第4話異界の存在
そこは不自然な程黒かった。
暗澹とした眼窩の先に広がっていた闇そのもの。
霊力を持ってしても知覚すら叶わない。
在るのは己の意識のみ。
上下左右360度何一つ感じ取れない。
女の姿もなければ、あれほど溢れていた霊力と負の念も消えていた。
ここはどこなんだろう。
よもや魂を掌握されて幻視されてるってオチはないかな。
んーそれはマジで笑えねぇな笑
「ぬっ……!? 何だ、鬼の手か?」
突然全身を締め付けられ、俺を覆う様に握る巨大な手だけが現れた。
どうやら部分的に視認出来るようだ。
浅黒い皮膚に脈動する血管
凶悪で獰猛な爪が俺の肉体に食い込む。
傷付く程ではないけど。
抵抗しようと思えば振り解けるなと思っていたら、新たな手が後ろから俺を握って来た。
皮膚の色からして対の手かな。
流石に両手だと少し鬱陶しく感じるが、この程度の力となると下位レベルの鬼ぐらいか。
過去に一度だけ悪魔と対峙したことがあったが、その時の圧力たるやこんなもんではなかった。
鬼なら何度か祓ったりして来たが、力だけなら割と近しい気がする。
違うのは霊力を感じないこと。
それに鬼は部分的な行動は出来ない存在
鬼と類似点はあれど、根本的に違う存在なのだろうな。
「あっはははは! 君、子供の見た目な癖に頑丈なんだね〜中級魔法とは言え、そんな平然としてられるなんてさぁ、僕って結構運良いよねぇ〜! 上等な燃料になるよ、君はさ!」
暗闇の奥から甲高い声が響く。
反響してるのか位置は掴めない。
内容的にこの声の主が黒幕か? つーか、魔法とかほざいていたな。
魔法って二次元世界にある空想のお遊びと記憶してる。
一種の娯楽だ。
この世に魔法なんてモノはない。
在るのは霊能力ぐらいだ。
霊能力の派生として超能力もあるが、根っこは同じだしな。
それに正確に言えば、霊能力も派生した力の一つ。
源流は気と呼ばれていた。
今では気の運用をしてるものは皆無だが、もしや能力を悟られない為のカモフラージュなのかも知れん。
「まさか霊能力や超能力を、魔法と勘違いしてるイタイ奴ではないだろうしな。いや、案外いたりするか? うーん、世の中頭おかしい輩多いもんな。否定は出来ねぇぜ」
「ちょっと、心の声ダダ漏れなんだけど? 言ってる意味が分からないとこあるけど、明らかに僕のこと馬鹿にしてるよねぇ。状況分かってない頭おかしい人って、絶対君のことだと思うよ。ぜっ〜たいにね!」
擬音で表現するならば、ぷんすかぷんぷんと言ったところか。
小学生じみた耳障りな声を喚き散らす声の主
どうやら怒りを買ったようだ。
手の力が先程の数倍に膨れ上がっている。
これには俺もびっくり驚嘆
中位レベルの鬼ぐらいはある。
ちょっと痛いね。
もう少し強いと流石に皮膚を突き破るかな。
霊力で肉体を強化してないなら、内臓破裂は免れない力だ。
「ぬぅ……中位レベルの鬼を使役出来るのか。大した霊能力だな。褒めてやるから、泣いて喜べよ」
「え〜割と殺すつもりでやったのに……これならホントに殺してもお釣りは来るレベルね。うん、目障りだから、死んじゃってクソガキ君!」
「小学生みたいな五月蝿い声した奴に言われ──ごほっ!? がっ──はぁあああ、がはっあああ!!」
肉体が潰れた。
昔内蔵が外側に膨張して破裂したこと経験はあるが、外側から肉体ごと潰されるとこうなるのか。
自然と身体が痙攣を起こしている。
肺も潰れて血が逆流していた。
心臓は辛うじて機能しているが、即死してもおかしくないダメージだ。
流石にそろそろ不味いな。
幾ら俺の肉体が特別で、普段から霊体と混ぜ込んだ結果、物質的攻撃に脅威的な耐性を誇るとは言え、あくまでベースは肉体
このまま握り潰されたら死ぬ、かも。
「む〜まだ息があるの……でも、もう虫の息ってとこね。そうだ! せっかくだから、僕の新魔法の試し撃ちで鯖にしてしんぜよう〜」
能天気な声が壊れた耳にまで届いた。
どうやら次でチェックメイトを決めたいらしい。
俺も霊能力でどうにかしたいが、いかんせん潰されたことを抜きにしても身体に力が入らなかった。
どうやら肉体を潰される瞬間、全身の筋肉が弛緩したのは勘違いではなかったか。
流石に無抵抗では潰される。
それに体外における霊力操作が効かない。
辺り一帯に霊力が無いのが要因の一つだろうが、そもそも体外に出した主観に霧散するのだ。
分かっていたことだが、ここは特別な空間だな。
体内における霊力の流れも悪い。
俺が甘んじて捕まったままの理由でもあるが、肉体が破壊されてからは最早微弱な反応ぐらいしかないな。
まさかここまでとは……もう、笑うしかないぜ。
「ん? ちょっと! 何でヘラヘラ笑ってるのよ? 君、これから死んで燃料になるんだよ。僕の前に手も足も出ないで負けたのに、よくそんな顔で笑ってられるね〜変なの」
相変わらず声だけが響いていた。
死ぬ瞬間までこのうぜぇ声を聞かなきゃいけないのかよ。
とことんついてない。
ま、それも仕方ないか。
この世は弱肉強食
弱いモノから淘汰されるのは世の理
今回はそれが俺だっただけのこと。
どうせ死ぬから力の限り戦ってから死にたかったが、弱者は死に方も自由に選べないからな。
しょうがないね。
弱いことは罪だからな。
「あ〜もう反応も出来ないんだ。ちょっと可哀想かも〜そうだ! 確かこの世界では、死んだ人には手を合わせてお祈りするんでしょ? 燃料になってくれるんだもん。それくらいはしてから殺してあげるね!」
余計なお世話だと言いたい。
殺される相手から祈られるって馬鹿にしてんのか。
どうせ暗闇の中で勝手に祈るだけだろ。
他所でやれっての。
内心毒突きのオンパレードで暗闇を見ていたら、まさかひょっこりと何かが姿を現した。
身長は想像通り小学校低学年ぐらいだろう。
浅黒い肌に第二次成長期を迎えてもない幼い体躯
そこまではいい。
問題はやたら尖った耳だ。
赤い目に白眼の髪の毛は作れるからいいが、尖った耳は整形でどうにかなるのか? いや、それにしてはあまりにナチュラル過ぎる。
瞳は分からんが、髪の毛もやたら自然な感じ。
こんな人種いたかな。
ちょっと記憶にない。
「ふふん、言葉も出ないくらい見惚れてるのね。僕はちょーちょー可愛いから、それも当然だけど!」
無い胸を張って誇らしげに胸を叩く少女
外観年齢は幼児に等しいが、中身も大分幼稚だな、こいつ。
おまけに僕っ子って、どんだけ属性盛るんねん。
「エロい目で見るなんて変態だよ! ホントならお金取って八つ裂きにするとこだけど、この世界の通貨は要らないしなぁ〜今出してる【アストルト•ハザーバイト】の練習台にしてから、新魔法の【ウル•ドラード】で爆散させよっと!」
動けないから眼球だけ動かして見上げてただけだが、非常に失礼な勘違いを覚えたようだ。
実に訂正の意志を表明したい。
せめて霊力を肉体の再生に充てればマシになるのだがな。
肝心の霊力がこの様では無理か。
「よぉ〜し! はりきって、いくよ〜!」
生意気な少女の握り締めていた拳が開かれた。
それ同時に巨大な手から解放される。
数メートル程度の高さから落下し、地面に叩きつけれる刹那、眼前から巨大な拳が現れた。
「ぎぃっ……!?」
掠れた音が漏れた。
見た目通りの凄まじき膂力
無防備な顔面を打ち抜き、その衝撃で首の骨が折れた。
顔の骨は砕け散り、脳漿が溢れるのを感じる。
くるくると宙を舞いながら上昇する肉体は、上からの圧力を受けて再度下に落ち、次は右、左と上下左右出鱈目に殴られていた。
一撃を受ける度に溢れる肉片
まだ人の形を保って意識があることに驚く。
自身が考えてるより化物になっていたか。
霊体の影響力は凄まじいものだ。
ま、抵抗は出来ないんだけどね。
「ここで真打の無属性魔法〜! 視認出来ないから便利だよね!」
軽自動車で吹き飛ばされる感覚を受けた。
一撃の重さは巨大な手に劣るが、その身に受けるまで何も感じない。
それが幾度なく繰り返される。
一体どれ程吹き飛んだのか。
かなりの長時間滞空していた。
肉体はまだ人型を留めている。
吹き飛んでる内に体内の霊力操作が可能になったからだ。
そうじゃなきゃもう死んでる。
不死身じゃないんだからさ。
「むぅ〜流石に頑丈過ぎる〜忘れた頃に〜やってくる〜召喚魔法の【アストルト•ハザーバイト】ッ!」
痺れを切らした少女の渾身の一撃だった。
回避しようにも肉体の再生が鈍い。
強烈な一撃を前に何かにぶつかり、そのままずるずると下まで落ちた。
どうやら境界の概念があるようだ。
結界術と似た様なものだろうか。
「さぁて、トドメの前に、小技の連発だよ! 無属性魔法【エアフォース】っ!」
少女は唾を飛ばしながら叫ぶ。
世の紳士諸君が喜びそうな光景だな。
つーか、それ名前あったんだ。
先程よりも威力が増大しているが、段々と力が戻って来た手前、破壊よりも再生の方が上をいった。
これならもう少しで動けるかな。
視認出来ないまま無防備に攻撃を喰らうのは面白くは……ん? 何だ、あの大砲みたいな塊は? もしかして、あれが少女のほざいた無属性魔法とやらか? 何故突然視認が……もしかしてこの空間に順応したか。
いや、今はどうでもいい。
試しに体外へと霊力を流してみると、今度は霧散することはなかった。
どうやら普段通りに能力を発揮出来る。
これならば……
「ふぅ、こんなものかな。どうだ! ガキって馬鹿にしたけど、僕はこんだけの魔力と魔法を扱える天才なの! それにね、僕はもう100歳を超えてるから、ガキって歳じゃないからね!」
過去一番の衝撃に脳が震えた。
あの見た目で100歳越え? 先程の見解は間違いだったのか。
世の紳士諸君に詫びを入れよう。
アレはただのババアだと。
まさかこの期に及んでまだ属性を盛ろうとはな。
正体はさておき、大したものだ。
「って……その見た目で100歳だぁ? ぱちこいてんじゃねぇよ! てめぇの肉体情報からして、大凡12、3歳ぐらいの筈だ。俺の霊能力を侮るんじゃねぇぞクソガキぃいい〜」
瞬時に立ち上がって攻撃を回避し、辺り一帯を霊力で捜査しつつ少女の元に駆けた。
タネはどうであれ、少女にも霊道は存在する。
内部への侵入は不可能だったが、外観からでも情報は読み取れるものだ。
先程までは確かに何もなかったが、今でははっきりと感じ取れる。
ここは半径50メートル程の結界だ。
その先は境界で仕切られているが、所々境界線が曖昧になってる箇所を発見した。
そこからは霊気を感じたので、恐らくはコテージの場所を読み替えて結界を形成してるのだろう。
それだけでも大した腕だ。
他の霊能力は見たことないが、俺の知らない理などごまんとある。
後で解体しながら全て聞き出して糧としようか。
霊道がある人間に魔法なんぞ使えるかっての。
ふざけやがって。
嘘つくなら、もっとマシな理由作れや。
「え……何で急に動けるの? 状態異常魔法は解いてないのに……って、僕は嘘ついてないよ! もう、ホントに頭に来る! もういいや──このまま、灰になっちゃえ!」
「あーん? 嘘つくクソガキにはなぁ、昔から大人による鉄拳制裁って相場が決まってんだよボケがっ!! ま、俺の場合は死ぬまで痛ぶって苦しめて、この世に生きて産まれたことを後悔させてから殺すけどな!」
吼えながら結界を形成する。
この結界にて確かに霊能力を使えるが、矢張りどこかいつもと勝手が違う。
左手で箸を持ってる様な感覚だ。
故に自身と攻撃の軌跡を結界で塗り潰す。
少女は明らかに極大の呪い? を解き放とうとしている。
濃く重い力が収束してるのが見て感じ取れるからだ。
なんか霊力っぽくないが、今は細かいことは後回し。
どうやらアレは己だけではなく周りからも吸収してるようだ。
少女自体は無理だが、周りの遮断はお手のものさ。
途端に収束率が落ちて不安定になった。
あの表情からして外部の供給で成立していたんだろう。
巨大な手も消失していた。
これなら霊力で強化した肉体だけで足りる。
いや、肉の感触を楽しめるから好都合か。
「え? え、え、え? 何で、僕の魔法理論は完璧な筈なのに……僕の──リルの理論は完璧って、お兄ちゃんも褒めてくれたのに」
「はっはっはっ! んなの知るかよゴミ屑が! いいか、弱きは死に、強者が生きる。これが、絶対の理だ。ま、あの世で好きなだけお兄ちゃんとやらに褒めて貰えよ!」
項垂れる少女の表情は絶望に染まっていた。
歓喜に震える。
絶望に打ちのめされた魂とは、実に壊し甲斐があるものだ。
ああ、楽しいなぁ。
初代が力を求めた理由もよく分かる。
これ程の暇潰しは、他にはあるまい。
踏み込んだ足から力を右腕に溜め、少女の腹目掛けて拳を振るった。
直ぐには殺さない。
ありったけの情報と絶望を引き出してから喰い殺してや──
「──おろ? 砂塵が舞ってるな。俺が地面を砕き割ったからか……どゆこと?」
高速で瞬きを繰り返すが、辺りの景色は一向に変わらない。
否、在るべき姿に戻ったと言うべきか。
そこは元いた別荘地の頂上
階段の手前で拳を振るい、階段ごと辺りの地面を割ってしまった。
お陰様で視界は砂塵で何も見えない。
ついでにバランスを崩して転んでいた。
それが今の現状である。
「……そうか、夢か! ──んなわけあるか! この傷は紛れもなく本物だ。あの瞬間までは、異空間にいた筈……逃げられたか。そうか、あそこまでいったのになぁ」
一応辺りに探索を掛けてみたが、少女の痕跡は何も発見出来ない。
両腕のない女はどこにもいなかった。
まるで白昼夢を見ていた気分
見たことないけどね。
肉体が再生した以上、あの景色と少女の証明は、この血と肉に塗れたボロ雑巾の如き服しかない。
実に萎えるな。
久々に楽しかったのに。
新しい発見に未知との遭遇
退屈を潰せるおもちゃが出たと思った矢先がこれか。
「はぁ、つまんねぇ。マジでつまんねぇな。やっと熱を帯びたってのに……あのまま死んだ方が案外楽しかったかもな。ん? そういや、帰りの服装どうすっかな。スマホは壊れたし、コテージの中に電話でもあると助かるんだがなぁ」
後ろ髪を掻きながら立ち上がり、コテージに向けて力なく歩く。
もう後ろは振り返らない。
熱は冷めた。
今日は本当に退屈で最悪な一日だったな。