ひとりじゃない
「あらためまして!桂撫子でっす!」
何故敬礼なんだ?
変わった子だな。
「橘蓮だよ。改めまして。桂ちゃん、でいいかな?」
「なこでいいですよぉ。蓮さんは年上なんですから」
馴れ馴れしい子だ。
撫子君、は流石に堅苦しいか…
「じゃあ撫子ちゃんで。僕も蓮でいいよ」
「はい!蓮さんっ!」
…。
噛み合わないな。
なぎは額に手を当てて溜息をついている。
「今日はお招きいただきありがとうございまぁす。お邪魔になりそうならすぐに部屋に帰りますので、すぐに言ってくださいねっ」
桂はそう言うと、満面の笑みでなぎに向かって親指を立てた。
宿泊最終日の晩餐は旅先での幸をふんだんに詰め込まれたものだった。
豊富な魚介に山の恵を合わせた和食料理が並ぶ。
「桂ちゃん、こんな所にいたの」
妙齢の仲居が料理を並べながらそう言った。
「うっ」
なるべく見つからないように小さくなっていた桂が、小さく呻く。
…そうか。
桂にとっては、彼女は上司に当たるのか…
「僕が無理を言って休んで貰ったんです。久しぶりの再会に浮かれてしまって…。すみません。迷惑をかけてしまいましたよね?」
「いえいえっ、お客様。そんなことはありませんよ。今日は平日で他のお客様も少ないので…。…桂ちゃんのお知り合いですか?」
「いえ、僕ではなく彼女の知り合いなんです」
なぎに掌を向ける。
「遠慮していた彼女に無理を言ったのは僕です。どうか彼女を責めないであげて下さい」
「何も責めはしませんよ。桂ちゃんは若いのに仕事熱心で…。心配していたんです。いい巡り合わせに出会えたようで」
仲居はそう言って優しく微笑んだ。
「…お上手ですね」
「…仲居頭ですから」
頬に手を当てて上品に笑う。
仲居頭と言う地位がどれほどのものかは分からないが、妙に説得力のある言葉だった。
「桂ちゃんもたまには気にせず休みなさい。お友達は大切よ?私みたいなおばさんになったらね、中々新しい出会いはないの」
「…」
桂は真剣な顔で仲居の言葉を聞いていた。
「…それでは橘様、御用がありましたら御呼びつけ下さい」
「ありがとうございます、お姐さん」
「あらお上手」
仲居がまた上品に微笑むと、少し砕けてそう言った。
「蓮さん、優しいんですねぇ」
「女たらしなのよ」
「えぇっ!!なこもたらされちゃう!?なぎちゃんみたいに?」
「私はたぶらかされてなんかないから」
「それはどうかなぁ。意外となぎちゃんみたいなツンデレがコロっとハマっちゃうんじゃない?チョロそうだもん」
「誰がよ」
「さぁ誰だろー?誰だと思う?」
「元気ね…」
「あったりまえじゃんっ!死んじゃってたと思ってたトモダチとこうして食卓を囲んでるんだよ?なぎちゃんはお昼から蓮さんとよろしくやってたから疲れてるんだろうけどさぁ、なこは部屋でおあずけだったんだよ?それはもう二度寝しちゃったよね!」
「もう訂正する気もなくなるわ」
「つれないなぁ。そーいうところは変わってないよねぇ」
「撫子もね。私達はもう小学生じゃないのよ?『老いた女はもっと美しい』って言葉を知らないの?」
「わーハクガク!なこは中卒でーす」
「私だって中退よ」
「その差がすんごいんだねぇ。まいったまいった」
「もう、適当なんだから…」
同級生がしていた他愛のない会話と違って、なぎと桂のじゃれ合いは微笑ましく感じた。
僕が年上だからだろうか。
自然と下らないと思う感情が湧かなかった。
二人のやり取りを傍から見守る。
「蓮さぁん。蓮さんって意外と無口ですねぇ」
…。
意外だろうか?
桜井もお喋りと言う程ではないし、父さんに至っては殆ど喋らない。
男なんてこんなものだと思うが…
「…そうかな?なぎも大概、無口だよ?」
「なぎちゃんは昔からそうなんです。誰かが話しかけてくれることをシッポを振ってまってるの」
…意外だ。
生まれた時から澄ましている様な子なのに…
「…そういうことは言わなくていいから」
なぎは今にも怒りそうな顔付きだった。
「えぇ~。彼氏にはちゃんと知っててもらいたくない?」
「撫子と一緒にしないで。…とりあえず、余計なことは禁止」
…。
なぎは友達にもこんな態度なのか。
不機嫌なのは標準状態で、僕に対してだけじゃない。
これは思わぬ収穫かもしれないな。
「…撫子ちゃんはなぎと同級生なんだよね?いつ頃まで一緒だった?」
「4年生になる前だからぁ、9歳までです。だから8年ぶり?ちょーど8年ですねっ」
8年…
と言う事は、なぎは今、17と言う訳か。
まぁ、それ位だとは思っていたが…
…若いな。
なぎを見る。
「…」
なぎは澄ました顔で視線を背けていた。
「へぇ。じゃあ随分会っていなかったんだね。良くなぎだって分かったね。それともなぎが気付いたの?」
二人を見る。
「それがなぎちゃんぜんっぜん気付いてくれなかったんですよぅ。ヒドくないですかぁ?」
「気づいていたわよ。恥ずかしくて話しかけられなかっただけ」
「はいウソ~。なぎちゃん分かりやすすぎ」
…楽しそうだな。
「酷い話だね。思い出せない位友達がいたのかな?」
「もうぜんっぜんいなかったですよぉ。『もっとアイソよくしたらトモダチが増えるよ』っていっても、『もう3人もいるからいい』って…。男子にもひそかに人気だったのに、もったいないですよねぇ」
…確かに。
生きる上で愛嬌はいらないかもしれないが、愛想くらいはあった方がいい。
僕も昔、意識的に身に付けてたものだ。
「そうだね。少しは撫子ちゃんを見習ってもいいかもしれない」
「はぁ?アンタこそ見習いなさいよ。虚飾だらけの道化師」
口が悪いなぁ。
…。
「素直は時に美徳足りえないかと」
「飾らない女はそれだけで功徳足りえるわ。崇め奉りなさい」
肩を竦めると、桂と目が合った。
眉を顰めて頷いている。
「…なぎちゃんがなにいってるか分かんなかったけど、ヒドいこといってるのは分かったよ」
「そうだよ。なぎちゃん」
「気持ち悪いわね…。ちゃん付けしないで」
身を震わせて侮蔑の目を向ける。
酷い話だ。
「えぇっ!?じゃあじゃあ、私も呼び捨てで呼んでいいのぉ?」
「…別にいいでしょ。駄目なんて言った覚えはないわ」
そう言うなぎは、何故か照れ臭そうだった。
「そうだったの!?みんな苗字でしか呼んでなかったからダメなのかなって思ってた。…コホン、…かふぉっ!」
なぎが凄い速さで桂の口を塞いだ。
「んふーっ!ふぉーっんんっ!!!」
そのまま畳に押し倒している。
…。
なぎが鬼の形相で僕を睨んだ。
…。
そう言う事か…
「何だか夜風に当たりながら煙草を吸いたくなってきた。30分位したら帰ってくるよ」
「ひっへらっはぁ~い」
桂は口を塞がれながらも、楽しそうに手を振っていた。
車に乗ってエンジンを掛ける。
シガーソケットに給電され、充電ランプが光った。
携帯を開く。
『21件の不在着信』
…。
知らない番号は二つ。
どちらも知らないものだ。
片方は昨日と一昨日の22時頃に1回ずつ。
もう片方はランダムな時間に6回も掛けてきている。
…傍迷惑な奴等だ。
間違い電話であって欲しい。
椎名さんからの着信もあった。
昨日の19時に一回。
…珍しい事だ。
彼女は余程の事がないと掛けてこないはずだが…
残りは全て『菱川あやめ』だった。
一昨日の昼頃から始まって、今日に至るまで毎日3~5回掛けてきている。
…。
今朝方、携帯を確認した時よりも増えている。
…もう一度、椎名さんに掛けてみるか。
『…はい』
「あっ、寝てましたか?」
『夜は起きてる。…朝は悪かったわね』
「いえ。僕も非常識でした。昼に掛ければ良かったですね」
『…』
「今、大丈夫ですか?」
『えぇ。研究室にいるから。…あなた、大変な事に巻き込まれてるわね』
「やっぱりそうでしたか…。…教授は?」
『教育委員会に働きかけてる。医学部も協力の姿勢を示しているみたいよ。研究医の教育に力を入れたいって…』
「…事務部の方は?」
『そっちはそっちで大変みたい。桜井君がぼやいてたわ。彼に連絡を取ってみた方が早いかも』
「連絡先、知らないです」
『はぁ…。桜井君は知ってるんじゃないの?』
「もしかしたら知っているかもしれないですね。でも、僕は知らないです」
『…こういうものって、勝手に教えていいものなのかしら?』
「いえ、いいですよ。明日か明後日、研究室に顔を出します。その時、必要に迫られたら聞きますよ」
『…そう』
「はい。椎名さんは居るんですよね?」
『うん。朝じゃなければ大体…』
「では、どちらにせよ、夕方頃には顔を出します」
『分かったわ。…じゃあ、また』
「はい。では、また」
部屋に戻ると、まだ楽しそうに話す二人がいた。
8年の空白は話題に欠かないようで、絶えず会話が交錯している。
「あっ。蓮さんが帰ってきたよぉ。ねぇ『なぎちゃん』?」
やたらと含みのある言い方だな…
…。
まぁ、余計な事を吹き込んではいないだろう。
そんなリスクを負う意味もない。
「お帰りなさい。煙草は美味しかったかしら?」
こちらも含みのある言い方だ。
もしかしたら止めて欲しいのかもしれない。
「うん。まぁね」
別に止めてもいいが、これと言って止める決定的な理由もないんだよな…
「でも意外ですねぇ。…蓮さん、お医者さんを目指してるんですよね?タバコって体に悪いじゃないですかぁ」
なぎ…
それは『余計な事』じゃないか?
「…彼女が止めてって言ったら止めようと思ってるんだ」
「だってさぁ、なぎちゃん」
「別に止めなくていいわよ。天寿を迅速に全うできるもの、ね?」
手厳しい。
「快諾を得たことだし、当分は止めないだろうね」
「なぎちゃんも素直じゃないなぁ。蓮さんの好きな物を取り上げたくないんでしょ?」
「甚だしい心得違いよ。他意はないの」
「またまたぁ。ふぅーん」
なぎと桂の押し問答が続く。
…きっと他意があるとするなら、『彼女』じゃないから、なのだろう。
「でもスゴイですよねぇ、○○大って。日本でいっちばん頭いいところですよね?私の友達も目指してるんですよぉ。もしかしたら来年はコーハイになってるかもしれません。…あっ!蓮さんはもう卒業しちゃってますよね?」
…。
「いや、医学部は6年制だからきっとまだ在学してるよ」
「えぇっ!そうなんですかぁ?藤也は何学部って言ってたっけ?」
「えっ…?」
その名前に真っ先に反応したのはなぎだった。
「なぎも知ってる人?」
「はぁい。私達の幼馴染です。すっごい頭がいいんですよぉ。なぎちゃんより」
なぎより、か…
それが本当なら相当な人物だな…
「藤也君だっけ?憶えておくよ」
「もし会ったら優しくしてあげてくださいね~。…あれっ?そう言えば蓮さんって藤也に少し似てない?ねぇ、なぎちゃんっ?」
「全く。…似ても似つかないわ」
全力で否定した。
「そうかなぁ?まぁ、アイツはデリカシーとか、優しさとか、そーいうの全然なかったからそうかも」
それは僕にも無いと思うが…
「…ふふっ。そうね。確かにないわ」
なぎが僕を見ると、不敵に笑ってそう言った。
きっと、その藤也と言う人物を通して僕に言っている。
…。
「煽てても何も出ないよ。僕はただ、勉強をちょっと頑張っただけの凡人だ」
「またまたぁ。ケンソンもほどほどにしないとイヤミですよぉ?」
そんなつもりはないが…
「本当だよ。…なぎにはいつも負けっぱなしでね。自分が○○大ってのも隠していたい位なんだ」
桂が訝しむ。
「チェスの話よ。…撫子が勘違いするでしょ?」
僕の言葉をなぎは急いで訂正した。
確かに広義に捉えられる言い方だったが…
取り立てて是正する程の事だろうか?
「へぇ~。なぎちゃんってそんなチテキな趣味あったんだねっ!」
「ただの暇つぶしよ。…撫子もやる?」
そう言って彼女を誘うなぎは、どこか恥ずかしそうだった。
「えぇ~。むずかしーのはニガテなんだけどなぁ。…リバーシなら得意だよ?弟に負けたことないもんっ!」
「…リバーシ?」
「日本のオセロのことだよ」
「あぁ」
なぎが頷く。
「別にそれでいいわ」
「ホントにっ!?じゃあじゃあ、とっておきのアプリ教えてあげるっ!」
「…アプリ?」
「アプリも知らないのぉ?…あっ!SNSもしらないんだっけ?イマドキの女子がそんなんじゃダメだよぉ?ほらほらっ!スマホ出してっ!!」
「…はいはい」
なぎは小さく溜息をついて、幸せそうに微笑んでいた。