婚約破棄における五つの傾向と対策
婚約とは、往々にして破棄されるものである。
巷で流行りの本でもそうだし、ひいお婆様のお友達も経験があるらしい。
だから、現在この国の第一王子様と婚約関係にある私も、きっと真面目に捨てられてしまうのでしょう。
そうなってしまうまでに、私は対策を立てなくてはならないのだ。順序立て、一つずつ。
これから起こる事への傾向を考えながら。
その一。何故婚約が破棄されるのか。
一般的には、『真実の愛に目覚めた』からだと言われている。婚約という枠組みに縛られた男性は、その枠に囚われない自由な女性に魅力を感じるのだろう。
私は王子殿下に偽りのない愛を持っているのでその感覚はわからないけれど、知識としてならばちゃんと知っている。ひいお婆様も仰っていた。
この対策は、とても難しい。
偽りなく殿下を愛している私ならばわかるが、真実の愛に勝る感情などないのだ。もしも殿下が王子の地位になくとも、私は変わらぬ愛を抱き続ける事でしょう。
それを思えば、婚約破棄くらいしてしまうのかもしれない。私が殿下のお立場であれば、その可能性は充分にある。
ただ、全く対策ができないかと言われればそうではない。
私だって真実の愛を抱いているのだから、想いの強さでは負けていないはずだ。
まず、殿下は非常にお優しい。
私が真に愛している事を知れば、少なくともそれを蔑ろにする事はないだろう。
つまりは情に訴えるという事。聞こえは悪いが、私は愛のために手段など選ばない。それほど愛している事の証左だ。
◆
「殿下、お慕いしておりますわ」
「な、何だ藪から棒に」
思い立ったが吉日とばかりに、私は対策を試していた。
「はしたないぞ、公的な場でベタベタと」
「すみません。殿下のお身体に触れていられる事があまりに嬉しくて」
「そ、そういうところだ……っ!」
嘘は言っていない。私が言う事は全てが真実。
だというのに、殿下はお気に召さなかったらしい。声を荒げて怒り、顔まで真っ赤だ。
この対策は、あまりしない方が良さそうである。
◆
その二。何故悪人であると勘違いされてしまうのか。
多くの場合、それは心ない輩の仕業である。それも、それは王子の想い人だ。王子の心を手にするだけでは飽き足らず、私を貶めようというのだ。
そもそも、私の方が正式な婚約者なのだから、陰湿な手をとる理由がない。となれば、やはり謀られるのだと考えてもいいでしょう。
これの対策は、一つ目に比べれば単純なものだ。
私は悪事を働かないのだから、相手の言い分は全て漏らす事なく偽りなのだ。どこかしらに必ず、食い違う部分が存在する。
これから国母となるこの身は、常に警護の人員がつけられている。この目は監査の役割となり、あらぬ疑いから私を守ってくれる事でしょう。
いついかなる時も、とはいかないものの、私を貶める方法は相応に限られてしまうと考えられる。
◆
「殿下、今日はどちらに?」
「ああ、公務の一環だ。陛下と共に、アグアランダ領の査察に出向いていた」
殿下は、公的な場では国王陛下の事を陛下と呼ぶ。公私を分ける事は王族として当然の礼ではあるが、殿下ほどの若さでそつなくこなすのはなかなか難しい。
その聡明さは、私が殿下に惹かれる理由のうちの一つだ。
「私は歴史の授業を終えたところですの。この後はお茶にしようかと思っているのですけれど、殿下もいかがでしょうか?」
「そうだな……昼までは稽古もない。お言葉に甘えさせてもらうとしよう」
こうして、世間話の口実を作る。歴史の授業ではずっと講師と一緒にいた事を話せば、私が誰にも嫌がらせをしていない事は明白だろう。
殿下とお話しできる上に、無実の証拠を話す事もできるので一石二鳥だ。
◆
その三。殿下が別の人間に惹かれる理由。
何故かはわからないが、どうやら地位の低い女性に惹かれる傾向があるらしい。爵位が低かったり、領地が田舎だったり、時には平民の娘といった風に。
これは、あまり気にしなくていいかもしれない。というのも、殿下のお立場は巷で流行りの恋愛小説とは違うからだ。
物語では、多くの場合『学園』と呼ばれる詳細不明の機関で長期にわたって勉学に励み、そこで出会った二人が惹かれあっていくようだ。
その『学園』は、身分の隔てなく多くの人間に学ばせており、それ故に王子が低い身分の相手と出会う余地が生まれる。
そう考えれば、王子にはその可能性が全くない。勉学も武術も剣術も、全ては城の中で行われるからだ。
平民の少女とは、恋愛関係どころか出会う事もままならないでしょう。
◆
「殿下は、平民の方とお話しした事はありまして?」
「いや、ないな」
世間話の合間に、多少の探りを入れる。
やはり、王族と話す事のできる低い身分の少女などいるわけがなかった。
「君は話した事があるのか?」
「え? いいえ、私もありませんわ。ただ……そう、聞く機会があれば素敵だと思って。民草の声に耳を傾けてこそ、立派な貴族ですから」
少し怪しまれたかもしれないが、これで言い繕えただろう。
ともかく、私と殿下の間に入る平民は現れないという事だ。
◆
その四。婚約者の後釜と迎える幸せな将来について。
俗に悪役令嬢と呼ばれる立場にある私だが、それは私が幸せにならないという事ではない。婚約破棄をされた後、すぐに別の殿方と関係を持つようになるのだ。その殿方は非常に優しく、私を溺愛するのが常となっている。
これについては、全く考えなくてもいい。私の心は、既に王子のものだからだ。
王子以外の殿方にこの身を捧げる事などあり得ない。どれほど素敵だったとしても、優しくとも、私を愛していても、私がその方を愛する事は決してない。
それは、愛する王子殿下への裏切り行為に他ならないからだ。
◆
「殿下、ご機嫌よう」
「ああ、ご機嫌よう」
ただ挨拶をして、ただ返される。それだけの時間が、言いようもなく愛おしい。やはり、私が別の殿方と共になるなどあり得ない。
たった一度の挨拶で、殿下は私にそれを教えてくれた。
「君はいつも楽しそうだな」
「お慕いしている殿方との時間が、楽しくないはずありませんもの」
「ま、またそうやってからかう!」
「まあ! 冗談だと思ってらっしゃいますの?」
他愛無い会話。他愛無い日常。
私の幸せは、確かにそこにある。
ただ、冗談だと思われているのは問題だ。もっと殿下への愛を理解していただかなくては。
◆
その五。王子個人の感情によって破棄される婚約とは。
何故かはわからないが、悪役令嬢との婚約は王子の独断によって破棄される。物語では、王子があまりにも愚かである事が原因になる場合が多いようだ。ひいお婆様も、男は皆愚かだと言っていたので、あながち間違ってはいないと思われる。
ただ、これも心配は薄いでしょう。私の王子は、とても聡明なお方だからだ。
政治的な意味を持つ王子の婚姻が、王でもない人間によって破棄される。そんな事が、許されるはずがない。それを理解できない相手であれば、私がここまで愛おしく思う事もなかったでしょう。
王子は、まさしく文武両道なお方であり、自らの立場をハッキリと理解している。妻となる私がそれを信じなくて、何故国母になどなれようか。
堂々とした立ち居振る舞いは、決して譲れない部分だ。
◆
「殿下、いらしたのですね」
「ああ、卿と約束があってな」
殿下の公務は、多忙を極める。
仕事に直接的な関係がなくとも、貴族と顔をつなぐ事は重要な役割なのだ。次代の王として、必要な地盤作りである。
その一環として、私の父に用があるらしい。私に顔を見せてくださるのは、愛の証に他ならない。
「おや、殿下。そのお手の物は」
「ああ、これは君に……」
「テンジクアオイですわね。花言葉は『尊敬、信頼』」
テンジクアオイ。
ゼラニウムとも呼ばれるこの花は、熱帯地域を中心に広く分布している。地域によっては香料や薬用など様々な活用をされている植物であり、この国はハーブとしても使用される。
花弁には赤、桃、淡赤、白など、様々な色があり、園芸用としても人気のある植物だ。
「その通りだ。そして……」
「桃色の物はそれに加えて『決心、決意』ですわね」
「え……」
赤色ならば『君がいて幸福』であり、私への贈り物かと思ったが、桃色ならば違うのでしょう。
「素敵ですわ。お父様への贈り物でしょうか?」
「……そ、そうだ。尊敬の念を込めてな!」
殿下は思慮深く、聡明で、頼り甲斐のある殿方だ。
将来後ろ盾となるお父様との繋ぎを、それだけ重要視しているのだろう。
この行為を考えれば、やはり婚約破棄のつもりはないようだ。
少なくとも、今この時点までは。
傾向の分析は完了、対策の方法は万全。
もう私に、怖い物などありはしない。
あとは、結婚の瞬間を待つのみである。それまで油断をしなければ、私は殿下と添い遂げられるのだ。
◆
「そんな事を考えていたのかい?」
「だ、だって! 不安だったんですもの!」
「そういえば、君は昔から思い込みが激しいところがあったね」
結婚五年目にして、墓場まで持っていくつもりだった秘密を話してしまった。
ついうっかり、お酒に流されて。
「久々の夫婦の晩酌で、そんなお宝話が聞けるなんて思ってもみなかったよ」
「陛下、およしになって! 私、顔から火が吹きそうですわ!」
王妃になってしばらく、取り繕う事は誰よりも得意になったつもりだった。
しかし、今日は顔が熱くて敵わない。当然、それはお酒のせいではない。
「私の心は常に君のものだったというのに」
「そういうところですわ、陛下! もう! 赤色と間違えて桃色の花を持ってきた可愛い貴方はどこへ行ってしまいましたの!」
「そ、それは関係ないだろう!」
王の夜は、そこまで長くはない。日々激務の連続であり、やはり明日も激務だからだ。
しかし、この時間は長く続けばいいと思った。
数少ない、夫婦でいられる時間である。
王と王妃が、夫婦となる時間である。