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28 死を受け止めて

 圭介の顔をこんなに眺めるのは、久しぶりだ。圭介は寝ているのに、私は圭介のあったかい空気に包まれていた。

 相変わらずの白い肌に、綺麗な輪郭。ただ、こうやって圭介がいて、圭介を感じている。それだけで、心が穏やかになっていく。この感覚、忘れていた。

 30分くらいたっただろうか、圭介が目を覚ました。目の前に私がいて、かなり驚いて、

「あれ?」

と、辺りを見回した。

「俺の部屋だよね?何で瑞希…?」

「会社、早退しちゃった」

 早退というのだろうか、始業とともに抜け出してきたからな~~。

「どうしたの?」

「なんか、圭介のこと考えたら、いてもたってもいられなくなって…」

 そう言うと、圭介は目を細めた。


「圭介、手…」

 布団にはいっている手を、圭介が出した。その手を両手で、ぎゅって握った。あったかかった。とても…。それから、その手を頬につけた。涙が溢れてきた。

「……。瑞希?泣いてる?」

「うん…。でも悲しくてじゃないよ。なんか、圭介を感じられて、嬉しくって泣いてるの…」

 そう言うと、圭介が、もう片方の手で、私の髪の毛をなでた。

「瑞希、ごめん…」

「圭介、謝ってばかり…」

 涙が、止まらなくなった。

「ごめん。あ、また言っちゃったね、俺…」

 そう言うと、力のない笑顔を見せた。


「具合、悪いの?」

「うん、ちょっと朝、頭痛がひどくて。でも、頭痛は治ったよ。大丈夫」

 本当だろうか…。圭介は無理して、強がるところがあるから…。

 ああ、そうだ。だから、本当の圭介を見せて欲しかった。弱くてもいいから、強がらないそのまんまの圭介を。そして私は、どんな圭介でも受け止めようって思っていた。どんな圭介も大好きって思っていたのに…。

「圭介、私こそごめんね」

「何が?瑞希が謝ることは、なんにもないよ」

「ううん。私、いっぱい圭介を困らせた。それに、苦しめた…」

「…俺なら、大丈夫だよ。瑞希の方こそ、辛かったんじゃないの?」

「……。圭介…」

 我慢の限界だったのか、張り詰めていた糸が切れたのか、私は思い切り声をあげて、泣き出してしまった。


 圭介の手を握り締めながら、ずっと、ずっと、私は泣いていた。そんな私を圭介はただ、黙って頭をなでてくれていた。その手は優しくて、ますます涙が出て止まらなくなった。

 こんなにも、暖かく優しい圭介を、私はずっと責めていたんだ。弱気にならないでとか、生きるって思ってとか。辛いってことも、苦しいってことも、受け止めてあげられなかった。

 圭介は、言ったじゃないか。自信がないって。病気に打ち勝つ自信がないと…。そうやって、本心を見せてくれていたのに。ちゃんと、心を開いてくれていたのに…。

 ご両親や周りの人に気を使い、泣くこともできずにいた圭介が、私には圭介の素の姿を見せてくれていたのに…。


「圭介、私、本当はすごく怖い。圭介を失うのも、圭介が死んじゃうなんて、怖くて怖くて、考えたくもない。隣にずっといるって、そう信じたかったし、私の隣にいてくれなくなるなんて、絶対に、そんなこと考えたくもなかった」

「うん…」

「必死で、考えないようにしたの。でも、考えちゃうの。考えないようにしても、無意識に考えちゃうの。それが、怖くて…」

「うん、わかるよ…」

「わかる?圭介もそう?」

「うん…」

 涙でぐしゃぐしゃの顔をあげて、圭介を見た。圭介も涙を流していた。


「俺、瑞希が、未来をイメージしてるって言ってるのを聞いて、一緒にイメージしたよ。瑞希と行くお祭りも、瑞希と行くディズニーランドも。だけど、思い描けば、思い描くほど、苦しくなった…。叶えてあげられないことが、悔しかった。悔しくて、悔しくて、なんでそんなこともしてあげられないのかって。やっぱり、それが全部叶うって思えないんだ…」

「……」

「俺も、瑞希といたいよ。ずっと、そばにいたいよ。誰にも渡したくないし、瑞希と、家族も持ちたい。結婚して、一緒に暮らして、子供生まれて、家族で毎日、暮らしてる…。そんなこと全部全部、叶えたいよ。でも、できない。それが悔しい…。すげえ、すげえ悔しい。なんでできないんだろうって、何で、俺、そんな病気になったのかって…。何度もうらんで、何回も、自分の人生を憎んだ。とても、プラスになんて考えられない。どうやったって、悔しいだけだ…」

「圭介…」


「だから、未来を思うたびに、苦しくなった。未来の話を瑞希がするたび、苦しかった。ごめん、そんな瑞希のそばにいるのも、辛くなった。だから、早くに入院も決めた。俺、瑞希に何もしてあげられないし、苦しめるだけだし、だから、逃げようと思った…」

「……」

 圭介が、今度は私の両手に顔をうずめた。

「ごめん、瑞希…。俺、頼りないし…、俺、弱いし…、それに俺、卑怯だ…」

 圭介の、声が震えていた。肩も震えていた。声を必死で押し殺して泣いているのがわかった。私は思わず、圭介の手から両手を離し、圭介の肩を抱いた。ぎゅうって力いっぱいに。

「泣いていいよ。声上げて泣いてもいいよ。我慢しないで。我慢したりしないで…」

 私がそう言うと、圭介は私の胸に顔をうずめて、大きな声をあげて泣き出した。私も、一緒に泣いた。二人で、大声で泣いた。

 何も考えず、圭介のことを抱きしめながら、ただ、心の中にいっぱい、いっぱい押し殺してきた感情を二人で、爆発させるかのように…。


 どのくらいの時が立っただろうか。どのくらい、二人で泣いていただろうか。

 圭介は、徐々に泣き止んで、私もだんだんと、涙が止まっていった。でも、圭介は私の胸に顔をうずめたままだった。

 圭介がしてくれたように、私も圭介の髪をなでた。圭介は、あったかかった。

「瑞希の、心臓の音が聞こえる…」

 圭介が、ぽつりと言った。

「瑞希、あったかいね…」

「圭介もあったかいよ」

「瑞希、前に言ったよね。今に生きようって。今は、俺、生きてるし、ここにいるって…」

「うん 。」

「でも、やっぱり、未来のこと考えちゃう。そうすると、すげえ、怖くなる…」

「うん、私もわかるよ、それ。時々、恐怖で体が震えるもの」

「瑞希も?」

「うん…」

「……。瑞希と、離れるのが俺、1番辛い…」

「うん…」


「死んだら、どうなるかな。魂ってあるのかな…。もしあったらさ、体消えても、瑞希のそばにいられるかな…」

「……」

「瑞希のあったかさとか、感じられるかな…」

「圭介…」

 そんなことを言われて、私はまた、泣き出してしまった。

「ごめん、泣かせた?俺…」

「ううん。いい。大丈夫…。圭介が思ってること、話してていいよ。聞いていたいし…」

「うん…。死ぬことは考えないようにしてたけどさ。怖いし、真っ暗闇なのかなとか、無の世界なのかなとか、そういうことを考えちゃうと、すげえ怖いから、考えないようにしてた。でも…」

「でも…?」

「でも、みんないつかは、死ぬんだよね。瑞希だって、いつかはさ、早いか遅いかの差があるだけで…」

「……」


 圭介は、私の胸から顔を上げた。それから、ベッドからそっと立ち上がると、横のテーブルにあったティッシュの箱を取って、鼻をかんだ。

「私にも、ティッシュ…」

と言うと、箱ごと渡してくれた。

「こんなこと前にもあったよね。あ、車の中でか…」

 圭介がそう言うと、ふって笑った。圭介は、涙で目が腫れて、白い綺麗な肌は、真っ赤になっていた。きっと、私の顔もすごいことになっているのかな。

 圭介は、ベッドに座ると、じいって私の顔を見た。

「あ、すごいことになってる?私の顔…」

「ううん。綺麗だよ」

「嘘だ~~」

「まじで、まつげが涙でぬれてて、色っぽい…」

「ええ?」

 もう1枚ティッシュを取って、目のあたりを押さえた。


「瑞希は、あんまりお化粧濃くないね」

「あ、うん…」

 それから、圭介は私の頬の涙をぬぐいながら、

「瑞希の顔、覚えていたいな。ずっと…」

と、つぶやいた。

「目に焼き付けて、忘れないようにする…」

「……」

「死んでも、覚えておく…」

「圭介…」

 死んでもなんて言って欲しくないって、前なら思ったかもしれない。でも、今は圭介がそう思うなら、それを受け止めようって思っていた。

「私も、覚えておく。圭介のあったかさも。全部、全部…」

「うん…」

 そう言うと、圭介が今度は私をベッドに座らせて、ぎゅうって抱きしめてきた。

「覚えててね。そうしたら、瑞希の中でずっと俺、生きていられるから…」

 圭介のその言葉に、また涙が出た。私も圭介の背中に両手を回して、ぎゅうって抱きしめた。力いっぱい。そして、また、泣いていた。


「瑞希、泣き虫になってるね…」

 圭介がそう言って、少し笑った。

「私、本当は泣き虫だもん」

「そうなんだ、知らなかった。また、瑞希のこと知れた…」

「…うん。圭介も、私に、そのまんまの圭介を見せてね」

「…ん?」

「泣いてるところも、弱いところも、どんなところも。素のままの圭介、知っておきたいから」

「うん…」

「私も、泣きたかったら、泣く。我慢しない。苦しかったら苦しいって言うし、悲しかったら、悲しいって言う。ちゃんと感情を出して、感じて、圭介にも見せるから…」

「うん…」

「だから、悲しかったら、一緒に泣こうね。苦しかったら、こうやって、抱き合おうね。思い切り、泣いて、思い切り、抱きしめる。圭介をいっぱい感じるから、圭介もいっぱい私を感じてね。このままの、私でいるから、このままの私を受け止めてね。圭介のことも、全部、受け止めるから…」

 私は、そのとき、圭介の死も受け止めるからって、心でつぶやいていた。もう、逃げない。もう、圭介から、逃げない。どんな圭介からも…。

 圭介も、「うん、うん」と言って、泣いていた。また、私たちは二人で、抱き合って泣いた。


 泣くのも落ち着き、もういっぺん、私は、顔を自分のハンカチで拭いてから、

「お母さん、心配してるかもしれないし、下に行くね」

と言った。圭介も、また鼻をかむと、

「俺も行くよ。泣いたら、腹減っちゃった」

と、いつもの笑顔を見せた。


 二人して、リビングにおりていくと、お母さんは、ダイニングの椅子から立ち上がった。部屋は薄暗かった。今日は、外はどんよりしていて、家の中でも電気をつけないと、薄暗い感じだったが、お母さんは、その暗い中、ずっと、ここで座っていたんだろうか…。

 もしかしたら、私と圭介の泣き声も、聞こえていたかもしれない。

「おふくろ、おなか空いたから、ご飯にしてくれる?」

 圭介がそう言うと、

「あ、はい。待っててね」

と、お母さんはキッチンに向かった。

 圭介が、リビングの電気をつけた。それから、ソファに座ると、ここ、ここって感じで、圭介の隣をぽんぽんたたいた。圭介の隣に、腰をおろした。


 二人で、しばらくぼ~~ってしていたが、突然私のお腹がグ~ってなり、

「あ。すげえ音がした」

と、圭介がお腹をおさえて、おお笑いをした。

「おふくろ、瑞希にも、なんか作ってあげて」

 圭介がキッチンに向かって言うと、お母さんが、

「ああ、はい。わかったわ。二人分ね」

と、キッチンから返事をした。

「すみません。私も手伝います…」

 そう言って、私が立ちかけると、圭介が私の腕を掴んだ。

「瑞希は、ここにいて…」

「え?」

「瑞希は、俺の横に、ずっといて…」

 圭介が、そう言うと、私の腕をぐいってひっぱり、ソファに座らせた。

「うん…」


 しばらくすると、キッチンからいい匂いがしてきた。それをかいだからか、また、私のお腹がなってしまった。

「やだ~~」

 恥ずかしがって、お腹をおさえると、

「瑞希の、お腹のなる音聞けた。ラッキー」

と言って、圭介が笑った。そんなことが、ラッキーなの…?

 圭介は、テレビをつけた。私のお腹の音が、響かないようにっていう配慮なのかな?ちょうど、ドラマの再放送をしていて、イケメンの俳優が出ていた。

「私、この人、結構好き」

「俺とどっちが、かっこいい?」

「圭介に決まってるじゃん!」

「あはは、やっぱ?聞くだけやぼ?」

 圭介は、明るく笑った。圭介のこんな笑顔、いつ以来かな。久しぶりに見た気がする。


「ご飯、できたわよ」

 お母さんがダイニングから、私たちを呼んだ。

「いただきます!」

 圭介が元気よく手を合わせ、がつがつと食べ始めた。その様子をお母さんが見てて、少し、目頭を押さえた。目が真っ赤だった。今まで、泣いていたのかもしれない。

「あ、瑞希さんも食べて」

 私が、まだお箸も持っていないことに気づき、お母さんがそう言ってくれた。

「はい、いただきます」

 実は、圭介の食べっぷりに、私も見とれていたのだ。

「私、ちょっと、買い物に出てもいいかしら。瑞希さん、もう少しいられるわよね?」

 そう言うと、エプロンをはずして、お母さんはキッチンから出て行ってしまった。


 寝室に行くと、お母さんはしばらく出てこなかった。一人で、泣いているのかもしれない。

「あまり、家から出なくなったんだ。俺がいると、心配で出られないみたい」

 圭介が、ぽつりとそう言った。

「お母さん?」

「うん。親父も早めに帰ってくるようになった。兄貴や、順平は、バイトとか仕事が忙しくて、今までと変わらないけど。でも、なんか、食事してても、ぎこちなくてさ。みんなで気を使ってる」

「そう…」

「おふくろは、たまに寝室で泣いてる。夜中、一人で、お酒飲んでることもある。でも、俺の前じゃ絶対泣かない。泣きそうになると、寝室に行く…」

「じゃあ、お母さんの前では、圭介泣けないよね…」

「親父や、兄弟の前でもね…」

 そう言うと、圭介は、味噌汁を飲み干し、ご馳走様と、お箸を置いた。

「ああ、久々に、こんなに食ったかも…」

「大丈夫なの?」

「うん、けっこう気分もいい。やっぱ、瑞希がそばにいると、俺元気出るのかな。俺のあれだよ。パワーのもとだね」

って、言って圭介は、目を細めて笑った。


 寝室からお母さんが出てきて、そのまま和室を通り、玄関に行ったようだ。パタンと、ドアがしまり、鍵をかける音が聞こえた。

 圭介は、少しほってため息をついた。お母さんに気を使ってるんだな。なんだか、家族みんなで気を使いあってるんだな…。

「もうすぐ、入院だし、そうしたら、おふくろも楽になるかな」

「楽に?」

「俺がいると、大変そうだから…」

「そうなのかな。私だったら、そばにいたいって思うけど」

「でも、けっこう、辛かったでしょ?」

「うん。あ、そうか…」

「え?」

「泣きたいだけ泣いて、わめいたら、すっきりしたかも。今は、ただ圭介と一緒にいたいだけって思える」

「ああ、俺も…。なんか、泣いてすっきりしたかな」


「お母さんも、思い切り泣いたら、楽になるのかもね」

「…どうかな、感情をあまり出さない人だから」

「そうなの?」

「そういうところが、親子で似ちゃった」

「圭介も?ああ、そっか。無理して、明るくしたりしちゃうもんね」

「うん。なんか、明るくしていないととか、元気でいないととかって思っちゃうんだよね」

「無理しなくていいのに」

「…うん。もう、無理はしないよ。素のままでいるよ…」

 圭介の顔は、本当にすっきりして見えた。何か、つき物が取れたかのように、穏やかだった。


 圭介のお母さんが戻るまで、圭介と私は、リビングでテレビを観ていた。ドラマは、恋愛もの。可愛いヒロインと、イケメンの相手役。観ながら、時々圭介の顔を見た。

 うん、俳優さんよりも、ずっとかっこいい。すらりと伸びた手足も好きだな。それから、あ。パジャマの上着からのぞく鎖骨。色っぽいな。綺麗な指に、綺麗な横顔。ちょっとだけ、とがっている肩。

「何?」

 圭介が、こっちを見た。

「見とれてた?、また」

「ふふ…。自意識過剰だよ。実は、ナルシストなんじゃないの~~?」

「うそ~~。絶対、見とれてたでしょ。だって、俺を見るとき、目がいっつもとろんってするよ」

「え?まじで?」

「まじ、まじ。目の中にハートまで見えちゃう」

「うそだ~~。もう、馬鹿なこと言わないでよ」

 でも、そんくらい、私は圭介を好きだから、目がハートになってもおかしくないかもしれない。


 テレビを観ながら、馬鹿笑いを二人でしていると、お母さんが帰ってきた。それでも、圭介は楽しく話をしていて、笑っていた。

「ただいま」

と、お母さんがリビングに来ると、圭介が、

「あ、おかえり」

と、明るく出迎えた。

「ごめんなさいね。瑞希さん、お留守番頼んじゃって」

「いえ、そんな…」

「今、コーヒーを淹れるわ。豆が切れたから買って来たのよ。豆からひいて、美味しいのを淹れるから飲んで行ってね」

「はい、ありがとうございます」

 お母さんが、キッチンに行き、豆をひきはじめた。辺り一面にコーヒーのいい香りが漂った。


 しばらくしてお母さんが、リビングに私の分のコーヒーを持ってきた。一人分だった。

「あ、いただきます」

 コーヒーを飲んだ。とても美味しくて、心が、すうって落ち着いていった。

「圭介のは?」

 お母さんが、キッチンにお盆を下げに行っている間に、小声で聞いた。

「うん、なんか飲むと、最近、気持ち悪くなるんだよね。それで、やめてる」

「そうなんだ…」

「あの、瑞希さん…」

 お母さんが、リビングに来た。

「この前は圭介が、泊まりに行って、本当に迷惑をかけて…」

「いえ、そんな…。全然です」

「でも、ご心配かけたんじゃない?」

「はい。あ、いえ…」

 しどろもどろになった。なんて答えていいのか。


「あの、お母さん。私、圭介のこと、心配です。でも、心配は勝手にしているだけだから、あまり、気にしないでください」

「え?」

 相当、変なことを言ったのか、お母さんの顔が、固まった。

「あ…」

 私、変なこと言ったかなって、目で、圭介に聞いてみた。圭介は、大丈夫だよって目で合図をした。

「瑞希さん、あの…。少し話せるかしら。向こうで…」

「はい」

「圭介、ちょっと瑞希さん、借りるわね」

 そう言うと、お母さんは、私を和室に案内した。


 和室に入ると、お母さんは正座をしたので、私も慌てて、正座をした。

「瑞希さん…」

「はい」

「正直に言ってね。圭介といて、辛くない?」

「はい」

 即答をしたが、もういっぺん考えてから、

「辛いって思うこともあります」

と、正直に答えた。

「悲しくない?苦しくない?もし、あまり辛かったら…」

 なんとなく言いたいことがわかった。辛かったなら、離れてもいい、そんなことが言いたいんだろう。

「私、圭介から逃げようってしました。でも…」

「でも…?」

「でも、圭介が生きているのに、会えないことのほうが、辛かったんです」

「え?」


「圭介が、一緒にいて、苦しかったり悲しかったりしても、それでも、そばにいる方がいいんです」

きっぱりと、そう言うと、お母さんは目頭を押さえた。でも、泣くのを我慢してから、

「圭介は、今日、思い切り笑ってたわね。あなたと一緒にいると、圭介もあんなふうに、笑えるのね」

と下を向いたまま、そう言った。

「いいえ。この前までは、作り笑いをしていました」

「圭介が?瑞希さんに?」

「はい。無理して笑って、私に気を使って…」

「あなたにも?」

「はい。でも、私がそうさせてました」

「…え?」

「私が、素のままの圭介を受け入れられなかったし、それに、私も素のままの私を見せていませんでした」

「素のままって?」

「泣きたかったら、泣く。悲しかったら悲しいと言う」

「え?」

「我慢したり、感情を押し殺さずに、相手に心を開いて、見せる…」

「……」

「それで、ようやく、圭介の素のままを受け止められました。だから、きっと、あんなふうに笑えたのかも…」

 お母さんは、黙ったまま、うつむいていた。


「お母さんも、いいんですよ。きっと。感情を出しても。泣いても、大丈夫です」

「でも、そんなことをしたら、圭介が…」

「気を使って無理してる方が、圭介は、辛いかもしれないですよ。圭介って、自分より、人のこと考えちゃうところあるじゃないですか。そりゃ、悲しんでいるのを見たくはないかもしれないけど、でも、悲しいのを、無理して我慢して、影で泣いている方が、きっと、辛いですよ」

「圭介、そんなこと言ってた?」

「あ、いえ…。でもそんなふうに、感じました。私…」

「そう…」

「圭介は今、生きています。生身の人間で、笑ったり、泣いたりします。それが、人間です。生きているってことかなって思います。だから、生きている圭介を私は、感じたいって思っています。泣いていても、怒っていても、笑っていても、圭介です。どんな彼も、彼ですから…」

「そうね…」

 お母さんは、ぽろぽろと涙を流した。

「あの子なのよね。生きている、あの子なのよね…」

 口を押さえ、声を殺して泣いている。そんなところが、圭介に似ていると思った。


「私、いっぱい圭介を感じていたいから、ずっと、そばにいたいから、圭介が入院したら、お見舞いに毎日行って、ずっと病院にいたいんです」

「……」

 お母さんが無言のまま、私を見た。

「だから、会社も、辞めようかなって思ってます」

「そう…」

「あ、これは、今さっき、思ったことなんで、圭介にも言ってないんですけど…」

「圭介もあなたが、いつもいてくれたら、喜ぶと思うわ」

「はい…」


 私は、和室から出て、リビングの圭介のもとへと行った。圭介が、私の顔を見て、少し不安げな顔つきをした。

「今ね、お母さんに頼んできちゃった」

「何を…?」

「圭介が、入院したら、ずっと看病に行くって。毎日、ずっと…」

「おふくろはなんて…?」

「いいって」

「ほんと?!」

「うん」

 圭介が、あまりにも嬉しそうに驚いたので、こっちまで驚いた。

「おふくろ、瑞希に心配かけたり、苦しい思いさせるの、嫌がってたから。俺から、離れて欲しいって言ってるのかと思った」

「…うん、そんなこと言われたけど、圭介と離れている方が、辛いから離れないって言ったよ」

「それで、わかってもらえたの?」

「うん」

 にこってほほえむと、圭介も安心した様子で、にこっと、微笑み返した。


「よかった。じゃ、毎日瑞希の顔見れる。あ、でも、会社…」

「うん、社長には申し訳ないけど、辞めさせてもらう」

「でも、給料とかはいらなくて、いいの?」

「私、実家に住んでるし、今までの働いて貯めたお金、けっこうあるから大丈夫だよ」

「そか…。そっか~…。じゃ、朝から晩まで、いれる?」

「うん」

「まじで?」

「まじで」

 そう言うと、圭介はまた、にこって笑った。

 癌の治療と言えば、かなり辛いって聞く。圭介がそれをこれから、受けなければならない。そのとき、どれだけ私は、圭介の助けになれるのか。

 でも…、私はずっと、圭介の隣にいる。それだけは、誓って言える。それだけしかできないけど、でも、それは誰にも負けないぐらい、圭介を大事に思い、大好きでいるから、自信があった。

 

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