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30 命

 8月、暑い夏だった。

 圭介とはほとんどを家で過ごしていたが、向こうの家族が遊びに来たり、会社の人も、時々遊びに来てくれた。

 驚いたのは、稲森さんが楠木さんと二人で来たことだ。いつのまに仲良くなっていたのだろう。

 うちの実家が近かったので、ちょくちょく圭介と遊びに行った。クロはそのたびに大興奮したが、なぜか、今までのように圭介に抱きつくことは無かった。

 そしてよく、私と圭介とクロで、夕方、涼しくなってからお散歩に出た。近くの公園のベンチに座り、圭介と風や緑の匂いを感じた。


 圭介と、朝起きると窓を開け、晴れていても、曇っていても雨でも、空を眺めた。入道雲が綺麗だと喜んだり、雨の日は、雨の音を聞いたり…。

 特に雨上がりの、木々の葉に残るしずくが圭介は好きだった。

 雨の降る前には、

「雨の匂いがするよ。きっと、今日は、雨になるよ」

と、圭介は言った。

 晴れた日には、窓を開けて、蚊取り線香をたき、風鈴をつるした。風が吹くと、風鈴がチリリンと鳴ってすごく、風情があった。


 実家のウッドデッキで、修二や柚ちゃんも一緒に、バーベキューをして、そのあと、花火をした。

 花火のしめくくりは、線香花火。とても、はかなげで、綺麗だった。圭介は意外とこういう情緒のある、日本的なものをとても、喜んでいた。

 近くであるお祭りにも二人ででかけたが、私が浴衣を着ると、それを見て、圭介はめちゃくちゃ喜んでいた。お祭りでは、綿菓子を買い、ヨーヨーを釣り、焼きそばを食べ、射的をして、かわいいくまのぬいぐるみをもらい、心のいくまで楽しんだ。


 蝉の声も、二人で聞いた。

「蝉っていかにも、夏って感じだよね」

と、よく圭介が言った。

 あまりにもうるさく感じていた蝉の声も、ヒグラシのカナカナカナという声が聞こえてくると、夏の終わりなんだなって、寂しくなった。

 そして、夜には、秋の虫の声も聞こえるようになった。

 布団を和室に2枚敷き、二人で並んで横になる。リーリーリー…。鈴虫の声がする。横に寝ている圭介の顔を見る。相変わらず、綺麗な圭介の横顔。圭介は、しばらく黙って虫の音を聞き、

「もう、秋だね。昼間はすごく暑いのにね」

と、つぶやいた。

「なんか、季節をこんなに感じたこと、なかったな。ね、暑いけど、確実に空の色が違ってきたと思わない?」

 圭介が、聞いてきた。

「うん、違ってきた」


 毎日、空を見る。風を感じ、匂いをかぐ。音を聞き、味を楽しむ。それだけの日々。

 圭介は見るものを喜び、体中で味わっているかのようだった。あと、数ヶ月しかない命を、この世界を、思う存分に味わっているように見えた。

 それは、私も同じだった。圭介といる瞬間瞬間がとっても大事で、とっても愛しかった。今という瞬間をぎゅって握り締めて、毎日を生きていた。


 9月、残暑は続いたが、徐々に朝晩冷えるようになっていった。

 台風の来る日は、雨戸を全部閉めても、夜中ガタガタとアパートが揺れて、うるさかった。今まで、台風なんてなければいいと思っていたが、圭介はその大雨の音も風の音も、音楽を聞くかのように、楽しんでいた。

 そして、いたずらっぽく、私の目を見て、

「瑞希、風の音が怖いから、一緒の布団で寝よう」

と、言ってきたりした。

 雷の音がする日も、

「瑞希、怖いでしょ?手をつないであげるよ」

と圭介は、そんな可愛いことを言う。

 私は、別に怖くもなかったけど、圭介のそんな言葉にあわせて、怖がって見せたりした。


 二人の時間は、早いようで、ゆっくりと流れていた。特に夜、電気を消して二人で居ると、前に見たプラネタリウムを思い出し、この宇宙に二人きりしかいないんじゃないかって、そんな気もした。

 圭介が先に寝ると、私は圭介の寝息を聞き、しばらく圭介の顔を見つめていたし、逆に、私が先に寝る日は、圭介が私の顔をずっと、眺めていたようだった。

 朝になると、圭介は、頭痛や吐き気があるようだったが、そんなに苦しそうじゃなかった。また、無理をしたり、我慢をしたりしているのかとも思ったが、圭介は、

「瑞希といると、俺、大丈夫みたい」

と、笑って言った。


 そんなある日、私はふと、カレンダーを見た。あまり、カレンダーも見ないし、今日が何日で、今日が何曜日かも気にしなかったが、そのときはふと気になった。

「あれ?」

 8月のカレンダーを見て、7月も見て…。そんな様子を見た圭介が、不思議そうに、

「どうしたの?」

と、聞いてきた。

「ないんだ…」

「何が?」

「……」

 言いづらかった。もし、何かの間違いで、圭介をぬか喜びさせてはまずい。

「あ、ごめん。なんでもない。勘違い…」

 私は、そう笑ってしらばっくれた。


 その日の夕方、また、クロと散歩に行った。

「ちょっとコンビニで、飲み物買って来るね」

「うん」

 圭介と、クロを公園に残し、私は急いで、コンビニの前を素通りして、直ぐ近くにあるドラッグストアーに入った。そこで、急いで、妊娠検査薬を買った。 それから、コンビニで、飲み物と雑誌やお菓子を買い、公園に戻った。

 圭介はクロと、ベンチでのんびり空を見ながら、何か話していた。

「お待たせ」

 ベンチで、二人でお菓子を食べながらお茶を飲み、ゆっくりとしてから実家に戻った。


 私は、母と圭介が話しこんでいる隙を見て、2階のトイレにこっそりと行った。そのあとに、自分の部屋に入り、検査薬の結果がわかるのを待った。

 どきどきした。数分もしないうちに、結果は現れた。

「陽性だ…」

 赤紫のラインがはっきりと、表れていた。

「圭介の赤ちゃん…!」

 私はその場で、おなかを押さえて座り込んだ。嬉しくて涙が出た。

「良かった。赤ちゃん、来てくれたんだ…」

 私のもとに、赤ちゃんが来てくれた。神様が、遣してくれた。そうとしか思いようがなく、涙がポロポロと流れた。


 トントントン…。圭介の、階段を上ってくる足音がした。

「瑞希…?」

 部屋のドアが開いた。

「どうしたの?なんで2階に来てるの?」

 私がなかなか、リビングに現れないから、不思議に思ったらしい。

「圭介…」

 ボロボロ、涙を流している私を見て、

「え?どうした?」

と、圭介は驚いたが、すぐに私が持っている妊娠検査薬に気がついた。

「何、これ…?」

 知らないのか。無理も無い。まだ、22歳の圭介が知るわけも無いか…。そう、圭介は、8月の誕生日で、22歳になっていた。


「これ、妊娠検査薬。それでね…」

「え?」

 妊娠検査薬と聞いただけで、圭介はびっくりしていた。

「この赤紫の線が出たってことは、陽性なの」

「ようせい…って何?」

「妊娠してるってこと」

「……。赤ちゃん…、できたってこと…?」

「うん」

「……」

 しばらく圭介は呆けていた。じいって私の顔を見たまま、動かなかったが、目がみるみるうちに真っ赤になり、圭介は涙を流した。

「まじで?」

「うん…」

「すげえ、すげえ瑞希…」

「うん…」

 圭介は優しく、私を抱きしめた。

「瑞希のおなかの中に、俺の赤ちゃんいるんだ…」

「うん」

「すげえ。命が芽生えたってことだよね…」

「うん…!」

 圭介は泣いているようだった。


 圭介はしばらく黙っったまま、私を抱きしめていた。それから、私の顔を見て、私の目を見つめて、私の頬につたっている涙を拭いてくれて、

「命ってすごいね…」

と、圭介はささやいた。

「すごいと思わない?瑞希。だって、こんなに人を感動させるんだよ」

「…うん」

 拭いたそばからもう、涙がこぼれ落ちた。圭介も、目をうるうるさせながら、

「お母さんにも、報告に行こう」

と、私の手をひいた。 

 母に告げると、母も涙を流して喜んだ。

 夜には、父や、修二にも報告をして、家に帰り、圭介は電話で、ご両親に報告をした。

 翌日には、圭介のお母さんが家に来て、おめでとう、おめでとうと、圭介と私を抱きしめながら泣いていた。


 その日から、私と圭介は、日記をつけることにした。

 圭介は自分が感動した空や木を写真に撮った。私が料理をしているところや、食べているところも写真に撮った。私も圭介を撮った。笑っているところ、寝ているところ、そしてそれをプリントアウトして、毎日の日記にはった。

 それは、赤ちゃんに見せるための日記だった。

 あなたのお父さんは、毎日何を見て感動し、何を感じて生きていたのか。毎日、どんな表情をし、そして、どんなにあなたという存在、あなたという命を愛していたかを、いつか、赤ちゃんが大きくなり、わかるようになったら、見せてあげたい…。


 圭介のビデオも撮った。圭介は私のことも撮った。

「私のことは撮ってもさ~~」

と、ちょっとぼやくと、

「だって、パパがどんなにママを愛してたかが、これ見たらわかるじゃん」

と、圭介は笑って言った。

「赤ちゃんの名前考えなくちゃ。男の子だったらなんて名前がいい?」

 ビデオを撮りながら、圭介は聞いてきた。

「う~~~ん、そうだな~~。春に生まれてくるんだよね~~」

「うん。春男にする?」

「ええ?単純すぎる~~」

「じゃ、春っぽい名前って何?」

「こうさ~~、さわやか~~な感じよ」

「さわやかって漢字であるよね。他になんて読むっけ?」

そうって読むよ」

「んじゃ、爽太そうたってどう?」

「榎本爽太、いいね~~」

「じゃ、女の子だったら?」

「う~~ん、圭介が考えてよ」

 今度は私がビデオを持ち、圭介を映した。


「女の子ならね~~。春香。春の香りで春香とか、どう?」

「あ、いいね。春の香りか~~」

「榎本春香。あ、いいじゃん!」

 圭介が、微笑んだ。最高の笑顔だ。これを見た子供は絶対喜ぶよな。そして私にこう言うんだ。

「ママ、パパはすごくかっこよかったんだね」

 そして、私は、嬉しそうに子供に自慢する。

「うん、すっご~~く、かっこよかったんだよ。ママはいつもパパに、見とれていたんだよ」

って……。 



 翌年の春…。

 …痛い。時計を見る。5分間隔で陣痛が来ている。破水もあった。慌てて実家の母に電話をした。まだ、予定日まで、一週間もあるのに…。

 ピンポ~~ン…。母だ。お腹をおさえながら、玄関のドアを開けた。

「瑞希?破水があったって?」

「そうなの。どうしよう…」

「病院には?」

「電話した。陣痛が、5分間隔になったら来てくださいって。もう、5分間隔になってる」

「大変。タクシー呼ばなきゃ!」

 慌てて、母がタクシーを呼んだ。タクシーは、5分で来てくれた。

「い、いた~~~い」

 お腹をおさえながら、タクシーに乗り込む。ああ、一昨日、入院の準備してて良かった。

 運転手が動揺して、

「こういうときは、急いだ方がいいですか?ゆっくり行ったほうがいいですか?」

と、聞いてきた。母が、

「なるべく早く、でも、安全にお願いします」

と運転手に、そう言った。

「い、いた~~い」

 なんなんだ?五分間隔がもっと、短くなっている。


 タクシーで5分もかからない病院について、母に抱えられながら、入り口に入る。たくさんの妊婦さんがいる待合室を通り、受付に行く。

「電話した、榎本です」

「ああ。陣痛5分間隔になりましたか?」

「いえ、もっと、短くなってきています」

 そう私が言っても、受付の人はここに記入してくださいと、入院手続きの書類を悠長に出してきた。いすに座り、書いていても、陣痛の間隔が短くなるばかり…。

 看護士さんが来て、

「お母さんは、病室まで案内するので、一緒に荷物を持って来てください」

と、これまた悠長なことを言ってくる。

「え?私は?」

「そのあとに来ますから、ここで少し待っててくださいね」


 とんでもない!

「すみません、いてて…。陣痛の間隔がもう、かなり短くって、う、生まれるかも…」

「大丈夫ですよ。初産だし、そんなに早くには生まれませんよ。まだまだ、これからが長いんです」

「でも~~っ」

「じゃあ、分娩室で、診察してみましょうか?」

 看護士さんが、ようやく私の言葉を聞き入れ、分娩室に連れて行ってくれた。そして、私を分娩台に乗るよう促し、私が分娩台に乗ると、

「どうかしらね、何センチくらい開いてきているかしら」

と、看護士さんは、まだまだ余裕でいた。だが、次の瞬間、

「あら!赤ちゃんの頭が見えてる!」

 看護士さんは、そう叫んだ。それを聞いた横にいた看護士さんが、慌てて先生を呼びに行き、私はいきなり、出産をそのまますることになった。


 母は、部屋に案内されるところだったが、分娩室の前で待たされることになり、とにかく、分娩室の中は、大騒ぎになっていた。 私は、分娩台にあがる前に、服だけは着替えていた。

 先生や、助産婦さんがやっとこ、平静さを取り戻し、私に、

「さあ、力んでもいいですよ」

と、言ってくれた。

 先生も、助産婦さんも、看護士さんも、定期健診で何度も来ているので、みんな顔見知りだ。


 私は、ラマーズ法を受けていたので、隣で、看護士さんが、

「ヒッヒッフ~~~」

と一緒に、呼吸をしてくれた。それに合わせて、

「ヒッヒッフ~~~」

と、呼吸をする。

「はい、力んで!」

「う~~~~~ん…」

 力むが、陣痛がすうって消えていく。

「はい、大丈夫ですよ。次のでまた、頑張りましょう」

 先生が、優しく言ってくれる。すぐまた、陣痛が来る。

「力んで!」

「う~~~~ん!」

「もっと!」

「う~~~~~~~~~~ん!!」

「はい!力むのやめて!」

 ズル……。まさに、「ズルッ」っていう感覚がした。それから、

「おぎゃあ~~~!おぎゃ~~~~!おぎゃ~~~!」

という、泣き声…。


 ああ、生まれた。それと同時にすごい脱力感…。

「生まれましたよ。元気な男の子ですよ」

「男の子…?爽太だ…」

 赤ちゃんは、私のお腹にのせられて、臍の緒を切られていた。

 それから、助産婦さんが、抱っこして産湯に入れた。産湯にいれた瞬間、赤ちゃんは泣き止んだ。そして、産着にくるまった赤ちゃんを、私のもとに助産婦さんが連れてきてくれた。

「ほら、お母さんですよ」

 赤ちゃんは、目をぱっちりと開けていた。


「色白の赤ちゃん…。お父さん似ね。ほら、髪も黒くて、目や鼻も似てない?」

 助産婦さんが、赤ちゃんの顔を見ながらそう言った。本当だ。圭介に似ている。圭介に似ている男の子だ。

 嬉しくて、涙が出た。よく、生まれてきてくれたね。まだ、小さな手をぎゅって握っている。

 ああ、無事に生まれてきてくれたんだ…!嬉しい…!


 バタバタバタ!

「こちらですよ、さあ、急いで!」

 なんだか、分娩室の外があわただしい様子。

 分娩室のドアが開き、息を切らし、ハアハア言っている圭介が入ってきた。

「瑞希、ごめん、遅くなった!」

 圭介が、分娩台に近づいてきた。

「あ!ほら、お父さんですよ!」

 助産婦さんが抱っこしている、赤ちゃんを圭介に見せた。

「え?」

 圭介が、目を真ん丸くした。

「榎本さん、抱っこしてみる?」

「え?もう生まれたの?」

「そうよ、ほら、3400グラムの男の子。」

 圭介は、おそるおそる赤ちゃんを抱いた。赤ちゃんは、圭介の腕の中にすっぽりと入ってしまった。


「小さい…」

「可愛い…」

「こえ~~、抱っこするの…」

 いろいろと圭介は言葉を発したが、そのあと赤ちゃんを見ながら、涙をこぼした。

「瑞希に似てる」

「あら、お父さん似じゃない?目元も、鼻も…」

 助産婦さんが、赤ちゃんをのぞきこみ、そう言った。

「でも、口元、瑞希だ…」

 圭介はそう言うと、私の方に赤ちゃんを抱っこしたまま来て、

「瑞希、ありがとう」

と、小さな声で、ささやいた。


「隣にいてやれなくて、ごめん。立会い出産しようって、ラマーズ法まで一緒に覚えたのにな」

「うん、予定日より、一週間も早かったんだもん」

「こいつ、早く生まれてきたかったんだな」

 そう言うと、圭介は赤ちゃんに、

「この世界が、どんなにすばらしいか、お腹の中で聞いていたから、早く生まれたかったんだよな?」

と、笑いかけた。


 病室まで、母と圭介もついてきてくれた。私はふらふらなので、車椅子で看護士さんに押してもらった。病室は、個室。圭介が、奮発して個室を頼んでくれた。

 ベッドに横になると、看護士さんは出て行った。

「よくやったわね。お疲れ様、瑞希」

 母が、ねぎらいの言葉をかけてくれた。圭介は、ベッドの横のいすに腰掛けると、ずっと私の手をにぎっていた。


 しばらくすると、圭介のお母さんも来た。

「おめでとう、瑞希さん」

「あ、おふくろ…」

「榎本さん、来てくれたんですか?」

 母が聞くと、圭介のお母さんは、にこっと笑って答えた。

「もちろんよ、本当は生まれる前に来たかったんだけど。赤ちゃん抱っこしたかったわ」

「私もよ。すぐに看護士さんがつれてっちゃって、ちょっと見ただけ。3400グラムの男の子。圭ちゃん似だったわ」

「あ、やっぱ俺似?なんか、サルにしか見えなかったけど…」

「圭介ったら、サルはないでしょう」

 圭介のお母さんが少し、あきれてそう言うと、

「でも、可愛かったよ。俺、抱っこさせてもらった」

と、圭介は、嬉しそうに言った。

「すげえ、小さかった。俺、もう父親なんだな…」

「そうよ、しっかりしてよ。あなたまで子供じゃ、瑞希さんが困っちゃうわよ」

「わかってるよ」

 あははは…。4人で、そんな会話をしながら、笑いあった。

 しばらくして、お母さんたちは、また明日来るわねと、出て行った。


 そして、病室に圭介と二人になった。

「仕事は?戻らなくていいの?」

「うん、もう少しいるよ。あ、明日土曜だし、みんなして、赤ちゃん見に来るって言ってた」

「本当?」

「うん。それにしても、会社に電話してきてから、すぐに生まれちゃったの?」

「そうだね、破水して、陣痛きてすぐ、圭介に電話したでしょ。それからお母さんに電話して、お母さんが飛んできてくれて、一緒にタクシーに乗って、病院ついて、分娩台上がって、すぐ生まれちゃった。だから楽だったよ」

「超、安産か~~。やるな~~。さすが俺の赤ちゃんじゃん。瑞希を苦しめることなく、生まれるなんてさ」

「うん」

「でも、生まれる瞬間、見れなかった、俺…」

「だけど、すぐに抱っこできたじゃない?」

「赤ちゃん、今どこ?」

「新生児室みたい」

「そっか。瑞希、疲れたでしょ。少し休みなよ。寝るまでついててあげるから…」

 圭介はずっと、手を握っていてくれた。私は圭介の手のぬくもりを感じながら、目を閉じ、そして安心して、すぐに眠りに着いた。


 気づくと、圭介はもういなかった。会社に戻ったようだ。

 そのあと、看護士さんが来て、新生児室まで連れて行ってくれた。爽太は、元気に顔を真っ赤にして、大泣きしていた。

「おっぱい飲ませてあげてね」

 説明を受けながら、爽太におっぱいをあげてみたが、なかなか上手には飲んでくれなかった。

 哺乳瓶で、ミルクをあげるのも、看護士さんに教えてもらいながら、やってみた。これには、元気にすいつき、ごくごくとよく飲んでいた。

「大丈夫よ。すぐに、おっぱいも飲んでくれるようになるから」

 看護士さんは、そう言って安心させてくれた。

 圭介に似ている赤ちゃんを、両腕に抱き、私は幸せをかみしめた。なんだか、圭介といるみたいにあったかい、あったかい、空気に包まれた。


 翌日、朝から圭介が来て、一緒に新生児室に行った。圭介のご両親も圭介と来てくれた。

「男の子だったら、名前は爽太って圭介と決めてたの」

「爽ちゃん…」

 みんなで、新生児室で寝ている爽太に声をかけた。それから、しばらくみんなで爽太を見ていた。

「ああやって、寝てるだけでも、すんごい幸せな気持ちにさせてくれるね。すごいな、赤ちゃんって…」

 圭介は、爽太を見ながら、そうつぶやいた。

「うん、そうだね…」

 私も、爽太を見ながらうなずいた。

「命って、すごいな。っていうかさ、存在がすごい。そこにいるだけで、周りを幸せにするんだから」

「圭介もね…」

「え?」

「圭介だって、そうだよ。ここにこうしているだけで、周りを幸せにしているよ」

 私がそう言うと、隣で圭介のお母さんが、大きくうなずいた。少し涙ぐみながら。

「そっか…。あ、でも、瑞希もだよ。俺、瑞希がここにこうしていてくれるだけで、幸せだから」

 圭介と少し見つめあってから、また、新生児室の爽太を見た。他にも赤ちゃんを見に来ている家族がいたが、どの人の顔も、幸せそうだった。


 新生児室には、赤ちゃんが7~8人並んでいたが、泣いている赤ちゃん、寝ている赤ちゃん、手を動かしている赤ちゃん…。でも、みんなみんな、そこにそうしているだけで、それだけで、周りを幸せにした。

 きっと、みんなそうなんだ。そこに、そうしているだけでもう、最高の存在なんだ。命ってそういうものなんだ。

 圭介が、私の手を握ってきた。そして、私にささやいた。

「良かった。瑞希の夢をまた、一つ叶えられたよ」

「うん、ありがとう。圭介…」

 それを、横で聞いていた圭介のお母さんは、また涙ぐみ、榎本部長はそんなお母さんの背中を、抱いていた。

 圭介は、みんなを、幸せにしてるね…。そんなことを、思いながら、私は爽太をずっと見ていた。あくびをする爽太、手を動かす爽太、眉をしかめる爽太。

 爽太を見ている圭介も、圭介のご両親も、幸せそうな嬉しそうな顔だった。



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