19 思惑
「あら、瑞希さん、起きてた?」
お母さんが、気がついてやってきた。
「まだ、10時だよ、寝るわけないよ、ねえ」
圭介が、かわりに答えてくれた。
「じゃ、お酒飲まない?ビールか、あ、ワインもいいわね。開けてくるわ」
お母さんはそう言うと、そそくさとキッチンに戻り、グラスを二つとワインを抱えて、やってきた。
「俺のは?」
「何言ってるの。あなたは、検査が終わるまで、お酒は駄目よ」
「検査?」
「胃カメラのむんでしょ」
「ああ、そうだった、嫌なこと思い出した!」
と圭介は、本当に嫌そうな顔をした。
きゅきゅってお母さんは、慣れた手つきでワインのコルクを開けると、グラスについでくれた。よく冷えた、白のワインだった。
「私、ワインは甘いのが好きで、フルーティーなのよ、これ」
お母さんはグラスを持ち、
「乾杯」
と、私のグラスに、カチンとグラスをつけた。
「何に、乾杯?」
圭介が聞くと、
「そうねえ、瑞希さんとの出会いにかしら」
そうお母さんが答えた。
「瑞希さん、気が合うのよ、ねえ。好きなものもけっこう合う」
「へえ、そうなんだ」
「ん~~~、美味しいわ、どう?」
「はい、甘くて美味しいです」
「そう?嬉しいわ。うちの子たち、ワインは飲まないのよ。ビールとか缶チューハイとかで、主人もそう。だからワインをなかなか一人で飲めないじゃない?友だちが来たときにあけたりしてたんだけど、そうそう昼間から飲めないしね~~。みんな、夜は、家族がいるから出て来れないし」
「そうですよね」
「瑞希さんの家では?お酒は?」
「あ、やっぱりビールです。兄も、弟も、ビールをよく飲みます。父は日本酒や、焼酎が好きなんですけど」
「そう。やっぱり、一回遊びに行かなくちゃね~~。私、焼酎も好きなのよ」
「お酒、強いんですか?」
「うちで1番強いかもな」
と、圭介が、口を挟む。
「圭介、あなたね、せっかく二人で話が盛り上がってるのに、邪魔しないでくれる?」
「え?なんで?おふくふろの方が邪魔してるのわかんないの?せっかく二人で、テレビ、観ていたのにさ」
「そんなこと言って、瑞希さんはあなたみたいな子供、相手にしてるの、大変なのよ。ねえ」
「いえ、そんな。楽しいです。圭介君といるのは」
ちょっと、ワインで酔ったかもしれない。私は1番ワインで酔ってしまう。それも、飲みやすいから、どんどん飲んでしまっていた。
「あら、そう?圭介といると、楽しい?」
「はい。すごく」
「な?な?」
圭介が、どうだって顔をした。自慢げだった。
「そう、それは、もしかして…」
「え?」
「いえ、ちょっとね、この前から主人と話してたんだけど…」
「はい…」
「やっぱりね、瑞希さん、良い子よねって。本当に、お嫁さんに来てほしいくらいよねって…」
「は?」
「主人も、お気に入りなのよね~~」
「はあ?」
「私もなのよね~~。ねえ、圭介」
「え?そうなの?」
「そうなのって、あなた、この前から言ってるじゃないの。今度また連れていらっしゃいって言ってたでしょ。ま、こんな形になったけど、また、来てくれて嬉しいわ」
「はい」
なんだろうな、ああ、正吾さんの「強引だから」の声が頭の中で木霊する。
「茂にはもったいないわ、ほんと。良かったわよ。破談になって。ねえ、圭介」
「ええ?ああ…」
圭介もグル?…グルって何が?ああ、なんだか、頭が朦朧としてる。酔ってるのかな、相当。
「もう、お見合いはしないわよねえ?」
「え?」
お見合い?お見合いの話か?
「はい、する気ありません」
即行で答えた。
「じゃ、誰か周りに良い人とか、いないわよね。あ、好きな人とか…」
私は、ちらって圭介を見た。圭介もこっちを見た。なんて答えたらいいのか。
「あら…、あら?その間は何?いるの?」
「あ…」
なんて言ったらいいのか…。
「いるの?」
ゴホン。また、正吾さんが音もなく2階からおりてきたらしい。いったい、この人の足音はするのだろうか?
「母さんさ、強引なんじゃないの?そんな聞き方して、困ってるじゃん。それに、好きな人がいるんでしょう。柴田さん、はっきり言ったほうがいいよ。じゃなきゃ、この人、たくらんでるからやばいよ」
「ちょっと、変なこと言わないで」
「本当のことでしょ?」
「?」
いったい、何がなんだか?何をたくらんでいるのやら。圭介の顔を見ても、目がクエスチョンマークだった。
「断らないと、っていうか、はっきり言わないと、圭介とくっつけられるよ。この前から二人はお似合いだの、圭介には、ああいう人が必要だの、圭介は、とっとと結婚させないとだの、怖いよ、聞いてても…」
「聞いてたの?」
「夜な夜な、親父と話してるの聞こえてた。やっべ~~って思ってたら、圭介、瑞希さん連れてきちゃうし」
「……」
圭介と二人、びっくりして黙ってしまった。
なんだ、そのたくらみって?私と圭介が、けけけけ、結婚?
「だから、そんなことになったら、いいわねえってそういう話よ。別にね、たくらんでいたわけじゃないのよ。ただ、圭介はどうも、瑞希さんのこと気に入ってるようだし、でも、圭介じゃ、進展しそうにないし」
「……」
少し、呆れ顔の圭介だ。
「いや、だから、ちょっと、ちょっとだけ…。こう、なんていうのかしらね、キューピッド役?っていうのかしらね」
「わ、こえ~~」
正吾さんが、苦笑いをした。
「柴田さん、だから気をつけてって言ったでしょ?ちゃんと断って、じゃなきゃ…」
正吾さんは、圭介の方をちらりと見て続けた。
「圭介もその気になるからさ」
圭介は、それを聞いてかって赤くなった。
そうは、言われても…。断るどころか、結婚なんて、嬉しすぎちゃう。でも、当の本人の圭介が結婚は考えていないのだ。圭介が頭を掻いて、
「ああっ。なんかこんがらがる!」
と、苛立ち気味に言った。う、そうだよね。結婚なんて言われたって、できないよね。
圭介は、黙って宙を見つめていた。それから、
「風呂、親父出たよね。入ってくる」
と立ち上がり、2階へ上がろうとした。
「って、おい、俺が先」
着替えをすでに持っていた正吾さんは、そう言ってバスルームに向かっていった。
ああ、圭介…、一人にしないでよ、お母さんに何て言ったらいいのか、わからないじゃない。っていうか、お母さん、私12も年上です。そんなのが嫁に来て、本当にいいと思っていますか?
私の頭も、こんがらがっている。嬉しいんだか、困惑しているんだか。
「早まりすぎたかしらね~~…」
そう、お母さんがつぶやいた。
「圭介には、お似合いって本当に思ったのにね」
「俺、まだ、21だよ」
「そうよ。でも、あなた、一人じゃあぶなっかしいのよ」
「何?それ」
「今だって、体壊すまで働いてるし、自分で自分の体、ちゃんとみれないでしょ。管理できてないでしょ。母親の言うことは聞かないし、あなたには、ずっと年上の、面倒見のいい女性がいて、早くに結婚でもしたらいいと思ったのよ」
「んだよ、それ…」
圭介は、ちょっとむっとしていた。
ああ、お母さん、圭介を怒らせないで…。元彼の、別れの言葉を思い出した。結婚の話を出したとたんだった。結婚を考えていない男性には、結婚って絶対に面倒な言葉なんだろうなって思う。
「すげえ、むかつく。俺、そんなに子供?っていうか、じゃ、なんのために結婚するの?俺の、管理するため?」
「そうじゃないけど…。でも、圭介は、仕事でもなんでものめりこむから、セーブして、守ってくれる人が必要なのよ。21歳でもね、結婚はできるわよ」
ああ…、お母さんは圭介の体が、心配なんだ…。その圭介の体をいたわる人が欲しいんだな、きっと。
そんなお母さんの子供を思う気持ちが、痛いほど伝わってきた。なんだか、泣きそうになった。
「でもさ、結婚ってさ、そういうもんなの?」
「そうよ、お互い支えあって…」
「お互いじゃないじゃん。なんか、瑞希にばっかり支えてもらうみたいじゃん。情けなくねえ?俺」
「そんなことは…」
お母さんは黙ってしまった。私の方が、そんなことはないって、反論したかった。私は圭介がいてくれるだけで、幸せなんだ。だから、圭介がいてくれる、それがもう支えになる。のどまで、出かかった。でも、言えなかった。
お母さんのちょっと、がっかりした顔をみたら、なんだか言えなくなった。それに、圭介の憤慨してる顔も、少し怖かった。圭介は、結婚自体を嫌だったりしてるんじゃないかなって、ふとそんなことも感じてしまって…。
「ごめんなさいね…」
お母さんは、静かにそうポツリと言って、ワインを飲んだ。
「心配しすぎね…」
「心配って、何が?」
圭介は、まだ怒っていた。
「圭介の体だよ」
思わず、私は口ばしった。
「俺の?」
「だって、圭介、あまりにも、うとすぎるんだもん。お母さんが心配してるの、わかってないんだもん」
止まらなくなった。
「そんなの、自分の体なんて自分が1番わかってるよ」
「わかってないよ!」
なんだか、腹が立ってきた。お母さんが瑞希さん、いいのよって私を止めたけど、私は止まらなくなっていた。
「圭介、わかってないよ!人の気持ち」
ああ、これ、私だ。私の気持ちだ。
「人がさ、心配してるんだよ?無理ばっかりして、強がってばっかで、無茶ばっかで…。少しは自分の体大事にして欲しいのに」
「瑞希さん…」
お母さんが、私の顔を見た。気づかなかった。私、泣いていた。あったかいものが、頬に流れていた。
「あ…」
自分の手で、涙をぬぐった。私、こんなに圭介のこと心配していたんだ。今になって、初めてわかった。
「ごめん…」
圭介が、私の涙を見て、素直に謝った。
「ごめん、俺、そんなに心配かけてるって、知らなくて…」
こんなことで、泣いちゃったんだ。お母さんにも私の気持ちはばれたよな…。
「ごめん、俺、全然わかってなかった。瑞希の気持ちわかってるようで、全然…」
お母さんが、今度は、圭介の顔を見た。
「なんか、全然駄目だよね。俺、心配ばっかりかけて、甘えてばっかで、やっぱ、ガキじゃん」
なんだか、圭介が自分を責めだしている。
「やっぱ、釣り合わないよ。俺じゃ…」
ああ、やっぱり、責めてる。落ち込んでる。どうしよう…。 責めたかったんじゃない。ううん、責めていた。なんで、わからないのかって責めいたんだ、私。
圭介はいつも、明るくしていたし、ふざけてたけど、本当は、自分は不釣合いなんじゃないかって思ってたんだ。
「おふくろ、やっぱ、俺じゃ…」
そう言いかけて、圭介は黙ってしまった。圭介は、泣きそうな表情になっていた。圭介のお母さんも、何も言えずにいた。でも、
「瑞希さん、もしかして、そんなに圭介のこと、思ってくれてるのかしら?」
と、静かにそう、私に聞いてきた。
どう答えたらいいんだろう…。声が出る代わりに、また、涙が出た。大粒の涙がこぼれた。圭介がまた、びっくりして、こっちを見た。
「あ…」
私は、あ、しか言葉がでてこなかった。
「圭介、あなた、そんなに落ち込まないでもいいのよ」
お母さんは、今度は優しく圭介に言った。
「やっぱり、あれね、私が邪魔したのね~~。二人いい雰囲気だったのに」
そう言うと、お母さんはソファから立ち上がり、グラスを持ってキッチンに行こうとした。
「あの…」
何を言ったらいいのか。でも、何か言わないと…。
「私、圭介のこと、責めるつもりはなかったんです。ただ…」
圭介の方は見ないで、お母さんに向かって話した。
「ただ…、お母さんが圭介を思う気持ちが、なんか伝わってきて…。痛いほど、伝わってきて、それで…」
「瑞希?」
圭介が、私に声をかけた。
「それで…」
今度は、圭介の方を向いた。お母さんが、少し近くに来た。
「私も、すごく大事なんです」
「え?」
お母さんと、圭介が同時に聞きかえした。
「私も圭介がすごく、大事なんです。だから、結婚とか、そういうの今、考えるんじゃなくて、ただ、大事だから、一緒にいたいし、支えになりたいし…」
「瑞希?」
圭介が、目を丸くしながら、私の顔を見た。そのあと、すぐに目を押さえた。どうやら、涙が出そうになったらしい。
「だから…、えっと…、お互い支えあうってさっき圭介、言ってたけど、圭介がいてくれるだけでもう、私の支えになってるの」
ああ、言ってしまった。さっき、言えなかったこと…。
「…やべえ」
圭介の口癖だ。それから、もう一回、圭介は目を押さえた。
「そう、そうなの?」
お母さんが、嬉しそうに聞き返した。
「こんな、12歳も下の圭介でも…?」
「はい…」
そう言うのが精一杯だった。私も泣きそうだった。
圭介はそのまま、ソファに座り込んだ。ちょっと、泣いているようだった。
「じゃ、私、もう寝ようかしらね」
キッチンから、寝室へと向かうドアをお母さんが開けると、その先に、部長と、正吾さんがいたらしい。
「あ、あなたたち、立ち聞き?」
「ああ、いや…」
部長も、正吾さんも、もごもご言って、正吾さんは2階へ、部長はそのまま寝室にいったようだ。
圭介と、リビングに二人きりになった。私は、そっと圭介の隣に座った。圭介が、私の顔をじっと見てから、
「手…」
と、言ってきた。手を握ると、圭介は握った手をじっと見ながら、ぼそって言った。
「結婚…、しようよ」
「……えっ?!」
驚きのあまり、心臓が止まったかと思った。
「おふくろの思惑通りっていうのが、やなんだけど…」
「……」
圭介が、手を握ったまま、私の顔をじっと見て、
「俺、絶対、瑞希ほかのやつに取られたら、後悔する」
そう、力強く言った。
「それに結婚するんだったら、絶対、瑞希だって思う」
心臓が飛び出しそうだった。鼓動は、ドキドキと大きく響き、どんどん早くなった。
「それから…」
「……」
それから…?
「早くに結婚してあげないとさ、ウエディングドレス、似合わなくなると困るし」
「え?!どういうこと?!」
つい私は、声をあげた。
「あはは。冗談だって。うそうそ」
そう言って、圭介は大笑いをした。
ああ…、お母さんの思惑通りか。でも、私には、最高の思惑だったよ…。