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29 共に生きる

 翌日、退職届けを持って会社に行った。社長が、私を見てすぐにかけよった。それから、二人で会議室に入った。

「すみません。昨日は、早退して…。そのまま、圭介のところに行っていました。それで、圭介に会って、私、決めました」

「それは、退職届け?」

「はい。いきなりですみません。でも、圭介が入院したら、ずっと、看病しに行きたいんです。1分1秒もおしいんです。なるべく、彼のそばから離れたくないんです」

「そうか…。圭介は明日から入院だっけ?」

「はい」

「わかった。今、不況だしね、すぐに派遣の子はみつかるよ。こっちは、大丈夫だから」

「はい。ありがとうございます」

 私の届けを受け取り、社長は会議室を出た。


 私は、その日1日たまっていた、書類の整頓や、伝表の整理などをした。昼も、お弁当を買い、デスクで食べながら、ずっと、整頓を続けた。

 それを見ていた周りの人は、様子が変なことに気づいていたようだが、誰も何も言ってこなかった。

 6時過ぎ、すっかり綺麗になった引き出しと、デスクをあとにして、社長に挨拶に行くと、ただ、

「お疲れさん」

とだけ、社長は言った。

 それから、ロッカーにあった荷物を、紙袋に全部入れて、私はオフィスを出た。

 社長は、私が辞めることを、みんなには言わなかった。今日来ていた、新人の子にも、あまり私の紹介もしないままだった。

 周りが、あれこれ私に聞いたりするのを、避けるためか。圭介のことを説明しなければ、ならないからか。多分、明日の朝当たりに、私が辞めたことを発表するだろう。

 

「お疲れ様、瑞希」

 家に帰ると、お母さんが出迎えてくれて、私の持っていた紙袋を持ってリビングに入っていった。

 クロも、尻尾をふって、玄関まで出迎えに来てくれた。クロは、しばらく圭介に会えなくなるのかな…。そんなことを思うと、病院にまで、クロを連れて行きたくなった。

 入院して、外出許可は出るのだろうか。ずっと、これから圭介は、四角い病室にいることになるんだろうか。そう思うと、いったい入院することが、いいことのなのか、辛いだけの治療もいいものなのか、疑問に思えた。延命のためって、いったいどのくらい延命できるんだろうか?


 夕飯は、父は接待で、修二は同僚と飲みに行くので遅いらしく、母と二人で食べた。食べ始めると、母が話し始めた。

「雄一にね、お父さんから圭ちゃんの話をしたみたいなの」

「え?」

「ほら、昔から雄一、瑞希のこと、あれこれ、心配していたし。こういうこと、何も言わなかったら、あとで、絶対、雄一に怒られそうだから」

「兄さん、なんて…?」

「一回、本社の方に、仕事で来るときがあるから、帰りにでも寄るって言ってたわ」

「本社、東京でしょ。帰りって、大変じゃない?それから、仙台に帰るの?」

「泊まっていったらとは、言ったんだけどね。でも、美樹さんが、今…」

「うん?」

「妊娠3ヶ月なんですって。つわりがひどいらしいのよ」

「妊娠3ヶ月?二人目?」

「そうなんですって。まったく、もっと早くに報告して欲しいわね。でも、前に妊娠がわかってすぐに、赤ちゃん駄目になったことがあったから、それでみたいね」

「そうか、おめでたなんだ。良かったね。孫が増えるね」


「お父さん、圭ちゃんのことを話したから、雄一言いづらかったみたいよ。あんたからもメールで、おめでとうって送ってあげたら?」

「うん」

 母に、そう返事をすると、母はすぐに私のほうに向き直り、慌てて付け加えた。

「あ。やっぱり、無理はしないで。送りづらかったらいいのよ。雄一だってわかってくれるわよ」

「大丈夫だよ、お母さん。私、嬉しいよ。命が芽生えて、誕生するって、すばらしいじゃない」

 母には、そう言ったが、やはり複雑だった。

 圭介はこれから命が消えていく、でも、新たに誕生する命がある。私は、バスタブにつかりながら、そんなことを考えていた。

 そして、圭介の赤ちゃんが欲しいな…、そんなことをなんとなく思った。


 翌日、圭介と圭介のお母さんと病院に行った。部長はどうしても、抜け出せない会議があるとかで、私とお母さんとで、圭介の付き添いをすることにした。

 病室は、4人部屋だった。どうやら、同じ部屋には、同じ病気の人が集まっているらしい。残りの3人の人はみんな、帽子をかぶっていた。

 圭介も、治療が始まったら、髪の毛抜けちゃうのかな。そうしたら、あの綺麗な黒い髪の毛、もう見れないのかな。触ることも、また、髪を乾かしてあげることもできないのか…。

 ああ…、また、落ち込んできた。


 当の本人とお母さんは、同室の人たちに一人ずつ、お菓子を配りながら、挨拶をしていた。これから、どのくらいの期間、この人たちと、ここで過ごすことになるのか…。

「お母さんと、お姉さんかい?」

 真向かいの、50代くらいの人が、挨拶をするとそう聞いてきた。

「あ、いいえ、母と、彼女です」

 圭介が、しらっとそう言ってのけると、病室にいた人たちや、一緒に来ていた看護士さんから、

「ヒュ~~~~。彼女か、年上女房か~~」

と、ひやかされた。

「圭介~~…」

 少し、困った表情で、圭介に小声で言うと、

「いいじゃん。本当のことだし」

と、これまた、平然と言ってのけた。お母さんも、全然気にしている様子ではなかった。


 手続きがあるとかで、お母さんは病室を出た。圭介は、ベッドの回りのカーテンをしいて、パジャマに着替えた。

「いいよ、瑞希」

 圭介は、着替えると私に中から声をかけた。その様子を、病室にいる全員が見てにやついていた。

「う、嫌だな~~」

 そう私は心で思ったが、まあ、そんな他人のことなんて、考えててもあほらしい。私は、圭介といたくて、ここにいるんだから。こうなったら、思い切り、いちゃついてやれ。って、半分開き直った。

 カーテンを開けないまま、圭介が私を呼んだので、カーテンの中に、私は入っていった。

 圭介はもう、ベッドに横になっていた。なんだか、こうやって、病院のベッドに横になっていると、はっきり言って病人に見える。いや、病人なんだけどさ…。

「あとで、病院内、探検しに行こう」

 いたずらっぽい目で、圭介が言った。ああ、圭介は、あまり、入院することに抵抗はないんだな。


「屋上とかあんのかな、よく、ドラマで出てくるじゃん」

「あるよ。屋上。そこにシーツとか、洗濯もんを干してある」

 隣のおじさんが、言ってきた。うわ、丸きこえか~~。

「誰でも、行っていいんですか?」

と、圭介が聞くと、

「おお、おお。行っても大丈夫だ」

と、今度は真向かいの人が返事をした。

 隣のおじさんは、60代くらい…。斜め前の人は、どうやら、20代か、30代くらいだった。

 お隣と、真向かいのおじさんは、陽気な感じの人だ。斜め前の人は、挨拶をしても、むっつりとしていたが…。


 お母さんが病室に戻ってきた。

「ちょっと、これからナースステーションと、担当医の竹内先生のところに行ってくるわ」

 そう言うと、また病室を出て行ってしまった。

 今日は、ふらふらと、出歩くわけにもいかなそうだった。そこで、圭介は、カーテンを開けて、同じ病室の人たちに話しかけ、それから、わいわいと楽しそうに、盛り上がっていた。斜め前の人は、カーテンを閉めてしまったが…。

 しばらくすると、お母さんが戻ってきた。それから、荷物をいろいろと、ロッカーにつめ、

「何か、売店で買ってくる?」

と、圭介に聞いた。

「あ、なんか漫画か雑誌買ってきて」

 圭介は、まるで高校生のようなことを言った。

「瑞希さん、売店一緒に行かない?」

 お母さんに誘われたので、お母さんと一緒に行くことにした。


「みんないい人そうね。でも、今は4人部屋だけど、治療が進むにつれ、部屋も変わるかもしれないみたい」

「そうなんですか…」

「はあ、どうも、病院は苦手。どこそこ薬の匂いばかりで。あ、ここの奥だわ、売店」

 そう言って、お母さんは売店に入り、適当に何冊か雑誌を買い、他にも、水やお茶のペットボトルを買った。

「瑞希さんも、お茶でいいかしら」

「はい」

 売店をあとにして、エレベーターまで、行こうとすると、

「あら、見て、あそこに喫茶店があるわ」

と、ガラス張りの喫茶店をお母さんが指でさした。

「今度、あそこで、お茶でもしましょうね」

「はい。圭介も来られますか?」

「どうかしらね。治療がないときなら来れるかしら」

「…治療、辛いんでしょうか?」

「そうね。わからないけど…。どうかしらね…」

 お母さんは、少し、考え事をしていたのか、それとも、ただ、ぼ~~ってしていたのか、心ここにあらずという感じで答えた。


 病室の方へ戻ると、笑い声が廊下まで聞こえていた。

 中に入ると驚いたことに、斜め前の人までが一緒に笑っていた。付き添いの人も、笑っていた。ああ、圭介マジックかな。その場を明るくし、すぐにうち解けてしまう。なんだか、圭介が以前の元気な圭介に戻ったような気がした。

 私が戻ると、圭介は売店がどこにあるのかとか、そのへんには、何があるのかを聞いてきた。売店の場所と、喫茶店があることを私は教えた。

 お母さんは、漫画の雑誌と水を置くと、ペットボトルを開けて、やれやれといすに座り、一口、飲み込んだ。私も、もらったお茶のペットボトルを開けて飲んだ。隣の人が、椅子をどうぞと、一つ貸してくれた。そこに座って、私も一息ついた。

 お母さんじゃないけど、病院の匂いはどうも慣れない。変に、緊張する。これから、毎日ここに来るんだな~~。そう思いながら圭介の顔を見た。

 圭介は、また、隣のおじさんと話し出し、笑っていた。ああ、圭介の笑顔、好きだな。笑った声も、大好きだな。あ、今も目がハートになっているかな、ま、いっか…。そんなことを思いながら、その日は過ぎていった。


 それからは、毎日のように病院に行った。

 圭介は食欲もあり明るかったが、治療がある日は、別だった。ずっと、ベッドに横になり、時々、気持ちが悪いと言って、トイレに行っていた。

 その間、お母さんが付き添っていたが、お母さんばかりじゃ大変だから、これからは、私も一緒に行こうって思っていた。

 二人が、トイレに行っている間、隣と前のおじさんがたが、

「辛いんだよ。抗がん剤も、放射線治療もね、なんも食べられなくなる」

と、私に話しかけてきた。二人とも、経験をしているんだもんな~~。すると、斜め前の人も、

「この辛さが嫌で、受けたくなくなるんだよね。もう…」

と、つぶやいた。この人は、まだ独身だそうで、やはりお母さんが毎日のように来ていた。たまに、妹さんも、お見舞いにやってきた。


 病室の人に、差し入れやお花を持ってきて、明るく話しかけてくる、かわいい妹さんだ。年は20代前半といったところか。

 初めて、その妹さんが、圭介を見たとき、ちょっと顔が赤くなっていたようにも見えた。それから、お見舞いに来るたび、圭介にもお花を持ってくる。

「そんなに気を使わないでくださいね」

と、お母さんが言っても、

「いえ、いつも兄がお世話になっているから」

と、笑って答える。圭介も、持ち前の明るさで、話しかけたりする。あの誰とでも仲良くなる、人懐こさで。


 圭介の担当の看護士さんも若い。多分、20代前半。圭介の検診のとき、ちょっと他の人とは、扱いが違っているようにも見える。

 一回、廊下ですれ違ったとき、ペコッてお辞儀をされて、

「お姉さんも、毎日大変ですよね。でも、お姉さんが毎日、こうやってお見舞いに来られて、圭介君は、嬉しそうですね」

と、言ってきた事がある。

「え?」

 私は、圭介の彼女だと、そんな噂でも、たっていないの?なんて、思ったりもしたが、

「兄弟仲、本当にいいですよね~~」

と微笑んで、ナースステーションに入っていった。

 

 あるとき、圭介と、天気が良くて屋上に行ったときに、

「あ、杏ちゃん」

と、圭介が斜め前の人の妹さんが、洗濯物を干しているのに気づき声をかけた。

「あ。こんにちは!いい天気だね」

 圭介は、だんだんと、髪が抜け出し、帽子をかぶっていた。

「兄がかぶっているのは、私のお手制なの。夏用のニットで編んだもので…。良かったら圭介君にも作ろうか?」

 彼女は、いきなりそう言ってきた。

「へえ、すげえ、そんなことできるんだ」

 圭介がそう言うと、杏ちゃんは、

「じゃ、今度来るときまでに作ってくるね」

と笑って言って、屋上をあとにした。

「圭介…」

 ちょっと、ジェラシーを感じて低い声で私が言うと、

「あれ?俺、今作ってって頼んだっけ?」

と、圭介はとぼけた。いや、とぼけたのか、わかっていないのか。それとも鈍いのか。もしや、自分に気があるとか、そういうのわからないのかもな…。


「杏ちゃんって可愛いし、気が利くよね。あんな子、お嫁さんにしたい…」

「は?瑞希の好み?」

「…って男の人なら、思うかなって」

というより、ちょっと、圭介の心の声を言ってみたんだけど…。

「ふうん。それ、女性から見たら…じゃないの?」

「え?そうなの?」

「うん。俺、年上が好みだし」

 そう言うと、圭介は、物干し竿に干してある、シーツとシーツの間に入っていった。

「ちょっと、ちょっと。圭介、どこ行くの?」

 どこへ行くのかとついていくと、圭介は、いきなり私の腕を掴み、引き寄せてキスをしてきた。あまりにも、突然で、呆けていると、

「病室じゃできないんだもん。カーテン閉めてても、隣の親父、聞き耳、立ててそうじゃね?」

と圭介は、しらっとした顔でそう言った。

 まったく…。なんでいつも君は、いきなりなのよ…。そのたび、心臓が止まりそうになるのに…。


「今日は、気分よさそうだね」

 シーツとシーツの間から抜け出し、空を見ている圭介に聞いた。

「うん、なんも無い日だから。あ、血液取ったり、尿取ったりはしたけどさ。見て、この俺の腕。注射の後が、青くなってる。綺麗な俺の腕が~~!」

 圭介は、病院で明るい。治療で、ぐったりしている日は、さすがに何も話そうともしないが、それ以外の日は、とても明るくて、よくこうやってふざけている。ふいに無理していないか気になった。

「圭介、いつも病院で明るいよね」

「え?そう?それは、瑞希といるからじゃない?」

「私と?」

「瑞希帰ったら、俺、すんごい静かになるよ。もう、さびしくて、すぐにベッドに潜り込む。で、しくしく泣いてる」

「ええ?また~~、嘘ばっかり。同室の人たちと、わいわいやってるんでしょう?看護士にも人気あるみたいだし」

 私が、笑ってそう言うと、圭介はまじめな顔つきに変わった。


「まじだよ…。同室の人だって、辛そうなときもあるし、カーテン締め切って、1日、顔も出さないときもあるし…。家の人が来て、喧嘩してるときもあるし、いろいろだよ」

「そう…」

「特に、夜中は…。なんか、眠れなくなって、ずっと、瑞希のこと考えてる」

「本当に…?」

「瑞希以外のこと、考えない」

「……」

 ちょっと、間をおいてから、

「可愛い、杏ちゃんや、綺麗なナースさんのことも?」

 私は、少し茶化すように聞いてみた。

「何それ?ええ?」

 圭介は、真剣な顔で怒ったように言ったが、

「あ、そっか~~。瑞希、やきもち~?あはは。可愛い!」

と、すぐに圭介は笑った。

「う、そうだよ。悪い?だって、なんかみんなと仲いいし、圭介、もててるし」

「彼女いるのに?」

「私、どうやら、お姉さんって思われてる…」

「え?うそ。彼女だって、はじめに紹介したじゃん、俺」

「でも…。看護士さんに、圭介くんのお姉さんって言われてるよ…」

「お姉さんじゃなくて、恋人ですって言えばいいじゃん」

「……」

 自分から言えませ~~ん。っていうのは、心の声だ。


「俺、別に、瑞希以外の女性、興味ないよ」

 圭介が、ぽつりと言った。それから、ため息をついて、

「外出できないのかな。一泊くらい。そうしたら、瑞希とどっかシテイホテルでも泊まるのにな」

「は?」

「そんで、1日、瑞希とべったりくっついてる」

「……」

「でも、俺、もしかしたら…」

「うん?」

「なんでもない…」

「何?」

「なんでもない」

「何?気になる…」

「その日、狼になっちゃう…」

「はあ?」

 圭介は、しばらく黙って、空を見ていた。それから、こっちを向いて、

「なんてね」

って、おどけて見せた。

「……」


 圭介と朝まで一緒にいたいって、何度も思ったことがある。それどころか、圭介の子供だって欲しいって思ったことも…。

 圭介のDNA、圭介に似た、私と圭介の子。圭介のかたみになっちゃうけど、シングルマザーになるけど、それでも、圭介が生きていて、私と愛し合った形としてこの世に、残るんじゃないかと思うことも…。

 圭介には、自分の心を全部見せようって思っているし、私が何を感じて、何を思っているかも話したかった。だから、圭介にそのことを、思い切って話してみた。

「え?子供?」

 圭介が、びっくりしていた。

「父親がいない子になるよ…」

「……」

「それに、瑞希一人で、育てることになるよ…。それに…」

 圭介は少し、言葉に詰まった。

「ん?」

「俺はその子に会えない…よ…」

 少し、さびしそうに圭介が言った。

 そうか…。そうだよね。私のわがままだ。圭介にとっては返って、辛いことだ。圭介は、そのあと、無口になった。何か考え込んでいるようだった。


 梅雨があけた。圭介は少し、元気がなかった。病院内は、エアコンで涼しかったが、そのエアコンが合わないのかもしれない。

 兄が出張で東京に来て、その帰りにうちに寄った。一緒に晩御飯を食べながら、子供の写真を見せてくれた。緑ちゃんと言って、兄に似ている。母も、父も、喜んで見ていた。

 いいな…。お義姉さんは、好きな人に似た子を産んで、幸せだろうな。

 圭介の子。私は、時々、ぼ~~ってそのことを考えてしまう。いや、圭介は、欲しいようじゃなかった。そうだよな…。いろいろと、悩ませてしまっただろうか?


 夕飯が終わると、兄が、私の部屋に来た。

「瑞希、大丈夫か?」

「うん。大丈夫だよ。あ、たまにね、夜、少しさびしくなったり、怖くなったりするけど、でも、毎日圭介のこと、見ていられるし…。幸せだよ」

「そうか、強いな。弱虫で、泣き虫だったのにな」

「え~~?ひどいな、そうでもないでしょ」

「ははは。それじゃ、俺は帰るわ。電車なくなるといけないし」

「うん。お義姉さんによろしくね」

「うん」

 兄は、部屋を出て、下におりて行った。ちょうど帰ってきた修二と少し、話をしていたようだが、そのうち、

「じゃ、また来るから」

とだけ言って、あっさりと、家を出て行った。


 翌朝、圭介から早々と、電話があった。

「今日、早めに来れる?おふくろが来る前に。ちょっと相談があるんだ」

 相談?なんだろう…。

 急いで支度をして、病院に行くと、ベッドに座り込み、まだかまだかっていう顔で、圭介は待っていた。私の顔を見ると、

「瑞希!ちょっと、こっちに来て」

と、病室を出て、廊下の隅にある休憩所に行った。そこにはテレビがあり、よくおじいさんたちがたむろしているが、まだ、朝食の時間なのか誰もいなかった。

 圭介は、朝食もすごい速さで食べたようだった。


「あのさ。俺…」

「うん」

 小声で、ささやくように圭介が話し出した。

「退院しようかって思ってるんだ」

「え?」

「っていうか、もう治療受けるのやめようかって」

「辛くなったの?」

「違うよ。治療したって、治らないし、延命って言ったって、どれだけ命が延びるかもわからないし、毎日、夜には瑞希帰っちゃうし、だったら、瑞希と暮らした方が、瑞希と一緒にいられる時間取れる」

「暮らす?」

「うん。本当は結婚もしたい。あ。でも、籍は入れないほうがいいかなって思ってるけど…」

 あまりにも、急な話で頭が真っ白だったが、私は勝手に、

「籍、入れたい」

と、言っていた。そう言って、自分でも驚いたほどだ。


「え?」

「私…、圭介の奥さんになりたいよ」

「でも、わかってる?未亡人になるんだよ?」

「いいよ。別に…」

「……」

 圭介が、少し黙って考え込んだ。

 私は、一緒に暮らせるなら、子供も考えられるって思った。そうだ、だったら、ちゃんと籍を入れたい。圭介の子として、生みたい。

「うん。そうだな…」

 圭介は、また考え込み、そして、微笑んで私に言った。

「うちの親にも、瑞希の親にも言わなくっちゃ」

「うん!」

 私は元気に、返事をした。嬉しかった。でも、心の奥から不安の声が聞こえてくる。本当にいいのだろうか…。安易だろうか…。延命の治療を続けた方が、いいのだろうか…?

 だけど、私はずっと疑問に思っていた。本当に圭介は、辛そうだなのだ。その辛い日は丸々1日、会話もできない。いや、圭介の存在を感じられたら幸せだが、だけど、これからも治療を続ける意味があるのかがわからなかった。

 

 家に電話をして、母と父に来てもらった。というのも、その日は土曜日で、父も家にいたからだ。圭介も、家に電話して、両親を呼んだ。

 それから、みんなで一階の喫茶店に入り、そこで、圭介は病院を出て、私と住むことや、治療はもう受けないということを告げた。相談とか、そんなことでなく、断言していた。

「え?」

 みんな、動きが止まっていた。父がようやく、口を開いた。

「圭介君、君、そうは言っても…」

「はい、無理は承知です。また、ご迷惑もかけます。結婚ってことになったら、籍も入れることになるし…」

「え?」

 結婚の話もすると、また、全員が目を丸くした。


「圭介、それは、少し、考え直した方が…」

 今度は、榎本部長が、動揺しながら言った。でも、

「いいわ。私は賛成。圭介のしたいようにするのが、1番だと思うわ」

と、圭介のお母さんは、はっきりとそう答えた。

「瑞希は?どうなの?」

 母が聞いてきた。

「私も、一緒にいたい。一緒に暮らせたら、ずっと圭介といられる。それに…」

「それに?」

「圭介と、結婚したい」

「…そう」

 母は、一回息を吸い込み、

「私も賛成よ。瑞希がそうしたいなら、反対はできないわ」

と、きっぱりと言ってくれた。


 父親の二人はまだ、納得がいかないようだったが、母は、話を進めたがった。

「じゃ、早くに、いろいろ決めないと…。住まいとか、結婚式とか…」

「式は大変だろう?」

 慌てて父が、そう言うと、

「せめて、ウエディングドレスは、着せたいわ」

と、母が言った。

「あ、俺も見たい」

 圭介がその話に、身を乗り出した。

「じゃ、身内だけで、式を挙げましょう。圭介が疲れない程度の、簡単な…。ね?」

 圭介のお母さんも、式を挙げることに賛成した。

 嬉しい…と同時に、いいのだろうかという不安も出てくる。でも、圭介の顔を見ると、すごく嬉しそうにしているので、何も言えなかった。

 いいんだ。だって、すぐそばにいたいもの。ずっと、丸々1日圭介を感じていたいもの。不安を感じている私自身に、そう心の中で私は言って、安心させた。


 4人の意見が一致すると、ナースステーションに行き、竹内先生の予定を聞いた。できるだけ早くに話がしたいと、総勢6人で押しかけ、看護士さんは驚いていた。

「あ。今日の午後の回診のあと少しなら、時間が取れそうです」

と、スケジュールを調整してくれた。ありがたい。

「じゃあ、圭介、1度帰って、また来るからな」

 そう部長は言うと、圭介のお母さんだけ残し、帰っていった。私の両親も、またね、と圭介に言って帰っていった。


 午後、約束の時間に部長が現れ、お母さんと二人で、竹内先生のところに行った。圭介は病室に残された。そして、20分ほどして、ご両親が病室に来た。

「OKよ」

「え?本当に?」

「ええ」

 お母さんが微笑んだ。私は部長から呼ばれて、廊下に出て、一緒に休憩所のベンチに座り話を聞いた。

「圭介の、この前の検査の結果も、教えてもらったんだ…」

「はい…」

「どうやら、転移しているらしい…」

「え…?」

「だから、治療をこれ以上続けても、あまり意味が無いかもしれないと言われて。病院を出て、家に帰ることをお願いしたら、簡単にOKが出たんだよ。余命、3ヶ月とも言われた…」

「…!」

「いや…、これは君に、言うかどうするか迷った。圭介には、竹内先生から報告があるだろう。でも、やはり、君も知っていたほうがいいと思ってね。3ヶ月、あいつの好きにさせてあげたいが、本当に籍をいれてもいいんだろうか…?」

「……。はい」

 涙が出た。圭介と、一緒に冬は迎えられないのだ。

 しばらくそのまま、ベンチに座り泣いていた。部長は、そのまま横に黙っていてくれた。

 覚悟していたことだ。いつかこういう日が来ることを…。私は、ますます、今を大切にしないとと思った。圭介との時間、圭介との瞬間、今を。


 病室に戻ると圭介はいなかった。どうやら、竹内先生に呼ばれたらしい。きっと、転移したこと、余命3ヶ月であることを告げられているのだろう。

 お母さんと一緒に、病室で圭介が戻ってくるのを待った。 どんなに圭介ががっかりしていようと、どんなに悲しがっていようと、また、一緒に泣いたらいい、抱きあったらいい…そんなことを思いながら私は待っていた。

 圭介が戻ってきた。お母さんはほっとして、家のことをしなくちゃって早めに帰っていった。

「屋上行かない?瑞希」

「うん…」


 圭介と屋上に行った。夕方だったけど、まだ日が差していた。

「瑞希…」

「ん?」

「なんでもない…」

 圭介が何かを言おうとして、やめた。

「何…?」

「俺、あと3ヶ月だって…」

「……」

 竹内先生から聞いてきたんだな…。

「瑞希、聞いた…?」

「うん、お父さんから…」

「そう…」

「圭介、私、圭介との時間大事にしていくよ」

「うん。俺も…」

「圭介と片時も離れない。ずっと、一緒にいる」

「うん…」

 私は、圭介にキスをした。そして、ぎゅって抱きしめた。圭介も私をぎゅって抱きしめた。徐々に太陽が沈んでいく、夕日の中、私たちは抱き合っていた。

 

 数日後、圭介は、退院をした。

 うちの実家にすぐのアパートを借りた。家具は、両親がそろえてくれ、次の大安吉日に籍を入れた。私は、榎本瑞希になった。

 その日に、身内だけで、レストランの一室を貸切り、ウエディングドレスを着て、結婚式をした。  

 圭介は、白のタキシードが、すごくすごく似合っていたが、頭には帽子をかぶっていた。結局杏ちゃんには、帽子をいらないと断り、私が編んだ網目のきたない帽子をかぶった。


 式の間、私の両親も、圭介の両親も泣いていた。

 桐子が、静岡からわざわざ来てくれた。笹塚さんも出席してくれた。兄も、まだ、つわりが少しある義姉も緑ちゃんも出席してくれた。修二の彼女の柚ちゃんも来て、感動して泣いていた。

 少ない人数ではあったけど、そこに集まったみんなが、祝福してくれた。

 最後に、花束を持って、担当医の竹内さんと、婦長さんも、みんなからのお祝いを持って来てくれた。


 式が終わり、新居に二人で入った。いっせいのせで、一緒に玄関をまたいだ。靴を脱いで、部屋に入る。

「これから、二人の生活が始まるね。瑞希」

「うん」

 そう言って、手をつないだ。

 圭介の瞳を見ると、私が映っている。私の顔は輝いていた。圭介の顔も、輝いていた。共に生きると決めた。たとえ、3ヶ月でも…。それでも、私は、圭介のお嫁さんだ。

 ここで、圭介との生活が始まる。1日を、一瞬を大事に大事にして生きよう。圭介と、圭介の隣で、圭介をいつもいつも全身で感じながら…。圭介の全部を感じながら…。


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