4.この国から出て行って欲しいそうです
「『緑の乙女』か?公園の冬桜、満開に。季節外れのレンゲも咲く」
カフェへの出勤前に掲示板に張り出された新聞の見出しを見た私は、大きく目を見開きました。
‥‥‥これって、私のこと‥‥‥?でも、わたし、『緑の乙女』の力なんて、持っていません‥‥‥。
私は、なんだか恥ずかしくなって、カフェへ向けて、走り出しました。
でも、それは、確かに、私がしたことでした。
私が、ここ数日の間で始めたことがあります。
それは、この街の東側にある公園の掃除と花壇の管理です。
『花の公園』という名のその公園は、長年、王都に住む有志の方々が、清掃や公園内の花壇と植物の手入れなど、公園の管理をしてきました。
ロザリア様を失い、花々を愛でる心も薄れていましたが、数カ月前に、有志の方々によって、公園管理の活動が再開されたそうです。
カフェの会計係、シュートさんもその有志の1人ということで、シュートさんに誘われ、私も、その仲間に加えていただき、ここ数日、毎朝、公園の掃除や木々の管理、花壇の手入れに参加しています。
公園で掃除をしていると、散歩をしている街の人に挨拶をしてもらったり、お礼を言われることもあります。
時には、花壇の花をスケッチしている方もみえ、私の育てた花が、皆さんを楽しませていると思うと、とても嬉しい気持ちになります。
寒さを感じる時期ですが、私は、張り切って公園の掃除と花壇の管理に取り組んでいました。
それに、花を植え、木々を育てるのは、この国の方々への私のお詫びでもあります。
この国の為に尽くす立場の人質婚約者としてこの国へ来たのに、何もしないまま、婚約破棄となってしまいましたから‥‥‥。
私は、公園の西側の花壇の手入れを任されていて、昨日の朝は、花壇の1つにレンゲの種を蒔いたところでした。
レンゲは、秋に種を蒔き、春に花が咲きます。少し時間がかかりますが、『緑の乙女』であったロザリア様も好きな花だったので、公園に来る人は喜ぶと、花壇の手入れを手伝ってくれていたシュートさんは言ってくれました。
桜の木も、丁度、昨日の朝、様子を見に行ったばかりでした。
それは、シュートさんからのお願いでした。
「公園の東側にある冬桜がさ‥‥‥全部で5本あるんだけど、今年はどれも、まだつぼみも付けていなくて、みんなが心配をしているんだ。砂漠の呪いが王都まで広がっているって言う奴もいてさ‥‥‥。ユリアちゃんが見て、虫が付いているとか、木の病気だとか、わかれば、アドバイスくれないかな?」
シュートさんは、困り果てた顔で、私に言いました。
なんでも、その桜は、ロザリア様が『緑の乙女』の力を示されるきっかけとなった木で、この街の皆さんの心の支えのような存在だそうです。
ロザリア様が、つぼみをつけず、枯れかけていた桜の木に祈りを捧げると、翌日、すべての木に花が咲いていたそうです。
「わかりました。後で行ってみます」
そう答えた私に、シュートさんは、「ユリアちゃんは、植物を育てるのが得意だから助かるよ」と言ってくれたのですが‥‥‥。
私は、花や植物を育てるのは好きですが、何も特別なことはしていないのです。
どちらかと言うと、勝手に育ってくれるといいますか‥‥‥。
元々、私が育てた花は、長持ちすると言われていましたが、この国に来てから、花の成長するスピードも速くなっているように感じます。
1か月ほど前に、春用にチューリップの球根を植えたのですが‥‥‥。実は、昨日、花を咲かせました。通常なら、芽を出すだけでももう少し時間がかかるのですが‥‥‥。
冬桜の木の様子は‥‥‥、枯れている訳でもなく、虫がついている訳でもないのですが、つぼみも無く、寂しげに桜の木々は立っていました。
本当に砂漠の呪いが広がっているのかもしれません。
私は、どうすることもできずに、1本1本の木に触れ、ただ、「元気になりますように」と祈りました。
そして、その翌日の今日の午後、新聞にあの見出しが出ていたのです。
ただ、私がカフェへ出勤すると、カフェのお客様達は、こんな噂話をしていました。
「おい、聞いたか、アレン王子の婚約者の話。なんと、その方が、公園の桜の花を咲かせたらしいぞ。つぼみも無かったのに、婚約者様が公園に行った翌日に、桜の花が咲いたらしい」
「金髪の綺麗な娘って話だよな‥‥‥。『緑の乙女』だって、城では大騒ぎらしいぞ」
「あぁ、最近、お忍びで、城下の店によく来て、派手に買い物をしていくらしい。この前は、そこの角の服屋のワンピースを全部、買い占めたらしいぞ」
シュートさんだけが、「なぁ、レンゲは、ユリアちゃんが種を蒔いたんだよな?桜だって…‥見に行ってくれたんだろ?もしかして‥‥‥ユリアちゃんが?」と首をかしげていましたが‥‥‥。
アレン王子の婚約者‥‥‥。私のことではないですね‥‥‥。
私も、公園には行きましたが、金髪ではありませんし、ワンピースを買い占めたこともありません。それにもちろん、『緑の乙女』でもありません。
‥‥‥どうやら、アレン王子は、新しい婚約者を得たようです。
ただ、『緑の乙女』の力を持つ方が現れたということに、私はほっとしました。砂漠の呪いを封じられるのは、『緑の乙女』の力を持つ方だけなのですから‥‥‥。
テーブルの後片付けをしながら、そんなことを考えていると、ふいに呼びかけられ、振り向いた私は、絶句しました。
「お久しぶりね‥‥‥。ユリア。街の散歩をしていたら‥‥‥、貴女を見かけるなんて、驚いたわ」
そこには、貴族らしき男性数人に囲まれて、艶やかな微笑みを浮かべる私の妹、リリアンが立っていました。
「リ、リリアン様‥‥‥。ど、どうしてここに‥‥‥?」
ユリアは、私のことをイグニス公爵家にいた時のようにユリアと呼びました。
イグニス公爵家で侍女をしていた私は、他の使用人と同じように彼女のことをリリアン様と呼んでいました。
この国へ来ることになった後も、リリアンと話したことはありませんので、実際、口にしようとすると、彼女をどう呼んだらよいのか、わかりませんでした。
「一体、どういうことなのかしら?アレン様は、お姉様は、お花が好きなので、別のお屋敷で暮らしている、お勉強もあるから、忙しくてなかなか時間がとれないとおっしゃっていたけれど‥‥‥」
リリアンは、こんなカフェには似合わない煌びやかなピンク色のドレスの裾を優雅に持ち上げ、椅子に座りました。
「ねぇ、ユリア、折角の機会だから、言っておくわね。貴女、目障りなのよ‥‥‥。この国から出て行ってくれない?アレン様の婚約者は、私でいいわよね?」
「‥‥‥アレン‥‥‥様は、なんて‥‥‥?」
突然現れたリリアンに私は驚いてしまって、言葉がうまく出ません。
婚約破棄の件は、アレン王子が内密に処理をしてくれたと思っていましたが‥‥‥。
‥‥‥リリアンは、私が王子に婚約破棄を言い渡されたことを知らないのでしょうか?
「ふん、アレン様は、リリアン様がこの国にいらして直ぐにフロウ王国へと出発された。だから、リリアン様とのお話は、ご帰国後、ゆっくりとするとおっしゃっているのだ。そんなことも知らないのか」
「アレン様は、この国の滞在中は、リリアン様の好きなようにして良い、とおっしゃったのだ。つまり‥‥‥、リリアン様が、婚約者も同然」
リリアンの両側に立つ貴族らしい2人の男性が口々に言いました。
「それに‥‥‥私、『緑の乙女』かもしれないのよ。『緑の乙女』のほうが、貴女より、アレン様に相応しいでしょう?
‥‥‥貴女、知らないの?私が、昨日訪れた公園の桜とレンゲが咲いた話‥‥‥。
お屋敷で、私がお水を上げた薔薇も、とっても長持ちして、ユアン様も、私が『緑の乙女』かもしれないとおっしゃっていたわ」
リリアンは、そう言って、口元に笑みを浮かべました。
その微笑みは、私が初めて「お姉様」とリリアンに呼ばれたあの夜の微笑みと、同じでした。
美しいリリアンが、『緑の乙女』なら、この国の民に大歓迎されるでしょう。私は、以前、黒髪が緑の乙女に似ていると言われて喜んでいた自分が愚かに感じました。
リリアンの話によると、アレン王子は、リリアンを『緑の乙女』として、彼女を砂漠の緑化に取り組んでいる村に連れて行くと言っているらしいです。
王子と公務を行うことは、婚約者も同然です。
そういうことでしたか‥‥‥。
やはり‥‥‥、王子が欲しかった「イグニス公爵家の娘」は、リリアンだったのですね。私に婚約破棄を言い渡した後、リリアンを迎えに行ったのでしょう。
もしかしたら、初めからアレン王子は、リリアンが『緑の乙女』だと、知っていたのかもしれません。
よく考えれば、私は、婚約者としてのお披露目もまだでしたから、王子は、婚約破棄とは公にせずに、ただ、私と婚約者を入れ替えればいいと考えたのではないでしょうか?
どうりで、新聞に何も載らないはずです‥‥‥。
私は、もう、言葉が出ませんでした。
「おい、どこの誰だか知らないが、ユリアちゃんにこの国から出て行けとは、何だ!」
立ち尽くす私の後ろから、突然、声がしました。
それは、シュートさんの声でした。
「そうだ、ユリアちゃんは、一所懸命、公園の掃除も花壇の手入れもしてくれているんだ!…‥あんたが『緑の乙女』だって証拠は、まだないだろ!…‥いや、『緑の乙女』だとしても、そんなひどい言い方は、許せない!」
「こんないい子に、なんてひどいこと言うんだい!ユリアちゃん、この国にずっといてよ」
カフェで働く皆さんや、常連のお客様が口々に、私をかばう言葉を口にしています。
その温かい言葉を聞いて、私の目からは、涙がこぼれ落ちました。
「ふん…‥。平民ごときが、煩いわね‥‥‥。まぁ、いいわ。アレン様が戻られたら、はっきりさせましょう」
リリアンはそう言うと、立ち上がり、カフェから出て行きました。
「皆さん、ありがとうございました。お騒がせしてしまい、すみませんでした」
私は、目に涙を溜めたまま、カフェの中にいた皆さんに深々と頭を下げました。
皆さんは口々に「何があったか知らないけど、頑張って」「気にしないで」というような言葉を、私にかけてくれました。
別に私は、イグニス公爵家でのことは恨んでおりません。リリアンがアレン王子と結婚しても、何も思うことはないでしょう。
それに、「緑の乙女」の力があれば、砂漠の呪いの力を抑えることができます。リリアンの力で、この国も、フロウ王国も、緑の大地を取り戻せますように‥‥‥と、私は思いました。
ですが、リリアンが言うようにこの国から出て行くのは嫌です。
今では、刺繍した小物も花も注文が増えています。私は、フロウ王国にいた頃のように、いつか独立してお店を開くことを夢に見始めていました。
それに、カフェで働く仲間や常連のお客様達、優しくしてくれるケーキ屋のご主人…‥、公園で出会ったこの街の人々‥‥‥。
やっと築きつつあった、私の居場所、私の穏やかな生活です‥‥‥。
ふと、「ユリアちゃん、今日も可愛いね」と言ってくれるレオンさんの顔が浮かびました。レオンさんの口調は軽いけれど、いつも私を明るい気持ちにさせてくれる人です。
レオンさんに会いたい‥‥‥。そう思った瞬間、私は気が付きました。
自分のレオンさんに対する感情が、恋だということに‥‥‥。
「これをユリアちゃんに‥‥‥」
その日の閉店時間近く、久しぶりに姿を現したレオンさんが、私に手渡したのはパンジーの花束とアンからの手紙でした。
私に花束を渡すレオンさんは、耳まで真っ赤で、いつもの軽い感じはありませんでした。
ただでさえ、久しぶりに見たレオンさんの顔に胸がドキドキと高鳴っていましたが、花束を差し出され、私は、自分の胸の音が、レオンさんや店にいた人達に聞こえるのではないかと思いました。
「ありがとうございます。フロウ王国へ行っていらしたのですね」
自分の胸の音を遮るように、私は、慌てて言いました。
「あんまり時間が無くて、お土産を買ってこられなかったから、代わりに花を持ってきたんだ‥‥‥。花を育てている人に花を渡すのはどうかと思ったけど…‥。喜んでもらえてよかった」
「はい。嬉しいです。花束なんて、初めてで‥‥‥。あの‥‥‥、アンは、元気でしたか?」
「うん。相変わらず市場であれこれ売っていたよ。そして、君にとても会いたがっていたよ。」
レオンさんともう少しお話をしたかったのですが、別のお客様に呼ばれた私に代わって、シュートさんがレオンさんの傍で、世間話を始めました。
どうやら、シュートさんは、今日、リリアンがここに来た時のことをレオンさんに話しているようです。
すると‥‥‥、話が進むうちにレオンさんの眼鏡の奥の目が、どんどん鋭いものになっていくことに、私は気が付きました。
「そんなわけだからさ‥‥‥、レオンさん、ユリアちゃんを元気づけてあげてよ。どこかに2人で行くとかさ」
そう言って、シュートさんは、私のほうを見て、にやりとすると、片づけのために奥へ行ってしまいました。
「あの女、許さん‥‥‥。自分が『緑の乙女』じゃないことを、嫌というほど理解させてやろう。それに情報の為に機嫌をとろうと、好きにしろといったら、本当に好き勝手に買い物をしていたな‥‥‥。許せん。僕の金は、ユリアの為だけに使うものなのに‥‥‥」
他のお客様が帰り、シンとした閉店間際の店内に、レオンさんがあの癖で、テーブルをトントンと鳴らす音と、何か小声で呟く声が響いています。
「‥‥‥レオンさん?」
「あ、ごめん‥‥‥。考え事をしていてね。また来るよ。‥‥‥あ、あの‥‥‥パンジーの花言葉‥‥‥考えて欲しい‥‥‥」
頬を赤らめてそう言うと、レオンさんは、店から出て行ってしまいました。
読んでいただき、ありがとうございました。
※11月の終わり頃の設定です。レンゲの種を撒く時期には、少し遅いかもしれません・・・・。
※誤字脱字、ありがとうございました。
※(6/30)最後のレオンの台詞を一部変えました。
「機嫌をとろうと好きにしろと言ったら」⇒「情報の為に機嫌をとろうと」