7 怖さ
翌日の朝、稲森さんは早々と「お風呂はいってくるね」と、出て行ってしまった。
昨日はいつの間にか、宴会から消えてどこに行ってたのと、部屋に戻った時には、かなり責められたが、圭介に卓球をしようとせがまれたからと言うと、変に納得してしまった。
「圭介は絶対に、柴田さんのことが好きだよ」
「それは絶対にないから。ただ、お酒飲んでるより、体動かしたかっただけですよ」
「ふふん…」
力を込めて否定すればするほど、稲森さんは疑ってくるってわかってはいたが、実は稲森さんに否定していたわけでなく、自分自身に言っていたと思う。
昨日も桐子に、圭介は瑞希を好きだってまるわかりだと言われたが、どっかでその言葉を否定している自分がいる。
若気の至りだの、ほんの気まぐれだの言ってみたり、いや、若気の至りも何も、12も上の私を好きになるはずがないとか、そんなことを思っているのだ、私は…。
朝食にもまだ、時間があるので、庭を一人でぶらつくことにした。 5月、緑がとても綺麗な季節。庭は小さいけれど、整然としていた。
ほ~~ってため息をつくと、後ろから、
「おはよう。早いじゃん」
と、桐子が声をかけてきた。
「おはよう。稲森さんが早くに起きて、お風呂いっちゃってさ、一人で暇だったから」
「瑞希はお風呂は?」
「う~~ん、いいや。なんか、今入ってものぼせそう」
「考え事してた?すごいため息だったよ」
「ああ、うん…」
向こうに縁側があるからと言われ、庭の奥の方へと入っていった。縁側に二人で座る。どうやら、桐子は私の話を、じっくりと聞こうという体制らしい。
「昨日、素直になりなって言ったでしょ」
「うん」
「なんかさ、自覚してたんだ。私、好きでもないのになんで茂さんとお付き合いしているのかって」
「うん」
「圭介のことが好きなのも、自分でわかってる。だけど、踏み出せないのは、怖いだけなんだ」
「何が怖いの?」
「いろいろと考えちゃって…」
ふうってまた、ため息が出る。
「天秤にかけてみたりしてる。茂さんなら、今、結婚もできる年齢だし、収入が安定してるとか、将来とか、いや、圭介だって仕事してるし、その辺は大丈夫だろうけど…」
また、ため息が出た。
「でも、今すぐに圭介とは結婚とか、できないよな~~とか、だいたい2歳年下ってだけで前、結婚が駄目になったし、12歳も下なんてとんでもないとか。は~~~」
またもや、深いため息。それとともに、自分の本心が見えてくる。
「違うな…。違う。そうじゃなくって…」
「ん?」
「怖いだけなんだよ、ただ。あとは全部言い訳なんだ」
「言い訳?」
「そう。本当は年齢とかそういうんじゃなくて、いや、それもあるし、世間体とかもあるし、結婚も焦ってるし、それもあるんだけど」
「うん」
「でも、1番根っこにあるのは、圭介に好かれていないんじゃないかって怖さ」
「は?」
「桐子は、圭介も私を好きだとか、思ってるでしょ?」
「う~~ん、そう見えるよね。」
「そうかな~~。私は、それ、信じられないんだ」
「言われてないから?好きだって」
「言われても信じられるかな…?」
「はあ?」
「馬鹿だね、馬鹿だよね。でも、人をこうやって好きになったことあまりないし…。ああ、高校の頃好きだった先輩がいた。でも片思いで、思いを告げたには告げたんだけど、卒業してそのまんま…。そんなことあった。好きだと相手が自分を思ってくれるなんて、どうにも思えなくなる。そんなに好きでもない人なら、思わないんだけどな」
「自信がなくなるんだ?」
「うん」
「が~~~~っ!」
突然、私は頭をかきながら、思わずうなってしまった。
「何~~?」
桐子が、びっくりしていた。
「これが、高校生とかで、見てるだけでいいのとか、ふられても次があるとか、そういう時期ならさ…」
「今は、そういう時期じゃないの?」
「33だよ」
「そうだけど」
「桐子は考えないの?今の好きな人との結婚」
「考えるよ。でも、なんて言うのかな、結婚ってタイミングとか、縁とかいろいろとあると思うし、それに33歳だからって、焦る必要もないって言うか…」
「ええ?」
「40歳でも結婚する人いるし、今は、そんなに結婚適齢期ってないと思うしね。それよか、恋を楽しんでる感じかな」
「恋を?」
「瑞希は、焦りすぎてない?そりゃあ、会社も辞めて、いろいろと環境も変わって、未来に不安とかもあると思うけどさ」
「うん、余裕ないね…」
「でもね。瑞希の気持ちの方が大事でしょ?」
「う~~ん。だから、気持ちを大事にしようとしてるから、悩んじゃう」
「何を?」
「傷つくのが怖いだけかな。好きな人が自分を好きになってくれなかったらとか、結婚はやっぱり考えちゃうし、期待もする。だから、結婚できなかったらとか…。あれこれ考えちゃうよ」
「先のことばかり考えすぎているんじゃないの?」
「そりゃあ、考えちゃうよ」
「でも、それって、取り越し苦労でしょ?」
「……」
「さて、もう行かないと。いろいろと忙しくなるから、見送ることはできるけど、それまでは時間取れそうもないな。また、ゆっくり電話で話そうよ」
「うん。ありがとう」
小走りに、桐子は戻っていった。
余裕があるのは、もう、道が決まっているからじゃないかって思った。好きな相手だって、自分の旅館で働いている人だし、だから桐子は、余裕があるんじゃないかって。
結婚ってなんだろう。人を好きになるってなんだろう…。
朝食を食べに食堂に行っても、男性陣の姿はなかなか現れなかった。昨日相当、飲んだんだろうな。
部屋に戻り、稲森さんとお茶を飲みながらゆっくりとして、荷物をまとめて、ロビーに行った。ロビーには、一人また一人と、男性陣が現れた。最後に来たのが圭介だった。
「すみません。風呂はいってて、遅くなりました」
ニカってやけに明るい笑顔で現れて、こっちが悩んでいるのが馬鹿らしくなるほどだった。でも、何気にそぶりが、よそよそしい。
「帰りは、それぞれ家が近い人同士で、別れて帰ることにして、ここでとりあえず、解散にしましょう。お疲れ様でした」
社長が、少しかすれた声で言った。相当飲んだんだろうなって声だ。
「あ、俺は、圭介と柴田さん送っていくから、二人後ろに乗って」
かすれた声のまま、社長が言った。
ええ…?声に出さず、心の中でつぶやいて、
「あ、はい」
一呼吸、間をおいてからそう言うと、社長が、
「何?俺の車じゃ不服?」
と、冗談半分に言ってきた。
「いえいえ、光栄です」
私が苦笑いをすると、圭介はこっちも見ず、
「社長、サービスエリアまで、運転します」
と、さっさと運転席に乗り込んでしまった。
「ああ、悪いな。そうしてくれると助かる」
圭介の隣もいづらいが、社長の隣もいづらいなって思いながら荷物を持つと、
「ああ、柴田さん、助手席でもいいかな?圭介が寝ないように、見張ってて」
と、ちょっと笑いながら社長が言った。
「寝ないっすよ、俺。こう見えても運転中は眠くなったりしないし、運転するの好きだし」
うん。それは知ってる。
「ははは。冗談だよ。ただ、後ろでゆっくりとさせてもらいたいなって思ってね」
「ああ、そういうことでしたら、いいっすけど」
なんとなく、社長は私が社長の隣だと、堅苦しい思いをするんじゃないかって気使ってくれたような気がした。
「柴田さんも、助手席で寝ていいですよ」
「あ、うん」
シートベルトをしている私に、圭介が言ってきた。
柴田さんか…。最近は「瑞希さん」って言ってたのにな。社長がいて気を使ったのか、いや、思い切り、私との間に壁を作っているとしか思えないな。
シートベルトがなかなかできなかったが、圭介はまっすぐ前を向いたまま、ほっとかれた。やっとシートベルトができると、圭介が車を発進させた。なんだか、ちょっと悲しくなった。
運転中も何も、圭介は話さなかった。社長は後ろであっという間に寝てしまい、車内は社長の寝息(たまに、いびき)だけが響いてた。
しばらくして、圭介がラジオをつけた。軽快に流れる音楽と、DJのやけに明るい声が、逆に車内を暗くさせていった。
こんなんで、明日からどうやって圭介の隣で、仕事をしようか…。
サービスエリアに着くと、社長がむくっと起き、
「ああ、もう着いた?いや~~~、よく寝れたよ」
と、後部座席から、話しかけてきて、
「トイレ休憩して、何か飲み物でも買ってくるかな」
と、さっさと、車を降りていってしまった。
圭介も車から降りて、大きなのびをした。
「柴田さん、寝れましたか?」
「え?ううん」
「あれ?寝てなかったんすか?やけに静かだから寝てたのかなって…」
「え?」
「俺もトイレ行って、コーヒーでも買ってこよう。柴田さんは?」
「あ、私も行く」
慌てて、お財布を持ち、あとを追いかけた。
トイレに行き、鏡を見た。ちょっと、疲れた顔をした私がいた。圭介の隣で、ずっと緊張してた。この前、圭介とドライブしたときには、楽しくてしかたがなかったのに…。
だけど、だんだん、圭介がよそよそしいのは、私の思い過ごしかと思えてきた。黙っていたのは、私が寝れるようにって、思ってくれていたのかもしれないし。
水を買って駐車場に行くと、どこに車を止めていたのかがわからなくなった。
「あれ?社長の車、どれ?」
きょろきょろしていると、圭介が、思いきり手を振っているのが見えた。
「ああ!」
ほっとして、車まで走っていった。
「どこだか、わかんなくなってました?」
「うん」
「あはは。やっぱり。方向感覚にぶそうですよね、瑞希さん」
ええ?なんだよ~~。瑞希さんって呼ぶじゃない。それに思い切り、笑ってくれるじゃない。
「う、うるさいな。そうだよ、方向音痴だよ。悪い?」
「やっぱりね。あはは…」
ああ、やばいことに、泣きそうになった。目を合わせないようにして、助手席のドアに手を伸ばすと、
「あ、瑞希さんと俺は、今度後ろ」
って、圭介が私の手を取った。
「え?」
「後ろの席。社長の隣は、ちょっとびびるでしょ?」
小声で少し顔を近づけて、いたずらっぽい目つきで、圭介はそう言った。
確かに、そうだけど、君の横でも、緊張するんだよ。とは、言えなかったし、緊張しながらも、つながれた手が熱くなり、嬉しいのも事実。
後ろに二人で乗り込むと、運転席で新聞を読んでいた社長が、
「お?少しは、外の空気吸って、気分転換になったか?そろそろ、行くか?」
と、のん気に聞いてきた。
「はい」
「社長、なんか音楽かけてください」
「ええ?ないよ」
「え?まじで?」
「俺は、いつもラジオ聞いてんだよ」
「なんだ、そっか~~。それじゃ、しょうがないっすね」
「いいだろ、ラジオでも。面白いじゃんか」
なんだか、圭介と社長の会話は、とても、上司と部下、それも1番若手の部下とは思えない会話だ。
二人の会話を聞いて「くす」って笑うと、
「俺が小さい頃から、社長は家によく遊びに来てて、年が離れてる兄貴って感じだったんです」
と圭介が、私に言ってきた。
「え、そうか…。部長の後輩って言ってたもんね」
「笹さんとか、笹おじさんって呼んでました」
「笹おじさん?」
「おやじが、笹って呼んでたから」
「俺の、大学のときの呼び名が、笹だったんだよ」
社長が、話に加わってきた。
「へ~~。じゃ、会社に入ってから社長って呼ぶように?」
「うん。まあ、会社では…。でも、家に遊びに来るときは、また笹おじさんって呼んじゃうけど」
なんだか、社長が圭介をかわいがっているのも、圭介が社長になついているのも、わかるような気がした。きっと、圭介が小さな頃から、見てきたんだろうな。
高速を走り出し、ラジオにしばらく耳を傾け笑っていた圭介が、静かになったと思ったらすやすや寝てしまっていた。
窓に顔をくっつけ、無防備で寝ている横顔は、めちゃくちゃかわいかった。やばい、思い切り、その横顔に見入っている私がいる。
しばらく眺めていた自分に気づき、はって前を向いた。社長に気づかれてはいないかって…。すると、社長が、
「なんか、圭介って憎めないやつでしょ?」
と、やはり私が、圭介の顔に見入っていることに気づいていたようで、そんなことを言ってきた。
「そ、そうですね」
「不思議なやつだよ。誰とでもすぐに仲良くなる。無邪気って言うか、人懐っこいって言うか」
「はい、そうですね」
社長のそんな言葉を聞きながら、また、私の胸がぎゅってなった。
そうだ、誰にでもなんだ。この無邪気さも、愛らしさも、誰にでも見せる彼の姿なんだ。私にだけ、特別じゃない。そう自分に言って、私は自分の気持ちに釘を刺す。勘違いしちゃだめだよと…。
圭介とは反対の方を向いて、窓の外を見ていた。何も考えないよう、これ以上傷つかないよう…。
私はそうやって、自分が傷つくのをいつも防いでいた。これ以上のめり込むと、傷が深くなる。その前に身を引く。心をすべて見せる前に、閉じてしまう癖がある。
だから、元彼にだって、別れようと言われたとき、嫌だって言ったり、理由を聞かせてって言うこともできたのに、そのまんま、何も言わず、別れてしまったのだ。もっと傷が深くなる前に、傷が広がる前に、別れてしまおうと。
こてん……。
「え?」
びっくりした。圭介が私の肩に、もたれかかってきた。すぐ近くにある綺麗な圭介の横顔にも、かすかに私の頬をくすぐる圭介の黒髪にも、かすかに聞こえてくる圭介の寝息にも、どうにもこうにも、ときめいてしまう。
圭介の隣は、どうしてこうも、ときめいてしまうのに、あたたかいのか。心がほんわかしたあったかい空気に、包まれるのか…。
社長が、ちらっと、バックミラーを見たのがわかった。でも、私は圭介にそのまま、肩を貸し続けた。でも、圭介の顔は見ず、外を見続けていた。
高速を降りると社長が言ってきた。
「まず、柴田さんの家に向かうとするかな」
「あ、はい。すみません」
そんな会話をしていても、圭介は、そのまま動かなかった。
しばらくして、ごそ…、圭介が姿勢を直した。あ、起きたんだって思ったけど、圭介はなんにも言わず、反対側の外を見ていた。
社長が、
「え~~と、駅のすぐ近くなんだっけ?」
と、カーナビを見ながら聞いてきた。
「はい、そうです。えっと…」
道を説明しようとすると、圭介が、
「その先、左です」
って、社長に道の説明をしだした。
「あれ?なんで知ってんの?」
社長が聞くと、
「前に一回、送っていったことがあって」
と、なんの躊躇もなく答えていた。ま、そうだよね、あれは単なる代理できたんだし、誰かに秘密にしなくちゃいけないことでもないし。
「お前はすごいよな、一回で道、覚えちゃうんだな」
「ああ、う~ん、この辺は、来たことあったから」
ちょっと言いにくそうに、圭介がそう言った。へえ、そうなんだ、誰かがこのへんに住んでいるとか?
「友達でもいるのか?」
と、社長が聞いてきた。
「いえ、友達って言うか、まあ、えっと、諸事情がこれでもあるんすよ。いろいろと…」
「ははは、彼女か~~」
あああ。駄目だし…。それは、社長、私の前で聞かないで…。
「違いますよ。正確には彼女じゃなくて…」
「え?」
「う~~ん、好きな人…かな」
「あれ?ストーカーじゃないよな。彼女でもない人の家に、来てるって…」
「げげ!ストーカーっすか。俺?」
「え?あれ?図星?はははは。そんな追っかけなくてもお前なら、引く手あまたなんじゃないの?」
「もてないっすよ、俺。いっつも面白い人とか、一緒にいて楽しいだけで終わるんすよね。どうしたらいいすか?」
「ははは。そこがお前の持ち味、お前らしいところだからな。そこを好きになってくれる人が現れるまで、待つしかないんじゃないの?」
「あ~~~。そんな人いるかな~~」
そんな会話を聞きながら、私は少し気持ちが楽になった。なんだ、もてないんだ…。
いや、待てよ。何か大事なことを聞き逃している。
ああ、「好きな人」だ。いるんじゃないの。好きな人…。これは、ショックだ。彼女がいても、ショックだが、好きな人でもショックだ…。
家に着き、荷物を持ち「ありがとうございました」と、車を降りた。
「ああ、お疲れ様」
社長が、助手席から顔を向けて、軽く頭を下げた。圭介は、私が座っていた方にずれてきて窓を開け、
「お疲れ様!また、明日、会社で!」
と、明るく笑った。
ええい、ちきしょう。最後までかわいい笑顔を見せちゃってくれるじゃないの。さっきまで、「好きな人」がいるってことで、落ち込んでいたというのに、その笑顔を見ただけで、そんな暗さも吹き飛んでしまう。
そのあと、圭介はちょっと小声で、
「すみません。俺、寝ちゃって、重たくなかったですか?肩…」
と、聞いてきた。
「うん、重かったよ」
憎らしいから、わざと意地悪でそう言ってみると、少し申し訳なさそうに、
「すみません。図に乗りすぎでしたね。すみません」
と、謝ってきた。
「うそうそ、冗談。大丈夫だよ」
私がそう言うと、見るからにほっとした様子で、また明るく、
「じゃ、また明日!」
と、ニカって笑った。
家に入ると、なんだか、一気に力が抜けた。
悲しくなったり、切なくなったり、喜んだり、ときめいたり、なんて最近の私の感情は、忙しいんだろうか。これも、全部、圭介のせいだ。っていうか、恋しているからなんだろうな。
こんな思いは、いつ以来かな。高校生のとき以来かな?元彼とだって、こんなにくるくると、感情が入れ変わったりしなかったと思う。
圭介に振り回されているのかとも思ったが、やっぱり、私が単に、圭介を好きだからだろうな。
そのまま部屋に戻り、そのままベッドに横になる。気づくと、深い眠りに入っていて、母の「ご飯よ」の声で、目が覚めた。もう、外は暗かった。
ああ、夜まで、寝ていた…と起き上がると、頭ががんがんに割れるように痛い。
下におりて行き、尻尾を振って私の足にじゃれついてくるクロの頭をなでながら、
「頭、がんがんする」
と、母に告げた。
「あら、顔も赤いわね」
私のおでこに母が、手を当てた。
「熱あるんじゃない?」
熱を測ると、38度5分。
「げげ…」
熱っていうのは、測って体温を知ると、ますます体中の力が抜けるというか、頭が痛くなってくるというか…。
「食べれそうもないし、もう寝る」
私はまた2階に上がり、パジャマに着替え、寝てしまった。
その夜、夢を見た。どこかで、私は誰かを待っていた。車で、迎えに来てくれるという誰かを。でも、なかなか車は来なかった。悲しくて、会いたくて…。
朝、目が覚めて、私が待っていたのは圭介だって、はっきりとわかっていた。
起き上がると、まだ頭はがんがんしていた。熱を測ると、37度5分。下がってはいるものの、まだ、熱はある。もう1度横になり、しばらくぼ~~っとする。
そのあと、携帯から会社に電話をして、社長に代わってもらった。
「柴田さん、どうした?」
「すみません。熱があって。あの、今日忙しいですか?」
「大丈夫だよ。休んでも…。旅行で疲れちゃったかな?」
「すみません。明日には行けると思います」
「ああ、いいよ、いいよ。ちゃんと治してから来てよ。じゃあ、無理しないで、ゆっくり休養とって」
そう言うと、社長は、電話を切った。
ぼ~~っとする頭で、思い出すのは、圭介の笑顔や、寝顔や、寝息や、あったかさや…。
「会いたかったな…」
と、ぽつりとつぶやく。
「熱、下がった?」
母が、部屋に入ってきた。
「まだ、熱あるから休むよ」
「そう。あ、そういえば、茂さん、昨日電話くれたの。熱があって寝てるって言ったらお大事にしてくださいって。なんなら、茂さんの病院にでもいって、薬もらったら?」
「冗談~~。熱あって、電車なんて乗りたくない。寝てたら治るからさ~~」
「何よ。冗談に決まってるじゃない。さ、寝てなさい!」
ちょっとふてくされて母は、出て行った。
母の冗談に頭にきたのではない。茂さんのことをすっかり忘れてて、茂さんのことを思い出し、気が重くなったのだ。ああ、やばい。もうこの辺で、きちんと茂さんに、断らないといけないんじゃないのかな…。
夜、熱は下がっていた。 夕飯を食べ、部屋に戻り、明日会社に行くならお風呂にはいらなくちゃなって思いながら、どうやら、また寝てしまっていたらしい。
ブルル、ブルル…。携帯の振動の音で目が覚めた。
「あ、電話だ」
ベッドの横の小さなテーブルに、手を伸ばす。
「もしもし…」
「あ」
圭介だ…!
「圭介?」
あ…の一言で圭介ってわかってしまっている自分に、驚いた。
「寝てました?すみません。起こしちゃいましたか?俺」
「あ、平気。起きてお風呂はいらなきゃって思ってたし」
「風呂?熱もういいんですか?」
「うん、下がったよ。明日には行けると思うけど…。今、会社?」
時計を見ると、もう9時過ぎていた。
「はい。今日は11時頃までかかると思います。あ、今、他の人は夕飯食べに行ってて…」
「圭介は?」
「俺は、非常食のカップラーメン食べます」
「そんなので、おなか膨れるの?」
「3個食えば、どうにか…」
「ええ~~?大丈夫?きちんと食べなきゃ、体持たないよ」
「大丈夫っすよ。まだ、俺、若いし」
「ええ?それ、私に対する嫌味?」
「いえ、違います!」
「あはは、冗談だよ」
圭介の声にすごく、救われている私がいる。
「あ、よかったっす。元気そうですね」
「うん。もう、大丈夫だよ」
「すみません。熱出したって言うから、俺、悪かったなって、謝らなきゃって…」
「え?何を?」
「旅行で、俺、ちょっといい気になりすぎでした。かなり浮かれてて…」
「?」
「お酒飲んだ後に、卓球誘ったり、昨日の帰りも、車でずっとよっかかって寝たり…」
「卓球は関係ないよ。車でだって、大丈夫だって言ったじゃない」
「でも、俺がよっかかってたから、寝れなかったでしょ?」
「そんなこと…」
「すみません。俺、半分狸でした」
「は?」
「途中起きたんです。寝たふりしてました。なんか、瑞希さんあったかいし、そのままよっかかっていたくて…。でも、寝てなかったですよね。瑞希さん、ずっと起きてるの、わかってました。それで、疲れちゃったんじゃないですか?」
「……」
半分起きてたって言うのを聞いて、なんだか、ものすごく恥ずかしくなった。あったかいって、どういう意味なんだ。
「い、いいよ。そんな…。よっかからなくても、寝てないよ私。車とかであまり、寝れないんだ。だから、気にしないで」
「すみません」
「いいって。それより、まだ仕事でしょ。頑張ってよ」
「はい。瑞希さんの声聞いて、すげえ元気でました。頑張れます」
「あはは。そう?私も、圭介の声を聞いて、元気でたよ。ありがとう」
「はい、あ、じゃあ、また明日」
「うん、また明日ね」
電話を切ったあとも携帯を、にぎりしめていた。携帯からずっと、圭介のあったかさが感じられるような気がした。ずっとずっと、このあたたかさを感じていたい、そう思った。
そう思えば思うほど、茂さんに早く断らなくちゃって気が焦っていった。
いつも浮かぶのは、圭介の、圭介から感じるあの、あたたかさだった。それに包まれているのが、何よりも私の幸せだって、心の奥底から感じていた。