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24 真っ暗闇

 6時に仕事が終わり、私は席を立った。

「お疲れ様」

「あ、俺も帰るよ」

 圭介が慌てて、帰る支度を始めた。ああ、良かった…。一緒に帰れるし、話ができる。

 圭介と会社を出て、エレベーターに乗る。圭介があまり話をしてこない。それから、ビルを出て傘をさして歩き出した。

「ご飯、食っていかない?」

 圭介が、ぽつりと言った。

「うん」

まだ、一緒にいられる!


 圭介は、近くにあるビルの地下に入っていった。初めて来るところだ。ちょっと暗い雰囲気のする店内だった。どうやら、レストランというより、カフェバーという感じだ。

 店員に席を案内してもらい、奥へと入っていった。そこの席はまた、一段と暗かった。すっかりお酒を飲む雰囲気になっていたが、

「あ、俺、酒は飲まないよ。瑞希は?」

と圭介が、聞いてきた。

「私も、飲まないよ」

 検査のこととか聞きたいから、飲むわけにはいかないって思ったが、ああ、検査の結果がなんでもないなら、飲んでもいいかな。


 席に座り、メニューを見る。おつまみっぽいものも多かったが、1品料理もあって、圭介はピザを、私はスパゲティを頼んだ。

 料理が出てくるまで、圭介は仕事のことを少し話し、それから料理が来るともくもくと食べた。

 食べ終わると圭介は、私が食べ終わるのを待ち、食後にコーヒーを二つ頼むと、

「俺、瑞希に話しておきたいことがあるんだ」

と、まじめな顔で言ってきた。

「何?」

「うん。実はさ、親父やおふくろとも話したんたんだけど…」

 圭介の声が低くて、なんだか嫌な予感がした。

「…。何…?」

「結婚…、やめない?」

「え…?」


「瑞希の両親に反対されるのも、無理ないって、なんかおふくろもやっと冷静になって」

「……」

 いきなり、何を言っているの…?

「ああ、あのさ。俺も、まだ早いっていうか、もう少しやっぱ、独身でいたいっていうか」

「…なんで、急に?」

「…一週間考えたよ。結婚は、はずみで…っていうか、親に言われてその気になっただけだったかなって。冷静になってみたら、やっぱ、早すぎるよ…」

「…入院して、そう思ったの?」

「え?」

「だから、検査入院…」

「それとこれとは、別だよ!」

 圭介は、一瞬、声をあらげた。

「でも、いきなり何で?わからない、私…」

「…だからさ。だから…」

「……」

 暗かったから、あまり圭介の表情がわからなかった。でも、困惑しているようにも見えた。


 いや、頭が真っ白なのは、私のほうだ。ついこの前まで、お母さんだってノリノリだったじゃないか。

「お母さんもなの?」

「そうだよ。冷静になってみたら、結婚なんておかしいってさ」

「部長は?」

「親父も、そう言ってた」

「……。圭介もそう思うの?」

「うん。やっぱ釣り合わないよ。俺ら…」

「結婚をやめるだけ…だよね?」

「え?」

「付き合ってはいくんだよね。これからも…」

「瑞希、他に相手探した方がいいよ。俺、いつ結婚なんて考えるかわからないから」

「……。本気?」

「本気…」

 圭介は、私の目を見なかった。ずっと、下を向いていた。


「本気?本当に?なんでこっち見ないの?」

「……」

 黙って、圭介は顔をあげた。冷静な目をしていた。とても冷めた、クールな目だ。そこには、私は映っていないんじゃないかって思えた。

「だから、メールもくれなかったの?」

「うん」

「だから、日曜も来なかったの?」

「うん」

「うちの親に反対されたから、それで?」

「それだけじゃなくて、いや、瑞希のお母さんの言うことももっともだなって…」

「……」

 圭介は、まだ、クールな目つきだった。


 本気なの?なんで?一週間会わなかっただけで、そうなっちゃうの?なんで?……。元彼を思い出した。結婚の話をしたら、別れ話がきた。今回もなの…?

 ボロ…。涙が出た。

「もし、会社一緒にいづらかったら、俺がやめてもいいし…」

 圭介は、私の顔を見ないで違う方を見ながら、そう言い出した。

「え?」

「俺のほうが若いから、どっかすぐに見つかるよ」

「……」

 嫌だ、そうしたら、まったく接点がなくなってしまう。まったく圭介に会えなくなる。…いや、もう、隣にいるのは、辛いだけじゃないの?


 待って…。なんで別れ話をまた、私は聞き入れようとしているの?

「私、結婚そんなに、考えてない。結婚ができなくても、圭介の隣にいられたらそれでもいい」

 必死で、そう伝えると、圭介が少し顔をこわばらせて、

「俺、悪いけど、もう付き合えない…」

と低い声で、ぼそっと言った。

「え?」

「……俺、やっぱ、同じくらいの年の子の方が、いい…」

「……」

 何を言われているのかも、わからなくなった。圭介が何を言っているのかもわからない…。


「……。圭介。会社辞めなくてもいいよ」

 しばらく黙っていたが、私はそんなことをいきなり、口走っていた。

「え?」

「私が、辞める」

「……。でも」

「私、圭介が隣にいないのに、会社にいけない。絶対に辛くなる…」

 涙がぼろって流れた。そのあと、どんどんどんどん、涙が溢れ出て、止まらなくなった。

 圭介は、そんな私を見てから、そっぽを向いた。それから、冷めたコーヒーを飲みほすと、

「先に出るよ」

と言って、レジに向かい、お金を払って出て行ってしまった。


 暗い1番奥の席でよかった。私は、声を殺して泣いた。涙が止まらないから、席を立てなかった。

 店員さんはなんとなく様子がわかっていたのか、なかなか圭介の飲んだカップをさげにこようとはしなかった。

 …何が起きたのだろう。

 涙がようやく止まり、店を出て、夜の雨の降る町を歩きながら、私はぼ~っとしていた。


 少しして、傘をさしていないことに気がついた。雨の中、傘をさしていないので、すれ違う人が私を変な目で見ていた。

 傘を開いた。傘を開くと、圭介とのデートのこと、プラネタリウム、いろんなことが走馬灯のようにくるくると頭の中をかけめぐり、また涙が出てきた。傘で、顔が見られないようにして、私は泣きながら歩いた。

 電車でもずっと、外を見ていた。涙が時々流れるたびに手でぬぐった。

 圭介は一週間で、なんであんなにも変わってしまったのか…。私への思いが一気に冷めたのか…。結婚が重くなったのか…。誰かと、出会ってしまったのか…。

 明日、顔をあわせるのも辛い。私はその夜、社長に電話をすることにした。


 家について、そのまま2階に上がった。

「瑞希?ご飯は?」

「食べた」

とだけ、母に2階から叫んで伝えた。

 それから、少し深呼吸をして、社長の携帯に電話をした。今日あったことを社長に告げて、明日は休んでいいかということと、会社を辞めてもいいか聞いてみた。

「うん、しばらく辞めるというのは、保留にしておこう。何日かたって、落ち着いたら出てきたらどうだ。圭介の気も変わるかもしれない」

「…そうは、思えません。私…」

「なんで?」

「圭介の顔、すごく冷静で、怖いくらいクールで…。もう、気持ちが冷めているんです。きっと…」

「……。どうかな」

「すみません…。新しく派遣の人を雇ってください。私のわがままですが…」

「いや、う~~ん。そうはいってもな、柴田さんは仕事どうするの?」

「また、派遣で探します。大丈夫です。すみません…。私、会社にも挨拶にいけないかも…。みなさんに迷惑かけますが…。すみません…」

「うん…。そっか。じゃ、2~3日考えて、それからにしよう。ね?」

「はい…」

 そう言って、私は電話を切った。もう、限界だった。


 ベッドにうつぶせになり、枕で顔をおさえて泣いた。声が一階に聞こえないよう、ずっとずっと泣いた。

 明日には、これが夢であるよう願いながら泣いた。明日には、圭介の電話があり、今日のことはすべて悪夢だったって、きっとそうなるって、そう願いながら、ずっとずっと私は泣いていた。


 翌朝、起きてこない私を起こしに、母が2階に来てノックをした。

「今日はお休みするの?」

「うん。しばらく休むから…」

「どこか、具合でも悪いの?」

「うん。風邪かな…」

 母は、少しかすれた私の声を聞き、

「じゃ、ゆっくり寝てなさい」

と、ドアの向こうから声をかけ、下に下りて行った。


 鏡を見た。目はすごく腫れていてその目を見て、

「ああ、夢じゃなかった」

と、実感した。

 夢の中で、私は圭介と会っていた。圭介は無邪気に笑っていて、

「ああ、なんだ、別れるなんて、夢だったんじゃない」

って、夢の中でそう思っていた。でも、現実は違っていた。

 ぼ~~ってしながら、私はまた考えた。なんで、いきなり?なんで、なんで?どうしても腑に落ちない。


 圭介が、もう、会社には着いているだろうから、私は圭介の家に電話をして、お母さんに聞いてみることにした。

 ベルが5回くらいして、お母さんが電話に出た。

「榎本ですが」

「あ、あの、柴田です…」

 そう言うと、お母さんは一瞬黙ってしまい、それから、

「瑞希さん…?」

と、すごく冷静な声で、聞いてきた。


「はい。あの、ご無沙汰してます」

「……。圭介から、何か聞いたかしら?」

「……。はい。あの…、昨日の夜…」

「そう。結婚をやめる話よね?」

「はい。それで、あの…」

「ごめんなさい。私も浮かれすぎてたわ。圭介に言われて、やっぱりまだ、結婚は圭介には無理だって思ってね。圭介と瑞希さんじゃ、年の差がありすぎる」

「でも…」

「悪いけど、今から出かけるの。圭介が結婚をやめたのなら、もう、仕方がないと思うわ。それじゃ」

 お母さんの言い方も、どこか冷たく感じた。いったい、何が起きたのか。なぜ、そんな180度も変わってしまっているのか。


 母が昼頃、おかゆを作って部屋に持ってきて、私の泣きはらした顔を見て、やっと尋常ではないことが起きていることを知り、聞いてきた。

「どうしたの?圭ちゃん大変な病気なの?」

「ううん、違うよ。昨日会社に来たし…」

 いや、待てよ。検査の結果は何も、聞いていない。

「じゃ、どうしたの?」

「…結婚をやめようって、別れようって突然言われた」

「ええ?」

 母は、いきなりのことで、驚きを隠せない様子だ。


「で、でも、だって、この前結婚させてくださいって…」

「反対されて、考え直したみたいで…。向こうのお母さんにも、年の差があるし、無理だって言われた」

「お母さんまでが?いきなり?」

「うん…」

「……」

「お母さんには、嬉しいことでしょ。だって、結婚反対してた…」

「そうだけど、まさか、こんな展開になるなんて…」

「お母さんが反対したから…」

 私は、母のせいにでもして、思い切り泣きたかった。誰かのせいにでもしないと、やりきれなかった。


「瑞希…。もし、そんなことで、別れを決めるような相手なら、結婚しないで正解なの。わかる?」

「そんな理屈言わないで!」

「でもね!瑞希。圭ちゃんは、そんな簡単に気が変わるような、そんな子じゃないと思う。真剣だって伝わってきたし。お母さんね、あと数回来たら、賛成してもいいって思っていたの。そのくらいの誠意見せて欲しいって。そして、圭ちゃんなら、きっと、見せてくれるだろうって思っていたの」

 そんなこと、今言われても、すべてが遅いのだ。


「何か、あるんじゃない?ねえ…。本当に圭ちゃん、体、なんともなかったの?」

「え?」

「だって、おかしいでしょ。検査入院してから、そんなこと言い出すなんて」

「…悪いのかな?検査の結果、何か悪いこと…」

「わからないけど、そう考えてもおかしくないんじゃない?」

 がたがた、震えがきた。もし、そうなら?もし、それで別れを告げてきたなら?圭介のお母さんまでが、一緒に嘘をついているとしたら?

 いきなりの別れ話、そっちの方が筋がとおっている。でも、そんなこと思いたくもなかった。

「…もし、もしそうなら、私、どうしたらいいの?」

「……」

 母は、黙っていた。母も、どうしたらいいのか、わからない様子だった。

「ちょっと、お父さんが帰ってきたら、相談するから。ね?少し横になってなさい」

 母が優しくそう言って、部屋を出て行った。


 震えはまだ、止まらなかった。もし、もしそうなら、圭介は一人で、辛い思いをしているんじゃないのか。自分で抱え込んでいるのではないのか?もし、そうなら、なんで言ってくれないのか。もし、そうなら…。

 私は、耐えられるのか…?

 ああ、こんなの全部、私の妄想だ。母のいつもの悪い癖だ。悪いことばかりを想像し、心配する。きっと、そうだ。圭介は私が嫌いになっただけだ。

 それも、悲しかったが、圭介の体に異変が起きていることを考えると、ずっと、救われるような気がした。


 いつの間にか私は寝ていた。昨日、今日と、泣き疲れていた。父の、

「入るよ」

という声で、目が覚めた。

「瑞希、お母さんから聞いたよ」

「……」

「それで、お父さん、圭介君のお宅に行って来ようと思う」

「え?」

「もし、理由が何にしろ、結婚させてくださいと言った矢先に、別れ話をしてくるなんて納得がいかないと、お父さんが乗り込んでいっても、間違ったことじゃないだろ?」

「乗り込むの?」

「いや。きちんとした理由を聞いてくるから。もし、万が一、万が一何か、悪いことを言われたとしても、いいね。瑞希に伝えるから。それだけの覚悟は持っていなさい」


「……。覚悟?」

「それを聞いて、どうするかは自分で決めるんだよ」

「……。もし、何か悪い結果だったら…?」

「別れるのか、そばにいるのかを決めなさい」

「え?」

「お父さんは、何も口を出せないな。お前が苦しむのを見るのが1番辛いが、たとえば、もし、お母さんが病気になったら、お父さんはちゃんとそばにいて、看病もするだろう。夫婦だからね」

 父は、いったん話を止めて、ゆっくりと息を吸った。そして続けた。

「だが、お前たちは、まだ結婚をしていない。だから、別れてもいい。でも、1度は結婚まで考えた仲なんだから、そばにいるのを選択するなら、それでも、かまわないとお父さんは思っている。離れるのと、そばにいるのと、どちらが辛いかも、お父さんには決められないしな」


「でも、まだ、そんなのわからないでしょ?本当に私のこと嫌になっただけかも」

「だから、はっきりと聞いてくるよ。いいね?」

「……」

 父はそう言うと、部屋を出た。

 怖かった。本当の理由を聞くのが…。なんでもなくて、そしてずっとそばにいてくれるのが、1番いい。

 どうか、どうか…。祈る気持ちで、その夜は眠りについた。


 土曜の午後、父は圭介の家に電話をして、圭介がいるかを聞き、家にこれから行くと告げていた。父は冷静に話をする人だ。

 今でも、冷静だっただろうが、でも、電話で家をたずねると言ったとき、少し声をあらげていた。うちの娘と結婚するとこの前言っておきながらどういうことだ、きちんと説明を聞きに行くからと…。

 電話を切ると、ため息をつき、

「こんな感じで、よかったかな」

と母に向かって、言った。どうやら、怒っているという演技をしたらしい。父にしては、上出来だ。


「お父さん、頼んだわよ」

 母が、玄関まで行き、そう言うと、

「うん、わかった」

 と、父は深くうなずき、家を出て行った。リビングからその様子を、私とクロと、修二が見ていた。

 修二も、話を母から聞いていた。

「心配ばかりするなよな」

 ぽつりとそう言うだけで、他には何も言ってこなかった。それが修二の優しさだと、痛感していた。

 母は、私のことを心配していた。ご飯は食べなさいとか、きちんと寝れているのかとか、その母の心も伝わってきて、胸が痛くなった。

 クロも、時々私のほっぺをなめたり、夜、私の部屋で寝てくれたりなぐさめようと、必死なのがわかる。


 …怖かった。父が家に帰ってくるまで、何度か布団に潜り込み、両手を合わせた。

 なんでもありませんように。なんでもありませんように。こんなに辛いなら、ただ、ふられちゃう方がいい。


 5時頃、父が玄関のドアを開け、静かに帰ってきた。

 父が帰ってきたのがわかり、修二は部屋から下へと下りていった。私は、怖くて聞きたくなかったが、やはり、気になりそろそろと下に下りた。

 父は、リビングのソファに深く座っていた。

「瑞希、ここに座りなさい。…母さんも」

 そう言うと、父は一回深呼吸をした。

「どうだったの?」

 母が、心配そうに父に聞いた。修二も、かたずを飲んで見守っていた。


「お父さん、また、演技をしてきたよ。怒鳴り込んでいった」

「え?お父さんが?」

「そのくらいにしないと、正直に話してくれないだろうと思ってな。そうしたら、圭介君は、土下座して謝るばかりで…」

 圭介が、土下座…?

「お母さんも、半分泣きながら、謝って…。でも、何も話してくれなかった。だけど、それじゃ、納得がいかないと、もて遊んだだけか、謝ってすむことじゃないと、お父さん頑張ったんだよ」

「うん…」

 母が、よくやったわと言う顔をした。

「そうしたら、榎本部長さんが、落ち着いて話を聞いて欲しいと、リビングのソファに座ってね、それで、話してくれた」

「……」


 ゴク…。のどが渇いていた。つばを飲み込んでも、からからだった。

「瑞希、落ち着いて聞きなさい…」

 怖い!本当は、今すぐ逃げ出したいくらいだ。

「圭介君は…、脳に、腫瘍があるそうだ。それも、悪性の…」

「…そんな!」

 大きな声をあげたのは、母だった。

「うそだろ?!」

 修二も、大きな声をあげた。


 私は、父が何を言っているのかがわからなかった。

「…手術は、できない。命にかかわる危険なところに腫瘍があるらしい。抗がん剤治療や、放射線治療が始まると思うが、通院だけではすまなくなり、しばらくは入院するようになるだろう」

「それで?治療をしたら、助かるの?」

「いや、延命するだけだろうと、言っていた。持って、半年か、1年か…」

「うそだろ?!だって圭介、すげえ元気だったし、まだ、若いんだぜ」

「瑞希?」

 父が、私の顔を覗き込んだ。


 私は、今の話をすべて、消去したかった。何も聞いてない、そんなこと、私は知らない。

 圭介と別れても、圭介はずっと元気でいる。ずっとずっと…。今の話は全部嘘だ。父のつくり話だ。ああ、そうだ。そうに決まっている。

 私がただ、ふられるのが悔しくて、そんなでっちあげを言っているのだ。

「瑞希?」

 今度は、母が青い顔をして、私を覗き込んだ。私はひきつった顔で、笑った。

「冗談言ってるんでしょ?」

「どんな話でも、覚悟を決めて聞きなさいと言ったよね?」

 父は、冷静にそう言った。


 母が、父に向かってせっつくように聞いた。

「それで?どうしたの?」

「瑞希には、言わないでくれと、圭介君に頼まれた。でも、きちんと話さないと、フェアじゃない。圭介君も、瑞希ときちんと向き合って話してくれと頼んできた。瑞希はどう選択するかはわからない。でも、もしもう結婚をしていたとしたら、夫婦で、共有することになったことだと、話してきたよ」

「それで、圭ちゃんは?なんて?」

「お母さんがね、絶対に別れて欲しいと言っていた」

「ええ?」

「瑞希に、辛い思いをさせたくないと。それが、榎本家の考えで、病気のことも告げず、別れるという結論になったそうだ」

「……」

 みんなが黙って、聞いていた。

「圭介君は、自分を憎んでもいいから、忘れてもらいたかったって言ってたよ。辛い思いをさせるなら、俺が悪役になった方がましだって…」


 ボロボロ…。涙が突然出た。その涙で、私はすべてを受け入れてしまった。

 そんなの嘘だって否定して、認めないでいたかった。でも、圭介のそんな思いを知って、涙が止まらなかった。

「どうして…?」

 何を責めたらいいのか。

「なんで?なんで圭介なの…?」

 嗚咽を上げて私は、泣き出した。声がおさえきれない。

「私、どうしたらいいの?どうしたらいいの?なんで圭介、自分を悪者にするの…?」

「瑞希…」

 母は、一緒に泣いていた。

「くそ!」

 修二は怒っていた。父は、ただ黙っていた。


 私は部屋に戻り、ずっと泣き続けていた。ベッドで、泣きながら横になっていると母が部屋に来た。

「何か、食べれる?」

 母が、優しくそう言った。

「ううん…」

「そう…」

 母は私のベッドに、腰掛けた。

「瑞希は、どうしたいの?」

「わからない…。どうしたらいいかな?」

「…瑞希が決めることでしょ。圭ちゃんと、きちんと話す?」

「怖い…。私、思い切り泣きそうだ。圭介を苦しめそう…」

「……。そうね…」

「お母さん、私ずっと、考えてた。私が、悲しむ、苦しむことが、圭介は1番辛いのかな。悪者になってまで、別れた方が、圭介も楽かな?」

「……。どうかしら…」

「…それ、私の逃げかな?」

「圭ちゃんから逃げる?」

「うん…」

「それもけして悪くないわよ。無理して、そばにいようとしてお互い傷ついてもしかたがない」

「…圭介がいなくなるなんて、考えられない。もし今、別れても、そばにいなくなるんだよね」

「そうね…」

「……」

 圭介は、怖くない?怖くないの?辛くないの?苦しくないの?


 翌日、さらに目が腫れあがっていた。昼まで部屋にいると、母がサンドイッチを持って来た。

「これなら、食べやすいでしょ?あと、ハーブティ。落ち着くわよ」

「うん。ありがとう…」

 サンドイッチを一口食べると、母が安心した顔で、

「あとで、顔も洗いなさい。すごいことになってるわよ」

と言った。


「お母さん…」

「え?」

「お母さんなら、圭介が病気って知ったら、お付き合いやめるように言うかと思ったな」

「……。そうね。娘の苦しむ姿は見たくないからね。でも…」

「でも?」

「お母さんも、お父さんと出会う前、学生のとき、好きな人がいてね。病気で亡くなったの」

「え?初めて聞いた」

「お付き合いもしてなかったし、もともと、体の弱い人で、でも、亡くなった後から、彼のお母さんから、実は、あなたのことをずっと、好きだったみたいって言われてね」

「……」

「悲しかったわね~~。もっと、早くに言って欲しかったわよ。そりゃあ、好きな人だもの、辛いけど、でも、せめてもっとそばにいたかったってそう思ったわね。お母さん、彼女でもないしって、お見舞いも遠慮していたから」

「そばに…?」

「そう、思い出ももっとほしかったし、そばにいられたら、それでよかったかな」

「……」


「だから、そんなことがあったし、あんたに別れなさいとは言えない。でも、そばにいてあげなさいとも言えない。お父さんは圭ちゃんと、話しなさいと言ってたけど、お母さんはね、あんたが決めることだと思うわ。1番どうしたいかを…」

「……」

「さ、食べたら、お皿とカップ、片付けに来てよ」

「うん…」

 母の言ったことを、何度も、繰り返してみた。

「せめて、もっとそばにいたかった……」

 私も、そう思うかもしれない…。


 ここで、圭介と別れても、きっと圭介のことを思うだろう。きっと、圭介のことを考えては、つらい思いをするだろう。それなら…。

 どんなに悲しくても、そばにいる方がいい…。

 どんなに苦しくても、圭介を見ていたい…。

 どんなに、圭介に別れ話をされても、私は、圭介を、いっぱい感じていたい…。


 夜、携帯がなった。圭介からだった。

「もしもし…」

 すごく弱々しい圭介の声だった。

 もう、迷うことはない。圭介。私は決めてるからね…!



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