10 デート
ジーンズの裾を巻き上げ、靴も靴下も脱ぎ捨て、クロを連れて圭介は、浜辺に思い切り走っていった。
「若いな~~~」
私はそうつぶやいて、そのあとをとぼとぼ歩いた。
「すっげ、クロ…、速すぎ。まって…!」
さすがの圭介も、犬の速さには勝てないか。
海の潮水にボチャン。しょっからかったのか、クロが、ペッペッて水を吐き出していた。でも、喜んで、波打ち際を走っている。
その周りを圭介も、走って喜んでいる。それを遠目から、浜辺沿いにある石の階段に座り、眺めていた。
しばらくして、二人、いや一人と一匹は、ハアハアゼエゼエ息を切らしてこっちに来た。
途中の自販機で、水を買っておいてよかったよ。そのうえ、車に乗り込むとき、クロ用にと渡されてた水をいれる皿と、体をふくタオルを修二からもらっておいて、本当によかったわ。
お皿に水を入れて、まずは、クロにあげる。ぺろぺろと水を嬉しそうになめる…姿を羨ましそうに見ている圭介。
「ぷっ」
って、ふき出すと、
「え?」
って、何に笑われたのかがわからない様子で、圭介はこっちを見た。
「はい」
キャップをあけたままの水のペットボトルを手渡すと、
「ありがと」
って、言う間もないくらいに早口で言い、水をゴックンゴックンと飲みだした。
それを横で見ながら、あまりにも綺麗に上へ下へと動く圭介ののど仏にしばらく、見とれていた。まいったな。私は、圭介のなんにでも、見とれちゃうのか…。
でも、あれだ。よくCMで汗をかいたあとに、めちゃおいしそうに、さわやかに、コーラや、ポカリを飲むかっこいい俳優さんが出てくるけど、それをまじかで見た感じだ。なんでこうも、綺麗な顔でさわやかに、水を飲めるんだろうか、こいつは…。
思い切り流し込んだので、水が口からこぼれて、それを腕で、ぬぐってるのを見て、
「これだよ、これ~~!よく見るよ、こういうの。CMとかでさ。超かっこいいじゃん!」
と、心の中で叫んでいた。
もちろん、当の本人はまったく私がその姿に、心の中できゃあきゃあ言ってることなんて、露知らず、
「水うめえ」
って、片目を太陽がまぶしいって感じで、つむって、喜んでいた。それを見てまた、
「これだよ。これ~~!なんだよ~~~~っ。さわやか過ぎるだろう!!!」
って、心の中で叫んだが、ふと圭介と目があい、そして、そのまんま凝視されたから、困惑してしまった。
「何?」
「松田聖子の歌で、こういうのなかったですっけ?」
「え?」
「水着持ってないとか、なんとか、ああ、白いパラソルとかって歌」
「古い歌だよね、知ってるの?」
「母が松田聖子好きで、カラオケで歌うんすよね。今日の瑞希さん、白いパラソルとか似合いそうじゃないですか?」
「う~~ん、日傘考えたんだけど…。日差しがもう強いし、焼けちゃうかな…」
「そうですね。あ、でも帽子とかも似合いそうですね。その格好にこう、白とか、麦藁帽子とか…」
「麦藁…?」
「かわいいじゃないですか、似合いますよ。瑞希さんかわいいもん」
一回りも上の女性つかまえて、何言ってんの?と言いたかったが、その言葉に射抜かれて真っ赤になってしまい、何も言い返せなかった。それも、その真っ赤になっているのを、しっかりと圭介に見られてしまい、ますます真っ赤になっていくのがわかった。
何か、言い訳はないか、ああ、日焼けをしているから赤いのだとか、でも、一気にそんなに焼けないよね。ああ、頭の中は、真っ白だ。
圭介を見ると、海の方を見て、表情がわからなかった。でも、すぐにこっちを向いて、
「やばいっすよね」
と、一言つぶやいた。
何がやばいのかがわからない。圭介はよく、「やばい」と言うが、いったい何がやばいのか?
「何が?」
こういうとき、聞いても答えない。そのまんま、わざと話をそらすか、無視をするかのどちらかだ。でも、このときは下を向いて、
「なんていうか、その…」
と、やばいの理由を話そうとした。
「すげえ、嬉しいって言うか、俺、はしゃぎすぎててやばいかなって」
「?」
聞いても、よくわからない。
犬との海の散歩が、そんなにやばくなるくらい、嬉しいのか。それを聞いてみると、はあ?って顔をしかめて、
「瑞希さんて絶対に、鈍いですよね。どっか抜けてる…」
と、馬鹿にした感じで言った。
「ええ?悪かったわね。そっちこそ、あれよ。いつもやばいやばいって言って、何がやばいんだか、わからないわよ。もっとさ、わかるようにさ~~」
「俺があれです。やばいって言うときは、あれです」
「あれって何?」
「だから、やばいときです」
「どうやばいの?なんでやばいの?何がやばいの?」
「……。んと…」
「え?」
髪をかきながら、圭介はもにょもにょ言ったが、まったく聞き取れない。
クロが、どうやらのどの渇きもおさまり、落ち着いたようで、その場に横になってしまった。立ったままの圭介も、私の横にドカッって座った。
「サーファーがいますね、けっこう」
「うん」
「海って6月でしたっけ、解禁日」
「そうだったかな」
「泳ぎに来ませんか?」
「…。私、かなづち…」
「え?」
「だから、泳げない…」
「まじっすか?すんげえ、なんていうか、それ、お約束って言うか」
「なんの?」
「瑞希さんって、ペーパーですよね。方向音痴ですよね。で、泳げないんですか?」
「そうよ。悪い?ついでにね、歌も下手なの、音痴なの。あとは、えっと~~」
「自転車とか、乗れますか?」
「それはね~~、それはできるわよ!」
「あ、自慢げ。ぶぶっ」
圭介はふき出してから、もっと、
「あははははは!」
と、お腹をかかえて笑い出した。
「何がお約束なの?」
私は、もう一回聞いてみた。
「え、えっと、ぼけてるって言うか、かわいいって言うか…」
「どこが、ぼけてて、かわいいの?ぼけてもいないし、かわいくもないでしょ?」
「は~~~、腹、いてえ、だって、周りにそういう人いなかったもん」
「え?」
「付き合ってた子も、サーフィンとかしてたし、車運転できたし。その前に付き合ってた子は、歌とかカラオケ行くと最高うまいし、何やってもできてたな」
う、う、う。聞いていて、だんだん、腹が立ってきた。
私は何か?何をやっても、できないと言いたいのか。腹が立って、そのうち、情けなくもなってきた。ああ…、落ち込んできたじゃないの。
じゃあ、なに…?私は今までの彼女たちよりも、はるかに劣っていて、勝ち目はないと…。私なんて、好きにもなれない、彼女になんてぜったいに無理と、言いたいわけか?
海を見ていると、泣きそうになり、下を向いたが、下を向いたら涙がこぼれそうになり、目をぎゅってつむった。
そうだよ、そんなの知ってるよ。だから、自信がもてないんじゃない。美人でもない、頭も良くない、スポーツもできない、スタイルだって、そんじょそこらの、どこにでもいるようなスタイルで、一山100円の中の、一人ってな感じですよ。貴方の今まで周りにいたよう女性とは、全然違ってますよ。
笑いがおさまった圭介が、ポツリと言った。
「なんで今まで、一人身なの?」
「え?」
ますます頭にくる、いや、落ち込むようなことを言う。
「なんでさ、茂にい、瑞希さんのことふっちゃったのかな」
「……」
なんだ、詳細は聞いてないんだな。私がほかに好きな人がいるって言ったこと…。って、それは貴方のことなんだけどね。
「…。あ、でも、そっちの方が俺にとってはラッキーだけど」
圭介は、またそういう冗談を簡単に口にする。
ずっと、下を向いたままでいると、
「なんでさっきから黙ってんの?下向いてるし」
ああ…、また、おい、タメ語になってるよ。なんて思いつつ、それでも、私は下を向いたまま、黙っていた。
「ね、なんで?こっち見てよ」
圭介は、思い切り顔を覗き込んできた。
「わ!」
すんごい近くに顔があるじゃないの!驚いて、顔を上げ、そっくり返った。両手で、自分の体を後ろで支えるくらい、そっくり返った。
「?泣いてた…とか?」
あ、やばい、顔、見られた。
「ごめん、俺…」
うわ、なんでそう、素直に謝るんだ?
「茂にいのこと、やっぱ、あれだよね、昨日の今日で、こんな話、無神経だったよね…」
「……」
カク…。力がぬけた。そっちじゃないのよ。でも、私が圭介のことで、泣いているなんて知られたくなくて、そのまま何も言わなかった。
しばらく二人で、黙って海を見ていた。そのうち、圭介が海を見ながら話し出した。
「ラッキーなんて言って、ごめん…」
「え?」
「瑞希…、傷ついてたのに」
ああ、ほら、だから、なんで呼び捨てなの。私はそんな呼び捨てにする自分の名前にもドキってするんだよ。
「…いいよ。冗談言って、励ましてくれようとしているんでしょ?」
「俺、そういうところが、鈍いって言うか相手の気持ちを考えないで、自分の言いたいことだけ言っちゃうとこがあって、知らないうちに傷つけてて…。素直すぎるとか、正直すぎるとか、無邪気すぎるとか、元かのに言われた」
「…そこが、圭介の1番いいところなのに?」
「え?」
「私は、そういう圭介の、無邪気さとかに救われてるよ」
「……」
少し圭介の目が、まんまるくなった。なんか、驚いてるみたいだった。そんなことを言われたのは、初めてだったんだろうか?
「無邪気で、素直で、かわいい。人懐こくて、うん、犬みたいだね」
「え…。それなに?ほめてんの?」
「ほめてるでしょう~~~」
笑って言うと、
「あ、よかった。笑った」
圭介は、心底ほっとした顔をした。自分が泣かせてしまったと、相当気をもんでいたのか…。
そういう素のままの表情が、彼の優しさを見せてくれる。そういう表情を、見逃したくないって思う。彼の一つ一つの表情を見ていたいなって…。
落ち込んでいる彼も、戸惑っている彼も、さっきみたいにびっくりして目を丸くする彼も、おどけたところも、いたずらっぽい顔つきも、大人びてるときも、小さな子供のようにあどけないときも、少し不安げなときも、心底喜んではしゃいでるときも…。
やばいな。それだけ好きになっているのだろう。どんな圭介も、愛しくてたまらないって思うようになっている。
「やばいね…」
ぽつりと、圭介に言うと、
「何が?」
と、聞いてきた。
「内緒…」
「え?なんで、内緒?」
「圭介も、教えてくれないでしょ、いつも…」
「俺の場合は、だって…」
「何?」
「言ってもわかんないよ。きっと」
「言ってみないと、わからないよ」
「……。内緒」
「もう!じゃあ、こっちも内緒」
圭介のことが、やばいくらいに、好きになっているって内緒。でも、そのうちに言うから。きちんと心を開いて言うから。
圭介には、きちんと気持ちを伝えたいって思った。だって、大好きな人には、心を素直に伝えたいってそう思えるから。それに圭介なら、私をそんなふうに、思ってくれなかったとしても、きちんと誠実に聞いてくれるって思えたから。
海に向かって、おおきな伸びをした圭介の背中が、なんだか大きく見えて、その背中ならずっとついていけそうってそんな気がした。
昼ごはんは、近くの和食屋さんに行った。クロを連れて、たまに修二は、柚ちゃんと江ノ島に来る。江ノ島で食事をしてくるのだが、犬を連れてもいいお店があるってことを思い出し、修二に場所を携帯で聞き、そのお店にクロを連れて行ったのだ。
「クロちゃん?」
お店の人は、クロを覚えていた様子だ。クロは頭がいいので、店員さんに頭をなでられ、大人しく嬉しそうに尻尾を振った。
そう、いつもはこうなのだ。なんで、圭介にはあんなに過剰に反応したのかがわからないが、多分、圭介もハイテンションだったから、クロもそれに反応してしまったのだろう…と思うことにした。
海に面したそのお店で、のんびりとご飯を食べた。
それから外に出て、ゆっくりとその辺を散歩して、駅の前のマックで、コーヒーを買い、外にあったいすに腰掛け、二人でコーヒーを飲んだ。
クロは、さっきの和食屋さんで、犬用のお皿を出してもらい、私たちのご飯を少しと、水も入れてもらって、食べて飲んできたので、満足そうに足元でねっころがっていた。
「好きな女の子と、犬連れて海に行くって、なんとなくしてみたかったことなんだよね」
そう、いきなり圭介が言った。
「じゃ、半分叶ったね」
「うん、叶ったな~~~」
満足そうに、圭介は笑った。でも、まだ半分でしょ。好きな子とこなくっちゃ…って、のどまで出かけてやめた。満足そうだから、そのままにしておこうって思った。
私は、とにかく、心から好きになる人が現れてほしかったから、
「私もさ、一つ叶ったことがあるよ」
と、ぽつりと圭介に言った。
「なに?」
「…。ま、いいじゃん」
「何?また、内緒?」
「うん、そう」
「ちぇ~~~」
「そのうち、教えるよ」
「え?まじ?…でも今じゃないんだ」
「う~~ん。そうね」
「ヒントは?俺、当ててみる」
「ヒント?長年の夢かな。そうそう一人じゃ叶えられない」
「?あ!俺とのデート!」
「だ~~か~~ら、長年の夢だって。圭介とは、会って間もないでしょ?」
「ああ、あ、そっか。なんか、すごい前から知ってる気になってた」
「それに、ずっとタメ口ですね」
「え?あはは。そうだっけ。ま、無礼講ってことで、日曜だし。会社じゃ、ちゃんと敬語使いますんで」
今日も、無礼講?ってつっこみをいれると、いいじゃんって軽く言われた。
「瑞希といると、年齢とかさ、忘れるよね」
「私が、幼いの?」
「そうそう、精神年齢きっと同じだよ」
「じゃ、私は3歳児か」
「そう…え、何それ、じゃ、俺が3歳児ってことじゃん」
「あはは、だって、そうじゃん」
「ひっで~~」
ふふふ。二人で笑いあっていると、時々、クロが頭を起こした。そうすると、それに気づいて、圭介が優しくクロの頭をなでる。クロは、また安心して頭を下げ目を閉じる。クロにもわかっているのかな、圭介の優しさ。
圭介と一緒の、ゆったりと流れるこのあったかい空間や時間。これは、はじめて会ったときから、変わらない。不思議な時間の流れだ。ゆったりと、そして優しく、あたたかく包み込むように流れていく。