18 俺の番
圭介が、着替えに部屋に戻ったが、なかなかおりてこなかった。ベッドで休んでいるのかもしれない。その間、暇になってしまい、手持ち無沙汰になった。
キッチンで、お料理をしているお母さんの横に行き、
「あの、何か手伝いましょうか?」
と、聞いた。
「あら、いいのよ、座ってて」
「え、でも、何もすることなくて」
私がそう言うと、お母さんはリビングの方へ目をやり、
「あら、誰もいないの?」
と、はじめて圭介がいないことに気づいていた。
「じゃあ、そうねえ…」
そう言うとお母さんは、近くにあったエプロンを貸してくれた。
「野菜、切ってもらおうかしら」
広いキッチンで、二人並んでも余裕だった。うちのキッチンは、二人で入ると、どっちかが、邪魔になる。
「いいですね、広くて。二人くらい余裕でいられますね」
「そうなの。一緒にキッチンで、お料理したくて、広いキッチンにしてもらったの。でも、この家建ててからは、誰も忙しくて手伝ってくれなくなっちゃって。ああ、こういうの、夢だったのよ。本当は女の子がほしくって…。女の子と、一緒にお台所に立ってご飯を作る」
「いいですよね。私もそういうの夢です」
「あら、柴田さんは家では?お母さんとお料理しないの?」
「うち、狭いんです。だから、私が料理するときは、私だけでしています」
「そうなの。あ、でも、家でお料理するの?」
「はい、料理は好きです。あ、下手なんですけどね…」
「いいじゃないの。愛情こもっていたら、おいしいわよ」
「はい」
「そう、いいわね~~。じゃ、お母さんも楽ね」
「母は、あまりお料理が好きじゃなくて…。休みの日はたいてい、私が作っています」
「まあ、そうなの?得意料理は?」
「う~~ん。得意っていうのはないかな。全般的に作りますけど…」
「そう~~。じゃあ、今度、お料理習いに来ない?」
「え?どこにですか?」
「うちよ。これでも、料理の先生してたのよ。今は近所の人を呼んで一緒に作る程度だけど」
「ええ?そうなんですか!すご~~い」
「引っ越してくるまではね、お料理教室で、教えてたの。引っ越して広いキッチンとダイニングで、自宅でお料理教室をって思っていたんだけど、やっぱり大変なのよね。材料とかそろえたりするの。それで、お料理教室はやめて、みんなを呼んで、みんなで作って、楽しくわいわい食べるようになって…」
「それもいいですよね」
「それは平日だから、柴田さん無理かしらね。でも、休日に来て。お料理教えるから」
「はい、ぜひ!」
「わあ、嬉しい。楽しみだわ。あ、教えるって言っても、お金はいらないわよ」
「え、でもそれは…」
「いいの、いいの。楽しみだから、ほら、趣味みたいなものよ。一緒に楽しくお料理しましょうよ」
「はい」
思わず、はいと答えたが、いいんだろうか。う~ん、いや、いいじゃないの!そうしたら、圭介にも会えるんだし。
圭介が、TシャツとGパンになって、おりてきた。
「あれ?何してんの?」
「お料理を手伝ってもらってるのよ。瑞希さんね、お料理好きだって言うから」
「へえ、そうなの?意外…」
「なんで?」
圭介に、意外って言われる方が意外…。
「なんか、何やっても、とろそうじゃん、瑞希って」
「ひどいわね、圭介!それにあなた、さっきから呼び捨てはないんじゃないの?年上の女性に向かって、失礼よ」
お母さんの方が、怒ってくれた。
「あ、そっか。ま、いいじゃん。会社じゃないし」
「駄目よ、何言ってるの。ごめんなさいね」
この「ごめんなさいね」はどうやら、お母さんの口癖らしい。
「ちゃんと瑞希さんもガツンて言ってね。この子、すぐ調子乗るから」
「あ、はい…」
そうは、言われても、本人は呼び捨てを気に入っているのだ。呼び捨てにされるたび、嬉しくなっている私がいる。
「さ、できた。ほら、圭介、運ぶの手伝って」
「へいへい」
軽々と、キッチンに来て、お皿を運び出す。どうやら、体の方はすっかりよくなったようだ。
正吾さんも、2階からおりてきた。
「あ、ちょうど良かったわ。さて、食べましょう」
「いただきます!」
元気に圭介が言った。
「圭介、もう大丈夫なのか?」
正吾さんが、心配そうに聞くと、
「ああ、おなか減ってるし、元気になったみたい。まだ、頭は痛いけどさ、さっきよりかましだよ」
と圭介が答えた。頭、痛いのか…。熱かな?少し心配になったが、そのあと、ご飯をがっついていたので、心配するのはやめにした。心配症は私の悪い癖だ。
「順平君、遅いですね」
「ああ、金曜の夜はバイトだよ」
圭介が、ほおばりながらそう言った。
お母さんの作った料理はどれも美味しかった。実はこの前は、味わう余裕もなく、ほとんど流し込んでいたのだ。今日は隣に圭介がいるからか、気持ちに余裕があった。
それにしても、お料理の先生が作るお弁当を嫌がるとは、なんてもったいないことをしているのだろうか。この人は…。と、思いながら、がっつく圭介を眺めていた。
圭介は、がっつきながらも、お母さんの話に耳を傾け、返事をして、時々お母さんを笑わせていた。それを横で聞きながら、正吾さんも静かに笑っていた。
圭介は家でも、明るいんだな。きっと、ムードメーカー役だ。この前も、お母さんと順平君のやり取りは面白かったが、圭介がいると、食卓に花が咲いたように明るかった。
食事が終わると、お母さんがコーヒーを淹れてくれた。
「お酒の方が良かったかしら?でも、あまり飲めないのよね?」
そう言って、カップをリビングのテーブルに置き、こっちにどうぞと、すすめてくれた。
「瑞希、お酒飲めるよ。けっこう強いんじゃないの?」
「あら、でもこの前は…」
「あ、あの、この前は圭介君が、具合悪いから、なんだか気がひけてて…」
「あら、じゃあ、お酒出せばよかったわね。ビールか、何か持ってくる?」
「いえ、いいです。コーヒーいただきます」
コーヒーを飲むと、とても美味しかった。
「美味しいですね、このコーヒー」
「そうでしょう?豆から買ってきて、うちでひいてるのよ」
「え、そうなんですか?」
「そういうの、凝っちゃうのよね。私。ほら、美味しいお料理に美味しいコーヒーや紅茶、出したいじゃない」
「私も、家で、時々豆からコーヒー淹れるんです」
「あら、そうなの?」
「実は、兄もそういうのが好きで、うちにいろんなコーヒーの器具がそろっているんですよ。エスプレッソのマシンとかも」
「まあ、いいわね、ほしいのよね、エスプレッソのマシン。今度、飲みに行こうかしら、瑞希さんのおうちに」
「あ、はい、ぜひ、部長といらしてください」
「瑞希んち、ウッドデッキあるんだよ。この前そこで、バーベキューした」
「え?いつ?」
「いつって、ほら、朝帰りした日」
「ええ?ちょっと、会社に泊まったんじゃないの?」
「会社じゃないよ。スーツ着てなかったでしょ、俺」
「初耳よ。そうなの?瑞希さん」
「はい、うちの弟がお酒飲ませちゃって、泊まってもらったんです。すみませんでした」
「まあ、本当に?いやだわ、知らなかった。ごめんなさいね、知ってたらお礼の電話くらい、あ、さっき、お母さんと話したときに、お礼を言いたかったわ。もう、この子は、なんでそういうことをきちんと、報告しないのよ?」
「ああ、だって、朝も忙しかったし、おふくろ何も聞かなかったし」
「そうね、そうよね、会社だったらわざわざ、帰ってこないわよね。それも車で…」
「クロっていってさ、ボーダーコリーがいるんだよ、黒い毛のコリー。めっちゃ可愛いんだわ。それでクロ連れて、瑞希と車で、海までドライブいってさ、浜辺をクロと走ってさ。最高だったよ」
「…あなたね、なんで瑞希さんのところにお邪魔したりしたの?」
「ああ、茂にいと破談になったって聞いたから」
「で、慰めのデートか?」
食卓でコーヒーを飲んでいた、正吾さんが口をはさんだ。
「いや、えっと、ま、それもあるけど」
「それも?」
「まあ、さ、うん」
と、しどろもどろに圭介はなってしまった。
洗い物を手伝い終えると、お母さんがお風呂に入ってと、タオルと着替えを用意してくれた。お母さんのパジャマかな~~。薄いピンクの長袖Tシャツとズボン。
お風呂に入り、髪を洗い、軽くタオルで拭いて、急いで出てきた。私ひとりで時間をとったら悪いって思った。
「あら?もっと、ゆっくりしてよかったのに」
キッチンのドアを開け、お母さんがそう言った。
「いえ、あのすみません、お先に入っちゃって」
「いいのいいの。男連中のあとじゃね、垢とかいっぱいういてるのよ。ほんと、嫌になるわ。じゃ、私も入ってこようかしら、汚される前に」
そう言うと、着替えを取りに寝室へと向かっていった。
私は、「ドライヤーどうしよう」と、思ったが、お母さんが出てから聞いたほうがいいかなと思い、濡れた髪のまま、リビングへと向かった。
リビングにはソファにねっころがったまま、テレビを観ている圭介がいた。
「あ、髪も洗ったんだ」
圭介は、そう振り向いて言うと、
「はい」
と、ドライヤーを出した。
「あ…」
なんだ、そこにドライヤーあったのねと、言いかけたが、圭介にさえぎられ、
「俺の部屋で乾かしたら?」
と、言ってきた。リビングで乾かすのも気が引けたし、バスルームにはお母さんがいるし、圭介の言うとおりに圭介の部屋に行くことにした。
圭介の部屋に入ると、圭介の匂いがした。やっぱり、男臭さもないし、汗臭さもない。
「そこ、座って」
圭介は、ベッドを指差した。そして、ドライヤーをコンセントにつなぐと、圭介もベッドに登ってきて、
「今日は俺の番ね」
と、嬉しそうに言った。俺の番?何が?って思ったら、私の髪を持って、ドライヤーをあてて、乾かし始めた。ああ…。乾かすのがってこと…?
圭介の手が時々、首に当たる。そのたびにドキッてした。美容師さんって、女性よりも男性の方が、優しく髪を乾かしてくれたり、とかしてくれるが、圭介も、すごく優しい手つきで、乾かしてくれていた。そのたびに、胸が高鳴っていた。
「髪、綺麗だよね」
「圭介のほうが、黒くってサラサラだよ」
「う~~ん、あんまり嬉しくないかな、髪ほめられても」
圭介はそう言いながら、タオルで髪の毛の先を拭いたりしてくれている。あ~~あ…。やばいな。とろけそうだ。これは心の声。とても口にはできない。
「具合は?大丈夫?」
ふと、今日のぐったりしていた圭介を思い出した。
「あのさ、すんげえ、気持ち悪かったのに、瑞希がそばにいると、俺、治っちゃうみたい」
そんなことあるの?って言いたかったが、嬉しかったから、黙っていた。
「もしかして、魔法かけてない?」
圭介が聞いてきた。
「魔法?」
「そう、俺が元気になる魔法。なんていうの、瑞希がいると、安心するんだ。なんか、こう、ほわってあったかくなって、すげえ優しい空気に包まれてるようになる」
「それ、私もだよ」
「え?」
圭介の、ドライヤーを動かす手が止まり、ドライヤーをいったん止めた。
「圭介といると、あったかいの。圭介のほうこそ、魔法かけてない?」
「うん。かけてる」
「ええ?どんな?」
「う~~~ん、どんなって…」
また、ドライヤーをかけて、ブオーってわざと、うるさく動かしながら、
「やっぱ、愛の魔法でしょ」
と、圭介はぽつりと、照れくさそうに言った。ドライヤーの熱さで耳が赤くなったのか、その言葉で、耳が赤くなったのか、自分の耳がほてっているのがわかった。
く~~~!一回、圭介に思い切り抱きつきたいな~~。そんな衝動にかられたが、どうにか抑えた。それって、あれだよ。へたしたら、押し倒しちゃうかもしれないし…。
髪がだいたい乾いてきて、
「もう、下に行くね。きっと、お母さんお風呂出ているよ。圭介の部屋に入り込んでたら、なんか、変に思われちゃう」
と私が言うと、
「ええ?うちの息子がおそわれてないかしらって?」
と圭介が、笑って言った。
「ち、違うよ、何、言ってるの?」
と、否定したが、さっきまで、抱きつこうとしてたではないか…。
一階におりていくと、ちょうど、お母さんがキッチンに来たところだった。冷蔵庫から水を出し、コップに移しながら、
「瑞希さんもお水飲む?」
と、聞いてきた。
「はい、いただきます」
と答えると、もう一つコップを出してきて、ついでくれた。
「あ、タオルありがとうございました」
コップを受け取ってから、タオルを渡した。
「あら、髪…。ドライヤーどこにあった?」
ギク…。
「圭介君が、持ってて…」
「あら、そう。洗面所になかったから。圭介が渡してくれたのね」
「はい」
ちょっと、汗が出たような気がした。いや、別に悪いことはしていないと思うが。
「客の間に、お布団しきましょうね」
そう言うと、お母さんはキッチンを出て、バスルームの前を通り、ドアを開けた。そこは和室で、少しまだ、新しい畳の匂いが残っていた。床の間には、掛け軸と、お花が飾られていた。
「わあ、綺麗ですね」
「ああ、それね。お花も師範のお免状を持っているのだけど」
「え?」
「教えるほどの腕前もないから、こうやって、うちでお花をいけるだけになっているのよ」
すごいなあ、桐子みたいだ。そういえば、きりりとしているところなんて、似ているかもしれない。
押入れをあけて、布団を出して、それを私も手伝っていた。
ピンポ~~ン。
「あ、お父さんだわ、瑞希さん、あと自分で敷いてくれる?」
「はい」
さっき入ってきた側でないドアを開け、玄関にお母さんは出て行った。
「瑞希さんがお見えなの。また、圭介を送ってくれて。今日は泊まっていってもらおうってことになって」
「ああ、そうなんだ。圭介の具合は?」
あれ?もっと驚くかと思ったのに…。直ぐ横が玄関で、話し声が、まる聞こえだった。
「圭介はすっかり元気になったようよ」
「そうか。それじゃ、安心だな」
バタン…。そこから声がしなくなった。リビングに入ったんだ。
布団をきちんと敷いてから、布団の上に横になった。天井を見上げて、大の字になってみた。とても、気持ちのいい部屋だし、気持ちのいいお布団だし、素敵なお住まいだなって本当に思った。
それに、お母さんも素敵だし、家族仲もいい。部長が会社で、落ち着いていて、どんどん若いのに出世していくのも、わかる気がした。
「圭介、何処行くの?」
お母さんの声が聞こえた。リビングの方からだ。どうやら、圭介がこの部屋に来ようとしているところを、お母さんに見つかったらしい。
「え?いや、瑞希さびしくないかなって…」
「あなたみたいに、さびしんぼうじゃないわよ。それより、失礼でしょ。もう、お布団だって敷いてあるのよ」
「え?まじ?」
「え?まじ?じゃないわよ。夜中でも駄目よ。寝室の隣なんだから、寝込み襲いにきても、ばれるからね。瑞希さんは大切な、お嬢さんなの。今日はお預かりしているんだから、わかってるの?」
「…。はい」
そう言うと、圭介はどうやら、すごすごと戻っていったようだ。
「あ、おやすみも言ってないな~~」
でも、今、出て行きにくいな~~。時計を見たらまだ、10時だった。
寝るのには早すぎる。でも、今リビングに行ったら、部長がいるかな。ちょっと、このかっこうで、顔はあわせづらいような気がする。少しここで、ゆっくりしてから行こうかな。
リビングや、ダイニングの音が聞こえないから、まったく様子がわからなかったが、
「お父さん、飲みすぎてない?お風呂は入れるの?」
と、今度は、寝室側のドアの外から、お母さんの声が聞こえた。
「ああ、入れる」
部長の声だ。お風呂に入るのか、じゃ、リビングにはいないよね。
そっと、ドアを開け、リビングの方に行ってみると、音を小さくして、ソファに寝転がり、テレビを観ている圭介がいた。
「あ、瑞希。まだ寝てなかったの?」
「だって、まだ10時」
「あ、そっか…」
圭介が、ソファから起き上がると、座りなおし、ここって感じで、自分の隣をぽんぽんたたいた。圭介の隣に座ると、圭介の匂いがして、ちょっとほっとした。
「俺、ここでこうやってテレビよく観てるんだ」
「ふうん」
「あ、確かさ、瑞希は部屋にあったよね、テレビ」
「うん、たいてい部屋で観るかな」
「そうなんだ。でも、一人でさびしくない?」
「くす。さびしがりやなんだ。圭介」
「え?」
「さっき、お母さん言ってたでしょ」
「あ、聞こえてた?」
「ふふ。寝込み襲いにきちゃ駄目よ」
「なんだよ。ちぇ。チャンス到来だったのにな」
「何それ…」
ゴホン。音もなく、2階から正吾さんはおりてきたようで、その咳払いで、びっくりして、二人して同時に振り向いた。
「ああ、風呂誰か入ってる?」
「今、親父が入ってる」
圭介がそう言うと、
「あ、そう」
とだけ言って、正吾さんはまた、2階へと上がっていった。が、踊り場から顔を出し、
「あのさ、なんかいい感じだけど…」
「え?」
二人同時で、聞き返した。
「だから、恋人同士みたいだけど、あんまり仲良くしてるとさ、やばいんじゃないの?圭介」
「え?何が?」
「おふくろ、勘違いするよ。それに、喜んじゃうよ。なんか、たくらんでるって言うか、もくろんでるって言うか、あの人、怖いよ、何考えてるかわかんないけど」
「?」
なんのことを言っているのか…。
「気をつけて、柴田さん。あの人ね、強引だから」
「はあ…」
そう言うと、とんとんと正吾さんは、2階へ一気に上がっていった。
「?なんのこと?」
「さあ?」
圭介に聞いても、わからなかったようだ。