どん底に降り立っている
程よい揺れとエンジン音に意識が覚醒する。
…車の中?
昔、お父さんが運転する車の中で目覚めたときと同じ感覚だ。
ゆっくり目を開ける。
見知らぬ車内だ。
バックミラーには優しそうな若い男の人?の顔が見える。
起床時独特の何とも言えない唸り声を出しながら体を伸ばそうとすると腕は思い通りには動かなかった。
「…何?どうなっているの?」
体が動かせない。
「あっ、起きた?」
優しそうな声だ。
…誰?
こんな人、知り合いにいたかな…
「…あなた、誰ですか?…って、なんで簀巻きになっているんですかっ!?」
体をよく見るとバスタオルで体を巻かれガムテープでぐるぐる巻きにされていた。
思いっきり力を込めて破ろうとしても解けない。
彼は飄々と自己紹介をすると、拘束している理由を明かさずに私の名前を聞いてきた。
…たぶん私を縛ったのはこの人ね。
何をされるかわからない。
少しでも私の情報を漏らすのは危険な気がする。
黙っていると彼は少し困った顔になり、車を停めるという。
…何をするつもりだろう?
私を犯すつもりかしら。
…。
それなら誘拐する必要はないわね…
誰にもばれたくなかったから?
そもそもなんで車を使えてるの?
ここら辺は津波で流されたはず…
…。
近隣の人ではないわね。
きれいな標準語で話している。
きっと、助けてくれたのもこの人。
…。
素直に聞いてみよう。
彼の気分を損ねない質問のはず。
「…あなたが私を助けてくれたのですか?」
「瓦礫に埋もれていたところをね。怪我はなかったようだけど、どこか具合の悪いところはない?」
私の最後の記憶と一致する。
やはり助けてくれたのもこの人なのでしょう。
私はたしか瓦礫に埋もれ、気が付いた時は身動きがとれなくなってしまった。
いざ死ぬにしてもこんな死に方はまっぴらごめんで、しばらく助けを叫んだけれど、聞こえてくるのは私と同じ状況であろう人の叫び声で、喉が少し痛くなってからは徒労と諦めて寝た。
…そういえば喉が渇いて仕方がない。
具合を伺っているようだし抗議してみよう。
どうせ、あの時に死んでいた命。
ついでに拘束も解いてもらおう。
「…喉が渇いています。あと腕が痛いです」
私の主張を彼は半分のんでくれた。
でも簀巻き姿は改善しないらしい。
この口ぶりから誘拐犯は確定でしょう。
惨めなことになったわね…
…もうどうでもいいか。
「あなた…私を誘拐するつもりですか?」
「まあ、簡潔に言うとそうだね」
…誘拐犯はあっさり自供した。
あっけにとられた以上に、恐怖を感じる。
ミラー越しだけれど、彼の表情は分かる。
こんな優しそうな顔、声色でなんの悪びれもなくよく言えるものね。
この手合いは大抵、頭のねじがとんでいる。
何で沸騰するか分からない。
…きっと瓦礫の下で不細工に死ぬ以上の最低な末路になる。
「叫ばないんだね」
パニックになっている私に、彼は質問してきた。
別に観念してわけではないのに…
「喉がとても痛いの。それに車の中じゃ意味ないでしょ」
強がって咄嗟に返答する。
「聡明で助かるよ。…あっ、あそこ、停められそう」
ややけんか腰になってしまった返答に焦るけれど、彼の返答は思いのほか丸いものだった。
…聡明、ね。
変な評価をつけられてしまった。
しかし、彼が気分を害している様子はない。
しばらくは、この方向性で進むしかないわね…
その方が安全そうだわ。
車を停めると彼は約束通り水を飲ませてくれた。
正直もう限界に近かったから助かったけれど…
彼から渡されたものを口に含むのは拒否感があったけれど、得体のしれない薬の拒否をすんなり受け入れる姿勢を見て、観念した。
どうせもう限界だ。
待ち望んでいた水に、歯止めがきかなかった。
けだるさがとれていくかの様な潤いには抗えなく、500mlの水はすぐに空に。
彼は安心したような表情でペットボトルを助手席に置くと、飲み水の残量を私に告げた。
水なんてどこにでも手に入るのに…
質問すると彼は真剣な顔で答えた。
「君を一人にしては置けないでしょ」
一瞬、胸が高鳴る。
…どういう意味?
心配しているの?
誘拐犯のくせに。
少し考えて、すぐ答えが出る。
…そうか。
『私が逃げ出さないように』か。
皮肉を返すと、彼はすぐ理解したようで満面の笑みで笑った。
すごい嬉しそう。
…なんなのよ、アイツ。
車が走り出した。
…そういえばアイツも喉が渇いたとか言っていたような。
なんで飲まずに運転を再開したんだろう?
おざなりに質問をする。
「君がどれだけ飲むかわからなかったから手を付けられなかった。正解だったようだね」
…思いもしない言葉が返ってきた。
私を気遣っている口ぶり。
…でも、だから余計に気になる。
「じゃあ、もういいじゃない」
すぐに返答がきた。
「君がどれだけ渇くかわからないでしょ」
…。
だから、なんなのよ…
アイツはいったい何がしたいのだろう?
何が目的?
先ほどの休憩では何もされなかった。
信頼を得るため?
体が目当てならそんなことする必要あるのかしら。
一回限りではないってこと?
…それはありうる。
死なせないために体調は気にするでしょう。
次の休憩でわかるわね。
他には何があるかしら?
純粋に救出活動の一環?
…縛る理由がないわ。
縛られてるってことは逃げられるようなことを私を使ってしようとしているってことよね…
…多分、それは間違いない。
臓器売買や身売りって線もある。
アイツ相手に逃げ切れるかしら?
話を聞いている感じじゃあ、相当気が回るみたいだし…
…。
いずれにせよ、会話をして情報を集める必要があるみたい。
なにかの拍子で逆鱗に触れないとは限らないのだから…
会話の糸口を探している間、アイツは一向に話しかけてこなかった。
もう2時間はたったかしら?
アイツは休むことなく走り続けている。
この調子じゃあ、受け身では何も得られそうにない。
さっきから下腹部の不安もある。
…。
切り出すしかない。
「ねぇ」
「…どうしたの?」
2時間の沈黙を感じさせない、飄々とした口ぶりだった。
「これから私はどうなるの?バラバラにされてどこかに売られちゃう?」
「はは。そんなこと考えさせちゃってたかぁ。ごめんごめん、心配しないで。…心配しないでとも言えないけど」
…不穏な物言いね。
「どういう意味?」
「どこから言ったらいいか…」
アイツが「うーん」と、分かりやすく唸る。
「まあ簡単に言うと、君はこれから僕と一緒に暮らしてもらうことになる」
…。
はぁ?
アイツはなにを言っているの?
「…意味が分からないのだけれど」
「僕はずっと孤独だったんだ。誰と話してもつまらないし意見が合わない。気を許せる相手がいないんだ。友達がいないと言い換えてもいい。それで、僕は地球上に気の合うやつがいないと分かったんだ。諦めて生きていくのか?ってことになるかもしれないけど、どうしてもあきらめきれない。じゃあどうするかってなるよね?」
「ま、まあ…ね」
「それなら作ればいいかって思ったんだ。自分の意思で生きている人達を僕の独善で歪めるのは倫理的によくない。洗脳になってしまう。それに傀儡は操らなければならないし、自分の意思がない。それじゃあつまらない。だったら生まれたばかりの子を教育して自分好みに育成しようって発想になるよね?最初はそうしようと思ってたんだけど…そんなところにこの大災害だ」
…。
「そういうことね」
「分かってくれたかい?」
…はぁ。
頭がいかれてるわ。
つまり、この震災で大量の行方不明者が出る。
一人や二人、行方が分からなくなっても不自然じゃない状況。
つまり誘拐が限りなく見つからない状況に飛びついたってわけね。
「分からないわ」
「まあ、そうだろうね」
先ほどの質問をもう一度繰り返す。
「で、これから私はどうなるの?」
「僕の家で軟禁状態ってことになる。広いけどそれなりに不自由な生活だと思う。信頼が上がっていけば外出とかもいいけど…。…しばらくは無理だろうね」
「隠す努力はしないのね」
「すぐにわかることだからね。君への誠意だと思ってくれてもいい」
「…」
最っ悪、ね。
多分、こういう人をサイコキラーっていうんだろう。
初めて会ったわ。
スタンダードな犯罪者もないけれど…
確定したことが二つある。
一つは逃げきれそうにないってこと。
二つ目はどうやら命の安全は保障されてるってこと。
「監禁するって言ってたけれど、生活は大丈夫なの?」
「僕の家はお金持ちなんだ。お金で困った試しがない。それに君は華奢だ。あまり食べそうにないしね」
成金なの、ね…
…とことん運がない。
何で私の人生は不幸で溢れかえっているんだろう?
生まれた時から家庭は不和で、人間関係も上手くいかない。
私が何か人に害をなしたわけでもないのに、人は私を平気で裏切る。
地震が起きて津波が押し寄せてくると知ったとき、私の環境すべてを洗い流してくれると思って、逃げる気も失せた。
挙句の果てには生き延びて、今やサイコの車の中。
…。
でも、まぁ。
「…とりあえず死ぬ心配はないってことね」
なけなしの思いでポジティブに考えた。
そうでも思わなければやってられない。
「いや、手に負えないと感じたら殺さなければならない。…身勝手な話だけどね」
「最っ悪!」
叫ばずにはいられなかった。