17 お泊り
翌日、9時半を過ぎても、圭介は会社に来なかった。休むのかなって思ったとき、携帯がなった。
「もしもし?」
「あ、瑞希?俺だけど…」
「どうしたの?」
圭介の声は、電波が悪いのか、よく聞こえなかった。
「今、病院。なんかまだ、調子悪くて。親父に病院にいって診てもらえって…。すんげえ混んでて会社に着くの、昼、過ぎそうだから、社長にも言っておいてもらえる?」
「うん、わかった」
電話を切って、社長に伝えて席に戻った。病院に行くほどのことなのか…。ううん、病院で診てもらったほうが、安心だもんね。自分にそう言い聞かせ、頭を空っぽにしたくて、仕事に打ち込んだ。
社長が、少しすると来て、圭介のパソコンを開いて、圭介の依頼されている仕事を始めていた。
「圭介、どうしたかな~~。なんともないといいけど…」
「そうですね…」
社長も心配なんだな…。
午後、1時過ぎてようやく、圭介がやってきた。顔色はそんなに悪くないし、少しほっとした。
「あ、社長、すみません」
圭介は、社長が圭介のパソコンで仕事をしているのを見て、慌てて席に走ってきた。
「いいよ、それより、どうだった?病院」
「はい、胃カメラの予約してきました」
「おお、そうか~~。なんだか、おおごとだな」
「そうなんすよね。俺、たいしたことないって言ったんだけど、親父がでかい病院行けって。大学病院にいったら、即検査ですよ。ああ、めんどくさい」
「いやいや、先輩も心配してるんだよ。安心させるためにも、受けたら?それにもし、どっか悪かったら、早めに治した方がいいんだから」
「はい、そうっすよね…」
社長と席を入れ代わると、そっと小声で、私に聞いてきた。
「社長、メールのところ、見てなかった?」
「うん、多分ね」
「やべ~~。この前瑞希に送ったメール、見られたらどうしようかって思った。消しとこう…」
「消さなかったの?」
「瑞希消したの?」
「うん、それより、呼び捨てになってるけど…」
「あ、やば」
相当、動揺したらしい。昨日帰ったあとも、社長は圭介のパソコンで仕事したんだろうから、その時だってやばかったかもしれないのにな~~。
「調子悪いって、大丈夫なの?」
「う~~ん、なんか、微熱あってさ。それに朝、めまいもして…。風邪だって思うんだけど」
「でも、診てもらったら、検査だって言われたんでしょ」
「一応、検査しましょうって。瑞希…、さん、胃カメラのんだことある?」
「ないよ~~。バリウムならあるけど」
「そっか~~。俺、バリウムもないよ。なんでいきなり、胃カメラかな~~。嫌だな~~」
「大丈夫だよ、最近はあまり辛くないって聞いたよ」
「まじ?」
そんなことを話しながらも、圭介は仕事を始めた。そのうちに、仕事に集中しだし、黙り込んでしまった。その横顔を見て、ちょっと不安になった。胃カメラか…。なんでもないといいんだけどな…。
6時、社長が圭介のところに来た。
「今日はもう、圭介は帰る事!」
「でも…」
「お前がまた倒れたら、俺が先輩にしかられるんだよ。お前のお母さん怖いしな~~」
「すみません」
「ははは、ま、今日は家でゆっくりして、明日、頑張ってくれよ」
「はい」
「あ、柴田さんも、お疲れさん」
社長にそう言われて、私と圭介はオフィスを一緒に出た。
エレベーターに乗り、一階に着くまで、圭介はちょっと難しい顔をしていた。一階に着き、ドアが開いた。
「なんか、気が重いな」
「え?」
「社長に、申し訳ないっていうか、俺って使えないやつだよね」
「そんなことないよ。でも…」
「でも、何?」
「お母さんも言ってたけど、もっと自分の体は大事にしなくちゃ。食べるものに気をつけたりね」
「ああ、言ってた?俺もよく、言われてる」
「じゃあさ、コンビニのお弁当とか、カップラーメンとかじゃないご飯にしたら?」
「う~~ん、外食でも、栄養は偏るよ。それに高いじゃん」
「お母さんのお弁当は?」
「う~~ん」
圭介はがりがりって、頭を掻いた。
雨が、ぽつりぽつりと降り出してきた。二人とも傘を開き、少し、圭介との距離ができた。
「いいんだけど、どうもな~~。抵抗ある。だって、誰も弁当持ってきてないし、それも親の作った弁当ってなんだか…」
「彼女とか、奥さんのならいいの?」
「……」
なんか、変なことを言ったかな?圭介は、いきなり、私のほうを向いて、黙ってしまった。
「そっか…、それもありだよね」
そこで、はたと気がついた。作るのは、多分私だ。でも、前にお弁当を作ってこようかと言ったら、いいって断ったよね~。
「そうだよな~~」
圭介は宙を見つめて、また、つぶやいた。なんだなんだ?
駅について、圭介と別れて、私鉄の乗り場に行った。微熱があると言っていたし、ちょっと心配だったんだけど、元気に手を振っていたし、大丈夫かなって思った。
翌日、朝からどしゃぶり。あああ、こういう日は、出たくない。お出かけ用にと買った長靴を履き、レインコートもはおった。外はレインコートをはおって、ちょうどいいくらいの涼しさだったが、電車の中はむっとしていた。電車から降りて、ようやく涼しい空気に触れることができた。
会社に着くと、圭介が、応接コーナーで顔を伏せていた。
「どうしたの?」
レインコートを脱ぎながら聞くと、
「う~~ん、電車混んでて、暑くて、蒸してて…」
と、元気のない声で圭介は答えた。
「気持ち悪いの?」
「うん、めまいも…」
大丈夫かな~~。
「ちょっと、ここで休めば治るから…」
今日は金曜だ。もし、仕事の区切りがつけば、明日とあさっては、休めるはず。
そこに、社長が来た。
「お、圭介、どうした?」
「あ、おはようございます。すみません、ちょっと休んでから、仕事始めます」
圭介は少し、辛そうに言った。
「大丈夫か?」
「はい、どうにか、休めば…」
絶対に辛いだろうに、圭介はぎこちない笑顔を作った。それは、社長にもわかったようだ。
「木下、お前、少し圭介のサポートできるか?」
「はい、こっちの終われば、できます。多分、午前中には終わるかと…」
「ああ、そっか、悪いけど頼むわ」
「社長、俺、大丈夫です、もう…」
「うん、じゃ、あまり根をつめないで、仕事にかかってくれ、な?」
優しくそう言うと、社長は自分のデスクへと向かっていった。
圭介は、よろよろと立ち上がると、自分のデスクに座り、パソコンを開いた。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
圭介が、強がっているのは、痛いほどよくわかる。
午前中が過ぎ、圭介は、
「ちょっと休憩してくる」
と言って、また、応接コーナーに座りに行った。ちょっと早めに、昼食を終えた木下さんが、圭介のデスクに座った。
私は、急いで外のお弁当を買い、地下にあるコミュニティルームというところで、食べ終え、すぐにオフィスに戻った。稲森さんは昨日、今日と、風邪でお休みをしている。
「圭介、ポカリ飲める?」
自販機で買ってきた、ポカリを圭介に渡した。
「ああ、ありがとう」
ちょっとだけ、口に含むと、すぐにふたを閉めてしまった。
「頭いて…」
「今度は頭いたいの?」
「うん…」
そう言って、また頭を伏せてしまった。何か、私にしてあげることはないのか…。何もしてあげられなくってもどかしかった。
「瑞希…」
すごく小さな声で、圭介が呼んだ。
「ん?」
私も、できるだけ小さな声で、返事をした。
「もう少しここにいて」
頭をふせたまま、少しだけ私の手をにぎった。誰かが来て見られないよう、すぐに手を離してしまったが…。ここにいるだけでも、圭介の支えになるのだろうか…。だったら、ずっと、ずっと、そばにいるんだけどな…。
木下さんが、仕事のことを聞きに、やってきた。
「あ、席、戻ります、俺」
そう言うと、多分、最大限の力を振り絞っているんだろうな、席を立ち、デスクへと歩いていった。強がってみせてはいるけど、たまに、顔がしかめっつらになる。頭が痛いのかな?
木下さんが、圭介の反対側に椅子を持ってきて、圭介から、いろいろと仕事の内容を聞いていた。
「あ、その辺なら、俺にでもできるから、圭介休んでな」
「すみません」
圭介は頭を下げ、そしてまた、応接コーナーに戻っていった。
6時になった。圭介はそれまで、何度か、席に戻ってパソコンを見て、また、応接コーナーに休みに行っていた。
「圭介、いいぞ、帰って。あとは俺がやっておくからな」
社長に言われ、大人しく圭介はオフィスを出た。
「送っていくよ?」
そう言うと、「大丈夫」とまた、強がった。
「いいから、あ、でも今日は、帰り電車で帰るからね」
「悪いよ、遠回りじゃん」
「いいよ、金曜日だし」
「あ、じゃ、俺んちに泊まって行けば?」
「無理無理、着替えもないし」
「俺のパジャマ貸すよ」
「無理だって~~」
なんか、これだけしゃべれるから、大丈夫かなとも思ったが、やっぱり顔色が悪いから、送っていくことにした。
電車に乗ると、やっぱり辛そうだった。そんな圭介の手を、私はしっかりと握っていた。駅に着き、改札を出た。圭介は、電車に乗ったあたりから、無口になった。駅前には、タクシーが何台か止まっていた。
「タクシーに乗ろうか?」
そう言うと、素直に、
「うん」
と、圭介は答えた。どうやら、歩くのは辛いようだ。
二人でタクシーに乗ると、圭介が行き先を告げた。家には、5分も乗らないうちに到着した。お金を圭介がさっさと払い、私にタクシーから降りるように言った。実はそのまま、このタクシーに乗って駅まで戻るつもりだった。
「家、寄っていって」
そう言うと、玄関の鍵を開けて、圭介は入っていってしまった。私も慌てて、家に入った。
「お帰りなさい」
お母さんが玄関に来て、私がいるのを見ると、
「あら!柴田さんじゃない?」
と、びっくりしていた。
「また、送ってもらっちゃった」
圭介は、お母さんに荷物を持ってもらい、靴を脱いで、先にリビングに入っていった。
「さあ、どうぞ。柴田さんもあがって」
「はい」
ああ、帰るつもりだったのにな。ここで、帰りますとは言いづらい。
「圭介、また、具合悪くなったの?」
「うん、ちょっと行きの電車でやられた」
「え?行きの?」
「圭介君、1日ぐったりしてたんです」
「そうなの?今は?」
「ああ、ずいぶん、落ち着いた」
そう圭介は言ったが、お母さんは心配そうだった。
「柴田さん、ごめんなさいね、また、迷惑かけちゃって」
「いえ、私が今回は勝手に、ついてきただけですから…」
「でも…、あ、そうだ。夕飯食べていってね。あ、それから、今回はきちんとお母さんに連絡入れてね」
「はい、でも、悪いですから、もう帰ります」
「何、言ってるのよ。遠慮はしないで!帰りはまた、誰かに送らせるから」
それが、気が引けるのだ…。
「電車でも、そんなに時間かからないですし、今日は電車で…」
「だから、泊まって行けばいいんだよ」
リビングのソファで、横になっている圭介がそう言った。
「あら、いいわね。そうしなさいよ」
ええ?そうしなさいって…。ちょっと…。
「でも、着替えもないし、化粧道具も」
「私の貸すわよ。お化粧道具は、合わないかしらね~~。でも、なんとかなるって」
「でも、あの、部長は?」
「あ、今夜はね、接待で遅くなるって。いいのよ、遠慮しないで。もう、上司じゃないんだし」
そ、そうだけど~~。
「お母さんに連絡して!あ、私に途中でかわってね。じゃなきゃ、お母さんも心配でしょ」
「いえ、そんな心配されられる年じゃないし…」
私の言うことなど聞かず、お母さんはその気満々みたいで、私が電話するのを心待ちに待っている様子だった。
ああ、もう、泊まるしかないようだ。携帯で家に電話をした。
「あ、お母さん。あのね、実は今日も圭介くんが具合悪くなって、送ってきたんだけど」
「まあ、大丈夫なの?」
「うん、それでね…」
「もしかして、またご飯ごちそうになるんじゃないでしょうね」
ああ、お母さん、ごちそうになるどころか…、泊まるんです。と、言ったら母に怒られそうな気がして黙ってしまった。すると、
「ちょっと、貸して」
と、圭介のお母さんに携帯を取られた。
「こんばんは、すみません。圭介の母です。瑞希さんにはまた、送っていただいて、いつもご迷惑ばかりおかけして…」
母はきっと、いきなり電話をかわったんで、めんくらっているだろうな…。
「今日はもう、遅いですし、帰り送って行かせようと思ったんですけど、あいにく主人が、接待で遅くって、うちの息子たちもまだ、帰ってきていないし、多分、金曜日だし、遅いかもしれないんですよ」
母よ。頑張れ、負けるな~~。電車で帰らせてくださいって、強気で言ってくれ…。
「いいえ、そんな!遅くにあぶないですから。うちの近くは暗いところも多くて、一人で帰せませんわ」
ああ…。圭介のお母さんの方が、やっぱり強気…?
「今日は瑞希さんに泊まっていただきますから。明日、お昼くらいにでも、誰かに送らせます」
「え?泊まる?!」
かなり、母は大声をはりあげたらしい。母の声が携帯電話から聞こえた。圭介のお母さんは、携帯を耳から思い切り、離していた。
「大丈夫ですよ。うちの息子たちには、よく言って聞かせますし」
何をだ?
「じゃあ、瑞希さんにかわりますね」
圭介のお母さんは、にこにこしながら、携帯を私のほうに差し出した。ああ…、もう泊まるしかないんだろうな…。
「あ、お母さん、そういうことだから…」
「え?ちょっと、瑞希」
母が何か言いたそうにしていたが、ぶちっと切ってしまった。また、家に帰ったら、怒鳴られるかもな…。
「OKだった?」
圭介が、ソファから身を乗り出して、聞いてきた。
「もちろんよねえ。さて、ご飯作るわね。あ、そうだ、瑞希さん、お風呂入る?まだ、お湯いれてなかったわ。お風呂が先ね」
そう言うと、そそくさと、お母さんはキッチンを出て行ってしまった。
「お、お風呂…」
「パンツ、俺の履く?」
「い、いいよ!」
一応、替えのパンツ、持ってるし…、なんてとても言えないけど…。よく桐子の家にいきなり泊まっていたことがあり、その頃の癖で、鞄には常に替えのパンツが入ってるんだよね…。
「そうだ、瑞希、この前俺のパンツ見たでしょ?」
「え?」
「この前、送ってくれたとき」
「見てないよ」
「うっそ、俺が着替えてたとき、部屋にいたじゃん。エッチ。すけべ」
「な、何言ってんの?見るわけないじゃん。後ろを向いてました!」
そう言いながらも、顔が赤くなっていった。
「冗談だよ。そんなにむきになるなよ」
圭介は笑いながら、また、ソファに横になった。なんだ、ずいぶんと元気じゃないの…。
ガチャ…。玄関の鍵が開いた。
「ただいま」
あ、正吾さんだ。お母さん、帰りが遅いって言ってなかったっけ?金曜だからって。
「あれ?柴田さん?」
「あ、お邪魔してます」
「また、圭介…」
「うん、ちょっと、会社でダウンして」
「お前、ほんと大丈夫なの?」
「うん、もうだいぶ、楽になった。なんか食えそうだし」
「なら、いいけどさ。あ、じゃあ、また送っていった方が…」
「ああ、いいよ、兄貴、今日は瑞希、泊まっていくから」
「え?」
正吾さんが、びっくりした顔をした。そりゃあ、そうだろう。それが普通のリアクションだ。これで、あとから、部長も帰ってきて、こんなリアクションを取るんだろうな…。