6.出会い直しました
私の感じた違和感‥‥‥。
アンの手紙のこと、ケーキ屋のご主人の話、それに、よく考えれば、レオンさんの癖もそうです。
何度考えても、その違和感の形は、ぼんやりとしています。
レオンさんが、あの人なのか‥‥‥。それとも、あの人とレオンさんは別人なのか‥‥‥。
ただ、押し花にしたあの日のパンジーを見る度、私は、パンジーの花言葉を私に伝えたようとしてくれた人を信じようと思いました。
目障りな元人質婚約者はやめようと決意したのです。
私は、パンジーの花言葉を信じて、自分から、踏み出そうと決めていました。
街の掲示板に貼られた新聞には、「『緑の乙女』は偽物か?最後の力試しが迫る」という見出しが出ています。
あの日、リリアンが公園で蒔いた花の種は、芽を出すことはありませんでした。
次は、明日、王都の目抜き通りの花壇に、薔薇を植えるそうです。
それが、最後の『緑の乙女』の力を証明する機会とされていて、なんでも、その薔薇が、1ヶ月以上咲き誇っていれば、『緑の乙女』の力があると王子が認めるとか‥‥‥。
最近では、金髪の『緑の乙女』は、王子の婚約者ではないという噂が広がっています。
なんでも、その金髪の女性は、あちらこちらで、王子以外の貴族の男性と腕を組んで出歩いているのが目撃されているとか‥‥‥。それも、毎回、違う男性だそうです。
私は、数日前、小さいですが庭のある家を借りる手続きをしました。
明日、その家に引っ越す予定です。
朝の公園の掃除を終えた私は、今日は仕事を休み、引っ越しの準備をしています。
引っ越しの準備と言っても、元々、私の荷物は少ないため、後は、鉢植えの花をまとめ、屋敷の掃除をすれば、終わりです。
アレン王子へは、今朝、屋敷を借りてくれたことへのお礼の手紙、王子が初めに渡してくれたお金をユーリに渡し、城へ届けるようにお願いしました。
ユーリとは、引っ越しが終わり次第、お別れすることになります。
何度か、ユーリにお給料を私から渡しましたが、ユーリは「アレン王子からいただいています」と、頑なに受け取りませんでした。
私は、せめて最後にお礼の気持ちを花束に込めて贈ろうと思っています。
「ユリア様、お客様がおみえです」
その日の午後、城から戻ったユーリが、部屋の掃除をしていた私を呼びに来ました。
屋敷へやって来たのは、レオンさんでした。
「レオンさん、どうしたのですか突然‥‥‥?」
「ユリアちゃん、引っ越しするの‥‥‥?なんで?」
応接室で私を立ったまま待っていたレオンさんは、なんだか茫然としている様子です。
レオンさんの手には、パンジーの花束が握られています。
レオンさんには、前に花を見に来たいと言われた際に屋敷の場所を伝えていました。でも、引っ越しのことは、伝えていません。
私が、この屋敷を出ることを伝えたのは、あの人だけです。
私は、何度も考えた違和感が、思っていた形になるのを感じました。
「ユリアちゃん、この間、公園ではシュートさんがいたから、聞けなかったんだ‥‥‥。あのさ、パンジーの花言葉‥‥‥、受け取ってもらえるかな?僕、ずっと、君が好きだった」
レオンさんは、そう言って、真っ赤な顔で、私に花束を差し出しました。
私に、また、その花言葉を伝えてくれるのですね‥‥‥。
やっぱり、この人を信じたい、と私は思いました。
私は、大きく息を吸い込んで、自分の気持ちを口にしました。
「私‥‥‥。『私を想ってください』その言葉を‥‥‥」
その時、私の言葉は、ユーリが庭で叫ぶ声で、遮られました。
「誰ですか!あなた達は!大変です!花泥棒です!」
私とレオンさんが庭に駆け付けると、2人の男性が、ロープでぐるぐると体をまかれ、座り込んでいました。
ユーリは、その傍らに立ち、男性達を睨みつけていました。
男性達の足元には、薔薇を植えた鉢が数個、転がっています。
「おい、侍女、このロープを解け、俺は、公爵だぞ」
「ちっ、この時間は、侍女1人しかいないと聞いていたのに‥‥‥。たかが、花くらいでなんだ。俺は、城の文官で、貴族だぞ」
「ユ、ユーリ‥‥‥? 一体、何があったのですか?」
私は、何があったのかが分からず、オロオロとしながら、そこへ近づきました。
「ユリア様、庭で物音がしたので、見に来ましたら、この者達が、温室から薔薇の鉢を運びだそうとしていたのです」
私は、訳が分からず、男性2人をじっと見ました。
彼らは、リリアンとカフェに来た貴族の男性でした。
「‥‥‥おい、女、お前、この前カフェで会った元侍女の女だな。アレン様の婚約者は人質と同じだとリリアン様に嘘をついて、身代わりでこの国に来て、そのまま居座っているとかいう‥‥‥。リリアン様にお前の罪を軽くするよう言ってやるから、このロープを解け」
男性の1人が、私に気付き、叫ぶようにそう言いました。
男性のその言葉が終わると、私は、私の背後から、怒りの気配を感じました。
その気配は‥‥‥、レオンさんでした。
レオンさんは、怒りの気配を纏ったまま、私を男たちの視線から隠すように前に立ち、言いました。
「おい、その口の利き方はなんだ‥‥‥。彼女は、私の婚約者だ。それに、罰を与えられるのは、お前達だろう。ベガス公爵にアジャンタ男爵」
レオンさんのその言葉で、2人の男性の目が大きく開かれました。
レオンさんの髪は、いつの間にか、金髪となっていて、大きな眼鏡も外されています。
「護衛騎士のユーリに、お前ら軟弱な貴族が、敵うはずがないだろう‥‥‥。計画も無しにここに来ただけか‥‥‥。情けない奴らだ。あんな女の取り巻きになって、身分も人生も棒に振るなんて。お前達も、女を見る目がないな。‥‥‥こいつらを、牢に連れて行け」
「はい。仰せの通りに」
「ふん。あの女に涙を流してお願いされたってところか‥‥‥。花屋に、この家で長持ちする花を育てていると聞いて、明日の為に、盗みに入ったんだろう。苗を植えた後、夜更けにこの薔薇に植え替える計画か‥‥‥。おい、あの女を念のため、見張っておけ」
「わかりました」
いつの間にか、私達の後ろには、城の騎士が数人、片膝を折り、待機していました。
そして、男性2人は、騎士達に連れて行かれてしまいました。
それは、怖いと感じる暇もないほどのあっという間のでき事で、私は、ただ、連れて行かれる男性達の後姿を見ているだけでした。
レオンさんは、その男達が去るまで、睨み続けていましたが、男たちが庭から姿を消すと、しばらく、下を向いてしまいました。
そして、決意したように顔をあげると、ゆっくり私のほうを振り返りました。
「ごめん‥‥‥。こんなことになるとは‥‥‥」
その口調は、先ほどの厳しい口調とは違い、レオンさんのものでした。
私は、その口調にほっとして、言いました。
「アレン王子‥‥‥。‥‥‥あの、私、気が付いていました」
「え‥‥‥?」
レオンさんは、驚いた様子で、私をじっと見つめていましたが、しばらくたって、やっと口を開きました。
「‥‥‥ちゃんと、説明するよ」
応接室に戻り、椅子に座ると、レオンさん‥‥‥アレン王子は、私に話しはじめました。
「少しだけ‥‥‥。僕の話を聞いて欲しい。
ある国に恋の経験が全くない男がいてね‥‥‥。異国の市場で、黒髪の女の子に恋をしたって、大騒ぎして、連れて帰ってくるいい方法を見つけたってまた、騒いで‥‥‥。挙句に、その連れて来た女の子に嫌われているかもしれないって、また大騒ぎだよ‥‥‥」
「え‥‥‥?」
「最近では、その男は、他の男がその女の子が働いているケーキ屋に来ることに嫉妬して、その店のケーキを1か月分買い占めたんだ。‥‥‥何度も、本当のことを言おうと思ってるのに、怖くて言い出すこともできない気が小さい男なんだ」
「では‥‥‥、婚約破棄は、嘘なのですか?」
「そんなの、するわけがない。君が‥‥‥好きなのに。全部、君と、出会い直すための計画だよ‥‥‥」
アレン王子の顔は、真っ赤になっています。
アレン王子は、元々、王位からは遠い立場でした。そのため、王子となる前は、軍で情報収集を担当していたそうです。
そして、何度か任務でフロウ王国に入り、「レオン」という偽名を使い、カツラと眼鏡、少しのお化粧で変装をして、市場などで国の情報や『緑の乙女』に関する情報を探っていたそうです。
「軍の任務で潜入したフロウ王国の市場で、すごく綺麗な花を売っている子がいた‥‥‥。興味本位で話してみたら、照れながらも、花の話になると、生き生きとした笑顔を見せてくれて‥‥‥。国に帰っても、その子の笑顔が頭から離れなくて‥‥‥、その子に恋をしていたんだ‥‥‥。」
アレン王子は、耳まで真っ赤にして、私に話を続けます。
「戦争が終わった時、王子という立場になった僕は、君を婚約者にするいい方法を思いついた。‥‥‥人質という立場で王妃とするなら、この国の貴族達も納得すると思ったし‥‥‥。それで、僕は、戦利品に君の名前を書いたんだ」
「で、でも‥‥‥、私の名ではなく、『イグニス公爵家の娘』と書いてありましたよね?」
「それは‥‥‥、最後に市場に行った時、市場にいた君の友達‥‥‥アンに、君を好きだと‥‥‥相談したんだ‥‥‥。そしたら、君は、本当はイグニス公爵家の娘で、とても辛い暮らしをしているから、連れて逃げてくれないかって、言っていた‥‥‥。そして、戦争が終わってから、イグニス公爵に、娘はいるかと打診したら、1人いると言ったから‥‥‥」
アンが、私のことをそんな風に言っていたなんて、知りませんでした。
それにしても、お父様は、やはり、私を娘だとは思っていなかったのですね‥‥‥。
「でも、君はこの国に来てから、僕に笑いかけてくれないし‥‥‥。僕も、いざ王子として、君と2人きりになると、何を話したらいいかわからなくて‥‥‥。ある時、思い出したんだ。君は、レオンの前では、笑っていたって‥‥‥。それで、レオンとして、君と出会い直そうと思ったんだ。」
「出会い直す‥‥‥ですか?」
「そうだよ‥‥‥。考えて、考えて‥‥‥。きっと、戦利品なんて言ってこの国に連れてきたから、アレンのままじゃ‥‥‥王子のままじゃ、君は僕に笑いかけてくれないと思った‥‥‥。だから、出会い直して、君に僕を好きになってもらおうと思ったんだ」
アレン王子は、レオンとして、ユーリに手伝ってもらい、貴族の屋敷に出入りする商人として、私と再会する計画を立てていたそうです。
ユーリは、侍女ではなく、王子の護衛騎士だったのです‥‥‥。
アレン王子にとって、私が仕事をはじめたり、刺繍した小物や花を売り出すのは想定外で、大慌てでいろいろ用意をしたそうです。
私が、ケーキ屋で働きだしてからしばらくは、私を長時間働かせる訳にはいかないと思い、城の使用人に声をかけて、お金を渡し、ケーキを買いに行かせていたそうです。
ただ、すぐに王子が頼まなくても、ケーキが売り切れるようになったそうですが‥‥‥。
この屋敷も、私に不便な思いをさせたくないと、王子自らが指示して、掃除をしたり、物を買い揃えたりしてくれたようです。‥‥‥初めてこの屋敷に来た時に、掃除が行き届いていて、物が揃っていたのは、そういう訳だったのです‥‥‥。
「そろそろ、君に気持ちを伝えようと思っていた時に、あの女が、いきなり城に来たんだ。僕がフロウ王国へ行っている間に、取り巻きを増やして、自分が『緑の乙女』だ、僕の婚約者になる権利があるなんて言い張ったこともあって、することが増えて、計画が狂ったんだ‥‥‥。」
アレン王子は、悔しそうにそう呟きました。
出会い直す‥‥‥。私が好きになったレオンさんは、やっぱりアレン王子で、アレン王子は、私を好きだと‥‥‥。婚約破棄も嘘‥‥‥。
私は、そう思うと、自分の頬が、熱くなるのを感じました。
「本当にごめん。君がこの屋敷を出て行くっていう手紙を受け取って、慌てて来たんだ。もっと早く、本当のことを言うべきだった‥‥‥」
少し慌てて、そう言うアレン王子の声も口調も、レオンさんと全く同じでした。
お城にいた頃、アレン王子をしっかり見ていれば、アレン王子のことが、好きになっていたのかもしれません。
今思えば、お茶の時間も王子からの提案でした。
どれだけ彼が、私に優しくしてくれても、王子様というだけで緊張して、婚約者という立場に甘えて、人質だと怯えて‥‥‥、本当のアレン王子を見ていませんでした。それに、本当の自分も、王子に見せることができませんでした‥‥‥。
アレン王子が、レオンさんとして私と出会い直してくれたおかげで、私、アレン王子のことを知れました‥‥‥。そして、気が付けば、恋に落ちていました‥‥‥。
「いつから、わかっていたの?‥‥‥パンジーの花の時には、もう‥‥‥?」
「はっきりと変だなと気が付いたのは、その後です‥‥‥。でも、私、どれだけ不思議に思っても、レオンさんがくれたパンジーの花言葉は本当だと思っていました」
私は、深く息を吸い、次の言葉は、気持ちを吐き出すように言いました。
「‥‥‥婚約破棄だなんて、大きな嘘をついたことには、私、少し、怒っています。結構、悩みました‥‥‥。それに‥‥‥また、戦争が始まるかもしれないとも思って、不安でした。
でも‥‥‥私が、レオンさん‥‥‥いえ、アレン王子に花を渡すなら、赤い薔薇‥‥‥」
私が言葉を全部言い終わらないうちに、アレン王子は立ち上がり、椅子に座る私の肩を後ろから抱きしめ、言いました。
「あぁ‥‥‥。夢みたいだ‥‥‥」
私は、心地良いアレン王子の腕の熱に包まれ、目を閉じました。
「あの‥‥‥。でも、リリアンのことは良いのでしょうか?‥‥‥『緑の乙女』なのですよね?」
しばらく経ち、疑問を口にした私に、アレン王子は言いました。
「あの女のことは、今は、話したくないな。もう少し、このままで‥‥‥」
そう言うと、アレン王子は、私の頬へ軽く口づけ、また、私の肩へまわす腕に力を入れました。
読んでいただき、ありがとうございました。