1.婚約破棄されました
あぁ、アレン王子は、今日は、ご機嫌が悪いようです。
この国へ来て1か月。私は、アレン王子がご機嫌の悪い時にする癖を覚えました。
この国に私が来たばかりの頃、王子と昼食をご一緒した際に「至急の要件」と言って、宰相様が来られ、昼食が中断されました。その時、私はその癖を目にしました。
また、先週のお茶の時間に、私の苦手なミントティーが誤って用意されていた時も、次のお茶が用意されるまで、その癖をずっとされていました。
テーブルの上に置いた右手人差し指の爪先をトントンとリズムをとるようにテーブルに打ち付ける、それが、アレン王子のご機嫌が悪い時の癖です。
先ほどから、アレン王子は、黙ったままで、静かな部屋の中にそのトントンという音が響いています。
今日は、どうして、ご機嫌が悪いのでしょうか?
‥‥‥その原因は、どうやら、私のようでした。
「ユリア、私は、貴方との結婚を望みません。よって、あなたとの婚約を破棄させていただきます」
アレン王子は、指先の動きを止め、私を見つめながら、おっしゃいました。
アレン王子は、ここライティア王国の第1王子で、私の婚約者です。私より4つ上とお聞きしましたので、今年で22歳となられるはずです。
1か月前、輝くような金の髪に青い目の美しい王子に初めてお会いした時、女性向けの恋の物語に出てくる貴公子とは、この方なのだと私は思いました。
もっとも、それ以来、王子が近くにいるだけで私はドキドキしてしまい、まともにお顔を見ることはできておりませんが‥‥‥。
「‥‥‥え?婚約破棄‥‥‥。どうしてでしょうか?」
突然のことで、私は何を言ったらよいかわかりませんでした。ただ、婚約破棄という言葉の恐ろしさから、震えはじめた手をぎゅっとテーブルの下で握りました。
今日は、週に1度、アレン王子と婚約者である私が一緒にお茶の時間を過ごす日で、私は、朝からそわそわとしておりました。
今日で3度目のお茶の時間ですが、未だに緊張するばかりの私は、今日も、自分から王子にお話することができませんでした。
そして、王子も、私を時折じっと見つめるだけで、挨拶と今日の私のドレスに関する社交辞令以外は、先ほどまで、何もおっしゃることはありませんでした。
やっと、王子から出たお言葉が、婚約破棄とは‥‥‥。どういう事なのでしょう?
「フロウ王国での貴方の立場は、よく理解しています。婚約破棄後も、この国にとどまっていただいてかまいません。どうぞ、お好きにお過ごしください。小さいですが、屋敷も用意しました。‥‥‥では、詳しいことは、貴女付きの侍女、ユーリに伝えてありますので」
私の質問には答えず、アレン王子はそう言い終えると、立ち上がりました。
「婚約破棄‥‥‥。私、人質のはずなのに、いいのでしょうか?‥‥‥国は大丈夫でしょうか?」
私は、突然のことに自分がどういう感情を持っていいかわからず、茫然としたまま呟きました。
私の名は、ユリア・イグニス。フロウ王国のイグニス公爵家の長女です。
1か月前より、フロウ王国の隣国であるライティア王国の第1王子アレン様との結婚の為に、ライティア王国に滞在しています。
今は、婚約者という立場ですが、ライティア王国の国政、作法やしきたりなどを学び、1年後にアレン王子と結婚をすることになっています。
アレン王子と全く面識のなかった隣国の公爵家の娘という立場の私が、何故、王子の婚約者となったのか‥‥‥、それは、私の祖国、フロウ王国が人質として、私をライティア王国へ差し出したからです。
3カ月前、フロウ王国は、ライティア王国との18年に渡る戦争に降伏しました。
それは、植物を育てる魔力を持つ『緑の乙女』を巡る戦争でした。
2つの国は、ビガー砂漠と呼ばれる砂漠に囲まれた国で、元々は同じ国だったとされており、言葉や伝説が共通しています。
伝説では、大昔、ある大国を滅ぼす為、悪魔の呪いの魔力で作られた砂漠がビガー砂漠だとされています。 大国が砂漠となった後、『緑の乙女』が現れ、砂漠となった大地に祈りを捧げると、呪いの力が弱まりました。そして、砂漠の中に2つの緑の大地が現れ、2つの国が生まれたとされています。
『緑の乙女』には、植物を育てる不思議な力があり、彼女が祈りを捧げて植物の種を撒けば、砂漠であっても、たちまち芽を出し、砂を潤いのある大地に変えるのだそうです。
ただ、『緑の乙女』の力が薄れたのか、ビガー砂漠は、年々、2つの国を呑み込むように広がりつつあり、人々は、新たな『緑の乙女』の出現を待ち望んでいました。
彼女の出現は、2つの国の人々の希望となっていました。
18年前、その『緑の乙女』の魔力を持つ女性が、ライティア王国に現れたとの噂がフロウ王国へも伝わりました。
彼女は、ライティア王国の貴族の娘で、ロザリアという名だったそうです。ある時、枯れた桜の木に祈りを捧げ、満開の花を咲かせたことで、『緑の乙女』の力に目覚めたと言われています。その後、彼女は、砂漠に近い村々を巡り、種を撒いていました。
フロウ王国の王は、国の為に彼女を欲しがり、その命を受けた騎士達が、国境近くの村で種を撒いていた彼女を連れ去りました。
彼女を守っていた兵士の1人が、息も絶え絶えにその話をライティア王国の王へ伝え、彼女を奪い返すための兵士がすぐにフロウ王国へと出発しました。
しかし、彼女は病弱だったこともあり、囚われの身となってすぐに亡くなってしまったそうです。
フロウ王国の王は、彼女の死を詫びる親書をライティア王国へ届けさせましたが、それが、ライティア軍の攻撃を一層激しくさせました。何故なら、『緑の乙女』は、ライティア国の王の恋人だったからです。
戦争は、復讐の為の戦争と変わり、18年に渡る戦争は、両国を疲弊させました。
しかし、ライティア王国の攻撃は止むことは無く、国境付近では、常に緊迫した状態が続いていました。
そして、ついに3カ月前、フロウ王国の国王は、ライティア王国に降伏を申し出たのです。
ライティア王国の内陸部には、まだ緑の大地が広がっていましたが、フロウ王国は、『緑の乙女』を攫った罰なのか、それとも呪いが強まったのか、村々が砂漠に呑み込まれてしまうことが増え、また、農民達が戦争に駆り出された結果、残った大地でも荒れた農地が広がるばかりとなっていました。このままでは国が亡ぶと考えたフロウ王国の貴族達は、戦争に降伏すべきだという声を強め、王は、その声にやっと従ったのでした。
両国間の講和条約は、すぐに結ばれました。
なんでも、丁度、ライティア王国でも、『緑の乙女』のことをずっと想っていた王が亡くなり、新たな王が即位し、復讐の為の戦争を止めようという声が高まっていたそうです。
その条約では、ライティア王国がフロウ王国を支配しない代わりに、フロウ王国の現王の退位と降伏の後押しをした王の弟の即位が講和の条件とされました。
そして、戦利品として、フロウ王国の領土の一部をライティア王国の領土とすること、そして、ライティア王国の第1王子の婚約者として、イグニス公爵家の娘を差し出すことが記載されていました。
「嫌よ。お父様、私は、ユアン様より、求婚を受けているのです。隣国へ嫁ぐなんて、絶対に嫌です。私、彼を愛しております。それに‥‥‥、第1王子の婚約者とは表向きだけで、ライティア王国での実際の立場は、人質だと聞きましたわ。‥‥‥お父様は、そんなところへ、私を行かせるのですか?」
お父様より、講和条約の内容を説明された妹のリリアンは、ハラハラと涙を落としながらそう言いました。
その夜、お父様は、リリアンに隣国へ行って欲しいと、悲しい顔で伝えました。
お義母様は、その言葉を聞いた途端、倒れてしまい、侍女達が慌てて寝室へと運びました。
私が、その日の午後に訪れた市場では、人々が噂をしていました。
「イグニス公爵は、戦争に参加した際、よっぽどライティア王国の恨みをかうようなことをしたに違いない、だから、娘を第1王子の婚約者という逃げられない立場に置き、実際は、人質として、蔑むのだ」
「戦争の戦利品だろう。当然、国1番の美しい娘を要求するだろ。どうせ、人質として、手元に留めるなら、美しい娘がいいに違いない」
「いやいや、あの国は、我が国の戦力を恐れているのだ。だから、人質が欲しいのだよ」
確かにリリアンは、戦争の戦利品として、相応しい少女です。彼女の容姿はとても美しく、幼い頃より、この国で1番の美少女と噂されていました。その美しさで、即位したばかりの新国王の第1王子、ユアン様の婚約者の座を射止めたほどです。
ユアン様には、別に婚約者がいらしたのですが、夜会で初めて会ったリリアンの美しさに心を奪われ、その日のうちに、結婚の申し込みを受けたとリリアンは、自慢げに侍女達に話していました。
リリアンは、私の妹ですが、血は繋がっていません。
だから、黒髪で黒い瞳の地味な顔の私とは、顔つきがまったく違います。リリアンは、ふわふわとした金髪と大きな青い目を持つ美しい容姿で、どこにいても人々の目を惹きつけます。
私のお母様は、お父様と結婚はしましたが、結婚した時には、私をお腹に宿していたそうです。そして、病気がちだったお母様は、私を産んで数か月後に亡くなったそうです。
ある使用人から聞いた噂では、お母様は王族の1人でしたが、望まれない子を宿してしまったそうです。その為、王自らが、王の警護を担当する騎士で男爵家の次男だったお父様に、公爵の爵位と引き換えにお母様と結婚して欲しいと、お願いをしたそうです。
私は、お母様に関する話はこの噂しか知らず、お母様のお墓だという場所には墓碑も無く、私は、お母様の名前も知ることはできませんでした。
「しかし‥‥‥。ライティア王国よりは、我がイグニス公爵家の娘とのご指名なのだ。私とて、お前には近くにいて欲しいが、王命とあれば、致し方ない‥‥‥」
お父様が頭を抱えて、リリアンへそう言った時、リリアンは、私が部屋の隅に控えていることに気が付いたようです。
「お父様、お忘れですか。我が家には、もう1人、娘がいるではありませんか。ねぇ、ユリアお姉様」
先ほどまで涙を流していたリリアンは、別人のような冷たい微笑みを浮かべ、部屋の隅で、お茶を用意する為に立っていた私を見ました。
その横では、真っ青な顔をしたお父様が、私を見ていました。
お父様が、こんな顔をするなんて、私もこの家の娘として、認められていたのかしらと思いながらも、私は、初めて呼ばれた「お姉様」という言葉に戸惑い、返事をすることができませんでした。
実は、私は自分が10歳になるまで、自分がイグニス公爵家の娘だということは知らずに過ごしていました。
お母様が亡くなり、喪が明けた頃、お父様は後妻として、以前から愛人だった女性を迎えました。女性には、私より1歳下の娘がおり、それが、リリアンでした。
なんでも、お父様は、お母様との結婚前からその女性と交際を続けていたと使用人から聞きました。
生まれた頃より私は、住み込みの侍女頭、リリーの娘アンと一緒に育てられており、物心付いた頃には、使用人達と食事を食べ、部屋も使用人と同じ部屋でした。
リリーだけが、私のことを「お嬢様」と呼ぶことを不思議に思っていましたが、10歳の頃、様々な噂の意味が理解できるようになり、使用人の子供の中で私だけが、貴族の通う学校に通うようになると、はっきりと、わかりました。‥‥‥自分は、イグニス公爵家の娘なのだと。
どうやら、イグニス公爵家に娘が2人いることが、貴族社会には知られていた為、お父様は、体裁上、私を学校には通わせたようです。
ただ、その頃から、お義母様に命じられ、私は、侍女見習いとしての仕事を始めていましたから、学園と屋敷を往復する毎日で、友人ができないままに卒業しました。もっとも、ドレスも持たず、お茶会も開けないような私には、友人ができるわけもありませんでしたが‥‥‥。
お父様、お義母様、リリアンの3人は、私がイグニス家の娘だということは、すっかり忘れてしまったようで、お茶を出しても、食事を運んでも、私に声をかけることはありませんでした。
特にひどい言葉をかけられるわけでもなく、リリーの娘だと思って育った私は、3人に自分から話しかけることも、疎外されて悲しいと思う事もありませんでした。
私は、デビュタントに出ることも無く、婚約者もおらず、貴族の女性の道からは外れておりましたが、リリーやアンのおかげで、特に困ることもなく、過ごしておりました。
私は、15歳で学園を卒業してから、イグニス公爵家の侍女としての仕事を本格的に始め、気が付けば、侍女となって3年も経っていました。
正式に侍女になってからは、姉妹のように育ったアンと共にちょっとしたお小遣い稼ぎをしていました。
時間がある時に刺繍をしたハンカチや、庭師のレックにこっそりと場所を貸してもらい育てた花を市場に売りにいったりもしました。
私の刺繍したハンカチは、案外と高く売れました。
それに、私が育てた花は、切り花でもとても長持ちするという評判が広がり、市場で売らなくても、注文が入るようになっていました。
リリアンに「お姉様」と呼ばれたのは、刺繍か花を売る仕事で、もっとお金が稼げるようになったら、侍女を辞めて、この家を出て独立するというささやかな夢を持ち始めた矢先のことでした。
ユアン王子が、父親である王にリリアンを隣国に向かわせることを強く反対したこと、若い貴族の男性達が、リリアンを嫁がせることは国の損害だと王に連名の直訴状を送ったというようなことがあって、結局、リリアンの提案通り、私がライティア王国へ向かうことになったのです。
美しいリリアンでなくても良いか、私は不安でしたが、王様に挨拶に出向いた際に、宰相様が、「容姿が悪くとも、イグニス公爵家の娘が講和条約の戦利品なのだから、条約違反にはならないだろう。」とおっしゃっておりましたので、安心をしました。
国より渡された私の為の準備金は、リリアンが王子と出かける際のドレス代に消えてしまったようで、特に嫁ぐ準備などはしてもらえませんでした。
私は、リリアンが捨てた古いドレスの仕立て直しをしたり、当面必要だと思われるものを自分の貯金から買い足したりして、忙しい日々を過ごした後、この国へ参りました。
ライティア王国へは、侍女を1人だけ連れて行っても良いとされており、アンは私と一緒に行くと泣きながら言ってくれましたが、私は、アンに恋人がいるのを知っていました。アンには、手紙を書くと約束をし、私は1人で、迎えの馬車へ乗り込みました。
「ユリア・イグニス嬢、良く来てくれた。長旅、疲れたであろう」
そう言って、ライティア王国の王様と王妃様は、私を優しく迎えてくださりました。
酷い扱いを受けると聞いていた国の王、最近まで敵国だと教えられていた国の王の優しい言葉に、私は、ほっとして涙がでそうになりました。
前王は、『緑の乙女』を想い生涯独身のままで、病死されたそうです。
前王に兄弟がいなかったこと、戦死した王族の男性が多かったことから、王位継承から遠いと思われていた3代前の王の娘の一族から、今の王様が選ばれたそうです。
そういったこともあり、自分達は、攫われた『緑の乙女』と直接的な関わりも無く、前王のような強い恨みなどないのだから、怖がらずに過ごして欲しいと王妃様は、私に優しく声をかけてくださりました。
私を迎えてくれた王と王妃の横では、アレン王子が、驚いた顔をして、立っていました。
アレン王子の貴公子のような美しい容姿をぼんやりと見つめながら、彼は、私ではなく国1番の美少女と言われるリリアンが来ると思っていたのだわと、私は思いました。
ライティア王国での日々は、祖国で聞いていたような人質同然の立場とは全く違う、とても充実したものでした。城の1室で暮らしながら、朝から夕方までは、王妃教育でたくさんのことを学びました。
夜は自由時間でしたので、城内の図書館から本を借りては、何冊も読みました。イグニス公爵家にいる頃は、本は高級品で、自分の稼いだお金では、なかなか買えませんでしたので‥‥‥。
祖国で見ていたささやかな夢の代わりに、人質の身でも良いから、アレン王子の為によい王妃となろうと、私は、一生懸命、勉強していたつもりでした。
それなのに、婚約破棄とはいったい、どういうことなのでしょう?
講和条約を破ることになりますし、また、戦争が始まったらどうしましょう?
私は、婚約破棄を告げ、部屋を去るアレン王子の後ろ姿を、ただ茫然と見つめていました。
読んでいただき、ありがとうございました。