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25 今に生きよう

 圭介は、しばらく無言でいた。それから、息を吸い込む音が聞こえた。

「瑞希の、お父さんが来た…」

「うん…」

「話、聞いた?」

「うん」

「……。ごめん…」

「……。何が…?」

「…嘘ついたことも。苦しませたことも。悲しませたことも…」

 圭介は一呼吸おき、ゆっくりと続けた。

「これから先、そばにいれないことも…。守ってあげられないことも、幸せにしてあげられないことも…。全部…、ごめん…」

 ……。聞いていて、涙が出てきた。圭介、どうして?何が、ごめんなのよ…。


「俺、瑞希に会わないほうがいいかなって思ってる」

「嫌だ」

「え?」

「謝るなら、ちゃんと会って謝ってよ」

「……」

 圭介は、黙っていた。

「今日、これから会って…」

「今から?もう、8時過ぎだよ」

「圭介の家に行くから」

「わかった。俺が行くよ…」

「大丈夫、私が…」

「じゃ、どっかで待ち合わせしよう」

 待ち合わせの場所を決めて、電話を切った。


 それから、急いで支度をした。化粧をしても、目の腫れはごまかせなかった。

 リビングに行き、これから圭介と会うと言うと、修二が待ち合わせの駅まで送ってくれると言ってくれた。

「姉貴、大丈夫?」

「うん。大丈夫。不思議と落ち着いてる」

「そっか…」

 駅のロータリーで降ろしてもらい、待ち合わせの駅の改札に行くと、圭介はもう来ていて、改札口の方をじっと見ていた。私が電車で来ると思って、見ているんだろうな。


 圭介の姿を見て、ほっとした。もう、会えないかとも思っていたし、涙が出そうになった。だけど、ここで泣いたら、圭介がますます辛くなる。気を引き締めて、走って圭介のもとに行った。

「圭介…」

 後ろから声をかけられ、圭介は一瞬驚いていた。

「あれ?どこから来たの?」

「修二が送ってくれた」

「そっか…」

 圭介は、私の顔を見てすぐに目をそむけた。それから、とぼとぼと歩き出し、

「どっか店に入る?でもこの辺には、開いているとこ、なさそうだね…」

とぼそって言った。駅の周りは閑散としていて、お店も少なく、あってももう閉まっていた。


「車で、ちょっと出たらあるかな」

 路上駐車をしていた、圭介の車に乗ると、圭介がすぐに車を走らせた。どっかのお店といっても、ファミレスくらいか…。なんだか、そういう明るい店では、話しにくいな。

 しばらく車を走らせていると、横道にはいったところに公園が見えた。

「そのへんの、路地に止められないかな?」

 そう私が聞くと、

「あ、うん。公園の脇なら大丈夫かも」

 圭介は車を、公園の横に止めた。エンジンも切ったので、車内はし~~んと静まり返った。


 圭介は、低く小さな声で、ぽつりと、私を見ないで言った。

「瑞希、なんか痩せたね…」

「……」

 私は、何も答えなかったが、なんだか圭介は、私が痩せたのは自分のせいだと自分を責めている気がして、

「あまり、最近食欲なくて、食べてなかったから痩せたかな。体重計には乗ってないからわからないけど。ダイエットしたかったから、よかったよ、痩せて」

と、静かに言った。圭介は私の方を、初めてそのときに見た。圭介と目が合った。圭介も痩せた気がする。


「目、腫れてる…。泣いてた?」

 圭介が、腫れている私の目を見て、そう聞いた。

「う、う~~ん。不細工になってるでしょ…」

 私は、ちょっと目を両手で隠した。

「ごめん…」

 圭介が、謝った。

「何で?別れ話をしたから?」

「悲しませたから…」

「……。圭介は?悲しくなかった?苦しくなかった?」

と聞くと、私の顔を黙って見つめたまま、少し目を細めた。その顔がはかなげに見えた。


 でも、それは一瞬だった。前を向くと圭介は、

「俺のことは、いいんだ。それより、瑞希にきちんと謝らなくちゃ…俺」

と、表情を変えずに言った。

「謝らなくても、いいよ、別に…」

「え?でも、会って謝ってって」

「会いたかっただけ…」

 そう言うと、涙が出そうになった。でも、こらえた。圭介は一瞬こっちを見たが、また、前を向いた。


「瑞希、会社辞めた…?」

「社長から、聞いてない?」

「うん、何も…」

「まだ、辞めてない。しばらくお休みするってことにしてくれてる」

「……。そっか」

「圭介は、会社、行ってるの?」

「うん。今はね…。でも、新しい人入れてもらうよう頼んだんだ」

「何で?辞めるの?」

「うん。入院しなくちゃならないし、会社には行けそうもないから」

 ズキン…。現実をいきなり、突きつけられた気がした。

 いや、動揺しているところを圭介には悟られちゃいけない。圭介のほうが、辛いんだから。

「来週から、入院して、治療始める」

「うん…」

 駄目だ。声が沈んだ…。顔を見れなくなった。


「瑞希のお父さんが、きちんと瑞希と話しなさいって…。でも、俺、瑞希が悲しんだり、苦しんだりするの、見るのが1番辛くてさ。……。ごめんね。俺、弱いよね…。とても、苦しむ瑞希を受け止められそうもなかった。だから、逃げたんだ」

「……」

「それだけじゃない。俺と一緒にいて、辛くなって、瑞希が遠くに行ったりしたら、もっと辛いから、そうなる前に俺のほうから、遠ざけようって思った」

「……」

「話し合うも何も、俺は……」

 圭介が、言葉を詰まらせた。そして、しばらく黙ってしまった。


「……。何?」

 話し出すのを待っていたが、なかなか圭介が口を開かなかったので、私からそう聞いた。

「もう…、俺、瑞希には会わない。いや、会えない。やっぱり瑞希が悲しむのは見たくない。そう、決めてる…」

「……そう。でも、別れを告げられても、私すごく悲しい思いをするよ。それはいいの?」

「!」

 圭介が、こっちを向いた。

「わかってる。だけど、何日か、何ヶ月かしたら、忘れられる。でも、もし俺と一緒にいることになったら、これから、何ヶ月苦しむのか、わからないじゃないか」

「そんな何日とか、何ヶ月で、忘れると思ってるの?もし、あのまま別れてたら、私一生結婚もできなくなってたかもしれないよ」

「え?なんで?」

 圭介は驚いた表情をした。


「結婚しようって言われたのに、別れを言われて…。元彼だって、結婚の話をしたとたん、別れ話をしてきた。私、2回もそんなことあったら、絶対結婚怖くてできないと思う。それどころか、恋だってできない。好きな人だってできない…」

「……」

 圭介の顔は、みるみる申し訳なさそうな、情けない顔になっていった。こんな表情は、初めて見た。

「だから、圭介と、今別れたからって、私が悲しまないとか、苦しまないとか、そんなこと思ってるとしたら、まったく逆だから」

「でも、瑞希。俺、ずっとそばにいてあげられないよ。ずっと、守ってあげることもできないよ。そんないつか、別れが来ること知りながら、一緒にいたら苦しむよ」

「……」

 圭介が、目を押さえた。涙がこぼれるのを必死におさえているみたいだった。圭介が小さく見えた。今までで1番…。


 しばらく黙って、圭介を見ていた。そして、圭介の腕にそっと触れた。

 圭介がびくって驚いて、私を見た。圭介の顔をまじかで見た。瞳をのぞくと私が映っていた。

 この前は、私の姿なんて映っていなかった。すごくクールに装って、あれは、圭介の精一杯の演技だったんだ。

 今の圭介も、演技をしていた圭介も、そして、会えなかったときに、苦しんでいただろう圭介も、すべてが愛しく思えた。

 圭介の腕に置いた手を、そのまま圭介の背中に回した。もう片方の手で、圭介の頭をなでて、圭介を私の胸に引き寄せた。圭介は黙って、私に体をあずけていた。


 しばらく、圭介のあったかい空気を感じていた。ああ、この空気だ。目を閉じて、呼吸をした。圭介の匂いもする。

「瑞希…?」

 圭介が、ようやく口を開いた。でも、まだ私は、圭介を抱きしめていた。

「圭介は、わかってない」

「え?」

「私、こうやって一緒にいられたら、それでいい」

「だけど、どのくらい一緒にいられるか、わかんないんだよ。1年か、半年か…」

「未来のことなんていい。だって、誰にも明日のことはわからない。元気な人も、いきなり死んじゃうかもしれない。みんな、わかんないんだよ?」

「……。そうだけど、でも、俺、何も瑞希にしてあげられないよ。苦しめることしか…」

「だから、こうやって、ここに居てくれるだけで、幸せなんだってば」


 ようやく私は、圭介を抱きしめていた腕を離し、圭介の手を両手で握った。

「ね、圭介。私、泣いてる?悲しんでる?」

「いや…」

「ね。今、私、幸せだよ?」

「……」

「だから、それでいいの。圭介。今に生きようよ…」

「…今に?」

「そう。誰だってね、明日はわからないの。でも、今にみんな生きてる。今は、生きてる。今は、圭介、生きてるよ」

「……」

 圭介が、大粒の涙を流した。

「瑞希…」

 そう言うと、圭介は泣き出してしまった。


 圭介の手を握ったまま、私はうつむいて泣いている圭介のおでこに、私のおでこをくっつけた。圭介は震えながら、声を押し殺して泣いている。

 片手を圭介の手から離して、圭介の前髪をかきあげた。少し圭介は、顔を上げた。圭介の、頬に流れている涙を手でぬぐった。圭介の目は真っ赤だった。

 今まで、泣くのを我慢していたんだろうか?本当は、1番辛かったのは、圭介で、1番怖くて、1番悲しくて、泣きたかったのは、圭介なんじゃないのか…。

 ぎゅって胸が痛んだ。でも、すぐに圭介への愛しさで、いっぱいになった。


 圭介の頬に伝っていた涙のあとに、そっとキスをした。圭介は、ずっと黙っていた。それから、髪にキスをした。もう1度、圭介を抱きしめた。

「圭介が好き。圭介が好き…」

 そう、繰り返した。圭介も、私の背中に手を回した。そして、ぎゅって抱きしめた。

「圭介が、病気だってね、関係ないよ。弱くても、泣いてても、どんな圭介だって私は、大好きなの」

 そう言うと、圭介は、腕にもっと力をこめて、ぎゅってもう1度私を抱きしめた。それから、小さな声で、

「うん」

とつぶやき、また、圭介は泣き出した。今度は、声をあげて。


「瑞希、俺、すげえ怖くて…」

「うん」

「すげえ、ほんとは怖くて、死ぬのも、瑞希を失うのも…」

「うん」

「ほんとは、俺、瑞希と一緒にいたくて。会いたくって、こうやって、抱きしめたくって…」

「…うん」

「俺も、瑞希がすげえ好き…」

「…うん」

 涙がこぼれた。悲しさの涙じゃない。圭介が愛しくて、愛しくて、胸が張り裂けるぐらい愛しくて、涙が止まらなくなった。

「圭介、私が泣いてても、悲しんでいるって思わないでね」

「え?」

 圭介が、私の顔を見て、私が泣いていることに気づいた。

「私、圭介が好きで、愛しくって泣いてるだけだからね」

「……うん、わかった」

 それから、今度は圭介のほうが、私の涙を手でぬぐって、そっと、私の頬にキスをして抱き寄せた。


「瑞希…」

「ん?」

「俺、鼻水も出ちゃった」

「ええ?」

「へへ…」

と圭介は笑うと、鼻をズズッてすすった。

「ティッシュ…」

 ダッシュボードのティッシュを圭介がとって、鼻をかんだ。

「私にもちょうだい」

って、圭介から、ティッシュの箱をもらい、私も涙と、鼻をふいた。

「ああ、ひでえ、顔。親、びっくりするだろうな」

 車内の明かりをつけ、バックミラーを見て、圭介が言った。

「ずっと、泣いていなかったの?」

「うん。一回泣いたら、崩れそうで…。親の方が、泣いてたし」

「…部長も?」

「うん。泣いてた…」

「じゃ、圭介、我慢してたの?泣くの…」

「ん…。我慢っていうか、なんか、そういうの全部、考えないようにしてた。どうやったら、瑞希を苦しめないかとか、親の前では泣いたら、もっと、親が苦しむかなとか。そんなことばっか考えて…」

「そんな、人のことばかり?」

「そうやって、忘れたかった。自分の病気や、死を考えるのも嫌で…。考えたくもなくて…」

「……」


 また、圭介は、鼻を思い切りかむと、

「あ。でも、泣いたら、すっきりしたや」

と、私を見て笑った。圭介はずっと、我慢してたのか。泣かないように、ずっと。

「泣きたいときは、泣いていいよ。そのときには、私、またずっと抱きしめてるからね」

「うん…」

「そうだ。いつでも、私の胸は圭介のために取って置く。だから、いつでも私の胸でお泣き」

 そう言って、私が両手を広げると、圭介は、げらげら笑い出してしまった。

「下手な芝居見てるみたい。何それ?」

「ふふ…」

 いつもの、圭介だ。


 圭介は、車の時計を見ると、

「わ。もう、こんな時間。送ってくね」

と、車のキーをまわし、エンジンをかけた。それから、私のシートベルトを締めてくれると、

「あ、さっきさ。キスしようって思ったんだけどさ」

「え?」

「鼻水たれてきて、できなかったんだよね…」

「ええ?」

と、そんなことを言ってから、キスをしてきた。この前よりも、長いキス。でも、そっと、触れるような、キス。

 それから、圭介は少し窓を開けると、車を走らせた。車内に、涼しい風が入ってきた。公園の緑の匂いがした。

 圭介は、ラジオも、音楽もかけることなく、そのまま、黙って車を走らせた。そして、

「瑞希、俺も、今、すげえ幸せ。今は、生きてるし、瑞希が、隣にいる。それだけで、いいんだよね」

と、つぶやいた。

「うん」

とだけ、私も言って、黙って車を運転する圭介の横顔を見ていた。


 ずっと、圭介の隣で、どんな圭介も見ていよう。圭介を感じて、今を大事に生きていくんだ。

 風で、圭介の前髪が揺れた。圭介の匂いがした。目を閉じると、圭介のあったかい空気に包まれて、このうえない最高の幸せを、私は感じていた。

 


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