23 心配
翌日、お弁当を作り、早めに家を出た。外は大雨。空はどんより…。
「あ~。憂鬱…」
私は、晴れがやっぱり好きだ。
会社にも早めに着いた。なんとなく眠れなかったので、まぶたが重く、コーヒーでも飲もうと自販機の方に行くと、社長が缶コーヒーを買っていた。
「あ、おはようございます」
「ああ、おはよう」
缶コーヒーを社長は取り出し、それから、私が買えるようにと少しずれた。
「なんだか、元気ないみたいだね」
「私って、顔に出ちゃいますか?」
「う~~ん、出るほうかもな~~」
「はあ~。そうですか」
重いため息のような、返事をしてしまった。
「どうした?もしかして、圭介のことか?」
「え?」
「圭介のご両親、結婚をどんどん進めているみたいだが、乗り気がないなら、断ってもいいと思うよ」
カク……。少し私はずっこけた。見当違いもはなはだしい…。
「違います。結婚のことは私、嬉しいです。ただ、うちの母が反対してて…」
「はははは、なんだ、そういうことか」
と、社長は笑い飛ばし、
「そのくらいのハンデがないと、面白くないよ。圭介みたいなやつは、障害があったほうが張り切るし、燃えるタイプだ。良かったな~~、反対されて」
社長はそう言うと、私の背中をばんばんたたいた。 い、痛い…。笑い飛ばすようなことなのか?面白くないって…、なんだそれ。
「おはよ!」
席に着くと、圭介が最高の笑顔で挨拶をした。結婚を反対されていることなんて、ものともしないって感じだ。
社長に、こんなことを言われたとメールで送ると、
「あはは、それ、当たってるかも。俺、俄然張り切る気になったもん」
って、笑った。
そ、そうか。ああ、障害があったほうが、燃え上がったりするもんな~~。っていうのは、若いころの話。私は、もうそんな余力があるかどうか…。どうせなら、あっさりうまくいって欲しいよ。
圭介は、今日もまた、張り切って仕事をしていた。横顔がなんだか、生き生きとしている。そんな圭介を見ていて、私も、なんだかパワーをもらっている気がした。
結婚しても、働かせてもらえるのか。そうしたら、ずっと圭介と一緒なのか…。けんかとかするのかな?今までしたことないけど。
6時を過ぎると、
「今日も残業するから。瑞希、お疲れ様」
そう言って圭介は、私を見送ってくれた。毎日残業だけど、体、大丈夫なのかな…。
とはいえ、社のみんながそうだから、結婚している人なんて、奥さん大変だろうなって思う。そうだ、赤ちゃん生まれたばかりの人だっている。いっつもだんなさんが午前様じゃ、大変だろうな~~。私もそうなるのかな。
一緒に働いていれば、圭介と会っている時間も長いけど、辞めたらなかなか会えないのかな~~。帰りの電車でそんなことを考えながら、私は帰ってきた。
夕飯は、父が接待で遅いらしく、母と二人で食べることになった。
う、気まずい…。母は、ほとんど無言で、テレビを観ていた。いったい、いつまでこんな状態が続くのだろう?私も黙ってもくもくと食べ、さっさと2階へあがっていった。
その日の夜10時頃、桐子が電話してきた。
「告白したの」
「え?彼に?」
「うん」
「で、なんて?」
「彼もね、私のこと思っててくれた」
「やったじゃん」
「それで、縁談断ろうってことになって、母のところに、一緒に来て話してくれるって」
「おお!急展開だ!」
「うん、結婚もすぐかもしれない」
「え?」
「まだ、わからないけど、コック長と二人で、日向旅館を継ぐっていうのもいいなって、そんなことをぽろって言ったら、すごく嬉しいですって言ってたから」
「うひょ~~~。良かったね~~~」
「うん、でも、まだ、両親が何て言うか…」
「反対されても、頑張るんでしょう?」
「もちろん。瑞希は?」
「反対されました。もう、母親、口もきいてくれない」
「圭介くんはどうした?」
「反対されて、逆に燃えたみたいよ。張り切ってる」
「あはは、若いね~~。燃えるなら、反対もいいんじゃない?」
「う~~ん、私はすんなり結婚したいよ」
「ま、そうよね、この年じゃ、すんなりがいいわよね」
そんなことを話しながら、30分話していた。桐子が、
「あ、一回宿に戻らなくちゃ。ごめんね。また電話するわ」
と言って、電話を切った。忙しいんだろうな…と思いつつ、桐子の恋がうまくいったこと、嬉しく思った。
翌朝も早くに起き、お弁当を作った。
昨日の夜中、雷がなって雨も強く降っていたが、朝は青空が広がっていた。それに、気温も高かった。
外に出ると、ちょっとむっとした。さわやかさがないのが残念だったが、ひさびさのお日様が嬉しかった。
こんな日は気分がいいな~~と、会社に足早に着くと、圭介がもう席について、仕事をしていた。
「おはよう!」
元気に言うと、圭介がこっちを向いたが、顔色が青かった。
「あ、あれ?どうした?」
「うん、また頭痛…」
「大丈夫?」
「うん…」
「熱は?」
「ああ、朝測ったら、37度」
「微熱?」
「うん」
少しだるそうに話していた圭介は、仕事をしては手が止まっていた。
「少し休んだら?」
「うん、でもここが終わったら、もう完成なんだ」
そう言って、パソコンの画面とにらめっこをした。頭痛?胃はなんでもなかった。でも、どうして微熱と、頭痛がするのだろう?
「ああ、気持ちも悪い…」
「吐き気?」
「うん、ちょっと…。っていうか、めまいかな」
めまい?ますます、心配になる。
圭介は、その日かなり頑張っていた。お昼もとらず、仕事を続けて2時半頃、
「終わった!」
と、ようやく背伸びをした。
「う、いててて…」
「頭?」
「うん、ガンガンするや。ちょっと、応接コーナーいってくる」
「お昼は?」
「ああ。ごめん、もう少し気持ち悪いのおさまったら、食べるよ」
「うん」
応接コーナーでぐったりしている圭介を、社長が見て、
「おい、大丈夫か?仕事終わったんなら、もう帰っていいぞ」
と、圭介に声をかけた。
「はい、そうします。でも、ここで、少し休ませてもらっていいですか?」
「ああ、いいけど。なんなら会議室で、寝てくるか?」
「え?いいんですか?」
「いいぞ、そっちの方が落ち着くだろ?」
会議室と言っても小さな部屋だが、まったく仕切られているので、確かに落ち着くかもしれない。圭介は、すみませんと言い、会議室に入っていった。
自分の席から、一部始終を見ながら、私は心配でドキドキしていた。
圭介は、胃ではなく、他のどこかが悪いのではないだろうか?いや、単に疲れがたまっているだけだ。だって、ろくすっぽ寝ていないはずだし…。でも…。
私は、仕事をする気にもなれず、ずっと圭介のことで頭がいっぱいだった。
圭介は、1時間ほどして会議室から出てきて、社長のところに行き、
「すみません。少し頭が痛いの落ち着いたので、これで帰ります」
と、頭を下げた。
「ああ、一人で平気か?」
「はい、大丈夫です。お先に失礼します」
圭介は、そう言うと、デスクに来て鞄を持ち、私に声をかけてきた。
「瑞希、先に帰るね」
「うん、大丈夫?」
「うん、今日は一人で帰れそう」
圭介は他の人にも「お先に」と言いながら、オフィスを出て行った。結局私は、あまり仕事が手につかないまま、その日家に帰った。
電話じゃ、寝ていたら悪いしと思い、メールで「大丈夫だった?」と送ってみた。しばらくして、圭介から返信が送られてきた。
>なんか、やばいかもしれないから、明日また、検査しに行ってくる。
ええ?検査…?
>そんなに具合悪いの?
>帰り、吐いちゃった。頭もすごく痛い。おふくろも明日は、ついてくるってさ。瑞希は心配しないで。検査して、はっきりした方が安心するだろ?
心配しないでって言われても、心配せずにはいられないよ。それでも、精一杯、
>わかった。きっと、大丈夫だよ。
と、送った。自分自身に言い聞かせるように。圭介は、おやすみというメールをくれた。どうやら、寝たかったようだ。
結婚のこととか、一気にふっとんでいった。早く、安心したい。なんでもありませんように。
翌日は、お弁当を作らずに家を出た。足が重かった。空は青空だったが、その青さがむなしくさえ感じた。
圭介は、社長にも検査に行くことを電話で連絡したらしい。
「大丈夫、きっとなんでもないさ。また、なんでもありませんでしたって、笑ってくるから」
社長は私のところに来て、そう言ってくれた。
その日1日圭介は、会社に出てこなかった。
夜、気になってメールを送ると、
>待ち時間とか長くて、今日は会社に行けなかった。でも、昨日よりは、楽になっているから。
と、私を安心させようっていう圭介の気持ちが伝わるメールが返って来た。少しほっとした。早く圭介の顔がみたい…。
翌朝、圭介は会社に来ていた。
「おはよう」
「あ、おはよ」
少し、一昨日より顔色がいい。ほっとした。仕事も落ち着いているので、圭介はその日のんびりと、今まで溜めてしまっていた手紙や書類の整頓をしていた。
「検査の結果はいつ?」
「う~~ん、早くて明日って言ってたけど」
「そう。明日病院に行くの?」
「一応、予約はしてる」
「そう…」
検査の結果が出ないと、まだ不安だった。
翌朝は、雨がしとしと降っていて少し肌寒かった。まだ、梅雨はあけそうにない。暑い夏もしんどいが、梅雨よりはいい。
今日は圭介、いないよねって思いながら会社に行く。ぽつん、圭介の席があいていて、なんだかますます寒さを感じた。
病院には、お母さんと行ったのかな。午後にでも、出てくるかと思ったが、その日圭介は会社を休んだ。
夜、怖かったが、勇気を出してメールをした。
>圭介、どうだった?
返事は1時間してもこなかった。寝てしまったのか?でもまだ9時だ。お風呂かな?ずっと、気になりメールを待っていると、夜中1時頃、やっと返信があった。
>なんでもなかったよ。おやすみ。
なんだか、あっさりとしたメールだな。でも、私はそれを見て、ようやく安心して寝ることができた。
翌朝、定時の時間になっても圭介は来なかった。社長が、私のところに来て、聞いてきた。
「圭介から連絡あった?」
「え?今日は何も…」
「じゃ、聞いてない?」
「は?」
「圭介、検査入院だって。昨日の夜、うちに先輩が電話してきた」
「え?聞いてません!圭介は、なんでもなかったって…」
「うん、念のためだって言ってたから。心配させたくなかったんだよ、きっと」
そう言うと、社長は少し笑って見せて、自分の席に戻っていった。
社長の顔が少しひきつって見えた。私の気のせいだろうか…?
夜、どんよりした顔で、夕飯を食べていた。ほとんど食欲が出なくって、箸がすすまないでいるとそれを見た父が、
「お母さん、もういい加減、瑞希と話をしたらどうだ?最近二人とも話をしていないだろう」
と、母に言った。ああ、結婚のことか…。でも、私の悩みはそれではない。
「ごちそうさま」
ほとんど残し、私は2階にあがった。
父が、私の部屋に来た。
「お母さんも、どうやら、悩んでいるようだよ。賛成した方がいいのかどうか、お前のことを考えてのことだから、な?そんなに落ち込むな。圭介くんはどうだ?元気にしてるか?」
父に、検査入院をしていることを告げると、
「え?そうか。それで瑞希は元気がなかったのか」
と、納得した。
「検査入院っていっても、最近は、少しあやしいっていうだけで、医者は入院させたり、検査させるんだよ。そっちの方が、ほら高くつくからな~~。それだけだよ。大丈夫」
父はそう言って、私を安心させた。
そっか、そういうものか…。と、頭で納得しようとしても、心がついていかない。心にまっくろな雨雲のようなものがずっとあって、重苦しくて辛かった。
朝、お弁当を作らないので、出る時間ぴったりに下におり、ご飯も食べずに出ようとすると、
「あんたまで、具合が悪くなったらどうするの?きちんと食べなさい」
と、母が言ってきた。
「もう、時間ないから」
と言い残し、私は家を出た。母は、昨日の夜きっと父から、圭介の検査入院の話を聞いているのだろう。
気が重い。足が沈んでいくようだ。空を見ると、今にも降り出しそうな暗い雨雲がおおっていた。
検査入院っていうのは、1日だけなんだろうか?それとも、何日もかけて、検査をするのだろうか?
その日を境に、圭介からの連絡はぴたりと来なくなり、どうやら部長から社長に、会社をしばらく休むということだけ連絡があったようだ。
しばらくとはいつまでか。いつになったら、連絡が取れるのか。病院にいたら、携帯はつながらないのか。ああ、どうしたらいいものか…。
真っ暗な思いを抱えたまま、私は会社に行っていた。稲森さんが、私が暗いのを気にして、何かと励ましてくれたが、愛想笑いをしても、すぐに顔が暗くなっていった。
仕事をしているときには、みんな何も言わないが、昼などご飯を食べに行ったとき、あれこれ圭介の話をしていたようだ。でも、社長も何も聞いていないと一点張りで、圭介のことは誰もわからなかった。
1週間が過ぎた。日曜に家に来ると言っていたのに、やっぱりなんの連絡もなかった。
圭介が担当していたオファーは、みんなが分担してどうにかなっていたが、ぽっかりとあいた圭介の席を見ているのも辛いくらい、私は沈んでいた。
会社がモノクロになり、どんなに周りがうるさくても、聞こえないほどだ。
水曜日、ひょっこりと定時ぎりぎりに圭介が現れた。
「圭介!」
会社のみんなが、声をかけた。
「すみません、ずっと休んじゃって…」
「いや、もう大丈夫なのか?」
社長が心配そうに聞くと、
「はい。仕事、すみませんでした。たまってますよね」
と、圭介は申し訳なさそうに言った。
「いや、どうにかみんなで、分担していたから。それより、無理はするなよ」
「はい…」
社長が神妙な顔つきで、圭介を見たが、圭介はにこっと明るく笑っていた。
席に来た。久しぶりの圭介の顔は、なんとなく細くなっているような気がした。痩せたのだろうか?
「あ、ごめん。何度かメールくれたのに…」
「ううん…」
ううんと言うのが、精一杯だった。他になんて言ったらいいのか。
…心配したんだよ。
…検査の結果どう?
…もう、大丈夫なの?
…どうしてメールできなかったの?
頭の中で、いろんな言葉が出てきては、消えていった。
圭介は何も言わず、パソコンを開き、仕事を始めた。圭介が言ってくれるまで、待ったほうがいいのかなってそんな気がして、何も聞くのをやめた。
昼、稲森さんがランチに誘いに来てくれたが、圭介とご飯が食べたいし、話したかったから断った。
「圭介、ご飯食べない?おごるよ」
だが、圭介は、
「仕事たまってるし、弁当買って、ここで食べるよ」
と言って、さっさとオフィスを出て行ってしまった。なんとなく様子が変だな。避けられているような、よそよそしいような…。
私もお弁当を買い、下のコミュニティルームで一人で食べた。どうしようか、こっちから何か聞いてもいいのだろうか?