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Double bind  作者: 佐々木研
危篤から死ぬまで
19/148

最低な意味を渦巻いて

 アイツには恥ずかしい思いをさせられてばかり。

 粗相もしたし、裸も見られた。

 …泣き顔も。

 見られたくないものは全て見られたといって差し支えない。

 感情的な姿も、もう隠す気が失せた。

 学校でも家庭でも、弱みは見られないよう必死だったのに…

 それなのにアイツは何も気にしていない。

 デリカシーもない。

 …でも。

 アイツは私に危害を与える様子もない。

 もう相当長い時間、一緒にいるのに…

 …ここで生きていくしかないのかしら?

 こんな不自由な生活で。

 …。

 嫌だな…

 …でも、それは家にいる時とそんなに変わらない気がする。



 両親は共に私に無関心だった。

 家の仕事は全部私に押し付けられていて、自由時間なんてほとんどなかった。

 学校では優等生を演じなければいけなかったし、親友には想い人をだまし取られた。

 学校を休みがちになってからは少し時間に余裕ができたけれど、家はとても貧乏で、何かを買う余裕なんてとても…

 楽しみも生きがいも、何もかもがない不自由な人生…

 物思いにふける時間だけが増えた。

 …。

 そういえば津波は大丈夫だったのかしら?

 …。

 別に何かがなくなっていても困らないけれど…



 そう考えると、この生活も悪い気はしないと思えてしまう。

 アイツが裕福なのは間違いなさそうだし…

 …。

 私の家は、もうない。

 不便なことも多いけれど、帰ったら帰ったで不便なことは多い。

 行く当てもないし、逃げ出せそうにもない。

 …。

 なら、しばらくはここで大人しくしていよう。

 いかに抜かりのない奴とは言え、四六時中警戒することは不可能なはず。

 なら、様子をみながら機会を伺えばいい。

 アイツがずっと優しいとは限らないし…

 …。

 逃げ出す算段くらいは立てておかないといけないわね。

 

 

 私の前には紅茶と砂糖が置かれ、アイツはコーヒーを手元に置いた。

 軽く咳払いをして私を見つめる。

 「改めて自己紹介をしよう。僕は橘蓮。二十歳で○○大学に通う二回生だ。一応、医師を目指してる。家はそれなりの小金持ちで、このマンションも年間契約で借りているんだ。後は…。…今は春休みだけど、特別講義やゼミの集まりで大学に通う日もある多忙な…、まぁ、探せばどこにでもいるような大学生だよ。…君は?」

 おおよそ想像通りの自己紹介だった。

 …でも。

 医者を目指しているのか…

 どうりで生物系の本が多いわけだわ。

 …と言うか、それしかない。

 本棚は教科書ばかり。

 しかも○○大って…

 日本の最高峰じゃない。

 ってことはここは東京?

 …遠くにまで連れてこられたものね。

 こんな奴が○○大だなんて…

 やっぱり変人が多いのかしら?


 「…私は、…××町に住んでいる…、まぁ、どこにでもいる女ね」

 ほとんど全部をはぐらかす。

 これでまかり通るかしら?

 「…そうか。…じゃあ便宜上『なぎ』って呼ぶけど…。…嫌じゃない?」

 アイツは少し悲しげな表情をした後、またあの時の呼び名を提案した。

 …。

 別に嫌と言うほどの理由はない。

 しかも、偶然だけれど、小さい頃のあだ名と同じだし…

 『ナギちゃん』と呼ばれていた小学校時代を思い出す。

 …。

 でも、コイツにそう呼ばれるのは少し抵抗があるわね…

 …まぁ、昔のこと、ね。

 「それで構わないわ」

 私の雑な返事でアイツはほっと息を漏らした。

 「…それで、これからのことだけど…」

 神妙な顔になる。

 ここからが本題。

 「なぎにはこれから、ここで生活してもらうことになる。仕事は…、そうだなぁ…、ここから逃げないこと、かなぁ。…あと勉強もかな?それ以外は自由だ。欲しいものも言ってくれ。最大限配慮するよ」

 「逃げないことっていうのは何となく分かるけれど、勉強もしないといけないの?」

 単純に疑問だわ。

 「僕が何かの理由で死んだ時、なぎは一人になるでしょ?その時に何か強みになるものを持っていた方がいい。…その後のためにね」

 …呆れた。

 そんなことも考えていたのね。

 「でも、アンタが死んだら、私もここから出られないから餓死しないかしら?」

 「これからは2週間分の食料を常に備蓄しておくつもりだ。1か月は生きることができるだろう。さすがに2週間も僕の消息が絶てば、誰かが不審に思って尋ねに来る。それで助かると思うよ」

 「誰も訪ねてこなかったら?」

 「その時は人望のない僕を恨んでくれ」

 …。

 「まぁ、最大限の配慮ね」

 「そう思ってくれると助かるよ」

 アイツは笑顔。

 「その足も明日には外せると思う。窓を開けられないようにしたらなぎは自由だ」

 「そうなの?…てっきり磔にされて監禁されるものだと思ってたのに」

 「…軟禁って言わなかった?そこまではしないよ。まぁ、明日は買い出しに行くから磔にはするんだけれど」

 …するんじゃない。

 しかも違いが判らないし…

 「なるべくはやく帰ってくるよ」

 アイツはあっけらかんとそう言う。

 「寝るときはどうなるのかしら?」

 「寝室をなぎに譲るよ。今日からは君の部屋だ。自由に使っていい。窓もないしね」

 …。

 「微妙な至れり尽くせりね」

 「はは。面白い表現だ」

 私のお小言を小さく笑う。

 「…最後に一つ聞きたいことがあるのだけれど」

 「なに?」

 アイツの表情は柔らかい。

 …。

 言ってもいいのかしら?

 …まぁ、いいでしょう。

 アイツの器量も図れることだし…

 「デリケートな部分は配慮していただけるのかしら?」

 そう告げると、アイツの表情が一気に硬くなった。

 少し俯いて、ゆっくりと顔を上げる。

 「…それは、…一緒に考えてくれ」

 情けない顔でただ短く、そう言った。



 それからの相談は淡々と進んだ。

 私の希望はおおよそ汲んでくれて、それなりの自由は許された。

 まず、トイレについて。

 明日の工事が終わり次第、普通に使えるらしい。

 それはお風呂も同様。

 今日はそうはいかないらしいけれど、数日中に環境を整えて、私をしっかり閉じ込めるんだとか…

 …一つ分かったことがある。

 アイツは自分の物差しでしか判断ができないらしい。

 裸同然だった服装は、ネットで注文したことで解決した。

 アイツの目の前で下着を買うときはそれなりに恥ずかしかったけれど、それももう気にしないことにした。

 元々私一人ではパソコンの使い方なんて分からなかったし、アイツは外部との接触を取られないようにするために独りでは触れさせてもくれなかった。

 …パソコンはネットを切断したのちに私に譲ってくれるらしい。

 『独りでは暇だろう』と言って差し出すアイツ。

 専用のパソコンを持てるなんて夢にも思わなかった。

 私服はそれなりに高いものを30着買った。

 最初は手ごろなものを選んでいたけれど『遠慮しなくてもいい』っと言ったため、中盤からはデザイン重視で注文した。

 中には一着5万円ほどもする高級品も。

 『これだけ値段の桁が違うね』と言われたけれど、『いつか外に出ることができたときのために』と返すと『それは僕も楽しみだ。似合うと思うよ』と返答された。

 …。

 コイツに皮肉は通じないらしい。



 おおよそすべての相談が終わって、『気付いた時に要相談』という形で平定した。

 アイツはもう眠いらしい。

 さっきまで散々寝ていたくせに…

 私は全然、寝れなかったのに…

 寝るときは寝室に閉じ込めることを条件に、拘束は解いてくれた。

 喉が渇いたときに用に、とペットボトルを渡される。

 気が利くんだか、利かないんだか…

 トイレを済ませたいと言うと、先ほどの手順をまた踏むことになった。

 …換気扇は回っている。

 だからってアイツの評価は変わらない。

 寝室(私室)に戻ると、私に何かが入ったビニール袋を渡された。

 『いざというときに』と膨らんだ袋を差し出す。

 …な二かしら?

 私の疑問を余所にアイツが扉を閉めて出ていく。

 それからすぐに部屋の外から大きな物音がした。

 …。

 きっと中から出られないよう仕掛けているんでしょうね。



 …大変なことになったな。

 ベッドに転がってこれからのことを考える。

 けれど、不思議と悪い気はしていない。

 あの家にいるより少しましな気がしているから…

 それでもまだ、油断はできない。

 アイツのことが分かったわけではないのだから。

 …

 「まぁ、でも」

 最悪ではないわね。

 私にとっての最悪は、身体的にも精神的にも凌辱の限りを尽くされて、生きながらにして苦痛を与え続けられること。

 それも私の想像の範疇にあることで、アイツならそれ以上の絶望も容易に与えられそうだとも思えるけれど、不思議とアイツが私にそんなことをやるとは思えない。

 …そんな直情的な感情に左右されるような人間が、こんな回りくどい方法を取るかしら?

 激情に身を任せるなら、もっと簡単でノーリスクな判断をするような気がする。

 …分からない。

 分からないことが多すぎて判断に困る。

 …。

 もう、いいわ。

 どうせ私はあの時に死んでいたのだから…

 投げやりな思考は私の悪い癖であることは理解している。

 いつからこんな正確になったのかも分かっている。

 …でも。

 それが私の処世術で、生きる術だと痛感していた。

 「…はぁ」

 アイツに渡されたビニール袋を開ける。

 中にはトイレットペーパーが一つ。

 …。

 最っ低ね…

 そういうところなのよ。

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