駅構内の立ち食い蕎麦屋の月見そば
駅構内にある立ち食い蕎麦屋の月見そばに関する噂話です。
私はとある駅構内にある、ありふれた立ち食い蕎麦屋で仕事をしている。
鉄の箱に詰め込まれた人間が、大量に吐き出されては吸い込まれていく様を見つめながら、腹を満たすためだけに立ち寄るヤツを相手にしている。メニューも少なく味も平凡だという話を良く耳にするが、別段問題はない。人間はいくらでも吐き出されてくるし、腹を満たすだけで良いなんていうヤツは山ほどいるのだ。
最近ある噂を耳にした。なんでも、ここで頼んだ月見そばの黄身が割れている時は、良くない事が起こる前兆だというのだ。こちらの苦労も知らないくせに、あまりそういう事を言いふらさないで欲しいものだ。客足が途絶えると、私の首が危ないのだ。今の所、人間の列が途切れる様子はないので、私の首が飛ぶ心配はない。
今日も今日とて鉄の箱には、目が虚ろな人間が大量に吸い込まれていく。行き先は地獄に違いない。せめて閻魔様に逆らうと首が飛ぶぞと伝えてやりたい。上司に目を付けられずに生きていくのが賢い選択だ。
私は吐き出されてくる人間を相手に、月見そばへとたまごを割って落としていた。
「チッ」
舌打ちが聞こえてきた。見ると、月見そばの黄身が割れている。きっとこいつには良くない事が起きるのだろう。運が悪かったとしか言えない。誰の黄身が割れるかなんて、私の与り知る所ではないのだ。
仕事を終えた私は、鋭く尖った爪を丁寧に手入れした後に、ゆっくりと湯につかった。これはとても良いものだ。最近、人間は少し増えすぎたという話を耳にする。駅のホームにごった返す群れを見ていると、その話にもうなずけるというものだ。
鉄の箱からは、大量の人間が吐き出されている。今日もまた、黄身が割れる人間が選ばれるのだろう。選ばれたヤツにとっては首が危ない話だろうが、傍から見れば、ただ運が悪いだけ――いや、ただ黄身が悪いだけの話だ。どうという事もない。
たまごの黄味が割れていない事を毎回祈らなくてはいけなくなるお話でした。