪とか?」

「俺も聞いてないんだ。心配だからちょっと様子見に行くつもり」


 昨日の夜は俺に意味深な質問をしたあとに『大人しく待ってろ』と言ってどこかへ消えてしまったイン。

 今朝も家に行って一緒の登校を誘ったのだが、全く反応がなかった為一人で学校まで来てしまった。

 先に行ったのか、もしくは後から到着するのかと軽く身構えていても、インは一向に現れず。

 結局今日は登校してこなかった──ので、これから家に向かって様子を窺おうと思う。


 もし何か妙なことをやろうとしていたら、俺が直接止めないと。


「ほぇー……なぁ主陣、俺も付いていっていい?」

「いいけど……気になることでもあんのか?」

「なんか昨日の火路ってば怖い顔してたからさ。悩みがあるなら聞いてやりたいなって。一応クラスメイトだし」

「……お前、良いやつだな」


 お人好しというか、真っ直ぐというか。

 昨日は俺のチョコを全部食いやがったわけだが、アレはたぶんインの嫌がらせに巻き込まれただけだろうし、謝りながら代わりのゆで卵を献上してくれたのでこいつは良いヤツだ。

 

 インの事も気にかけてくれてるようだし、わざわざ家に上がるわけでもないから連れていっても問題はないだろう。





 というわけで数十分後。

 俺たちは火路宅の前に到着した。

 既に何度かインターホンを押してはいるものの、一向に誰かが出てくる気配はない。

 車庫に車がないので彼の親は出かけているのだろうが、自転車は置いてあるのでイン本人はいてもおかしくない。


 なにより二階の窓から明かりが漏れている。

 あそこはインの部屋だし、そこの電気がついているということは家の中にいるという事だ。


「火路のやつ出ないぞ? 帰る?」

「……いや」

 

 海夜の提案を却下し、玄関のドアへ手をかけた。鍵は開いている。


「おいおい主陣!?」


 分かっている。このまま家の中に入ったら、いくら何でも学友とはいえ不法侵入者になってしまうだろう。


 だが、昨晩のインの様子は普通じゃなかった。

 アレは初対面の時に俺へ催眠術を掛けようとしていた式上先輩と同じく、()()()とんでもない事をやろうとしている人間の目だった。


「海夜はここで待っててくれ。何かあったら連絡する」

「お、おいってば……! やばいってぇ……!」


 正面からダイナミック不法侵入をする俺を止めようとする海夜だが、彼の声を意に介さず俺は火路宅の中へと足を踏み入れていく。

 もはや迷っている時間などない。

 またNTRのあの二人に会えたら嬉しいか、なんて質問をしてきたのだ。

 インが何も考えずにそんな質問をするとは思えない。

 

 あれは恐らく俺の意思確認と、自分の行動を決定するための問答だったんだ。


「……」


 一階には誰もいない。余計な物色をしているところを彼の家族に見つかったら泥棒扱いで警察に叩きだされてしまうため、そそくさと彼の部屋のある二階へと移動した。


「イン? いるのか?」


 彼の部屋のドアををノックしても返事は戻ってこない。

 一拍おいて深呼吸をして、覚悟を決めてドアを開けると──




「あ、コウ」




 ──そこでは黒い悪魔の様な翼を生やしたウサギのぬいぐるみと、見覚えのある()()()()()が窓際に佇んでいた。




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