終盤は機械のように
『昨日はたのしかったよぉ~』
『こんなにたのしかった休日ははじめてかもっ!』
『蓮さんも思ったよりイイ人だったしっ!』
『…いいなぁ』
『なこもあんなカレシが欲しかった!』
『こんどはなこが東京に行くねっ?』
『いっしょにお買いものしよ~』
「…なぎとは正反対の子だったね」
信号待ちで手持ち無沙汰だったアイツが、私のスマートフォンの画面を覗いていた。
「勝手に見ないで」
プライバシーの侵害よ。
「顔が綻んでるよ。そんなに嬉しのかい?」
「観察するな」
…ふぅ。
口を押えて真顔に戻す。
「分かってると思うけど…」
「えぇ。…『私達のことは他言無用』でしょ?口止めはしたわ」
戸籍のない私は当然、税金なんて払っていない。
勤労、教育、納税、その全てを放棄している私は、もう国民とは言えないのでしょう。
その辺りを懇切丁寧に力説すると、撫子は渋々だけれど納得してくれた。
…。
「何でこんな分割して送ってくるのかしら?一つにまとめて送ればいいのに」
「さぁ?若い子の間で流行ってるんじゃない?」
スマートフォンがまた震える。
「どのタイミングで返信するのよ…」
撫子からの着信はそれからもしばらく続いた。
…結局、今回の旅行は散々だった。
疑心暗鬼になって東奔西走して満身創痍になって…
平静さを失って、馬鹿みたいに躍起になって、子供みたいに泣いて…
…けれど、今回は失ってばかりではなかった。
撫子には何の被害も出ていない。
関係も保たれたまま。
アイツとも…
…。
暴走した頭を振って元に戻す。
「…なにが慰安旅行よ」
「そうだね。僕も疲れたよ」
私のひとりごとに反応を示した。
両手でハンドルを握って、姿勢よく座っている。
「でもさ、そんな否定的なことばかりじゃなかったでしょ。嫌なことばかり考えていても仕方ないよ」
「…アンタは意外とポジティブよね」
「なぎは悲観的だよね」
…なによ。
別にいいじゃない。
…。
「アンタは今回の旅行で何を得たの?」
ふと、そんな疑問が口に出た。
別に知りたいことではない、ただの暇つぶし。
「得た事?…うーん」
アイツが頭を悩ませる。
「…なぎの裸?」
…。
「ここら辺にフルーツナイフはないかしら?」
「冗談だって!ごめんごめん」
助手席の前にある収納ボックスを開く。
…。
「何よこれ…」
中から出てきたのは一冊の本と薬局の買い物袋だった。
「…『チェスの極意』って書いてあるけど?」
「もうなぎに全然勝てないから有識者に頼ろうと思ってさ。旅行中は暇だったから…」
…。
こんなものを買っていたのね…
本を適当に開く。
「…当たり前のことしか書かれてないわよ?」
内容はありきたりな攻め筋や有効な捨て駒、大層な名前の付いたメジャーな戦術の紹介で、チェスをやっていれば自然と身につくことばかりだった。
「まだ最初の方しか読んでないからね…。…分からないよ?こういう初歩をおざなりにしていたから今まで負けていたのかもしれない」
「変に奇をてらうから負けるのよ。読みの深さで戦えばいいじゃない」
呆れながらもう片方の袋を開く。
「…」
中身は大量の風邪薬だった。
『抗アレルギー薬』、『麻黄湯』、『精製水』、『有機溶剤』…
「…何をしようとしていたのかしら?」
ラベルを見るかぎり、穏やかでないことは理解できる。
アイツを睨む。
「…あまり、言いたくないな…」
…ふっ。
なにそれ。
嘘がつけなくなったら黙秘ってわけ?
「怒らないから正直に言ってみなさい」
呆れながらそう言うと、アイツは横目で私を見た。
「…いざって時の保険だよ。あの時は桂がどんな存在なのか分からなかったからさ」
申し訳なさそうに口を開く。
…。
「アンタ、私がいない間に何してたの?」
旅行3日目の朝、アイツの言動にはおかしなところ確かにあった。
だから私も疑心暗鬼になってしまったのだし、しっかりと状況を理解しておかないと、また同じことの繰り返しになってしまう。
…。
アイツの顔を見る。
「あぁ、昨日の朝か…」
ハンドルから片手を離して、片肘をつく。
「…なぎが狸寝入りをしていたのは分かったよ。怪しいなぁとは思ったけどあの日はお酒も入っていて僕も眠かったんだ。一応、なるべく神経を研ぎ澄ませて寝てはみたんだけど、まぁ無理だったよね。睡魔に襲われて寝ちゃったよ。朝方に靴を履く音みたいなのは聞こえて起きたんだけど、覚醒した頃にはなぎもう居なくなってた。まぁ、適当に帰ってくるだろうと思って煙草を吸ってたら目が覚めてさ。暇だったから車まで携帯を取りに行ったんだ。そうしたら駐車場から停留所が見えてさ、なぎが居た。驚いたよね。隣に誰かいて、楽しそうに喋ってるものだから、邪魔しちゃいけないなと思って、そのまま携帯を持って部屋に戻ったんだ。後は適当に返信をしながらなぎの帰りを待ってたって感じかな?」
…。
一応、筋は通っているのかしら?
「そのまま私がバスに乗ってどこかに逃げ出すなんて考えなかったの?」
「考えなかったね。そんなことはこれまでにいつだって出来ただろうから。…それよりも危惧したのは桂の存在だ。なぎと違って彼女の事は分からないから。でも、答えはすぐに出たんだ。なぎが考え疲れて眠ってしまった後に部屋に彼女が来てね、少し話したんだよ。そこで友達だってことが分かってさ。それならなぎの支えになって貰った方が無難かなって思ったんだ。…まぁでも、僕の考え違いってこともありうるだろうから、一応念の為に毒殺用の…」
次第に歯切れが悪くなっていった。
…。
「毒殺用の?」
続きを促す。
「…毒殺用の薬の材料を買いに行ったんだ。簡便なものだけどね」
…何が『簡便なものだけど』よ。
それなら情状酌量の余地があるとでも言いたいのかしら?
…はぁ。
「アンタが敵じゃなくて心底安心したわ」
こんなやつに目をつけられたらと思うとぞっとする。
執念深くて、抜かりなく、理知的で、善悪の垣根がない。
そんな人間が平然と良識人みたいな顔して生きているんだもの。
若者じゃなくても、日本社会を憂うわ。
「…あれ?遂に僕を信用してくれたの?」
アイツは少し驚くと、作られた笑顔で私を見た。
…。
人を逆撫でする言葉しか吐けないのかしら?
「…そうね。なんて素敵なダーリンなのかしら」
面倒になって適当に返す。
コイツのペースに乗せられていたら、私の怒りは10代で涸れ果てそう。
…。
…?
車の速度が落ちて、停止した。
「…どうしたの?何か悪いものでも食べた?」
「はぁ!?」
声のトーンを下げて、真剣な顔で尋ねている。
「いや、妙に素直だからさ…。酔ってる?」
コイツっ…
『素直』?
「…」
膝のゆすりが止まらない。
…。
本っ当に、人をイラつかせる才能にも満ち満ちてるわね。
これと言って特に話すことのない車内。
いつも通りで何もないはずの時間は、なぜか妙な安心感があった。
代わり映えのないつまらない日々だけれど、変化の多くて疲れる非日常よりはずっといい。
撫子と出会えたことは嬉しかったけれど…
それが幸運だったかと問われれば、分からないわ。
幸せそうな同級生を見て、つい今の自分を考えてしまうのだから。
撫子は私と会えて嬉しそうに喜んでくれた。
けれど撫子なら、私達と出会わなくても、きっと楽しく過ごせていたのでしょう。
そう考えるとこの出会いは、みすみす命を危険にさらしただけで、撫子には何の得もなかった。
散々振り回してしまったし、気も使わせた。
…悪いことをしたわ。
私がもう少し賢かったら…
なんで私はこんなに上手く生きることができないんだろう。
…。
「…なぎ?」
アイツが前を見ながら私を呼んだ。
「まだ怒ってる?」
…。
「えぇ。怒っているわ」
デリカシーのないアイツにも、不甲斐ない自分にも。
「そうか…」
アイツは寂しそうに呟いた。
「…こういう時に言うのもおかしいのかもしれないけどさ、僕は嬉しかったよ」
何よ…
「…」
気持ち悪いわね。
「僕の足、心配してくれていたんでしょ?気使わせてしまったね。きっと僕の気付かない所でも、なぎは色々と気を揉んでいたんだと思う」
…。
「桂と楽しそうに話している時、不思議と僕も嬉しかったよ。なぎは中々笑顔を見せてくれないからさ。それを齎したのが僕じゃないとしても、良かったと素直に思えたんだ」
…。
「今まで散々困らせてしまったね。…まぁ、これからも困らせてしまうと思う。だけどさ、僕はなぎと一緒にいたいんだ。その為だったら何だってやる」
「…」
「なぎはまだ僕と共にいてくれる気はあるかい?」
…。
…。
少しだけ、疑問に思ったことがある。
なんで私は撫子の命が危ないと感じたときに、コイツを警察に突き出さなかったのだろうって。
それが一番早い解決策で、誰も不幸にならない幸せな回答だったのに。
…分かってる。
そんな簡単なことが『思いつかなかった』ってだけ…
間抜けな私は思慮が浅くて、ありきたりな答えを余所に馬鹿みたいにはしゃいでいた。
…そう。
決して、『それは上策じゃない』と思ったわけじゃない。
『不幸になる人間がいる』と庇ったわけでもない。
…そう。
そう思いたい…
…。
駄目、ね。
そんなこと、アイツなら簡単に看破してみせるわ。
だからこその、この問いかけなのでしょう。
私から言葉にさせることで、それを真実にさせたい。
そんな目論見が孕んだ、姑息な一手…
…でも。
…。
「…」
上手く切り返す一手は思いつかなかった。
どう言い繕っても、強がりな言葉になってしまいそう、
現状が真実を告げているわけなのだから、見え透いた嘘になってしまうような気がする。
でも、何も言わないことも、それはそれで…
…。
「…だったらどうする?」
言葉を振り絞った。
顔を合わせずに車外を見渡す。
「嬉しいと思うだけだよ」
…。
「勝手に浮かれていれば?」
明日の私がそう思う保証なんてないのだから…
「そうだね…」
「…」
沈黙が始まる。
「あぁ、そうだ」
それを破るようにアイツが口を開いた。
「3月の31日が誕生日なんだってね。…今年は何かお祝いをしようか」
話題を変えているようで変わっていない、ご機嫌取りのような提案…
「…撫子がもらしたの?」
「うん。17歳だって?やっぱり若いね」
…。
「どうだっていいわ」
「大事だよ、『なぎちゃん』?」
「…」
「苗字なんだってね。草薙かな?それとも渚?金木とか船木ってこともあるか…」
…。
「詮索しないで」
はぁ、とアイツが小さくため息をついた。
「…僕は君と仲良くしたいんだ。どうすれば親睦を深められると思う?」
「安直ね。名前を知っていれば距離が縮まるとでも思ってるの?」
「思ってないよ。でも、僕としてはもう打つ手がないんだ。だから模範的な行動に肖ろうかってだけ。ほら言うだろう?『序盤は本のように』って…」
はっ。
聞きかじったようなことを…
「絶対教えない。奇術師みたいに惑わせてみたら?口を滑らせるかもしれないわよ?」
「難しい事を言うね。僕はそう言うのが一番苦手なんだって…。…はぁ」
信号に捕まった。
「まだなぎの心を開くことは出来なさそうだ」
サイドブレーキを引いて体を伸ばしている。
「…いつかはできるみたいな口ぶりで言わないで」
はぁ…
ため息が出た。
肘をついてスマートフォンを点ける。
画面の上には新着を示すアイコンが並んでいた。
タップをして本文を開く。
『なぎちゃんがあんなに心を許してるなんてシットしちゃうっ!!』
…。
撫子もコイツも、見る目がないわね…