インタビュア
蓮君に寄りかかっていた。
ここはタクシーの中?
あぁ。
きっと研究室で寝てしまったんだわ。
頭が痛い。
きっと、彼が送り届けてくれていたのでしょう。
…申し訳ないわ。
「椎名さん、水ですよ」
彼から水を貰う。
「…ありがとう。助かるわ」
タクシーが高校の前を通る。
私たちが通っていた高校…
彼は窓から風景を眺めている。
「…懐かしいですね」
彼は小さく呟いた。
「…そうね」
あそこにいい思い出は、ない。
彼はいつもつまらなそうにしていた。
私と一緒に居た時も。
「…あの時は、ごめんなさい」
「…いいえ。僕の方こそすみませんでした」
彼は少し考えてすぐに返答した。
私の言葉はすぐ伝わったみたい。
「私から言い出しておいて、感情的になって別れてしまった…。まだ、子供だったのね…」
「感情的にさせた原因は僕にあるのでしょう?椎名さんは悪くありませんよ。僕も子供だったんです」
その言い分に少し、心がささくれ立つ。
4年経った今でも相変わらず…
言動だけが大人を模写しているような。
「あなたは、たまに図書室に来ていた頃と変わっていないと思うけれど?」
だから私もあの頃のままあなたを…
「…そうですかね」
いつもの短くて曖昧な返事…
…。
沈黙が続く。
私は幼少期から読書が好きで、昼休みや放課後は図書室に居た。
静かな空間に身を置いて、遮られることなく物語に溶け込むこの時間が、何よりの癒しだった。
彼を見るようになったのは私が3年生の頃のだったと思う。
優しそうな顔つきなのにどこか怖い、不思議な子。
一年ほどはほぼ毎日見かけたけれど、私が4年生になるころにはあまり見なくなった。
心のどこかで、同じ読書好きの仲間のように感じていた分、寂しかったのを憶えている。
それからしばらくして、下校中、公園の壁でテニスをしている少年を見た。
…あの子だ。
寂しさはさらに深まった。
それからも時折、図書室で彼を見かけた。
毎日とは言わないけれど、週に2回は訪れていたと思う。
いつしか彼を目で追うようになっていた。
視界に映るたびに心が高鳴る。
本で読んだことしかなかったけれど…
これが恋なの?
…うん。
今度、話しかけてみよう。
その頃の私は積極的だった…
「なんの本を読んでいるの?」
彼は不思議そうに私を見る。
「あなた、よく見るわ。本、好きなの?」
「…まぁ」
「どんな本を読んでいたの?」
質問攻めにした。
「これ」
彼は開いていた本の背表紙を見せてくる。
ABC殺人事件。
また、難しいものを…
「推理小説、好きなの?」
「…特に」
「じゃあ何で?」
「英語を憶えたかったんだ」
…ふっ。
思わず笑いが零れる。
ABCで連想したのか。
「…私が教えてあげるわ」
「本当に?」
彼は嬉しそうだ。
「えぇ」
「じゃあ、これが読み終わったらお願い」
…一応、最後まで読むのね。
二日後、図書館で読書していた私に彼が話しかけてきた。
手には鉛筆とノート。
あの時の約束を憶えてくれていた。
「英語、教えてくれる?」
彼の表情に胸がときめく。
この表情は反則…
「いいわよ。隣に座って」
彼は嬉しそうにノートを広げた。
「そういえば、名前はなんていうの?」
「れん。たちばなれん」
彼は、私が書いたアルファベットを何度も書いて覚えようとしている。
大文字の下に小文字を書いて、その下に片仮名で読み方をふって…
「れん君ね。私は椎名。椎名菫って言うの」
「すみれちゃん?」
「そう菫。こう書くの」
ノートの隅に漢字を書く。
「へー」
れん君はアルファベットと同様に私の名前を書いて覚えている。
「君の漢字はどう書くの?」
「…分からない。難しいからまだひらがなでいいって先生が言ってた」
「そうなの」
「確か二文字っぽかった気がする」
「…じゃあ多分、これね」
ノートに橘蓮と書く。
「家に帰ったらお母さんに聞いてみて」
…ノートはアルファベットと二人の名前でいっぱいになった。
翌週の火曜日、またれん君に話しかけられた。
「菫ちゃんが言ってた漢字、合ってたよ。すごいね」
羨望の眼差しだ。
花の図鑑で憶えていただけなのに。
「たまたまね。花の名前だったから知ってただけよ。私の名前もそうだから」
私は図鑑を取り出し、菫のページを開いた。
「本当だ。沢山あるね」
「蓮君は花、好きなの?」
「…別に」
その割に図鑑にくぎ付けだ。
「…でも、知ってるに越したことないと思う」
…面白いことを言う子だ。
ノートを開いた蓮君は私に英語を教えて欲しいとねだった。
ノートにはブロック体、筆記体の英語が書きなぐられている。
中には単語もあり、意味もしっかりと書かれていた。
私の知らない単語…
…これはまずい。
それから私の猛勉強が始まる。
蓮君は毎週、火曜日と木曜日に図書室に来た。
彼は私が教えたことをすぐ覚え、次回にはそれから派生した分野までメモしてきた。
このプレッシャーはとても大きくて、蓮君が来ない日は必死で勉強した。
…読書の時間が減ってしまった。
けれど、不思議と嫌な気持ちはない。
「そういえば、蓮君はいくつなの?」
蓮君の難しい問いを逸らし、質問する。
「一昨日、9歳になった」
彼は考え事をしながら適当に答えた。
「そうなんだ。私の一個下だね」
私の返答に蓮君は目を丸くした。
「…4年生だったんですか?すみません、分からなくて…」
急に敬語になった。
少し、距離を感じる。
「敬語はやめてよ。今まで通りでいいから」
「で、でも」
「いいから」
「分かりま…、分かった。椎、…菫ちゃん」
礼儀正しい子だ。
私が年上だと知ると、蓮君は馴れ馴れしさが少し減った気がする。
その代わりに、私の学年の授業内容を聞くようになった。
『4年生では何を習うの?』『今日は何をやったの?』など毎日…
私も復習する時間が増え、成績は上がった。
多分、彼に教えられるように勉強していることも影響している。
彼は物事をすぐ覚え、私が5年生になるころには、お互い小学校で学ぶことは学び切っていた。
「蓮君は勉強、好き?」
曖昧な質問をする。
「…そんなに」
意外な答えだ。
「そうなの?一生懸命やっていたから好きなのだとばっかり思っていたわ」
「僕の家は勉強ができないとお父さんが怖いんだ」
…複雑な家庭環境なのだろうか?
「じゃあ、テニスが好きなの?」
この前、公園で練習していた姿を思い出す。
「全然…」
うつむいてしまった。
「じゃあ、何で?」
「やらないとお母さんが怖いんだ」
…複雑な家庭のようだ。




