3.緑の乙女に似ているらしいです
レオンさんが、私の家に来たいと言った日から、2週間ほど経ちました。あれから、レオンさんは、カフェには姿を見せていません。
私がカフェで働いている日には、毎回、顔を見せていたレオンさんが姿を見せないことに私は、寂しさを感じていました。
確か、レオンさんは、独身で1人で暮らしていると言っていましたから、病気にでもかかっていないかと、私は心配でたまりませんでした。
そして‥‥‥、アレン王子からの連絡は、相変わらずありません。
私は、もう、婚約破棄の処理は終わっていて、彼からの連絡も、無いのかもしれないと思い始めています。
というのも‥‥‥、ここ王都の掲示板には、週に1度、街での事件や貴族の噂などが書かれた新聞が、貼りだされます。その新聞に、いつまで経っても、「王子様、婚約破棄」というような記事が出ないのです。
きっと、アレン王子が、大事にはせずに、内密に処理をしてくれたのでは…‥と私は、思っているのですが‥‥‥。
ただ、ここ最近の新聞には、「砂漠の呪い広がる」「砂漠の砂が家を呑み込む」というような記事が載っていて、私は、心を痛めています。
このライティア王国でも、このような状況なのですから、フロウ王国は、どのような状態なのか心配です。
『緑の乙女』をこの国から奪ったのは、私の祖国です。この過ちをどう償えばよいのか‥‥‥。人質婚約者である私は、本来、この国の為に尽くす立場であったはずなのですが‥‥‥。
自分が、人質婚約者でなく、『緑の乙女』であれば、この国もフロウ王国も砂漠の呪いから、守れるのに‥‥‥と考えていると、よく知った声が、私を呼びました。
「ユリアちゃん、元気だった?」
久しぶりに店に姿を見せたレオンさんは、いつも通りの笑顔でした。
私はほっとして、レオンさんに微笑み返しました。
レオンさんにお茶を運び、私は、レオンさんに話しかけました。
丁度、1週間前にすごい出来事があったのです。
その出来事をレオンさんに話したかったというのも、レオンさんを待っていた理由の1つでした。
「レオンさん、聞いてください。私、『緑の乙女』にそっくりだと言われたのです」
私は、レオンさんに話を始めました。
ケーキ屋とこのカフェで働き始めて、もう1か月ほどです。
気が付けば、街に知り合いが増えていました。
道を歩けば、2つの仕事先の常連の方々や、刺繍した物と花を置かせていただいている店の店員さんから声をかけられる回数が多くなっています。
そうした中で、ケーキ屋のご主人が、ある日、こう言ったのです。
「ユリアちゃんて、『緑の乙女』に似ているよね。店のお客さんも、そう言ってるよ」
「え‥‥‥。どこがですか?私なんて、地味で、美人でもないのに‥‥‥。『緑の乙女』の肖像画を拝見したことがありますが、黒髪以外、全く似てないですよ」
肖像画で見た『緑の乙女』は、とても美しい人でした。長い黒い髪に黒い瞳、落ち着いた微笑みを浮かべる優しそうな口元‥‥‥、華やかなリリアンとはタイプは違いますが、ずっと見つめていたいような気持ちにさせる方でした。
「黒髪で黒い瞳って、この国では、珍しいんだよ?ユリアちゃん、知らなかった?それに‥‥‥、ユリアちゃん、鏡を見たことある?最近、男の客が増えているだろ。ほとんど、ユリアちゃん目当ての男だよ‥‥‥」
そういえば、ここ最近、ケーキを買う際にもじもじと私に何か言いたそうな男性のお客様が何人かいらっしゃいました。
カフェでも、男性1人でみえるお客様が増えた気がします。
仕事後、鏡を久しぶりにまじまじと見た私は、驚きました。
鏡に映っていたのは、フロウ王国にいた頃とは、別人のように健康的な自分の姿でした。
思えば、侍女の仕事に加えて花の栽培と刺繍に没頭していましたから、昼食や夕食を抜くことも多く、私はガリガリに痩せていました。
今では、店のケーキやカフェの食べ物を毎日のように試食していますし、帰れば、ユーリがご飯を作ってくれているので、必ず、3食食べています。
念のため、カフェの仕事仲間や常連のお客様にも聞いてみましたが、皆、口を揃えて、私は『緑の乙女』に似ている、と言いました。
美しいリリアンを待っていたアレン王子に婚約破棄された私が、『緑の乙女』に似ていると言われるのも複雑な気分でしたが‥‥‥。
1週間前、そんなことを考えながら、カフェで接客をしていた私は、その日、カフェへ来たお客様に驚きました。
この店には、似合わない豪奢なジャケットと美しいドレスを纏った貴族と思われる老夫婦が、テーブルに座り、私を呼んだのです。
「は、はい。ご注文は、どういたしましょう?」
私は、緊張しながら、注文を尋ねました。
しかし、返答は無く、テーブルを見ると、老夫婦は目に涙を浮かべていました。
その老夫婦は、エバン公爵とそのご夫人だと名乗られました。
よく見ると、店内のお客様も店員達も、立ち上がり、頭を下げています。
後で聞いた話では、この国では、エバン公爵は軍の長官として、また、ご夫妻共に『緑の乙女・ロザリア様』のご両親として、国民に顔を知られ、尊敬されている存在だそうです。店にいた方々は、そんなお2人に敬意を示すために、頭を下げていたのでした。
それを知らなかった私は、動揺し、同じようにしなくてはと思いましたが、私が頭を下げる前に、エバン公爵が、口を開きました。
「‥‥‥本当に、ロザリアによく似ている。‥‥‥少し、座って話ができないかな?」
なんでも、エバン公爵夫妻は、使用人の噂で、ロザリア様に似た女性がカフェで働いていると聞き、私に会いに来てくださったとのことでした。
その言葉で、私は、お2人と同じテーブルに座り、お茶を飲むことになりました。
公爵夫妻は、店内にいた方々に、いつも通り楽に過ごして欲しいとおっしゃいましたので、店内は、すぐに賑やかないつもの様子に戻りました。
エバン公爵夫妻と私は、30分ほど、いろいろなお話をしました。
何故だか、お2人と話している時間は、とても穏やかな時間に感じられました。
ただ、私が、隣国から来た貴族の娘で、アレン王子に婚約破棄されたなんてことは言えませんでしたので、私は、皆さんにしているように「戦争が終わったので、隣国から親戚を頼って仕事を探しに来た」と説明をしました。
エバン公爵夫妻は、私の子供の頃のことや趣味をお尋ねになり、最後に私の好きな花をお尋ねになられ、「レンゲです。」と私が答えると、公爵夫人の目には、また涙が浮かんでいました。
『緑の乙女』と呼ばれたロザリア様も、薔薇のように華やかな花より、素朴な美しさを持つレンゲがお好きだったそうです。
そして、今度は私を公爵夫妻のお屋敷へ招待したいと、お2人は言い、馬車へ乗り込み帰って行かれました。
「私、まるで、親戚‥‥いいえ、お爺様とお婆様のように感じました。‥‥‥身分は違いますけれど‥‥‥。エバン公爵様は、私と同じ黒髪に黒い瞳で、なんだか、本当に自分に似ているような気がしました‥‥‥」
フロウ王国では、リリーとアンが私を支えてくれていました。
ですが、肉親というものが本当はどういうものか、私にはわかりません。当然のことですが、リリーも自分の実家に行く時は、娘であるアンだけを連れて帰っていました。
私は、自分と容姿が似ているエバン公爵のお姿、そして、私を見て涙するエバン公爵夫人のお姿に、自分が知らない肉親の温かさというものを初めて想像しました。
もちろん、これ以上、親しくなることは無いのはわかっていますが、それでも、私にとっては、嬉しい経験でした。
私は、きっとレオンさんなら、私の事情は知らなくても、「よかったね」と笑顔で話を聞いてくれるものだと思っていました。
ですが‥‥‥、レオン様は、むっとしたお顔をされています。
そして、テーブルの上に乗せた右手の人差し指の爪先をテーブルの上にトントンと打ち付けました。
それは、アレン王子が不機嫌な時にされる癖と全く同じでした。
「レオンさん‥‥‥、私の話、退屈だったでしょうか?」
私は、恐る恐る尋ねました。
「え‥‥‥、違うよ、エバン公爵も公爵夫人も、とても優しい方だし、僕もユリアちゃんが、ロザリア様に似ていると思っていたから、お会いできてよかったと思っているよ。
でも‥‥‥、ユリアちゃん目当てにケーキ屋とこの店の客が増えているのは‥‥‥、許せないな」
「レオンさん‥‥‥?」
「あー、何でもない。ユリアちゃん、変なこと言って、ごめん」
そう言うと、レオンさんは、会計に行き支払いを済ませると、店から逃げるように出て行ってしまいました。
翌日、ケーキ屋に出勤した私は、驚きの声をあげました。
「え‥‥‥、1ヶ月間の予約‥‥‥!」
「そうなんだよ。今日の朝早く、1人の男がやって来て、この店で1日に作っていた分のケーキと焼き菓子を全部、1カ月間買い取ると言われたんだ。‥‥‥なんと、料金も、全額前払い!だから、ユリアちゃんは、当面、箱詰めと、馬車へのケーキの積み込みをお願いするよ」
「一体、どんな方ですか、ケーキを1か月間、買い占めるなんて? それに、そんな大量のケーキをどこに届けるのですか?」
そんな人がいることに私は、驚きました。
小さなお店ではありますが、私の給料では、とてもそんなことはできません。
「ええっと‥‥‥。届け先は、今日は西の孤児院だってさ。明日は、東の孤児院だったかな。毎日、孤児院や病院に届けるんだってよ。
ケーキを頼みにきた男は、茶色の髪で‥‥‥大きい眼鏡をかけている男だよ。多分‥‥‥20代前半かな。名前は名乗らない、金は全額払うって‥‥‥、きっと、どっかのボンボンの慈善事業だな」
私は、その男性の容姿を知っているような気がします。
‥‥‥レオンさん?‥‥‥ですが、レオンさんは、そんなにお金持ちには見えません。
「あ、そうそう、その男、よっぽど急いで来たのか、汗を流していてさ。ユリアちゃんの刺繍したハンカチで、汗を拭いていたよ。俺にも前にくれただろ‥‥‥、ユリアちゃんの刺繍は、色合いが綺麗だから、すぐにわかったよ。確か‥‥‥、馬の刺繍に、赤いAっていう文字が見えた気が‥‥‥」
店長の言葉を聞いて、私は、驚きました。
そのハンカチは、私が、アレン王子に初めてお会いした時に、ささやかなお土産として渡したものと同じ絵柄でした。
でも‥‥‥、男性用の刺繍で馬をモチーフにすることはよくあることです。Aが付く名前もたくさんあります。
そんな訳はないと、私は自分の心に浮かんだ疑問をすぐに打ち消しました。
読んでいただき、ありがとうございました。