15 恋人
翌朝、雨が好きになった私は気分良く起きた。そしてカーテンを開けると、みごとな晴天…。梅雨の中休みといったところか…。
「雨が好きになったとたん、晴れか~~」
顔を洗い、ご飯を食べて、着替えて、家を出る。なんだか、行くのが嬉しいような、怖いような変な感じだ。
会社にいつもより、5分早く着いた。圭介はもう来ているのかな…。
オフィスに入ると、圭介はもうデスクに向かい、仕事をしていた。ロッカーによってから自分の席に向かおうとしたら、後ろから、
「おはよう、早いね」
と、稲森さんに声をかけられた。振り返るとどう見ても、昨日と同じ服を着た稲森さんがいた。
「おはようございます」
昨日はどっかに、泊まったんですか…なんて聞けない。それにしても、いつも派手な色の服を着ているし、同じ服だってばればれなのにな~~。気にしないのかな~~。
稲森さんが席に着くまで、周りの人も注目していた。みんな、気づいただろうな。
圭介が、すごく真剣にパソコンをしているので、黙って席に着いた。私もパソコンを開き、メールチェックをする。すると、圭介からメールが来ていることに気づいた。
>おはよう、瑞希。昨日のことは覚えてる?
どうやら、今送ったようだ。…なんだ~~、仕事に打ち込んでるのかと思ったら…。それに、もう呼び捨て?
>おはよう、昨日のことって、何だっけ?
ちょっと、ちらってこっちを見てから、圭介はすごい速さでパソコンを打ち出した。
>それ、冗談ですよね。
ものすごい速さで、送信をしたようだ。しばらく黙ってから、
「ちょっと、びびった?」
と、小声で聞いてみた。
「ちょっとどころか…」
って、圭介も小声で言うと、また、カシャカシャとパソコンを打ち出して、
>覚えてないって言っても、俺、また、こくりますから。何度でも。
というメールを、送ってきた。おいおい、社内でする会話ではないでしょう、仕事中にさ…。
周りに見られてないかって、少し見回してから、
>仕事しなさい。
と、送り返した。どんな返事が来るのかを期待していたようで、メールを見てがっかりしながら、
「へ~~い」
と、頭をぼりぼり掻いて、圭介は仕事に戻った。
でも、心の中で私は、ドキドキしていた。ちょっと、二人だけの秘密をもっちゃったような、どきどき感だった。まるで、高校生か中学生に戻ったような…、そんなときめきだった。
昼休み、稲森さんとご飯を一緒に食べに行った。
「ああ、寝不足。眠くて眠くて」
何でですか?とは、とても聞けない。
「ねえ、柴田さんさ~~、彼氏できた?」
「え?」
唐突に聞いてくるので、本当にあせる。
「私さ、ここだけの話ね」
「はい」
「最近付き合ってる人がいるのよ」
「はあ…」
「あれ?驚かない?」
「あ、あのなんとなく、そうかなって…。最近帰るの早かったですし」
「あら、な~~んだ、ばれてた?」
稲森さんはそう言うと、携帯をちらって見た。それから、スパゲッティを食べだした。
私は、セットでついてきたサラダを食べながら、何か聞いたほうがいいのかな、それとも…と頭を悩ませていた。
「相手はバツ1なんだけどね、今は一人暮らしをしてるの」
「どこで知り合ったんですか?」
「ええ~…。言いにくいわ~~」
「え、あ、すみません」
やばいことを聞いたかと思い、慌てて水を飲んだ。
「実はね、この前、お見合いパーティに行ってきたのよ」
なんだ、話すんだ…。っていうか、話したかったとか…?
「え、あ、そうなんですか~~。私も前に、一回行ったことありますよ。でも、なかなかいい人いなくて」
「そうなのよね、私も前に行った時は、若い人ばかりで場違いって感じで、それで今回は、30代40代の限定のに行ってきたの」
「そういうのが、あるんですか」
「うん、それで、けっこう好みのタイプがいてね」
「好みのタイプって…?」
「う~~ん、私より年上で、しっかりしてそうで、お金持ってそうで…。あ、体つきもがっしりしてる人がいいのよね」
そうなんだ…。そういえば、楠木さんも男っぽい感じだっけね。
「それで、ほぼ毎日、デートをしてたのよ。でね、けっこういい感じになってたんだけど、相手に娘がいてさ~~。今、17歳の多感なときで」
「え?でも一人暮らしって…」
「前の奥さんが引き取って、奥さんと暮らしてるらしいんだけど、でも、娘に弱いらしくて、私と付き合ってるのがばれて、なんかかんかってうるさく言ってきてるみたい。前の奥さんはもう、何も言わないらしいけどね。は~~、娘ってやっかいね。どうも、お父さんのことが好きだったみたいよ、相当」
「そうなんですか、取られるみたいで嫌なんでしょうね…」
「そんなものかしらね…。難しいわ、ほんと…」
みんな、それぞれに悩みがあるんだな…。
「こっちもね、親が反対してるのよね」
「え?どうしてですか?」
「バツ1だからよ」
「え?でも…」
「娘のことは、棚に上げちゃってるのよ。私もバツ1なのにね~~」
「はあ…」
「それと、年かな~~。今、47歳なの。一回りくらい離れているカップルいるでしょう。でも、親が離れすぎだって…」
「あ、はあ…」
ガク~~。私と逆か~~。
待てよ…、じゃ、圭介が35くらいになったら、私はもう、47なのか…。わ~~、ちょっとクラってきたな…、こりゃ。
「私はね、そのくらい年が離れていたほうがいいのよ。少しくらいわがまま聞いてくれる人じゃないとね」
「はあ…」
「あなたは?」
「え?」
「どういう人がタイプ?」
「ああ。タイプってないです、あまり…」
「ええ?なんか、あなたも頼りなさそうだから、年上がいいんじゃない?社長なんて似合ってるわよ。どう?」
「ああ…、私、あまり年が離れ過ぎちゃうと、話が何もないって言うか…」
「そう~~?圭介とは、たっくさん楽しそうに話してるじゃない」
「圭介は年下だから」
「ふ~~ん、年下が好み?それとも、弟みたいで、楽チン?あれ?弟さんっているの?」
「はい、います。5歳年下の…」
「じゃあ、弟といるみたいなのね、きっと。私は逆で、年下と話しててもつまらないわ。何話していいか、わからないし」
そういえば、圭介とそんなに話しているところを見ないかも…。それにしても、弟か…。やっぱり、そう見えるのかな。
ランチが終わり、オフィスに戻ると、圭介が応接コーナーで、ぐったりしていた。
「どうしたの?」
「ああ、なんでもないっす」
と、言って笑って、自分のデスクに戻っていったが、明らかに顔色もおかしかった。
デスクに戻っても、顔を少ししかめながら、パソコンの画面をにらんでいた。
「どこか、具合悪いんじゃないの?」
「ちょっと、胃がむかむかして」
「お昼、へんなもんでも食べた?」
と、少し、冗談交じりに聞いてみると、
「あ、なんも食ってないです」
と、力さなそうに、返事が返ってきた。
「そうなの?おなか空きすぎて、気持ち悪いとか…?」
「いえ…。ちょっと、さっきトイレでも吐いちゃって、なんも食べれそうもなくて…」
辛そうにしている圭介のことを知った社長が、近くにきた。
「圭介、大丈夫か?あとは俺に任せて、帰ったらどうだ?」
「あ、だいじょうぶっす。なんとか持ちこたえます」
「何言ってるんだ?真っ青じゃないか…。俺の方の仕事は、まだ締め切りも先だし、楠木がサポートしてるから大丈夫だ。ほれ、そんな具合が悪くっちゃ、仕事もきちんとできないだろう。かえって、間違ったりしたら、先方に迷惑かけるんだから、お前はもう帰りな。いいな?」
「はい…」
すまなさそうな顔をしながら、圭介は社長の言うことを聞くことにした。
「柴田さん、悪いけど、こいつ家まで送ってやってくれ。タクシーチケットを使っていいから」
「え?大丈夫っすよ。俺一人でも帰れます」
「いいから、送ってもらえ、前みたいになったら、大変だろう。先輩にも申し訳ないからな」
「はい。すみません…」
前みたいに?前にもこんなことあったのかな…?
「送ったら、このチケットで、柴田さんちまで帰っていいから。悪いね、頼んだよ」
社長はそう言うと、タクシーチケットをくれた。
ビルを出て、駅のほうに歩いた。タクシー乗り場に行くと、運良くタクシーが止まっていた。圭介を先に乗せ、あとから私も乗り込んだ。圭介は、社長に釘をさされたからか大人しかった。
「○○駅の方まで」
運転手に圭介が行き先を告げた。顔色はまだ、真っ青だ。タクシーで、ますます気持ち悪くなったりしないだろうか。
「大丈夫?辛かったら、よっかかってもいいし、それとも、少し横になる?」
「うん、大丈夫。肩だけ貸して」
少し甘える感じで言うと、そっと肩に頭をのせてきた。圭介が揺れないように、なるべく体を動かさず、同じ体勢でいた。かなり疲れたけど、でも、圭介の方がもっと辛いはずだ。
黙って圭介は、ずっと目をつむっていた。たまに、息が漏れる。苦しいのかもしれない。あまりしゃべりかけても辛いかなって思って、私も黙っていた。
しばらく走り続けると、運転手が聞いてきた。
「もう○○駅に着きますが、駅のどの辺ですか?」
ああ、私は圭介の家、知らないんだよね…。
「○○公園、知ってますか?」
「う~~ん、この辺はよくわからないな」
「じゃ、ここまっすぐに行って、バス通りに出てください」
苦しいだろうに、私にもたれかかったまま、圭介が説明をした。タクシーはバス通りに出た。
「そしたら、このまま、まっすぐ行くと、公園があります。公園の手前を右に曲がってください」
「はい」
運転手が、圭介の小さな声に耳を傾け、返事をした。圭介が、もたれた体を起こして、少し顔を前に出した。道を見ているようだ。
「あ、その路地を今度、左…」
タクシーは左に曲がる。
「あ、その次の家で止めてください。そこです」
「はい」
タクシーが止まった家の表札は、「榎本」とかかれてあった。ここか~~、わあ…、大きい家だな。
私が先に降り、圭介があとから降りてきたが、顔色は真っ青だし、足元はふらふらだし、心配になり、
「圭介、家にお母さんか誰かいるかな?」
と、聞くと、圭介は時計をちらって見た。
「ああ、まだ、帰ってないかな」
それは、大変。とても一人で、残せやしない。
「すみません、これ、タクシーチケットです」
そう言って、運転手にチケットを渡した。運転手はチケットを受け取り、車を出した。
「え?いいんですか、タクシー…」
「うん、家の中まで、一緒に行くよ」
そう言うと、圭介は安心した顔をした。肩を貸して、ふらふらな足取りの圭介を抱えた。でも、私に体重をかけないように、なるべく自分の足で歩こうと、圭介がふんばっているのがわかった。
門をくぐり、玄関の前に行くと、ポケットから圭介が鍵を出し、玄関のドアを開けた。中は薄暗く、しんとしていた。やっぱり、誰もいないようだった。
圭介はドカっと、玄関に座り靴をぬぐと、中によろよろと入っていった。私も慌てて靴を脱ぎ、あとを追いかけた。
圭介は、リビングのドアを開け、中に入るとそのまま階段を上りだした。
「大丈夫?肩貸そうか?」
「あ、平気」
言葉すくなにそう言うと、ゆっくりと階段を1段1段上り、ようやく圭介は2階に到着した。それから真正面のドアを開け、中に入り、今度はベッドにドカって座り込んだ。
相当、辛かったのかな。上着を脱ぎ捨てベルトを取り、そのまんま、横になった。
「ね、ズボン、しわになっちゃわない?」
「うん、脱ぐ」
また、言葉すくなにそう言って、もぞもぞと脱ぎだした。修二のパンツ姿ならいくらでも見慣れてはいるが、さすがに圭介のパンツを見るわけにはいかないなって思い、後ろを向いていた。
でも、そんなことおかまいなしに圭介は、ズボンを脱いで、その辺にほって、布団の中に潜り込んだ。
そして、「はあ~~~~」って長いため息をついた。
「大丈夫?辛くない?」
「うん、横になって少し楽になった」
そうこっちを向いて、圭介は言った。どうやら、圭介は自分のベッドに潜り込めて、安心したようだった。
圭介が脱いだ上着と、ズボンをたたみ、机のいすにひっかけるとそれを見ながら、
「あ、なんか、奥さんみたい」
圭介は、そうつぶやいてふって笑った。
「ええ?お母さんみたいって言われなくて、よかったわ」
って、私もふって笑って見せた。
「ね、そこにでかいクッションあるでしょ。それこっちに持ってきて、ここに座って」
圭介は、ベッドの直ぐ横あたりを、指さした。クッションを持って、ベッドの横に置き、圭介が指さした辺りに座ると、
「手」
と、圭介は手を差し出した。そして、私の手を握って、
「ちょっと、こうしてて」
と、甘えた声で言った。
「うん」
私は、黙って言われたとおりに、手をつないでいた。
そのうちに、圭介は落ち着いたのか、す~~す~~って寝息をたてて、寝てしまった。かなり苦しかったんだろうな。でも、寝れるってことは、だいぶ、楽になったかな…。そんなことを思いながら、じいって圭介の寝顔を見入っていた。
つないだ手も、顔も、色白で、本当に綺麗だ。眉毛の下にほくろがあった。あと、あごにもある。
顔のほくろの数を数えてみたり、圭介のまつげ長いなって見ていたり、圭介の顔を眺めているだけで、何時間でもいられるような気がした。
そっと、圭介のベッドに顔をのせてみる。圭介の部屋は、修二の部屋とは違ってむっとした男臭さがなかった。DNAが遠いからかな?それとも、若さのせいかな。
圭介の寝息を近くで感じた。圭介のあったかさにも包まれていた。なんで、目の前にこうしているだけなのに、こうもあったかいのかな~~。いつも不思議に感じる。
外がだいぶ暗くなってきたころ、ガチャガチャという玄関の鍵を開ける音がした。それから玄関のドアが開いた。
「圭介?帰ってるの?」
お母さんだ。そのまま、トントンと2階に上がってくる音がした。でも、階段にも絨毯がしいてあるからか、うちみたいにうるさい音はしなかった。
ガチャ。ドアが開いた。私はつないでいた手を離し、その場にすくって立った。
「あら、どなた?」
圭介に負けないくらいの色白で、髪は黒々とした、りんとした顔つきのお母さんだった。
「私、圭介くんとは同僚の、柴田といいます。圭介くんが、具合が悪くなって家まで送ってきました。すみません、勝手にあがってしまって…」
「いいえ、こちらこそ、わざわざ、ごめんなさいね」
お母さんはそう言って、ちょっと心配そうに、圭介の顔をのぞきに部屋の中に入ってきた。
「寝てるのね」
「はい」
「だったら、心配ないかしら、顔色もそんなには悪くないわね」
「はい、家に帰って横になったら、楽になったみたいで…」
「そう、えっと、柴田さんだったかしら。ごめんなさいね、本当に。お仕事中だったんでしょ?」
「ええ、でも社長にタクシーで送ってあげてと、頼まれたので…」
「笹塚さんに?そう…。前にも会社で具合悪くなって、そのとき一人で帰ってきて、ホームで気持ちが悪くってどうにも動けなくなったみたいでね。何時間もホームのベンチに座ってたらしいのよ。そんなことがあったから、笹塚さんも気をつかってくれたのね」
「そうだったんですか。前にも…」
「去年の秋よ。この子、無理して仕事頑張っちゃうから。それに、いつもたいしたもの食べてないでしょ、会社では。それで、残業だの、たまに徹夜もしてるって言うじゃない。体がおかしくなるに決まってるのよね」
「そうなんですね…」
なんだか、いつも元気だから、こんなに具合が悪くなっちゃうなんてびっくりだ。
「この子ね、元気だけが取り柄って自分じゃ言うけど、そんなでもないのよ。子供のころは体弱かったし。中学と高校でサッカー部に入って、体がだいぶ丈夫にはなったけど、コンピューターし始めたら、また色白の弱い体になっちゃって。それなのに、高校生の気分でいるからまいっちゃうわよ」
お母さんはべらべらと、圭介の寝顔を見ながらそう言うと、
「あ、柴田さん、下でお茶でも飲まない?圭介きっと、まだまだ起きないわよ。ね。下におりて、お茶にしましょう」
と、誘ってくれた。そろそろ帰ろうかなとも思っていたが、無下に断るのも悪い気がして、一階に一緒におりていった。
リビングとダイニング、そしてキッチンがつながっている、広々としたモダンな家だった。建ってまだ、間もないんじゃないかな。
我が家はもう、築17年。かなりあちこち痛んできているが、圭介の家はまだ、新しい匂いさえした。
「柴田さんって、あの、もしかして、柴田瑞希さん?」
「はい、そうです」
お茶と、お菓子をリビングのテーブルに置きながら、お母さんがそう聞いてきた。
「主人の会社に、春までいた方かしら?」
「はい。部長から聞いていますか?」
「ええ、茂とお見合いをした…。あ、でもこの話は、あまりしないほうがいいかしらね」
「いえ、大丈夫です。お気遣いなく…」
「そう…」
あ、お茶どうぞって言ってから、お母さんもいすに座ってお茶を飲み、ほってため息をついて、
「主人はね、実は茂がお見合いをしても、結局は破談になるんじゃないかって、初めから思っていたみたいなの」
と話し出した。
「え?そうだったんですか…」
そういえば、はじめから、あまり薦めていなかった感じだもんな。
「私の姉に頼まれて、しかたなく…。ごめんなさいね。主人は本当に柴田さんのことを、素敵な女性だからって、茂のお嫁さんにはもったいないし、茂は仕事人間だから、柴田さんを幸せにできるかどうか不安だって、そう言ってたんだけど…」
「部長が…」
「はあ、本当に駄目になっちゃって…。あら、ごめんなさいね。姉は、今度こそ、結婚できると思ってたみたいで、でも、駄目だったからショック大きかったみたい。主人としては、破談になってよかったって思ってるくらいなんだけどね」
「え?」
「いえ、ほら、初めてのデートからして、ほっぽらかしちゃったんでしょう?それを知って主人はかんかんになって、慌てて、圭介に行かせたのよ。柴田さんに悪いからって」
「……」
お菓子もどうぞと言ってから、お母さんはお菓子を手にとって食べだして、
「お仕事どう?大変?」
と聞いてきた。
「いえ、私は定時に帰らさせてもらえるし、そんなに忙しくないです」
「そう、ならよかった。笹塚さんの会社、とにかく忙しいから。ITはみんなそうだって圭介は言うんだけどね。ちょっと圭介見てると、こきつかいすぎだわって思っちゃうのよね」
そう言うと、ため息をついて、
「そうそう、主人はね、柴田さんが結婚駄目になるのを予想して、笹塚さんに頼んだみたいなの」
「そうだったんですか?」
「ごめんなさいね、本当にそれだったら、はじめっから、お見合いなんて話持ってこなかったら良かったのよね~~」
「いえ、いいんです。受けるって決めたのは私ですし」
「そう?そう言ってもらえると、気が楽になるけど…。あ、そうだわ、圭介はどう?」
「え?」
どう?って、どういう意味…?
「会社で、どうかしら。まあ、忙しくしてるんだから、きちんと仕事してるんだろうけど。家じゃのん気だし、能天気だし、これでちゃんと社会人やってるのかって心配で」
あ、ああ、そういうことか、びっくりした~~。
「大丈夫です。しっかりと仕事していますよ」
「そう?あなたに迷惑かけてないかしらね。かけてたらガツンと言ってやってね。すぐにいい気になるところがあるから」
「はい」
くすって笑ってしまった。圭介も、お母さんから見たら、まだまだ頼りない子供なんだな~~。そんな彼にぞっこんですなんて知ったら、驚くだろうな~~。
ガチャガチャ、また鍵が開く音がした。
「あら、順平かしらね」
玄関のドアが開き、リビングに日焼けして、髪が金髪のいまどきの若い子って感じの男の子が入ってきた。圭介とは、似ても似つかない感じの…。
「あれ?客?」
「お客さんって言いなさいな。圭介の同僚で、柴田瑞希さんよ。圭介を送ってきてくれたの」
「圭介、またぶったおれた?」
「そうなのよ、2階で寝てるわ」
なんだか、口の悪そうな、そんなところが修二を思わせるような、そんな子だった。圭介の弟で、今年大学生になったのかな?
「柴田瑞希さん…、茂にいの見合いの?」
知ってるんだ~~。
「破談になったって、よかったじゃん。茂にいなんて面白くもおかしくもない、まじめ人間。結婚したってつまらなかったよ」
「順平、口の利き方に気をつけなさいって!」
そう言って、お母さんは順平君のお尻をぽかって蹴った。…蹴った?すごいな~~。
ちょっとその光景を見て、驚いていたら、
「あら、変なところ見られちゃった。もう、息子3人もでしょ、だんだん、私も男になっちゃうのよね。柴田さんのところは、兄弟は?」
と聞いてきた。
「兄と、弟がいます」
「あら、じゃ、人数は一緒ね。でも女の子がいるといないじゃ、全然違うんでしょうね。家の中がもう、汗臭いわ、男臭いわ…」
「うちも、弟の部屋、臭いですよ」
「あら、やっぱり?嫌よね。圭介の部屋も臭かったでしょ~~」
「え?いえ、全然…」
「いいのよ、はっきりと言って、圭介の部屋も汗臭いって言うか、高校生くらいから、そんな匂いがするようになったわね。あ、あんたの部屋も臭いわ」
今度は順平君の背中を、ぺちってたたいた。
「いって~~よ。俺、もう部屋行くわ」
順平君はそう言うと、階段を上っていった。逃げていったと言った方がぴったりかな。
「あの、そろそろ私」
そう言いかけると、お母さんが言葉をさえぎった。
「夕飯食べていってね。それから、主人か正吾に車で、家まで送らせるから」
「え、いいです、駅まで歩いていきます」
「あら、いいのよ。圭介を送ってくれたんだから、そのくらいは…」
そう言うと、エプロンをかけて、キッチンに行ってしまった。
さて、どうしようか。お手伝いでもするべきか、それとも…。圭介のことが気になっていたので、2階にあがることにした。
「あの、圭介くんの様子、見てきます」
「ああ、そうね。夕飯できたら呼ぶから、それまで、圭介のこと見ててくれると助かるわ」
「はい」
2階へ静かにあがり、そっと圭介の部屋に入った。薄暗い中、圭介は寝ていた。と思ったら、
「瑞希?」
と、話しかけてきた。
「起きてたの?」
「うん、ちょっと前に」
「気分はどう?」
「うん、大丈夫。それよか、まだ、家にいたんだ」
「ああ、うん、お母さんに引き止められちゃって」
「ははは、あの人強引でしょ?なんなら、泊まってく?俺のベッドの横に寝ていくってのどう?」
「遠慮しとく」
「なんだ、隣にいてくれたら、俺、絶対すぐに元気になるのに」
「もう少しなら、隣りにいるよ」
「じゃ、またここで、手つないでてよ」
クッションの上に座り、圭介の手をにぎった。
「順平君に会ったよ、似てないね」
「順平?ああ、彼の人生は今、尖ってるからね」
「何それ?」
「高校生まで、まじめだったんだけど、大学行ったらいきなりあれだよ」
「そうなの?」
「サーフィン始めた影響もあるけど」
「ああ、サーフィンね、それで真っ黒なのか」
「あれは、日焼けサロンじゃないかな?」
「ええ?まじで?」
「もともとは、色白だもん。うち、色白一家だよ。あ、親父は違うか…」
「へえ。お兄さんも?」
「うん。色白で、痩せてる」
「ふうん、あ、正吾さんっていうの?」
「うん。コンピューターゲームのソフト作ってるよ」
「へえ!そうなんだ!」
「すげえ、面白いゲームだよ、兄貴むかしっから、そういうの作るの得意って言うか、あれはもう、才能だね」
「ふうん、でも圭介も今の仕事、コンピューターの…」
「俺のは、WEBでしょ。WEBデザイン。ちょっと兄貴とは違う。でも、俺がコンピューターのほうの仕事に進んだのは、やっぱ、兄貴の影響大かな。兄貴にいろいろと、教わっていたから」
「ふうん」
手をつないだまま、圭介の顔を眺めていた。すると圭介が、
「暗くない?電気つけようよ」
と、言った。
「あ、そうだね」
電気をつけると、圭介の顔がすごくはっきりと見えた。ああ、具合がよくなったかと思ってたけど、まだ、青い顔をしていたんだな…。
「手、手!」
圭介は、手を出して催促をする。ほんと、子供か、犬みたいだ。
「はい」
と、手をつなぐ。何ていうか、もっと手をにぎられたら、ドキドキするんじゃないかって思ってたけど、こうも、ずっとにぎっていると、ときめきって言うのはないよな~~。
だけど、電気をつけたら、顔が良く見えて、目の前にある圭介の顔を凝視できなくなった。なんだか、照れてしまう。
「瑞希さ、圭介の彼女の柴田瑞希ですってちゃんと挨拶した?」
「え?誰に?」
「おふくろとか、順平」
「しないよ。するわけないでしょ」
「え?でも、いつかはするんでしょ?」
「う、う~~ん」
そりゃあ、隠しとおせるわけ、ないだろうからな~~。
「きっと、びっくりするね、特に部長は…」
考えただけでも、鳥肌が立つ。
「瑞希の家族は何て言うかな?」
「うち?うちはみんな圭介のこと、気に入ってるから、特にお母さんなんて大喜びするんじゃないの?」
「ほんと?」
「うん」
「わあ、すげ、良かった、俺」
くす。本気で喜んでいるのがわかって、笑ってしまった。それに、こんなふうに笑うってことは、だいぶ元気になったんだね。
トントン、いきなりドアをノックする音がして、
「柴田さん、夕飯できたわよ」
と、お母さんが、ドアを開けて入ってきた。慌てて手を離し立ち上がり、
「はい!」
と、大きな声で返事をした。わざとらしかったかな。
「圭介は?何か食べる?」
圭介が起きているのを知って、お母さんがそう聞いた。
「俺はいいや、なんか飲みたいけど…」
「じゃ、ポカリもって来るわね。柴田さんは、下に来てね」
「はい」
圭介に、軽く手を振り、お母さんのあとを追いかけ一階におりた。